「他人に害を与える存在」としてのわたし(33歳女性のケース)
人がひきこもっていくのは他者によって傷つけられることを恐れるからだと考えられがちです。
確かにそう見られる例は多いです。ですが逆に自分が他者を傷つけてしまうのではないかと恐れるためにコミュニケーションから撤退している、と見える例もあります。
今回のインタビューに応じてくれた33歳の女性は、そうしたタイプの一人です。
彼女は10代の頃から何度か、ひきこもり状態になる経験を繰り返しています。
まずはご家族の構成と、小さい頃のお話から聞かせてください。
実家で家族4人で暮らしています。会社員の父と主婦の母と、会社員の弟です。父は60歳、母は57歳、弟は28歳です。
わたしが生まれたのは大阪府内です。今の家に引っ越してきたのは、幼稚園に入る前です。
学校は、公立の小学校から公立の中学校へ行って、地元のやはり公立高校へ進みました。
入学して1ヶ月で退学してしまったんですけど・・・・。
小さい頃は、どんな子どもだったのでしょう?
・・・・周囲から聞く自分のイメージと、自分の中にあるイメージとがぜんぜん違うんです。
小さい頃、わたしは自分はダメだなと思っていました。小学校低学年ぐらいからかな。
どういう意味でダメだと思っていたんですか?
・・・・なんとなくダメだと思っていたんです。具体的に何かが、ではなくて。学校での成績は小学校でも中学校でも良かったんです。
体育もできたし、友達も普通にいました。親も周囲の人もわたしのことをほめてくれていたと思います。
両親や親戚に聞くと、わたしは明るいし、友達もたくさんいるし、勉強もよくできる、そういう子どもだったと言われます。
小学校高学年になるまでは、親から「ダメな子だ」と言われたことはなかったと思います。
むしろ母などは、わたしを見て「行ける」と思った、と言いました。小学校5年で拒食症になるまでは、ですが・・・・・。
親御さんや周囲との間に、どのような認識のギャップがあったのでしょうか?
周囲はほめてくれたけど、わたしはだんだんと、そういうことをしたくなくなってきたんです。
わたしをどういうふうにしたいのか察しがついてきて、ダメだな、と・・・・・。
小学校低学年の頃から「わたしはいっぱいいっぱいだ」「余裕がない」と感じていました。
それがはっきりしたのは高学年になってからです。
その頃、いったい何が起きたのですか?
高学年になって、周囲に対して反感を覚えたんです。うざったいというか、「どうしてみんなわたしを放っておいてくれないのかなあ」という感じでした。
特に親、それも父親に対して、そう感じていましたね。放っておいてくれ、と・・・・。
今、振り返ってみて、わたしの人生のメインは父親との対決だったように思います。
時間と心のほとんどをそれに費やしてきた気がします。そして何かそのころからはっきりと、毎日が不幸な感じになったんです。
とにかく楽しくない、いろんなことがしんどくなったというか・・・。
お父さんのイメージはどういうものだったのでしょうか?
・・・・・今でこそ父の育った境遇などを聞いたりするとまあまあ理解できるなとは思います。
今は・・・・・。でも昔はそんなことは理解できなくて、本当に死んでくれと思っていました。
小学校高学年の頃から最近までです。父という人物は、他人の落ち度に非常に厳しいんです。
いっしょにいて、くつろげません。それでいて、自分の間違いはいっぺんも認めたことのない人です。
間違わない人間なんていないと思うんですよ。でも認めない。母に対してもそうですけど、「俺の言うことを聞け。聞いていれば間違いないのだから」と言います。
厳しくて過干渉なんです。自分が一流と認めないものには、見下した言い方をします。
弟さんはお父さんに、どう対応されていたのでしょうか?
弟はわたしとは正反対の性格で、無視をできるタイプでした。父の話を右から左へ聞き流しておいて、わたしには「あいつの言うことなんか放っておいたらええねん。
姉ちゃん、かまうからや」と言っていました。わたしも父ともめるたびにもうかまうのはやめようと思ってはいたんですけど・・・・。
父には正直、親しみを感じることができなかったです・・・・。昔から駅で会っても、あいさつもしません。
普通、「お父さん」とか、あいさつをするじゃないですか。冷たい人というわけではないんですけど、いっしょにいるときは、ずっと緊張していないといけなくて・・・・。
わたしが他者との関係に悩むことと父のこととは関係があると思っています。
父がわたしに求めていたのは「さすがわたしの娘だ」というあり方でした。でもわたしは、それはできないと思っていました。
仮にそうしたい思ったとしても、できなかっただろうと思います。だからわたしの言う「不幸」というのは境遇のこと、つまり父です。
家は牢獄でした。といって学校が楽しかったわけでもなく、そこは単に「家ではない所」だっただけで・・・・。
ただ学校は、家ほど重い感じではなかったです。
拒食症とおっしゃるのは、どういうことだったのでしょうか?
どこかで今日から食べないと決心したはずなんですけど・・・・思い出そうとしているんですけど、思い出せないです。
たぶん小学5年生のときです。とにかく食べませんでした。1ヶ月くらい・・・。
周りから見ると唐突で、びっくりしたようです。母は、無理やり食べさせようとしました。
でも、わたしが口に入れたのは給食の牛乳だけでした。体重は7キロぐらい落ちて35キロぐらいになったと思います。
最後は学校で体育の時間に倒れて、家に運ばれました。
きっかけや原因らしきことで、思い当たることはあるのでしょうか?
