中学3年時に突如不登校・ひきこもりに
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中学3年時に突如不登校・ひきこもりに

2016年10月31日(月)11:21 AM


A君は当時、公立中学の3年生でした。家族は両親と3つ離れた妹の4人家族です。

 

 

 

 

周囲は静かな住宅街で、アパートが立ち並ぶ中、その一角の一戸建てを住まいとして暮らす、ごく普通の家庭です。

 

 

 

 

A君は、中学2年生までまったく何の問題もなく、普通に学校に通い、クラブ活動の剣道も熱心にやっていたといいます。

 

 

 

 

ところが、中学3年生になって1ヶ月ほど経つと、突如学校に行かなくなったということでした。

 

 

 

 

両親は学校とも相談しながらしばらく様子を見ていたそうですが、そのうち会話もなくなり、部屋からまったく出てこなくなってしまいました。

 

 

 

 

担任の先生も家庭訪問に何度か訪れてくれたそうですが、ある日、両親と担任の先生が話をしようと部屋に入った瞬間、包丁をちらつかせて「部屋に入ってくるな!

 

 

 

 

出て行け!」と大声で怒鳴ったそうです。それ以来どうすることもできず、わたしのところに相談に来たのです。

 

 

 

 

そんな感情的で乱暴な言葉を発したのもはじめてのことで、両親も担任の先生も驚いたと言っていました。

 

 

 

 

両親とも普段はおとなしくて、やさしい子どもだと思っていたものが、「何で?」という気持ちが強く、いったいどうしたらいいのかがまったく考えられなくなってしまいました。

 

 

 

 

わたしが家庭訪問したのは学校に行かなくなってから半年が経過していた頃です。

 

 

 

 

この間、両親、妹もA君の姿も見ず、声も聞いていないということでした。A君の部屋にはテレビ、パソコンはなく、携帯電話もスマートフォンも持っていない、ちょっとしたゲーム機と音楽プレーヤーがあるということでした。

 

 

 

 

わたしがまず気になったのは、食事とトイレのことです。普段の日中ならば、両親ともに働きに出ていて、妹は学校なので、A君以外誰も家にはいないので、部屋から出て食事やトイレは自由ですが、仕事や学校が休みのときは誰かしら家にいるので、部屋からは出てこられない状況です。

 

 

 

 

いったい部屋で何をして、どうやって過ごしているのでしょうか?

 

 

 

 

深夜、外に出ている形跡もないといいます。誰とも会話せず、一人で部屋でボーっとして寝て過ごしているのでしょうか?

 

 

 

 

それでは人間というより動物の生活になってしまいます。

 

 

 

 

ただ、その生活は決して楽しいものではないはずだし、A君はきっと辛い思いをしているんだろうなという思いはわたしにはありました。

 

 

 

 

わたしが部屋に入る前に両親から「大丈夫ですか?」と心配して声をかけてもらいましたが、わたしは「大丈夫です。心配しないでいいですよ。

 

 

 

 

あとはA君とわたしのかかわりになるので、ご両親は今までとは何も変えないで接してください」と答え、A君の部屋の入り口に向かいました。

 

 

 

 

A君の部屋の出入り口のドアには鍵はありません。わたしはドアをノックして簡単な自己紹介をして「A君、中に入ってもいいかな?」と声をかけましたが、まったく無反応でした。

 

 

 

 

普段ならば、そこで部屋に入ることはしないのですが、A君が生きているのか死んでいるのかもわからない状態であまりにも心配だったので、「入るよ」と言って、ドアを開けて中に入ってみました。

 

 

 

 

わたしが部屋に入ってまず驚いたのは、A君の姿がどうのこうのという前に、部屋がまるでサウナ風呂の状態で息苦しいということでした。

 

 

 

 

時期も梅雨が明けて夏も近いという季節であるのに、エアコンもない部屋で、窓も開けずに、ただ扇風機が暖かい風を循環させているだけという状態でした。

 

 

 

 

しかもこんな状況の中でA君は布団をかぶってすっぽりと体を覆い隠していました。

 

 

 

 

わたしは思わず、「わーっ、暑い」と声を出してしまったくらいでした。

 

 

 

 

わたしが来たことで、布団に身を隠さなければならない状況を作っていたとしたら、それはA君にはかわいそうなことをしたなという思いもありましたが、「A君、こんにちは。はじめまして」

 

 

 

 

と挨拶し、簡単にA君のために来た理由を説明し、また2時間後に来ることを布団越しに伝えて部屋を出ました。

 

 

 

 

その間、A君は一言もなく、反応もありませんでした。その日は2時間後、そしてまた2時間後と時間を伝えて4回部屋に入りましたが、いずれも同じ状態で姿を見ることはできませんでした。

 

 

 

 

布団の形が変わっているので、わたしがいない間は布団から出ているようだということだけはわかりました。

 

 

 

 

その後もA君の家庭訪問を根気強く続けていきました。訪問時は相変わらず布団の中でわたしが一方的に話しているだけで反応はないのですが、聞いているという感じは受けていました。

 

 

 

 

刃物を出して脅してきたり、部屋に入れないようにつっかえ棒をするというような拒絶反応が見えず、すんなり部屋に入れているということから判断していました。

 

 

 

 

そこでわたしは「メモ作戦」を試みてみました。

 

 

 

 

「何かほしいものがあったら買ってきてあげるから、メモ書きしておいて」と言ってメモ帳を枕元においていったん引き上げました。

 

 

 

 

