自分で家族を作る(24歳男性のケース)
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自分で家族を作る(24歳男性のケース)

2016年10月10日(月)7:36 AM

AME_7dleiudj_TP_V1「僕はラッキーでした。これからは自分で家族を作っていこうと思います」いつも伏し目がちなA君(24歳)はそう言うと、わたしの目を見て微笑みました。

 

 

 

 

彼と出会ってから4年目の春を迎えようとしている、暖かな昼下がりでした。

 

 

 

 

「早いものだね。あらためてこう向き合って、A君とはじめて会ったときのことを思い出すと、僕には君が別人のように見えるよ。

 

 

 

 

まさに若者だね。家族をつくっていく、そうだね。彼女ができたら連れておいでよ」

 

 

 

 

髪にクシを入れることもなかったA君も、いまはおしゃれにヘアカットしてどこにでも出かけていける平均的な若者になっていました。

 

 

 

 

照れ隠しか急に席を立つと隣席から手さげのカバンを持ってきました。そして少し自信なさそうに取り出したのは職安の求人票でした。

 

 

 

 

「ここに決まりました。とにかくこれで家を出て、なんとか生活できると思います」

 

 

 

 

A君は「月給17万円」を指でさしながら、かたい表情でささやきました。わたしは彼の肩に手を置くと、グッと握りました。

 

 

 

 

家族という言葉を、出会ってはじめてA君に問いかけたとき、彼の目は潤みました。

 

 

 

 

わたしはそこで見た彼の涙に、A君が家族に抱く特別な感情を察して、この間、その言葉を彼に投げかけることはありませんでした。

 

 

 

 

その、あえてわたしが避けてきた言葉を彼の口から聞いたとき、心の底からわたしはうれしく、その思いの強さを伝えたかったのです。

 

 

 

 

「あの子はほとんど1日中、部屋に閉じこもっています。声をかけても返事をしません。

 

 

 

 

ときどき部屋をのぞくと、ボーっとテレビを見たり、無表情で天井を見ているんです。

 

 

 

 

生きているのか、死んでいるのかわからないような生活なんです。

 

 

 

 

20歳をもう過ぎたんだからなんとか自分でするだろう、と思ってこの1年待っていたんですが、何も動きがなかったんです。

 

 

 

 

それでこの正月に精神科を受診するか、カウンセリングを受けるか決めるようにあの子に言ったんです。

 

 

 

 

いつも閉めておく玄関の鍵も抵抗を恐れてその日は開けて話しかけました。ところが息子はひと言『精神科と思っているんだろう』と小声で言うと、先生の相談室を選んだんです」

 

 

 

 

3年前、父親はやせ細り中学生くらいで成長が止まった感じのA君をともなって相談室を訪ねてくれました。

 

 

 

 

何も話すことなく面接を終えたA君には通う意思も、拒否する意欲もありませんでした。

 

 

 

 

とまどう父親は、偶然に新聞で知った相談室を神様の引き合わせと、何度もA君に語りかけました。

 

 

 

 

「どっちも地獄なら、順番で、僕と最初につきあってくれよ」A君の21歳という年齢のわりには幼い容姿に、わたしは深い関心を抱きました。

 

 

 

 

はかりしれない抑圧、そして辛さが彼の生命力を押しつぶしてしまったのではないのか、そんなわたしの勝手な思い込みが彼を身近な存在にしないではいられませんでした。

 

 

 

 

ここで彼と別れてしまうことは、わたしにとってなぜか後悔に思えてなりませんでした。

 

 

 

 

そう思いながらA君を見つめていると、愛しさがこみ上げてきました。わたしはA君といわゆる「面接」という場を設けたことはありませんでした。

 

 

 

 

何気ない会話の中から、彼の切なさを汲みとるしかありませんでした。

 

 

 

 

もう、期待をかけないでほしい

 

 

 

 

A君は両親、姉、そして父方の祖父母との同居の中で育ってきました。祖父は校長を勤め、地元の著名人でした。

 

 

 

 

祖母は代々教師一族の妻として、粗相のないように家を守ってきたようです。

 

 

 

 

父親は特に祖母の願いに叶って教員の道を歩み、短大卒業後に銀行に勤めていた母親と見合い結婚をしました。

 

 

 

 

その縁も祖母のはからいによるものでした。母親は、長女が誕生したとき祖母がつぶやいた言葉を忘れられないといいます。

 

 

 

 

「わたしは賢い孫を産んでほしくて、あなたにお嫁さんに来てもらったのよ。他人から後ろ指をさされることのないように育ててね」と。

 

 

 

 

それは母親にとって子育ての責任を全部ひとりで背負うものでした。父親は祖父母の前ではおとなしかったのですが、母親に対しては亭主関白でした。

 

 

 

 

名門高校、国立大学、教員と歩んできた父親は、「教育は俺の言うとおりにしていればいい」と母親に命令していましたが、祖母には何かと相談していました。

 

 

 

 

2年後、A君が誕生しました。「跡取りの誕生は家の繁栄」と、彼は祖父母の手に委ねられました。

 

 

 

 

母親はいつの間にか家政婦になっていました。そしてA君が小学校に入学すると母親は、「いい妻、いい嫁であることに疲れて仕事に逃げていった」といいます。

 

 

 

 

午前九時から午後三時までの図書館司書のパートに反対する家族はいませんでした。

 

 

 

 

母親は、祖父母と寝ることに慣れてしまったA君を自分の布団に戻すことができずに悩みました。

 

 

 

 