その当時、私立中学を受験させられそうになって、塾に行かされていました。・・・行きたくなかったです。
いろんなことが急にしんどくなって、気分も暗くて重い感じで・・・・。食べなくなったことで、両親はわたしを病院の精神神経科に連れて行きました。
親から「先生に拒食症と言われた」と聞かされました。結局、両親は「私立へ行かなくてもいいよ」と言ってあきらめました。
わたしが心身ともに弱ってしまって、受験だとか言ってる場合じゃなかったからです。
そのあと徐々にですが、ごはんを食べられるようになりました。
中学時代はどうでしたか?
反抗期だったと思います。親とはけっこう、もめました。友達のこととかで。学校へ行くと普通のわたしになるんです。
行きたくないと感じたことはありません。その代わり家にいると暗かったです。家には、いたくありませんでした。
両親のことが大嫌いでした。
子どものころ、両親のイメージはどういうものでしたか?
これは拒食症とも関係しているかもしれませんけど、ピアノのことがあります。幼稚園時代から習わされていたもので、母は熱心でしたけど父は面白くなかったようです。
わたしが練習をしていると、そばで母がいろいろ言うんです。仕事から帰った父がそれを見て、母に「ぎゃあぎゃあ言うな!」と言うんですけれど、そういう父も母に怒鳴っていて・・・・。
わたしは家に帰ったらずっと気分が重くて暗いままでしたので、そういうときは、ただ聞いているという感じでした。
母は結婚相手を間違えたと思います。昔から「わたしは不幸だ」と言っていました。
わたしは、やめてほしかったんですけど・・・。親にそう言われたら、どうしていいかわからないじゃないですか。
不幸だ、と言われても・・・・。「それなら結婚するときに、もう少し考えればよかったじゃないの」と、わたしは母に言いました。
母は「そのときは良さそうに思えたんだけど・・・・」と答えました。母は悪い人ではありません。
ただ、不幸だと思います。
高校はどうでしたか?
受験をして公立高校に進んだんですけど、ゴールデンウィーク明けに通えなくなって結局、入学から1ヶ月で退学しました。
学校へ通ってはいたんですが、家から離れることが心細く、怖いと感じていました。
幼児に戻ってしまったような心理状態です。学校にいても早くうちに帰りたいと思っていました。
精神的な退行状態だったと思います。
どこへ戻りたいと思われたのですか?
戻りたいと思う先は母のもとであったり、自分の部屋であったりしました。帰宅して部屋に戻ると、心が落ち着きました。
しばらくの間ですが、夜は母といっしょに寝ていたと思います。本当に幼児のようでした。
ゴールデンウィークが明けたとき、これ以上は学校に行けないと思いました。行かない理由について親には、そんな心の状態は言わないで、ただ行けないからと言いました。
当時はまだ、以前の拒食症が少しだけ残った感じで食が細かったので、親は「拒食症だから行けない」と思ったようです。
高校を辞めてから、どうなったのでしょうか?
2年ぐらいひきこもっていました。週に1回、土曜日に図書館へ行っていた以外は外へ出ていませんでした。
出たくなかったし、出られなかったし・・・・。図書館へ行くときも、知り合いに会うんじゃないかと、ビクビクしている状態でした。
本を読むことが好きだったんですが、お小遣いがなくて図書館へ行くしかなかったんです。
土曜日を選んだのは、その日だけは日中にわたしが外を出歩いても変に見られないだろう、と思ったからです。
平日にわたしのような年齢の子が歩いていたら、おかしく思われるだろうなと思いました。
日々の暮らしぶりはどうでしたか?
朝に寝て、日中は眠っていて、夜は起きていました。ひきこもったら自然に昼夜逆転になりました。
昼間の明るさは嫌だったんです。誰もいない夜がいちばん落ち着きました。深夜に両親が寝ると、部屋から出て下の階に行って、自分でごはんを作って食べていました。
部屋では夜、深夜ラジオを聴いたり本を読んだり、ネットをしていました。初めのうちは中学時代の友人が家を訪ねてくれていたようなんですが、当時は精神的な退行状態だったせいか、その子たちの顔を思い出せなかったようで、つながりは切れました。
実は退行当時の記憶があまりないんです。あとで母親や友人から聞いて知ったことです。
退行状態がなくなった後も、友人とは会いたくない、と感じていました。自分は周りの子たちよりも1年も2年も遅れてしまっていて、それが恥ずかしかったからです。
とり残されてしまったんだ、と感じていました。
退行がなくなったきっかけはありますか?
自然に治りました。母が猫を飼いはじめたら喜んで、やがて治ってしまった、そう母からは聞いています。
わたしもそうだったのだろうなと思います。寂しかったのでしょう。
その2年間、精神科医などの援助者との接触はあったのでしょうか?
親はわたしのことで、精神科医のところへ行っていました。医者からは「あまり刺激を与えないように」と助言されていたようです。
わたしも何回かは行きましたけれど、気力がなくて、行きたくないなと思っていました。
そのひきこもり状態は、どうやって終わったのですか?
