大学とプライド(24歳男性のケース)
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大学とプライド(24歳男性のケース)

2016年10月08日(土)12:49 PM

S001_megane0120140830145829_TP_V「僕にとって大学入試の合格は、人間証明なんです」梅の香りに春の訪れを感じる季節になると、わたしはP君(24歳)とともに心もとなく過ごした、あの底冷えの朝を思い出します。

 

 

 

 

全身が凍てつくような早朝の5時です。P君は相談室の最寄り駅の改札口で、わたしの当面の不安を打ち消すかのように、約束どおり待っていました。

 

 

 

 

もともと小柄なP君ですが、ここ数週間でさらに一回り小さくなった感があります。

 

 

 

 

真冬には耐え切れないほどの薄手のジャンパーに身を隠すようにして、頭を垂れ、足を震わせているその姿がわたしには痛々しく感じました。

 

 

 

 

4回目の大学入試に臨むP君は、付き添うわたしに、「これが父親に人間として認めてもらえる最後のチャンスかもしれない、と思ったら仮病で寝過ごすことはできませんでした」と、とぎれとぎれに言うとタバコに火をつけ、間をとりました。

 

 

 

 

見ているだけで、今でも部屋に帰ってしまいそうな恐怖感に襲われている様子がわたしの体に伝わってきました。

 

 

 

 

人影がまばらな電車に乗ると、座席の端に身をかがめ、P君は座りました。わたしは、彼の不安を少しでも和らげようと、その横に深々と腰を下ろして体を預けました。

 

 

 

 

2つ目の駅で、乗り換えました。試験会場までは2時間半かかる距離とはいえ、確実に近づいています。

 

 

 

 

そのためかP君の表情が少しずつ険しくなり、両足が激しく揺れだしてきました。

 

 

 

 

P君はまわりの視線を気にすると、両手で膝を押さえようとしますが止まらず、むしろ上半身にも震えが起きていました。

 

 

 

 

この日を迎える彼の気持ちを思うと、わたしは「いいんだよ、今のままで」と言っていっしょに引き返したかったのが本音です。

 

 

 

 

わたしは、せめてP君の恐れ、不安を受け止めることができたらと思い、何気なく体を近づけました。

 

 

 

 

わたしが接することで彼のつらさが少しでも和らいでくれたら、と願いつつ片手をP君の背に回しました。

 

 

 

 

「寒いね!」とP君の体をわたしの胸に引き寄せました。彼の激しい震えがわたしの体に息苦しさとともに伝わってきました。

 

 

 

 

「大丈夫?そんな薄着で」

 

 

 

 

「アッ、ハイ、本当に寒いのか、緊張しているのか、わからなくなってしまって」

 

 

 

 

わたしはその素直さに胸がつまりました。再び乗り換え、ホームに立つと一瞬P君の足が止まりました。

 

 

 

 

試験会場のある駅に向かう線です。「不安だよね。よくここまで来たね」P君の目が潤みました。

 

 

 

 

「アッ、ハイ、死刑台に近づいていくような気持ちです。僕は甘ったれですかね」

 

 

 

 

「僕も同じ甘ったれだよ。さあ、行こう」

 

 

 

 

「アッ、ハイ」

 

 

 

 

わたしはP君の背中をポンとたたき、肩をグッと握って引き寄せ、また突き出しました。

 

 

 

 

わたしは飴玉をP君に差し出しました。その包装をやぶる様子から、P君が落ち着きを取り戻しつつあることがわかり、わたしは安堵しました。

 

 

 

 

入試会場の大学には開始時刻一時間半前につきました。暖房も効いていない食堂に入ると、わたしが作ってきた2人分の朝食のおにぎりをテーブルの上に置きました。

 

 

 

 

わたしは遠慮しながら食事するP君をしばし見つめていました。ひきこもる息子を心配する父親の相談を受け、新幹線で家庭訪問した後、相談室の近くにアパートを借りて生活してきた彼のこの間を思い起こしていました。

 

 

 

 

P君は関西の進学校に通っていました。ところが2年が終了すると父親の本店への栄転が決まり、急遽上京することになり、住まいは首都圏でも東北に隣接する町になりました。

 

 

 

 

単身赴任も考えましたが、すでに学生の長女が東京で生活していたこと、さらに父親の「家族主義」もあって、妹も含め4人で転居してきました。

 

 

 

 

ところが転入した高校は、P君にはなじめませんでした。「大阪弁で違和感をもたれ、クラスも7、8人のグループでまとまり、転校生の枠をはずせませんでした。

 

 

 

 

だからクラスの仲間という感じはもてなくなり、寂しかったけど大学入試までがまんしようと思いました」

 

 

 

 

そして町もP君の都会の肌には合いませんでした。P君は私大に2つ合格しましたが、手続きはできませんでした。

 

 

 

 

「六大学以外、大学にあらず」。日ごろから聞いていた父親の口癖がP君の頭から離れず、意に反しての浪人生活を父親に伝えました。

 

 

 

 

「長い人生のうち、浪人生活も無駄ではない。少しは回り道したほうが人間的にもたくましくなれる。

 

 

 

 

おまえが本当に希望する、納得できる大学に行くことが大切だ。けっして早まるなよ。

 

 

 

 

国立、六大学、おまえなら必ず合格できる」予想通りの父親の激励でした。そして「輝いていた大阪に戻れば」と思い、家族のもとを離れ、関西の予備校の寮生活に入りました。

 

 

 

 

