「親の力を借りる」ということ~23歳男性のケース~
ご家族構成から教えてください。
母親と祖母との三人暮らしです。母は五十一歳で、化粧品の販売をしています。祖母は母方で、七十四歳です。
祖母には家賃収入があって、主にそれが家の生活を支えています。この家も祖母の家です。
父とは、僕が小学校二年生だったときまでは同居していました。両親が離婚して以降はずっと、父親はいないものだと思っています。
小さい頃は、どんな感じの子どもでしたか?
・・・幼い頃を振り返ると、僕は生まれながらにして集団生活ができない人間だったと、今になってみると思います。
保育園に三年間通っていましたけれど、行くのが嫌だったという記憶があるんです。
できれば休みたかったという・・・・。自転車でお母さんに送り迎えされていまして、門の前まで来ると、無理やり中へ入れられて、先生のところまで連れて行かれていました。
遊ぶときには一人遊びをしていたと思います。
幼児期に友達と遊んでいたという記憶はありますか?
友達と遊んだとか、楽しかったという記憶はまったくないんです。こんな友達がいたなあと思い出せる人、まったくいません。
当時、何をしていたのかも覚えていません。その後にいろいろありましたので、そのころの記憶は・・・・。
保育園でいちばん嫌だったのは給食だったような気がします。そこはお寺が経営している厳しい保育園で、給食は絶対に残さず食べなきゃいけないことになっていました。
でも僕はニンジンとかシイタケとか野菜全般が嫌いで、特にシイタケは料理の中に入っているだけで鳥肌が立ってしまうほどでした。
実際に無理やり食べさせられたかどうかまでは、はっきり覚えていないのですが・・・・。
小学校時代はどうでしたか?
小学校二年生のときに二回転校しました。家のどういう事情だったのかはあまり詳しく知りませんが、どちらにしろ、両親は離婚してしまったので・・・。
お父さんとお母さんがケンカをしてたなあというのは、かすかに覚えていますけど・・・・。
お父さんについては、怖いイメージ、殴られた記憶しかないです。お父さんが帰宅してパタッと音がすると、逃げていた覚えがあります。
二年生でお父さんがいなくなってからは、いないのが当たり前だと思っていたので、つらいとは感じませんでした。
会いたいとも思いませんでしたし・・・・。学校の方は、やはり休ませてもらえるなら休みたいと思っていました。
僕は運動神経が鈍かったので、体育とかが・・・・・。
苦手意識があったのでしょうか?
・・・・「できない」というのもありましたし、それ以上に何をするにも怖いんです。
体育で何かをやらされるというのが怖かったんです。
何かとは?
全部です。怖かったのは、たとえば先生がというよりは、同級生の目とか陰口とかが・・・・。
だから、熱があるとか言って見学することが多かったです。
他人が自分をどう評価しているのかが気になったということでしょうか?
そうですね。僕は当時太っていましたので、あだ名もいろいろ付けられましたし・・・・。
小学三、四年のころはバカにされたりとか、見た目のことをそのつど言われたりとかしました。
ただ、争ったり殴られたりしたことはないです。口で言われたことはいっぱいあるんですけど。
だから五、六年生のころは、常にビクビク、ビクビクしていました。ただ時間が早く経つことだけを願っていました。
学校の成績はどうでしたか?
四年生までは良かったです。
四年生のころに何があったのでしょうか?
三年か四年のときに、市内の学習塾に通い始めました。母から行けと言われたからです。
週三回くらいで、母が車で送り迎えをしました。いちばん多かった時期は塾を三つぐらい掛け持ちして、週に十回くらい通っていました。
僕は塾、嫌だったんですけど・・・・。それから五年生のとき担任が変わって、怖い五十代の男の先生になりました。
子どもを怒鳴りつけたり平手打ちにしたりするんです。そのころから、お腹が痛くなるようになりました。
朝起きてごはんを食べてああ、学校へ行かなきゃと思うと、痛くなるんです。ほとんど毎日そうなって、学校は休みがちになりました。
そうなった理由を、ご自身ではどう考えていますか?