父が会社の人からある私立高校の情報を聞いて、わたしに勧めたんです。寮かお寺に住み込んで通う、厳しい学校でした。
わたしはもう2年もひきこもっていたので、ここで学校に行かないと後がないと思いました。
どこかへ出なきゃ、所属しなきゃ、と思ったんです。それで、人は怖かったですけど、その学校へ入ることにしました。
この高校を卒業できなかったら自分は終わりだ、と思っていました。
新しい高校はどうでしたか?
・・・わたし、その学校でリンチ事件を起こしているんです。入って2年目のことでした。
そのころ女子寮にはわたしのほかに、同学年の女の子が3人と新入生の女の子が2人いました。
わたしはその同学年の3人といっしょに、新入生の女の子1人をリンチしたんです。
それはどういう状況だったのですか?
その学校は先輩と後輩の上下関係がきつくて、先輩には絶対服従という感じでした。
後輩を使い走りにするなど、よくあることでした。わたしは当時、寮長をしていたんですけど、新入生の1人の子がわたしのところへ、もう1人の新入生のことをチクリ(密告)に来たんです。
内容は、ささいなことだったと思います。その子が「ちょっと先輩たち、怖いな」と言ったというような程度だった、と。
わたしたち同学年の4人が集まって「どうする?」「呼ぼう」という話になったんです。
部屋に呼んで1人を囲みました。実はわたしたち4人にしても、互いの関係はうまくいっていなかったんです。
その中の1人に、ふだんから「わたしには暴力団の知り合いがいるんだよ」とツッパッている女の子がいたんです。
その子が、自分の強いところを見せようとしたのか、最初に殴る蹴るの暴行を始めました。
わたしを含めた3人も、それに乗りました。以前、母に叩かれたとき叩き返したことはありましたけど、わたしにとって、それ以外で他人に暴力をふるうのは初めてのことでした。
新入生の子はその後、実家に帰って治療をしたそうです。
なぜ、リンチになってしまったのでしょうね?
・・・・・一体何がきっかけで、どんどん転がっていってしまったのか、あそこにいた誰もわかっていないだろうという気がします。
ただ、みんな誰かが「やめて」と言うのを待っていたんだろうな、と今では思います。
なぜ、加担してしまったのですか?
・・・・わたし自身はずっとこの高校まで辞めてしまったら、わたしは終わりだなと思っていました。
どうしても辞めるわけにはいかないので、もめごとは起こしたくなかったんです。
でもあのときは、やらなかったら次はわたしがやられる、と思いました。やらないといつかわたしがターゲットになる、と考えていました。
あのリンチはいちばん思い出したくない体験です。特に自分が弱いせいであんなことをすることになってしまったということが・・・・。
それって最低だという気がするんです。みんなに嫌われるのが怖くて、やめようよと言えなかった・・・・・。
あれは喧嘩ではなく一方的な暴力でした。新入生の彼女は反抗的な子ではなくて、おとなしくてビクビクしているような子だったんです。
もしリンチがエスカレートしていたら、彼女は死んでいただろうなと思います。
あのときわたしは、もう集団の中には入りたくないな、と思いました。
集団の中にいたくないのですか?
ええ。
ご自身の暴力が他人を破壊してしまうということへの恐れなのでしょうか?
ええ。わたしはもともと非常に反抗的な子でした。攻撃性のある人間だと思います。
なのにそれまで他人に暴力をふるわなかったのは、単にわたしが体が小さくて、暴力をするとやり返されてしまうからだったと思います。
・・・・あの時のことは、わたしの「その後」に大きく影響しています。たとえば、人の恐ろしさとか・・・・。
自分も含めて、ですけど・・・。人間の裏側みたいなものを、強烈に印象づけられる体験でしたね。
自分もまたそういう人間のひとりなのだ、と思わされました・・・・。
リンチ事件の後、わたしを気に入ってくれていた担任の先生からは「裏切られた」と言われました。
寮は解散させられて、4人は別々に下宿をさせられました。わたしはその後、新しいルームメートの友達から嫌われて目をつけられたこともあって、人間関係に疲れてしまいまして、鎮痛剤を多量に飲んで自殺未遂をしました。
これ以上この学校にはいられないし、でもここを辞めてしまったら終わりだしと考えて、行き詰まっていました。
本当に人間が嫌だと思ったし、自分もいじめたし、いじめられもしたし・・・・。
両親が学校へ来て校長に謝ってくれたんですけど、「これ以上、問題のある人を学校に置いておけない」ということで自主退学になりました。
在学期間は結局、1年半です。あのリンチ経験がある以上、わたしは自分に胸を張って生きることは二度とできません。
一生そうだと思います。被害にあった子がひきこもっていないかどうかすごく心配です。
二度目の退学後はどう過ごされていたのでしょうか?
また家にひきこもって、人に会いたくない状況が続きました。そうして1年近くたったころ、祖父が亡くなって、脚の悪い祖母がひとり残されたんです。
誰かが祖母の面倒を見てくれればいいのだがという話になって、わたしはその時、自分が面倒を見たいと言いました。
実家にいると買い物にも出られませんでしたから、祖母の家に行って住めば、買い物にも出て行けるだろうと思ったんです。
なぜ、おばあさんの家からならば外出できると考えたのですか?