そして少し時間をおいて、再度訪問し、部屋に入るとなんとメモ帳に「マンガの〇〇、お菓子の〇〇、〇〇ジュース」と実に中学生らしいものが書かれていました。

 

 

 

 

依然としてA君の顔を見ることも、声を聞くこともできませんでしたが、メモという無言の会話がスタートしました。

 

 

 

 

最初はほしいものを書いてもらい、わたしがその通りに買っていくというやり取りでした。

 

 

 

 

しだいに東京のことや社会の出来事などもいっしょに書き添えるようにしました。

 

 

 

 

質問があったら書くようにメモに書いておくと、A君のメモにもほしいものだけでではなく、関東自立就労支援センターの寮がどういう所なのか質問が書かれるようになっていきました。

 

 

 

 

わたしはそれに対してメモだけではなく、実際の写真を用意し、それを添えてA君のところに持っていくようにしました。

 

 

 

 

そうやって少しずつ、わたしや支援センターのことをA君に伝えていき、安心感を与えるように会話を続けていきました。

 

 

 

 

そしてその会話の内容は、具体的に東京に行く日時まで発展していきました。

 

 

 

 

そして、ついにA君が地元を離れ、東京に行く日時が決まりました。A君が指定してきた出発時間は深夜の3時でした。

 

 

 

 

A君の思いとしては、この時間であれば、両親、妹に気づかれずに出ていけるだろうということだったに違いありません。

 

 

 

 

わたしは約束の時間に自宅近くの空き地で待機していました。するとバックを持った人影がふらふらとよろめきながら近づいてきました。

 

 

 

 

思えば、一番エネルギーがある時期の子どもが家から出ることもなく、運動どころかほとんど寝たきりの生活をしていたのですから無理もないことです。

 

 

 

 

約束どおり、A君が姿をあらわしてくれたことは、わたしにとって非常にうれしい出来事でした。

 

 

 

 

わたしが家庭訪問を始めて1ヶ月あまり、心を開いて動いてくれたのですからこんなにうれしいことはありません。

 

 

 

 

もちろん、そのときA君もわたしもお互い顔を見るのは初めてのことでした。

 

 

 

 

「やあ、A君、こんばんは。辛かっただろう。もう安心して楽にしなさい」と声をかけると、「こんばんは、よろしくお願いします」とA君は礼儀正しく答えました。

 

 

 

 

これも初めての言葉での会話でした。その後、車で途中休みながらゆっくりと東京へ向かいました。

 

 

 

 

A君は、かなり疲れていたのと解放された安心感もあったのか、車中でほとんど寝ていました。

 

 

 

 

A君は東京に来て、関東自立就労支援センターの寮に入って生活を始めたわけですが、無理はせずにA君の体力の回復を見ながらA君のペースに合わせての教育指導を始めました。

 

 

 

 

A君はわたしの教えることをみるみる吸収し、よく食べるようになり、身体もよく動くようになっていきました。

 

 

 

 

それにしたがって表情も明るくなり、楽しそうに過ごしている姿を見ているとどうしても一つの疑問を感じてしまいました。

 

 

 

 

それは「学校」の問題です。きっと学校に行っていたときも、今と同じような姿のときがあったはずです。

 

 

 

 

それが突如学校に行かなくなったのには、何か理由があるはずです。それを解決しない限り、本当の意味でのひきこもりの問題は解決しないのです。

 

 

 

 

このときはもう、中学も卒業する頃に差し掛かっていました。そんなときのことです。

 

 

 

 

A君の在籍する中学の担任の先生からわたしのところに連絡がありました。

 

 

 

 

「卒業式は出られそうですか?」という内容でした。わたしはA君に聞いてみましたが、A君は「行きたくない」という返事でしたので、その旨を先生に伝えました。

 

 

 

 

それから数日が経過して、今度はA君の中学の校長先生から電話がありました。その内容はこうです。

 

 

 

 

「何とか卒業式をしてあげたいのですが、A君が来られないのであれば私共でうかがってもよろしいでしょうか?

 

 

 

 

それから担任の先生がA君に謝りたいと言っています」わたしはA君に校長先生の話を伝えると、A君はしぶしぶながらも承諾しました。

 

 

 

 

そして当日のことです。実際の卒業式は終わってしまいましたが、A君一人だけの卒業式がミーティングルームで行われました。

 

 

 

 

その際、担任の先生が頭を下げてA君に謝ったのです。内容に関しては詳しく書けませんが、先生の言った一言がA君をひどく傷つけてしまったということです。

 

 

 

 

それによってクラスメートからもバカにされるような事態なったということでした。

 

 

 

 

担任の先生はそれに気がつき、どうしてもこのまま卒業させたくない、誤りたいという気持ちが強くなって、校長先生に処分を覚悟で話をしたそうです。

 

 

 

 

校長先生もA君にすっきりとした気持ちで卒業してほしいと思い、担任の先生に責任を取らせるのではなく、いっしょに謝りに行こうという気持ちで東京まで来たということでした。

 

 

 

 

A君はそんな先生たちの姿を見て涙を流していました。それは悔しさではなく、うれしかったのだと思います。

 

 

 

 

わたしも今まで見た中で最高の卒業式だと感じました。

 

 

 

 

A君はその後、本人が希望して東京に残り、通信制の高校に通いました。クラス委員を務め、成績もトップをとるほどがんばっていました。

 

 

 

 

そして、1年が終わるのと同時に地元の高校に編入することができ、今では普通に高校生活を送っています。

 

 



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