「他人から評価される職に就く」父親を尊敬していたP君は、机の片隅から笑顔で語りかけるように映る父親の写真を見ながら、「お父さんの言うとおりにしていれば間違いない」という一言を信じていました。

 

 

 

 

ところが、関西のイメージも崩れてしまいました。「高校までのホットな友人関係に比べ、寮生活は友情も制限しなければならず孤独でした」といいます。

 

 

 

 

10月ごろからP君は寮の個室に閉じこもり、授業には出席せず、学力は後退していきました。

 

 

 

 

たまに出席すると、「みんなが自分をジロジロ見ているようで」耐えられませんでした。

 

 

 

 

入試はすべて不合格でした。昨年合格した大学も父親に内緒で受けましたが、今年は門を閉められました。

 

 

 

 

それもこれも、「なぜか受験のたびにテスト用紙が一瞬白紙に見えた」からでした。

 

 

 

 

父親はひとことも責めませんでした。そのことが逆に「甘ったれ者」と蔑み、見捨てられるような印象をP君に与えました。

 

 

 

 

「親のお金と自分の時間を無駄にはしたくない」と思い始めると、働きながら宅浪すると言い、家族のもとへ帰ってきました。

 

 

 

 

改札口で迎える両親、特に父親の強張った顔をP君は見ることができませんでした。

 

 

 

 

このまま、入ってくる電車に飛び乗り、見知らぬ町に行ってしまいたかったそうです。

 

 

 

 

P君は1日数時間のアルバイトを重ねるうちに、勉強は遠のき、いつのまにか昼夜逆転の生活に変わっていきました。

 

 

 

 

そして「アルバイトが唯一の自己弁護になっていった」といいます。

 

 

 

 

夏期講習を迎えるはずのある夜、酒の勢いもあって父親がP君に詰め寄りました。

 

 

 

 

「人間としての意地はないのか。いつまでこんな仕事をしているんだ。仕事をする余裕があるならもっと必死に勉強して大学に合格することのほうが大切だろう。

 

 

 

 

金は大学を卒業して働けば自然に入ってくるだろう。この程度の道理がわからないおまえじゃないだろう」

 

 

 

 

普段、口数少ない父親にはめずらしい心の焦りを、家族の誰一人止めることはできませんでした。

 

 

 

 

アルバイトを辞めたP君は机に向かうようになりました。いつからか部屋での生活が心の不安を落ち着かせてくれていました。

 

 

 

 

そして、父親のことを避けてもいたのです。翌年、3度目の入試が巡ってきました。

 

 

 

 

父親に「価値ある人間」として認められたいと思う一方で、大学に合格することで「操り人形の糸を切りたい」という抑えがたい感情が沸き起こっていました。

 

 

 

 

ところが受験前夜になると、興奮して眠れなくなりました。考えた結論は、「明日の試験を受けられなければ眠れる」でした。

 

 

 

 

自分なりに納得できるアクシデントが浮かんできました。それは「父親や家族の期待を裏切りたくない。そのためには受けない」との弁解でもありました。

 

 

 

 

結局、すべて受験しませんでした。親友の多くは大学生活を謳歌する便りを年賀状に寄せていました。

 

 

 

 

いっさいの友達との関係も絶つと孤独感は極限状態になりました。

 

 

 

 

隣近所の人たちの目や声が気になり、一歩も外出できず母親を奴隷にするしかありませんでした。

 

 

 

 

「父親の転勤が、俺のすべてを狂わせた。どうしてこの町にこんな大きな家を買わなきゃならないんだ。

 

 

 

 

長男の俺にこのローンを払い続けろというのか。俺のような甘ったれ人間を作っておいて、どう責任を取れというんだ」

 

 

 

 

P君の苦悶は、暴力となって父親に向かっていきました。帰宅する父親を待っては夜を徹して責めたてました。

 

 

 

 

こんな容赦ない「生き地獄」を一年以上さまよっていた頃、わたしはこの家族と出会いました。

 

 

 

 

予告なしの家庭訪問は、まさに渦中のときでした。身をかわそうと玄関に出る母親とすれ違いにわたしはP君と鉢合わせになりました。

 

 

 

 

幸運でした。この瞬間に恵まれなかったら、親の手先のわたしは彼と出会うことはなかったでしょう。

 

 

 

 

彼は父親からわたしのことは聞いていました。わたしはP君に拒絶する間を与えることなく、心の扉をノックしました。

 

 

 

 

約2ヶ月の時間を経て、P君は相談室の最寄り駅のホームに立ちました。五月晴れと青葉が、病みきった体に生命を運んできてくれるように感じたといいます。

 

 

 

 

10ヶ月間、同世代の仲間と音楽を楽しんだり受験勉強を重ねました。そして4度目の大学入試に臨むこの年、春には父親の定年が待っていました。

 

 

 

 

試験が終わってP君はそれとなくVサインを示し、会場から出てきました。合格通知が来たP君は自他共に人間証明されました。

 

 

 

 

「意味もなく合格祝いだと車を買ってよこし、はしゃぐ父親がうとましかったです」。

 

 

 

 

ところが彼は大学へは通学せず、忽然と姿を消してしまいました。

 

 

 

 

「いろいろとお世話になりました。なにはともあれ、僕は元気にやっていきますので、どうぞご心配なさらないでください。

 

 

 

 

またお会いできる日まで失礼いたします」内気な性格からは想像もつかない、大きくてしっかりした文字の手紙が送られてきました。

 

 

 

 

「父は僕の憧れでした」切ないP君のつぶやきが、今もわたしの脳裏に焼きついて離れないでいます。

 

 

 

 

 

 

 



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