当時、わたしが外出したくなかった大きな理由は、友人や知人に会いたくなかったからです。
祖母の家でしたら実家から離れていたので、周りに知人はいませんから・・・・。
そんなわけでわたしは祖母と2人暮らしをしていました。そして実際、祖母の家に住んでいる間は、近所へお惣菜を買いに行くこともできました。
その後、わたしは大検を受けて大阪にある短大へ進んだので、結局祖母と暮らしたのは入学までの半年あまりの間でした。
短大へ入ったのは、わたしが20歳のときです。
学校へ入られたということは、ご自身の暴力性や弱さへの不安だとか、集団への恐怖心だとかは薄れていたのでしょうか?
入学前はそれほど薄れていなかったと思いますし、やはり人間関係が怖いと感じていました。
でも当時は今までの人生の暗かった分を取り戻そうとか精神的に強くなろうという気持ちのほうが強かったのだろうと思います。
入学してはじめに「わたしは2年遅れています」と挨拶したら、「こういう人がいてくれると大人になった感じがするね」と言ってくれる子がいたり、わたしと同じように人より遅れている人がいたりしたんです。
運が良かったと思いましたし、あ、ぜんぜん違うなとも思いました。普通に高校を出て普通に短大に入る子は意地悪ではないんだな、と・・・・。
強くなろう、と当時思っていました。リンチ事件のとき、意気地なしだったばかりに「止めよう」と言えなかったですから、入学前から言いたいことははっきり言う人間になろうと決意していました。
結果としてそれからのわたしは、人の気持ちを考えず、非常にズケズケとものを言う人間になっていったと思います。
そのせいで自分が他人に何をしてしまうのか分からないという不安もまた高まっていくことになりました。
短大卒業後の話を聞かせてください。
22歳で卒業して、クレジットカード会社で事務の仕事をしていました。でも1ヶ月で辞めてしまって、秋に小さな広告会社に雇ってもらいました。
1年半勤めた後、別の会社に移りました。芸術系の出版社です。編集者になりたかったんですが、仕事は電話での営業でした。
この会社に入った頃から心身ともに疲れる感じになっていて、そのためにこの会社も25歳のときに辞めました。
2ヶ月ほど家でおとなしくしていた後、レンタルビデオ店でバイトを始めたんですが、気楽な雰囲気の職場だったせいか、ここでは楽しく過ごせました。
26歳のとき、結婚を機に店は辞めました。相手は短大時代に知り合って、ずっと付き合っていた人です。
結婚生活はどうだったのですか?
彼が会社員で東京へ転勤になったものですから、わたしもついて行きました。家は足立区です。
わたしは専業主婦で、夫は忙しくて出張が多く、めったに帰ってこない人でした。子どもはいません。
やがてわたしはノイローゼのようになりました。何をする気も起こらないし、食欲もなくて、口に入れるのはアイスコーヒーとタバコだけでした。
眠れないという悩みもあって、精神科のクリニックを4軒ほど回りました。睡眠薬と精神安定剤をもらって飲んでいたんですが、だんだん飲む量が増えて、決まりの2倍以上もクスリを飲む状態になっていました。
薬物依存がひどくなっていったんです。夫は心配して「無理しないでいいよ」と言ってくれるような人でした。
でも最後には疲れて「実家に帰ってほしい」と言われました。「家に帰るときにもう死んでいるんじゃないだろうかと心配し続けるのはしんどい」ということでした。
実家の両親は私の状態を知っていましたし、手元にいるほうが安心だったようでしたので、私は実家に戻りました。
結婚から一年半たったときのことです。
その結婚生活はどういう体験だったのでしょうか?
結婚については、私が浅はかだったとしか思えません。
私は結婚するとき夫に「個室がほしい」と言って、個室をもらったんです。
夫が帰宅すると一緒にごはんを食べて、終わったら私は一人で個室へ入って本を読んだり小さなテレビを見たりしていました。
初めのうちはよく二人で過ごしていたんですけど気づくと、いたたまれない感じになって個室へこもるようになっていました。
そこにいると落ち着くからです。
・・・・・・でも、ショックでした。
人と結婚をしたのに結局実家でしていたことと同じことしかできなかった。
夫はおおらかで、おだやかな性格の人でした。
父と正反対の性格の人だったから、彼を選んだんです。
うまく行くと思っていたのに、結婚したいと思っていたのに、実際には一緒にいることが苦痛でした。
放っておいてほしい、と感じていました。
・・・・・・仲良くしたくなかったわけではないんです。
夫の実家は家族がみな和気藹々としていて、私はそれにあこがれを感じました。
私も入りたいな、と思ったんです。
なのに、いざその中に自分も入ろうとすると入れない。
いい人たちだなと思うのに、入れない・・・・・・。
どうして私は人のことを好きになれないのかな、と思いました。
結婚して私はまた、自分はダメだと感じました。
失望です。
実家に戻るころは気分的には、うつ状態だったと思います。
今でも夫はいい人だと思っています。
よく我慢してくれたなあ、と。
おかげで離婚の話も私の方から切り出せました。
彼の方から切り出されていたら。もっとショックだったと思います。
正式に離婚したのは実家へ戻って二年後でした。
私が三十歳のときです。
実家に戻られてからは、どのような暮らしぶりだったのでしょうか?