・・・・もともと集団生活が苦手だったからだと思います。集団の中に入ってやっていくということが・・・・。
自分を無理やり適応させようとして、それが体に現れたんだと思います。五年生の頃、僕は急に痩せたんです。
担任の先生からも「おまえ、急に痩せたなあ」と言われました。病院でバリウムを飲んで検査したら、十二指腸潰瘍だといわれました。
そのあと六年生になっても担任は同じ先生で、僕の休みはさらに増えました。八十日くらいは休んだと思います。
先生からは「学校へ出てくるように」と言われました。親は僕が学校に行かないので、その分、塾へ行かせようとしました。
勉強の成績が落ちるからです。
どんな塾へ通ったのですか?
いろんな塾へ行きました。補習塾、英会話、人数の少ない塾、通信添削も。
学校を休んだときは、どこで何をしていたのでしょうか?
・・・・・奥の部屋でずっとテレビを見ていたり、ネットをしていたと思います。
ただ、家族には風邪とかを装っていましたので、布団の中で横になって休んでいなければいけませんでした。
体温計をコーヒーカップにあてて、三十七度五分のところで止めたりしていました。
母は割りと家にいましたし、祖母からも「また休んだのか」と怒られていました。
学校を早退してしまうこともよくありました。でも家族から「三時半までは帰ってくるな」と言われていましたし、それ以前に帰ると怒られるので、公園で時間をつぶしたりしていました。
祖母は「子どもは学校へ行くのが当たり前だ、休むなんてとんでもない」と言っていました。
母からは「休むのはしょうがないけど、塾へは行きなさい」と言われていました。
当時、学校に対しては、どういう感情を持っていたのでしょう?
早退するにも、怖くて先生には言えなくなっていきました。言うと先生に「おまえ、また休むのか!」と叩かれるからです・・・・。
だから先生が職員室に戻る給食の時間を狙って、トイレに行くふりをして逃げるように早退していました。
クラスメイトからは変わり者と見られていただろうと思います。
もともと体が弱いことでいろいろ言われていましたし。
もし差し支えなければ、どんなことを言われていたのか教えてください。
・・・・死に損ないとか・・・・。いつ言われたのかとかは、はっきり覚えていません。
実際にはもっといろいろ嫌なことを言われていたんですけど、覚えていません。
当時のあなたにとって「他人」とはどういう存在だったのでしょうか?
・・・・・僕にとって他者は敵でした。先生も親もクラスメイトも、わかってくれるわけがないし・・・・。
僕の周りにいたのは、敵であるクラスメイトと恐怖の大人たちでした。学校へは行かなければいけないから行く、と思っていましたけれど、心の中では逃げ出したかったです・・・・。
でも、子どものころの僕には、親にいわれるがままでした。母親までが僕を車で学校に送りつけて、門の前で「早く行きなさい」と言うんです・・・・。
周りはもう八方ふさがりで、救いの手を差し伸べてくれる人は誰もいませんでした。
自分の家にも学校にもいられないし、学校からも帰れもしないし・・・・。あの頃不登校のことを知っていたら、どんなによかったか・・・・。
あの時ゆっくり休むことができたら、もう少し違っていたかなと思うことがあります。
今言っても仕方ないですけど、本当に辛かったので・・・・。
今でも母や祖母のことを恨む気持ちはあります。学校に対する恐怖感がしっかりと根づいてしまったので、中学はさらにきつい時代でした。
中学へ進めば環境が変わるかもしれないという期待はなかったのですか?
何も変わるとは期待していませんでした。地元の公立中学です。それでも先生が女性だったこともあって、小学五、六年のころよりは少し、ましになりました。
でもやはり忘れ物をしたクラスメイトが体罰で叩かれたりしました。そうすると教室中がシーンとなって・・・怖かったですね。
クラスメイトの半分は同じ小学校からの持ち上がりで、なじめなかったです。自分からは誰にも話しかけられませんでした。
不登校の状態になったのでしょうか?
はい。中学一年の途中から、学校へ自分の足では歩いて行けなくなって、小学校時代のように休み始めました。
けれど三日ぐらい休みが続くと、母も祖母も「行きなさい」と言い出すんです。
母は歩けない僕を車で強制的に学校の門の前まで送りつけました。でもそうするうち今度は、門の前まで来ても車から降りられない日も増えてきました。
そうしたとき車の中はどんな様子だったのでしょうか?
母が運転席で「早く行って。お願いだから」と言うんです。でも降りられないんです。
恐怖感で足がすくんでしまうからです。お腹は痛くなるし、体がガタガタと震え始めるし・・・・。
そのまま時間が過ぎて、授業が始まってしまうと、僕はますます学校へ入れなくなりました。
遅刻をしたら先生に往復ビンタをされるからです・・・・。最後には母が泣き出して「このままどこかにぶつけて死んでやる!」と言ったこともありました。
結局学校に入れずに家に戻ってくると、祖母から「なぜおまえは帰ってくるんだ!」と言われます。
僕は家の中でも怖くて、奥の部屋でビクビクしていました。
そういうときは部屋で何をしていたのですか?