そして母親はそんな不満や愚痴を夫には言えませんでした。それは返事を予想できたからでした。

 

 

 

 

「勝手なことを言うな」、たった一度言われただけでしたが、脳裏から離れないほどくやしいことでした。

 

 

 

 

A君が寂しさを感じ始めたのは、小学校3年生ごろからでした。

 

 

 

 

「僕は家族の期待を感じ、勉強もがんばりました。そのことが家族の平和になっていることもわかっていました。

 

 

 

 

だから僕は家族一人ひとりの顔色を見ながらご機嫌取りをしていたんです。よく子どもが父親やおじいさんのあぐらの中に入ってうれしそうにしている様子がありますよね。

 

 

 

 

僕は祖父に喜んでもらうためにそんなことをしていたような気がします。父親は機嫌が悪いと僕の気になるところを指摘して、母親の育て方が悪い、と責めたてました。

 

 

 

 

小4のとき、勉強しか興味がないとクラスの友達に思われていたので、僕はあまり好きではないけどマンガを読むことにしました。

 

 

 

 

でもそれがおもしろくなり、毎日読むようになったんです。そうすると父親は母親に僕からマンガを取り上げさせ、自分が立会人になって僕の目の前で母親にマンガを焼かせたんです」

 

 

 

 

母親は自室で寝起きするようになったA君をうれしく思う一方で、何か祖母から育て方を言われないかと神経質になっていました。

 

 

 

 

食が細いと病気になる、と無理やり食事をとらせ、A君が拒否すると殴り、その後泣いて懇願しました。

 

 

 

 

また動作が鈍い、と言っては手足をつねりました。A君は普通に思っていた会話の少ない我が家が、友達の家に遊びに行くたびに疑問に思えてきました。

 

 

 

 

小6の冬、A君は私立中学入試に失敗し、はじめて家の中にいると「緊張というオーラに包まれている」感じを受けました。

 

 

 

 

中学生になるとA君は、父親と祖母がいっしょにいると、絶対その場に近寄らない母親に気がつきました。

 

 

 

 

そしてある日、寂しそうな母親を気づかい、声をかけていたA君に「こそこそ内緒話をするな」と父親の手元から灰皿が飛んできました。

 

 

 

 

その深夜、A君は突然ひとり寝入る母親の部屋に入ると、「僕のこと好き?僕は大丈夫」と繰り返しました。

 

 

 

 

母親はA君の口を自分の胸に押し当て、声を殺して抱きしめました。翌朝、もうろうとしながら起きてきたA君は母親に声をかけました。

 

 

 

 

「お母さん、ここはおばあちゃんの家だから、僕を連れてここから逃げてよ」。母親は意を決して父親にA君の混乱を相談しました。

 

 

 

 

「おまえは俺に何を言いたいんだ。年老いた親を置いて出ろというのか」。

 

 

 

 

わずかに期待していたいたわりの言葉も、「信じていた自分がバカだった」という結果でしかありませんでした。

 

 

 

 

しばらくして母親は父親が家にいる日は「実家の親の世話があって」と留守にしました。

 

 

 

 

いつしか父親の帰宅も深夜を重ねていきました。そして誰一人、2人の行動をとがめる努力をする家族もいませんでした。

 

 

 

 

高校入学の朝のことでした。父親の靴にA君からのメモが入っていました。

 

 

 

 

「僕はこの家の名誉のために生まれてきたんじゃない。僕は何一つ楽しいことも、甘えることも経験しないで大人になっていくんです。

 

 

 

 

僕には自分の将来の姿がわかる気がします。僕は犬や猫じゃないんです。人間なんです。

 

 

 

 

もう僕に期待をかけないでください」

 

 

 

 

入学した父親の母校は、A君にはレベルが高すぎました。「テストに取り組み始めるのに10分もかかる自分に耐えきれず」A君は高1の10月、中退しました。

 

 

 

 

翌年、姉は大学進学を断念し、都会に出て自活を始めました。いつしか両親が顔を合わすことはなくなっていました。

 

 

 

 

そして父親は家系を継承するかのように校長職として単身赴任していきました。

 

 

 

 

A君が部屋から出てくるのは誰も家にいないときだけとなりました。彼はそれを「ごきぶり生活」と蔑みました。

 

 

 

 

A君の家に家族が並んでいるのは、玄関にかけられている表札だけとなりました。

 

 

 

 

この3年間、A君はわたしと付き合ってくれることで相談室に訪ねてくる多くの家族とも出会ってくれました。

 

 

 

 

息子と同年齢のA君に希望を託し、一方的に悩みを打ち明ける母親もいました。そのことに困惑しながら「やるせない現実」を受け入れてきたようにもわたしには見えます。

 

 

 

 

家族といえども、その航路を決めるのは一人ひとりです。そしてまた何ゆえに家族をつくるのか、その思いの原点にA君の目は向けられていました。

 

 

 

 

親が子どもの悩みをきっかけに自分の人生を考えるとき、子どももその親の背を見て自分の人生を考えるのです。

 

 

 

 

いまでも、祖父母が留守する家の玄関には、家族の名前が並んだ表札が春の暖かな陽射しを受けて、新たな再会を静かに待っています。

 

 

 

 

人は時間とめぐり合いの中で変わっていきます。そしていつも人の心の奥底には、希望を求め救われたいと願う心の働きがあります。

 

 

 

 

わたしは相談室を後にするA君の背を見ながら、わたしが彼に引き寄せられた理由がおぼろげにもわかりかけていました。

 

 



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