このときも、誰とも会いたくない状態になりました。
両親とはたまに会話をしましたけれど・・・・・・。
あと、精神科のクリニックには引き続き通っていました。
睡眠薬がほしかったからです。
でもそのあと一度、私は薬を大量に飲んでしまいまして、薬もお金も保険証も両親に取り上げられてしまいました。
そういう中で、離婚が正式に成立したときにはどう感じられたのでしょうか?
ちょっと、すっきりしました。
それで、働いていたころの友人たちとも少しずつ会えるようになったんです。
回数は、それぞれの人に一年で一度くらいでしたけど・・・・・・。
ただ中に一人だけ、割と頻繁に会うことのできる友人がいました。
なのに、その人とちょっとトラブルを起こしてしまいまして、また薬を飲んでしまって、それでまた引きこもりに戻りました。
それが三十一歳のときです。
以来、こもっている状態が続いています。
去年一年間は家族以外の誰とも会いませんでしたし、両親とも全く話をしませんでした。
ただ弟とだけは普通にしゃべれます。
ご家族は最近、どう接しておられるのでしょうか?
今年二月、両親がパソコンを買ってくれました。
就職に役立つかもしれないから買ってやるよ、という話でした。
さっそく一階の居間に置いて、インターネットにつなげられるようにしました。
テレビを見て「引きこもり」という言葉を覚えていたので、それをキーワードにして検索をかけてみたら、大阪にある「若者サークル」のホームページが見つかったんです。
引きこもりという言葉を知ったときの印象はどうだったのですか?
他を一切拒絶してしまった状態だ、というイメージです。
自分と重なりましたね。
<ああ、私のような生活をしている人のことを言うんだな>と思いました。
若者サークルのホームページを読んでみて、どう思われましたか?
対人恐怖や引きこもりの悩みを抱えた青年同士の触れ合いの場ですと紹介されていました。
どこに助けを求めたらいいのか分からなかったし、こういう所もいいかなと思いました。
今まであまり他人のことを考えたことがなかったので行ったほうがいいかな、と・・・・・・。
サークルの中にいろんなタイプの人がいるようだったことと、活動内容が何かの目標に向かって進もうという感じではなかったことも、いいなと思いました。
人とどう話したらいいのかという感覚も忘れてしまっていたので、練習にはなるだろうとも考えました。
他人への恐れや集団への恐怖、ご自身の中にある攻撃性や暴力性への不安といった感情は、現在どうなっていますか?
他人に対する人間不信は、短大などでいい出会いがあったせいか、今ではあまり持っていません。
いい意味でも悪い意味でも他人の心は分からない、と思うようになっています。
けれど、自分が他人になにをするか分からないという不安は今でも引きずっている気がします。
同じ人としょっちゅう会うことがしんどいんです。
自分が何をするか怖いからです。
相手を傷つけるんじゃないか、と考えてしまいます。
この心理は最近の引きこもり状態のときまでずっと引きずっていて、今回引きこもっている最中は本当に死のうと思いました。
病気うんぬんの前に、自分は人間としてダメになっていると思ったからです。
傷ついた自分を守ろうとして、他人への思いやりや温かみに欠けた人間になっていたという・・・・・・。
私が死のうと考えたのは、報道で京都の小学生殺害事件を見て<自分もずっとこのままにしていたら、いつかああいうことをしてしまうんじゃないか>と感じたせいもあります。
容疑者は二十一歳の男性でしたけど、周りに友人がいなくて精神的にまいっていると、いろいろなことを幅広く考えるということが難しくなってしまう・・・・・・その感じは私にも分かる気がしたんです。
<そうなっちゃう日が来る>と思えて、とても怖くなりました。
ただ、新潟の男性が起こした女性長期監禁事件の方は、感覚的に分かりませんでしたけれど。
心理や医療といった援助の問題については、どう考えておられますか?
今月から初めて臨床心理士のカウンセリングに通い始めました。
精神科医とはこれまで全くうまく行かなかったから、もう医者には期待できないと思って臨床心理士にしたんです。
精神科医って、話を聞いてくれないんですよ。
私が「眠れないんです」と言うと、ただ薬を出すだけ。
なぜ眠れないのか、それまで何があったのかも聞きません。
忙しいんでしょうね。
時間がないのでしょう。
聞いてあげるから言ってごらん、という感じがあれば、私も話せたと思うんですけれど・・・・・・。
病気のせいですよと言われたら楽だな、とは思います。
重症ではないだろうけど、私には躁うつの傾向があるように思いますし。
医師の診断はどうだったのですか?
「わたしをなんて診断するんですか?」と聞いたら「躁うつ病です」と言われました。
言われてどう感じましたか?
・・・・ああそうか、やっぱりそうなのか、と思いました。
病気のせいだと言われたら楽になれるだろう、と言っておられましたね?
ええ、うれしいというわけではありませんでしたけど・・・・。あと、お薬を飲んでもいいんだなと思いました。
それまでは薬を飲むことにちょっと抵抗があったので・・・・。
躁うつ病という診断を聞いて、ご自身の問題や課題は明確になりましたか?