・・・・覚えていないんです。なんとか一日一日を過ごしているという感じだったと思います。
中学一年のときは全部で六十日ぐらい休みました。一年生の終わりに学校から「学校へ来られない子のための適応指導教室があるから、そこへ行きなさい」と言われて、二回くらい行ったと思います。
不登校の適応指導に行ったのは、その二回だけだったんですね?
ええ。・・・・あとそれから、これはカウンセラーさんにも言ってない話なんですけど、県内に子ども専門の心療センターみたいなところがあって、一時期そこへ入院させられました。
敷地内に小、中学校の分校もありまして、入院しながら通学するんです。
それはいつのお話ですか?
中一の終わりの三月です。覚えています。はっきり。
しかし、それはどういう経緯だったのですか?
母から、入院しなさいと言われました。母は、そこで治ったという人の話を聞いていたようです。
「学校からもそこへ行くよう言われた」と母に言われましたし、「家には置いておけない」とも言われましたので、行きたくなかったけど、仕方なく入りました。
その日はどういう日だったのですか?
雨が降っていました。入院先のセンターは奥に病棟があって、母と二人でそこに行きました。
あるところまで入ったら、職員から「ストップ、お母さんはここまでです」と言われて、そこで鍵がかけられました。
・・・・・あの時の恐怖感と、絶望感・・・・。それから何年かは、寝ていても夢を見続けていました。
自分がどこかの空間に閉じ込められる夢です。
入院中は、どのような生活を送っていたのですか?
ベッドが六つ並んだ相部屋に入れられました。入ったときはこれからどうなるんだろうという恐怖感で体がガチガチになりました。
敷地内にある小、中学校へ行くとき以外は外出禁止でした。面会謝絶で、親と連絡を取ることも禁止されました。
予想していたよりも、ひどいところでした。周りは知的障害の子が二人いた以外は普通の人たちに見えました。
朝は六時に起床して、食堂で朝食です。嫌いなメニューを取るのを避けたりすると、監視している職員がそのメニューをどさっとよそって「食べなきゃだめだ」と言います。
医師は週に一度、様子を見に来ました。
医師から診断名は聞いていましたか?
登校拒否症だといわれました。「学校へ行けないことが、あなたの問題だ」「集団恐怖症と言ってもいい」「学校に適応できないことが問題だ」とも言われました。
当時、何か精神的な症状は出ていましたか?
何も思い当たりません。自分では症状はなかったと思います。暴力もなかってですし。
実は最近でも心の健康辞典などを読んで、自分がどういう病気かを調べているんですけど、どれに当てはまるのか一向にわかりません。
入院していた頃、親御さんのことをどう思われていたのでしょう?
自分が閉じ込められたという恐怖感がありましたから、親とか校長とか担任の先生のことを恨む気持ちがありました。
憎いと思ったこともあったと思います。けれど母はやがて、入院のことを変だと思い始めました。
入院中の強迫神経症の子が手を洗わないように両手を縛られているのを目撃した親がいて、その親と偶然に母親は会ったそうです。
そのときその人から、宿泊入院治療に反対している親たちの会も教えられたと言います。
それから母は「本当につらかったら退院してもいいよ」といい始めました。僕は五月の終わりに母に電話して「来て」と言いました。
主治医は「一年間は退院させません」と言っていたのですが、六月初めに半ば強引に退院しました。
結局、二ヶ月ちょっとの入院でした。
退院後は学校へ戻られたのですか?
二週間ほど休んで手続きをしてから、登校しました。中学二年でした。最初の三日間は自分で歩いて学校へ行ったんです。
でも周りから「どこへ行ってたんだ?」と聞かれるのがつらかったことと、教室の環境も以前と変わっていなかったせいで四日目の朝、またお腹が痛くなってしまいました。
そのときに母が「そんなに痛いなら休んじゃいなさいよ」と言ったんです。ホッとしました・・・・。
母はそのころまでに、不登校の親の会へ行っていろいろ勉強をしていたようでした。
登校状況はどうなりましたか?
それ以来は一日も行けませんでした。卒業式も行ってません。やっと学校から開放されました。
・・・・・行けるわけがないんです。それまでは無理に通っていたのに「休んでいいよ」と言われたんですから・・・・。
学校からは担任が月に一回、家を訪ねてくるだけでした。
それ以降は、家にひきこもりの状態に入ったのでしょうか?
塾へはしばらく通っていたんですけど、中学三年になるころには塾へも行けなくなって、本格的なひきこもり状態になりました。
そのとき僕は、社会のレールから完全に外れました。外れたらそれからはレールから遠ざかるばかりで、気がついたら今に至っているという感じです。
家から外に出るのは、一人でたまにゲームや本を買うときだけでした。それでも、母親や祖母とはコミュニケーションがありました。
祖母が心配して「将来の仕事につながれば」とパソコンを買ってくれたのも中学三年のときです。
学校に戻りたいという気持ちは、どこかにありましたか?
いえ、学校はごめんだ、という気持ちでした。このへんは他のひきこもりの人とは違うかもしれませんが、高校受験の前も受験の話題すら出ませんでした。
親も受けろといわなかったし、自分も考えなかったですし・・・・。
高校へは行かない道を選ばれたのですね?
でも将来についてはまったく目標がありませんでした。何も考えていなかったという感じです。
それから二年ぐらいの間は何もしていなかったと思います。人といっしょに外にいたのは、母親とドライブしたり喫茶店に行ったりしたときぐらいでした。
高校へ行きたいとも思いませんでしたし・・・・今は違いますけど。
外へ出て動き出そうと思い始めた変化は、いつ起きたのですか?
それは十七歳のときです。インターネットをやっているときに、何かのきっかけで声優という仕事に惹かれたんです。
別にアニメは好きではなかったんですけど・・・・。いろいろ調べて、名古屋に声優の養成学校があることを知って、祖母に「学校に行きたい」と頼みました。
うちでは大きな額の金銭的なことは基本的に祖母に頼っていたからです。次の春から行けるように手続きをして、そのころはうれしかったです。
「来年から学校へ行くんだ、やりたいことが見つかった」と思っていました。
ただ一方で、いざ通うとなると「学校へ行く」ということへの不安が強まってきて、精神科のクリニックに通うようにもなりました。
養成学校はどうでしたか?
・・・・・初日の緊張感が・・・・・。ほとんど三年ぶりの学校でした。一クラス四十五人ぐらいで、僕はまだ高校三年の年齢でしたけれど、周りは高校を出た人ばかりでした。
声優科は体力がいるということで肉体訓練の授業があったんですが、腕立て伏せ百回とか、小さい頃から体の弱かった僕にはしんどい内容でした。
肉体訓練の翌日は起きられなくて学校を休むほどでした。訓練のためビルの九階の教室までを階段で上がる、という決まりもあまりにしんどいものでした。
医者に「自律神経失調症なので過度の運動は避けてほしい」という診断書を書いてもらって提出したら、「エレベーターの使用は許すけれど、この世界は甘くないぞ」と言われました。
そう言われたら、エレベーターを使うことに後ろめたさを感じるようになりまして、入学から三ヶ月ぐらいで休みがちになったんです。
でも、休むと次のときに授業についていけない、そういう社会の現実を知らされて・・・・。
小・中学校と違って、自分のやりたいことなんですけど、体力面と精神面でついていけませんでした。
精神面でのしんどさはどうだったのですか?
不安が強かったです。学校へ行けるのか、授業をこなせるのか、みんなの中にいられるかという不安・・・・・。
それから、人の目が気になる不安もありました。自分だけエレベーターを使って上がっているので他人から悪く思われているんじゃないか、という不安が・・・。
ですから実際には、不安を抑える薬を飲みながら学校へ通っていたんです。ちなみに、その薬は今でも飲み続けています。
あと驚かれるかもしれませんが、学校へ通うのが不安だった僕のために、母は車で養成学校まで送り迎えしてくれていました。
三時間の講義中は、近くのデパートで時間をつぶして・・・・。それでも四ヶ月目の終わりに、担任から遠まわしに退学を勧められました。
「この業界には向いてないよ。体力的にも精神的にも」と・・・・。結局、授業についていけないことがはっきりしてきて、九月に退学届けを出したんです。
事務の人に「あ、お疲れ様でした」と言われただけで終わりました。「ああ、終わってしまった」という気持ちでした。
胸にぽっかり穴があいてしまった感じでした。
退学したということをそのあと、どのように感じていたのでしょうか?