いえいえ、なっていません。診断名はいちおう受け入れますけど、その医師のことは信頼していませんし・・・。
わたしはもともと医師には非常に不信感があるんです。だから今回、臨床心理士のところへ行ったんです。
・・・・わたしがいつから躁うつ病だったのかはわかりません。けれど、いつから躁うつ病だったにせよ誤解してほしくないのは、わたしの抱える問題は、「わたしが昔から人を好きじゃなかったことだ」ということです。
他人に好意を持つことができなかったという問題なんです・・・・。わたしが以前に友人を持っていたのは、他人を求めていたというよりは、逆に他人への思い入れが何もなかったからです。
単に「家が近いから友人」という感じです。だって、学校とか職場でやっていこうと思ったら、友達って必要じゃないですか。
友達がいると楽にできるっていうか・・・。そのために友達といっしょにいる、それだけでした。
嫌いなのに我慢していっしょにいる、というのとは違うんです。なんとなく友達ができるから、その人は友達だということで・・・・そういう感じです。
援助を提供している場があってよかった、と思うのはどんなことでしょう?
臨床心理の援助があることへの安心感はあります。前もお話ししたように、わたしもいつか人を殺すのではないかという不安が去年からあって、どうしたら食い止められるのか、すごく不安だったんです。
だからこそ大阪のサークルに入ったり、カウンセリングに通い始めたりしたんです。
今回援助を利用するようになって、不安が以前よりやわらいだ感じがします。もしわたしがすごく危険な状態になっても、臨床心理士の先生に相談したり薬を飲んだりすることで、コントロールをしていけるかなって・・・・。
そこが不安の軽減した部分です。
ほかに、どのような援助があればいいと思いますか?
仕事をする場ですね。賃金は最低でもいいから仕事をさせてくれる場所、わたしに似た人や対人恐怖のある人とかが集まって働ける場所ができたらいいな、と思います。
働くことの練習所みたいな感じです。
診断を聞いてから、ほかに変わったことはありますか?
躁うつ病の診断を聞いた日、父に「今度ちゃんとした会社に就職するときには、健康診断書では隠さないといけないな」と言われました。
「診断書が必要な会社なんて受けないと思うよ」とわたしは答えました。
「でもいつか受けるかもしれん」と父が言うので、「わたしは正直に書くよ」と言ったら、父は「それをしたら落とされるな」と言いました。
そのとき、人ってほんとに変わらないんだな、とわたしは思いました。
一流主義で、まだ「ちゃんとした会社」に入ってほしいと思っている・・・・。
わたしは実際には最初の会社を辞めて以降、診断書がいるようなところは受けてないんです。
でも父は、わたしが小さな会社で働いていると「あんな所で働いて」と見下すような人でしたから・・・。
父自身にも自分の社会的地位についてのコンプレックスがあったようですので、こういう父の考え方をくつがえすのは無理だと思います。
ただ前にもお話したように、わたしが他者との関係に悩むことと父とは関係があるとわたしは思います。
最近までずっと、父には早く死んでほしいと思ってきましたし・・・・。
それでも最近になって、父とのかかわりは変わってきています。父も年を取りましたので・・・・・。
アルバイトを始めたのはいつですか?
今から3ヶ月くらい前です。週に3回くらい、身体障害者の方の介護をしています。1日の労働時間は5時間くらいで、収入は月に7万円から8万円くらいです。
だいぶ状況は変わったのでしょうか?
そうですね。今はひきこもり状態ではありません。よく外出をするようになりましたし、まだ1人ですけれど昔の友人との付き合いも復活しましたし・・・・。
なんだか夢がかなったような気がしています。
失礼なことを聞いて申し訳ないのですが、念のため聞かせてください。過去のご経験に照らして、今おっしゃる幸せ感は、躁うつ病の躁状態とは関係ないでしょうか?
・・・・違うと思います。わたしは昔から夢がなかったんです。人から夢を聞かれると仕方なく何か書いていましたけど、本当は「1人で本を読みながら、できるだけのんびり暮らしたい」というのが夢でした。
でも世間のことを考えると、正直には言えませんでした。
求められたのは、キャリアウーマンになるかお嫁さんになるか、でしたから・・・・。
今はそれなりの収入があって、あとの時間は本も読めますから、これはわたしが昔からしたかった暮らしだ、と実感できるんです。
とするとかなりの変化があったことになりますが、何が影響したのでしょう?
臨床心理士の先生の所や大阪のサークルで、人と悩みを話せるようになったことが大きかったんだろう、と思います。
ではカウンセリングで、どんなことを実感されているのですか?
先生からは「うつと躁との間の揺れ幅を少しずつ小さくしていきましょう」と言われています。
そのためにいろいろなことをしています。たとえば「今の自分」と「なりたい自分」を書いてみることです。
初めにそれをしたとき、わたしは2つの間の開きが大きくて、それは自己評価が低いことの表れでもあると言われました。
「2つを近づけていきましょう」と言われて通っているうちに、確かに少しずつ近づいてきたんです。
そうした援助について、どう感じていますか?
わたしは、わたしの話を重大に受け止めて「いっしょに改善していこう」と言ってくれる人に今まで出会えなかったので、今のわたしはいままでとは変わったと思います。
仮にまた気持ちが落ち込むことになっても、そのことを真剣に聞いて話し合ってくれる人と場があること、それが今までとの違いだと感じています。
躁うつ病が改善に向かったとき、気分だけでなく、ものの感じ方や考え方にも変化が出る可能性がありますね。躁うつ病が改善された場合、以前から持っておられる「自分は他人を傷つけるかもしれない」という不安感も同時に和らぐと思いますか?
・・・・わたしのその不安は、毎日同じ人といっしょにいるという状態になったときに表れてくるものなので、今のところは予想がつきません。
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- ひきこもり体験者の告白~どのようにして立ち直ったのか~
- 各先進国で深刻な問題になっている不登校とひきこもり
- 母親のひきこもり奮闘記
- 燃え尽き、息切れるひきこもりの子どもたち
- ニートについて
- ひきこもりの協調性の欠如と病理性
- ひきこもりの原因と結果
- 子供の不登校が恥ずかしい・・・「子育てに失敗した」と考えない
- 社会的ひきこもり事例
- ひきこもり・ニート・不登校の前兆
- ひきこもり・不登校と自信を失う母親
- ひきこもりと高機能広汎性発達障害
- ひきこもりの自立支援の目標
- ひきこもり・ニート・不登校の子どもを抱える親の不安と心構え
- ひきこもり・ニートと成年後見制度の利用
- ひきこもりの少年の家庭訪問事例
- ひきこもる子どもたち~家庭訪問での出来事~
- 両親と関われず、ひきこもりへ
- 家庭訪問によるひきこもり・ニート支援
- ひきこもり・ニート・不登校の家庭内暴力
- ひきこもり・ニート・不登校を蝕む思考
- ひきこもり・ニートと気分「感情」障害(躁うつ病、うつ病、躁病)
- ひきこもりになる人の特徴
- 距離をとりたい気持ちがひきこもりへ
- ひきこもりの心理を生活から理解する
- ひきこもりを抱える親との面接の過程
- 不安に圧倒されて立ちすくむひきこもりの若者たち
- 社会的ひきこもりと学校・教師のあり方
- ひきこもる子どもとの会話
- ひきこもり・ニートの対人関係能力向上のための支援
- 摂食障害と不登校・ひきこもり
- ひきこもり・ニートの特徴
- 不登校やひきこもりの問題は、立派な親ほど解決が難しい
- ひきこもりの不規則な生活
- ひきこもりと家族のコミュニケーションの欠如
- ひきこもりに関して~無理強いしない、でも待つだけでも社会復帰は難しい~
- ひきこもりと希望と労働と価値観の多様化
- ひきこもりによる親への非難
- ひきこもりになるきっかけとしての不登校
- ひきこもりのチャレンジ
- ひきこもりの動き出しの時期について
- ひきこもりの家族以外の人間関係の重要性
- ひきこもりの居場所
- 居場所から社会へ~ひきこもり・不登校の居場所~
- ひきこもりの援助について
- ひきこもりの支援と治療
- ひきこもりの本音
- ひきこもりを抜け出すための親の価値観・生活態度
- ひきこもりの社会復帰と家族の協力
- 引きこもりの状態とは
- ひきこもり・ニートと社会性
- ひきこもりの親子関係の問題
- ひきこもりの親への依存
- 医療とひきこもり
- ひきこもり支援とインターネット
- ひきこもり支援と家庭の会話の重要性
- ひきこもり生活とお金
- ひきこもりからの旅立ち~ひきこもり経験者の告白~
- 不登校・ひきこもり・ニート経験者のインタビュー~不登校からひきこもりへ~
- 不登校・ひきこもり・ニート経験者のインタビュー~家庭内暴力~
- 誰でもひきこもる因子を持っている
- 不登校・ひきこもりと親の変化
- 不登校とひきこもりの特質
- 不登校のなり始めに親はどうすればいいか
- 不登校の子どもの家庭での見守り方
- 友達とのトラブルと不登校~教師の役割~
- ひきこもり状態に伴うさまざまな症状
- 不登校のその後
- 人格の成熟とひきこもりからの生還
- 不登校について(学校との関係)
- ひきこもりの発端となる不登校
- 友達からのからかいといじめ
- 子どもが不登校やひきこもり・ニートにならないために
- 子どものひきこもりが家族のひきこもりを引き起こす
- ひきこもり・ニートを抱える親の切実な声
- ひきこもる子どもの家族とのコミュニケーション
- ひきこもりの人間不信と親への不信感
- ひきこもりの家庭と人間不信
- ひきこもりの面接は有効なのか
- 日本における「ひきこもり」という存在
- ひきこもりが社会へ旅立つためのステップ
- ひきこもり・不登校・ニート~親が変わる、子どもも変わる~
- 親との接触を拒否するひきこもり
- ひきこもりを抱える家族の母子一体化の弊害と父親の役割の低下
- 「常識的対応」はひきこもりをこじらせる
- LD「学習障害」とひきこもり
- いじめにはどう対応するか
- いじめる側の心理
- いじめと不登校
- さまざまなひきこもりのケース
- ニート・ひきこもりと人間関係
- 不登校の歴史を振り返ることは、ひきこもりの問題を考えていくためのヒントになる
- 不登校児童の共通事項
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校と人とかかわる力
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校と発達障害
- 不登校・ひきこもり・ニートに関連する障害~発達障害~
- ひきこもり・ニート・スネップと強迫性障害(強迫神経症)
- ひきこもり・ニートと他人という鏡
- ひきこもり・ニートと国民年金
- ひきこもり・ニートの心の声
- ひきこもり・ニートの相談業務
- ひきこもり・ニートの社会復帰に近道はない
- ひきこもり・ニートの肯定的思考と肯定的感情
- ひきこもり・不登校・ニートとゲーム
- ひきこもり・不登校とスチューデント・アパシー
- ひきこもり・不登校の再発防止
- ひきこもり・不登校の学校・職場復帰
- ひきこもりが将来、生活を維持するために必要なこと