あとで冷静に考えたら、僕は精神的にまいっていたのだから、学校に通うこと自体が難しかったんだなと思いました。
それでも通うことにこだわったのは「ここを辞めたら居場所がなくなってしまう」という恐れがあったからです。
ずっその葛藤を抱えていました。とはいえ、百万円ちかくのお金を出させたうえに親に送り迎えまでさせながら結局は辞めてしまった・・・・。
それが申し訳なくて、辞めた後、一時は精神的にパニックになりました。
「これからどうしよう」「次の場所を探さなきゃ」「在籍するところがなくなってしまった」と・・・・。
母親に「どうしよう、次を決めなきゃ」と口走っては「辞めたばっかりじゃないの」「おまえが辞めるからじゃないか」と言われて、何度も口げんかになって・・・・。
そうして次に見つけたのが大検という目標でした。
大検のことをどこでお知りになったのでしょうか?
ネットです。D学院という大検の予備校があるというので、その年の十月ごろには面接を受けました(当時十八歳)。
予備校の人からは「やるなら今がいちばんいい。十八歳ぐらいの人が多いから」と言われました。
「今まで勉強をしていなかったのですが」と尋ねると「大丈夫、そんなに難しくないから」と言うので、入学を決めました。
学費はまた祖母が払ってくれました。
予備校に入りたいと思った最大の動機は何だったのですか?
・・・・・どこかに所属したかったんです。
入ってみて予備校はどうでしたか?
精神科にも通いながら授業に出てみたんですが、内容はさっぱり分かりませんでした。
なにしろテキストを見てノートを取るということ自体が小学校以来のことでしたし・・・・。
中学生の頃は?
中学のときは教室では、ただ耐えているという感じでしたから・・・・・。
それでも予備校へは通い続けたのですか?
続かなくて、二ヶ月くらいで休みがちになりました。授業に出ても勉強がまったくわかりませんでした。
数学と英語がまったくわからないんです。指名されても何も答えられないし・・・・。
そのうち座っているのも苦痛になってきました。
その当時、どういう心境にあったのでしょうか?
・・・・同世代の人のいるところへ行きたい、という気持ちがあったんですけど・・・・。
全部がわからなかったので・・・・。
周囲との会話や交流、コミュニケーションはどうだったのですか?
僕の場合、いざそういう場に直面すると、何を話していいかわからないし、話題が思いつかないんです。
ちゃんと話せるか、という不安が出てきてしまって・・・・。人から「今、何やってるの?」と聞かれるんじゃないだろうか、と想像することがいちばん嫌ですね。
予備校は結局、どうなさったのですか?
実質的には通っていない状態でしたけど、籍だけは置いていました。
その間はどのように過ごされていたのでしょうか?
声優になる夢があきらめきれなくて、ネットの研修生募集という記事を見てまた養成所に入学しました。
週一回のコースでした。でも、いいかげんな養成所で、本当に声優になれるかどうか不安になってきましたし、そう思うと通うのが虚しくなって結局、翌年には辞めてしまいました。
実はこの頃、大検も受けたんです。予備校の担任から勧められたので、せっかく通ったのだからと思って受けてみたんですが、合格したのは二科目だけでした。
・・・・今、振り返ってみても僕の場合、すべてのことが中途半端に終わっていると感じます。
結局、その一年はどういう年だったんですか?
前半はほとんどひきこもっていただけです。外出した場所は本屋とかCD屋とかボイストレーニングだけです。
当時は心境としては焦っていました。二十歳になってしまうという焦りです。誕生日がくるのは毎年いやでしたけど、あのときが一番嫌でした。
精神科には当時も月に数回ずつ通っていました。九月には新しい声優養成のセミナーを受け始めました。
といっても声優は体力的に無理だと分かりましたし、声優をするには東京へ出なければならないので、もっと現実的なことを勉強しようと思って、名古屋近辺で活動されている講師の方のセミナーを受けたんです。
その人はデパートの催し物のナレーションとか店内放送とかラジオCMをされている方でした。
そういう仕事なら地元でできるし、体力的にも務まるかもしれないと思ったんです。
周りの受講者が三十代から六十代の人ばかりだったことにも安心感がありました。
その人たちと比べている限りは、自分はまだ若かったですから。
合っていたのですね。そこは続いたのですか?
そうですね。週一回で今年の三月まで通い続けました。それ以降は発声を訓練するボイストレーニングにも通い始めて、こちらは今でも週一回で続いています。
ナレーターになるにも必要な訓練だと思ったからです。ただ、相変わらず学費は祖母に頼り、送り迎えは母親の車です。
このことにはすごく感謝しています。けれどやはり僕は、どこへ行くにも一人では行けないんです。
すごく疲れてしまうので・・・・。そこにいるだけでも精神的エネルギーを大量に使うので・・・・。
お母さんはあなたの現状について普段、どういう言い方をされるのですか?
「いつまでこんなことしてるんだ」とか「名古屋へは自分ひとりで行け」とか「いい年して親に迷惑をかけるな」とか言われます。
「もう限界だ」と言われたこともありました。親子でストレスを溜め込んでしまって、今は母親まで通院して抗不安剤を飲んでいます。
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- ひきこもりに見られるさまざまな症状
- ひきこもりのさまざまな背景
- ひきこもりの一人暮らしと支出
- 家族といっしょに食事をとらないひきこもり
- ひきこもりの住居と親の介護
- ひきこもりの単調な生活を受け入れる
- ひきこもりの外出の意味
- ひきこもりの対人関係における悪循環
- ひきこもりの生態と哲学
- ひきこもりの老後の住まい
- ひきこもりの脆弱性
- ひきこもりの自己肯定感
- ひきこもりの長期化・高齢化と親の定年
- ひきこもりの高年齢化と今後の課題
- なぜ、ひきこもりになるのか
- ゲームばかりしている子どもへの対応とひきこもりから旅立つために
- ひきこもりは病気なのか、怠けなのか
- ひきこもり支援は長期戦
- フリーターとニート
- フリーターとひきこもり支援
- フリーターについて
- 不登校・ひきこもりの将来
- 不登校と再登校
- 不登校の要因
- 主婦のひきこもり
- 人間の成長・発達とひきこもりという行為
- 他人の介入を受け入れられないひきこもり
- 共依存社会とひきこもり
- ひきこもり~孤立する母親と協力的でない父親~
- 実録・ひきこもりの家庭内暴力
- 家庭内暴力とどう向き合うか
- ひきこもりが長引く理由
- ひきこもり・ニートと大人のADHD
- ひきこもりと家庭環境
- ひきこもり家庭の父親
- 思春期のひきこもり・不登校の心的葛藤
- 親の命令や禁止が子どもを縛る
- ひきこもり・不登校~触れ合いたいのに触れ合えない~
- ひきこもり・ニート・スネップ等の若者の就労に関心を持つ企業・個人事業主の方へ
- 人間関係の希薄化と合理化とひきこもり
- ニートのさまざまな解決法
- ニート・ひきこもり・フリーター・スネップのための就労支援
- 個別相談と家庭訪問
- 共同生活寮と一人暮らし支援
- 入寮者の声
- 高校卒業資格取得のための学習支援
- 普通の社会人からひきこもり・ニートになる人たち
- 相談例
- ひきこもり・ニート相談事例
- マーケティング会社を経営し、寮生を正社員として雇用しています
- ひきこもりと相続
- ひきこもり・ニート・スネップと福祉サービス
- ひきこもりと心の病気
- ひきこもり問題と治療的支援
- ひきこもりと不登校の関係
- 思春期の不登校とひきこもり
- 不登校・登校拒否について
- 不登校の原因について
- 兄弟そろって不登校のケース
- 段階に応じた不登校の対処法
- 長期化した不登校への対応
- 不登校・高校中退の事例
- 発達障害と不登校
- ひきこもり・いじめ・親子関係・不登校・人間関係について
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校・フリーターとうつ病につながる心の病気
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校と心理療法・認知行動療法
- 不登校・ひきこもりと睡眠障害
- 増え続けるひきこもる人たち~「個性」が「孤性」になる人間関係
- ひきこもり・不登校と家庭内暴力
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校の子どものやる気を引き出すために
- 社会復帰に向けて~ひきこもりの固執した観念~
- ひきこもり・ニート・不登校・フリーターに関連する障害
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校とうつ病
- ひきこもり・ニート・スネップ・フリーターと新型うつ病
- 学校や職場に復帰させたいのなら、人間関係に自信を持たせること
- 厚生労働省によるニート状態にある若者に対するアンケート調査結果(概要)。
- 被害者意識は現実検討へのハードルになる
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