- ひきこもりの自立~自立心の邪魔になるもの~
- ひきこもりと「共依存」の問題
- 勝ち組教育と家庭内暴力
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校と回避性パーソナリティ
- ひきこもり・ニートと親のコミュニケーション
- ひきこもりとのコミュニケーション
- 不登校・ひきこもり・ニートに関連する障害~ADHD~
- 不登校・ひきこもり・ニートに関連する障害~アスペルガー症候群(AS)
- 不登校・ひきこもり・ニートに関連する障害~摂食障害~
- 不登校・ひきこもり・ニートに関連する障害~発達障害の原因や病態
- 不登校・ひきこもり・ニートに関連する障害~適応障害~
- 生きづらさを抱える若者たち
- 統合失調症とひきこもり
- ひきこもりと両親の関係
- ひきこもりと人との出会い
- ひきこもりと兄弟姉妹、祖父母、親戚との関係
- ひきこもりと出社拒否
- ひきこもりと力支配
- ひきこもり・ニート・不登校と親のしつけと虐待
- ひきこもりへの道筋
- ひきこもりと家族の会話の仕方
- ひきこもりと家族の信頼関係の回復
- ひきこもりと対人恐怖
- ひきこもりと対人恐怖と日本の社会
- ひきこもりと支援機関
- ひきこもりと父親
- ひきこもりと生活保護
- ひきこもりと精神障害
- 適応障害と不登校
- ひきこもりの自立
- ひきこもりによく見られる性格と傾向
- ひきこもりに見られるさまざまな症状
- ひきこもりのさまざまな背景
- ひきこもりの一人暮らしと支出
- 家族といっしょに食事をとらないひきこもり
- ひきこもりの住居と親の介護
- ひきこもりの単調な生活を受け入れる
- ひきこもりの外出の意味
- ひきこもりの対人関係における悪循環
- ひきこもりの生態と哲学
- ひきこもりの老後の住まい
- ひきこもりの脆弱性
- ひきこもりの自己肯定感
- ひきこもりの長期化・高齢化と親の定年
- ひきこもりの高年齢化と今後の課題
- なぜ、ひきこもりになるのか
- ゲームばかりしている子どもへの対応とひきこもりから旅立つために
- ひきこもりは病気なのか、怠けなのか
- ひきこもり支援は長期戦
- フリーターとニート
- フリーターとひきこもり支援
- フリーターについて
- 不登校・ひきこもりの将来
- 不登校と再登校
- 不登校の要因
- 主婦のひきこもり
- 人間の成長・発達とひきこもりという行為
- 他人の介入を受け入れられないひきこもり
- 共依存社会とひきこもり
- ひきこもり~孤立する母親と協力的でない父親~
- 実録・ひきこもりの家庭内暴力
- 家庭内暴力とどう向き合うか
- ひきこもりが長引く理由
- ひきこもり・ニートと大人のADHD
- ひきこもりと家庭環境
- ひきこもり家庭の父親
- 思春期のひきこもり・不登校の心的葛藤
- 親の命令や禁止が子どもを縛る
- ひきこもり・不登校~触れ合いたいのに触れ合えない~
- ひきこもり・ニート・スネップ等の若者の就労に関心を持つ企業・個人事業主の方へ
- 人間関係の希薄化と合理化とひきこもり
- ニートのさまざまな解決法
- ニート・ひきこもり・フリーター・スネップのための就労支援
- 個別相談と家庭訪問
- 共同生活寮と一人暮らし支援
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- 高校卒業資格取得のための学習支援
- 普通の社会人からひきこもり・ニートになる人たち
- 相談例
- ひきこもり・ニート相談事例
- マーケティング会社を経営し、寮生を正社員として雇用しています
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- ひきこもりと不登校の関係
- 思春期の不登校とひきこもり
- 不登校・登校拒否について
- 不登校の原因について
- 兄弟そろって不登校のケース
- 段階に応じた不登校の対処法
- 長期化した不登校への対応
- 不登校・高校中退の事例
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- ひきこもり・いじめ・親子関係・不登校・人間関係について
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校・フリーターとうつ病につながる心の病気
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校と心理療法・認知行動療法
- 不登校・ひきこもりと睡眠障害
- 増え続けるひきこもる人たち~「個性」が「孤性」になる人間関係
- ひきこもり・不登校と家庭内暴力
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校の子どものやる気を引き出すために
- 社会復帰に向けて~ひきこもりの固執した観念~
- ひきこもり・ニート・不登校・フリーターに関連する障害
- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校とうつ病
- ひきこもり・ニート・スネップ・フリーターと新型うつ病
- 学校や職場に復帰させたいのなら、人間関係に自信を持たせること
- 厚生労働省によるニート状態にある若者に対するアンケート調査結果(概要)。
- 被害者意識は現実検討へのハードルになる
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