夢と現実のはざまで・・・(28歳男性のケース)
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夢と現実のはざまで・・・(28歳男性のケース)

2016年10月03日(月)10:17 PM

PPS_sumidagawawotoorudennsya_TP_V1猛暑とはいえ、朝夕の涼風に心地よさを感じる8月の盆明け、かつてわたしは相談室に通っていた若者たちと大井川上流(静岡県)の大自然の中で3泊4日のキャンプを満喫していました。

 

 

 

 

大井川の清流と川辺に広がる茶畑。そしてどこまでもやさしい稜線、緑豊かな山々をながめていると、いつもと変わらず母の懐に包まれた感じがしてきます。

 

 

 

 

川原に立つと、思わず大井川の流れに身を預けたくなります。川面は穏やかでも足元の厳しさは父の切なさに思えてきます。

 

 

 

 

日も暮れて大井川にかかる吊り橋にたたずむと、いつしか一つの星が輝きを増し、満天の星となっていきます。

 

 

 

 

わたしはすべてのわずらいを包み込むようにゆったりと流れる川のせせらぎを聞くと、いつしかキャンプ場の宿舎の先に点在する民家の明かりに心は引き寄せられていきます。

 

 

 

 

帰省した子どもたちが各々都会に帰って、ふたたび静寂を取り戻し、落ち着いた生活を営む老夫婦をかすかに思うと、いまは浄土に還ったW君(28歳)のことを思い出します。

 

 

 

 

気がつくと、W君はいつも茶畑に囲まれた宿舎の決まった隅っこにいて両膝を胸に抱え込み、首をうなだれていました。

 

 

 

 

わたしはその様子が気がかりで、通り過ぎるたびに声をかけていました。W君は伸ばした前髪を軽く払うと、澄んだ目でわずかに微笑んでくれましたが、強張る表情は隠せませんでした。

 

 

 

 

3日目の午後、2時間近くをかけてのボートの川下りを終え、疲れた体を休めようと同乗した少年とわたしは宿舎に戻りました。

 

 

 

 

川原で遊ぶ子どもたちと木陰でくつろごうとも思いましたが、この間、食事、プログラムのすべてから離れ、ひとりでいるW君がわたしには気がかりでした。

 

 

 

 

W君は思ったとおり、いつもの定位置にうずくまっていました。わたしは少年と2人で部屋に入ると、彼とのつかず離れずの距離に気をつかいながら畳の上に寝そべりました。

 

 

 

 

少しして、わたしは扇風機をつけ、枕をいくつか見つけると、そこに倒れこむようにしながらW君に声をかけました。

 

 

 

 

「おいW君、こっちへおいでよ。寝転がりながら話でもしようよ。ほら、枕あるよ」

 

 

 

 

わたしは少し乱暴な言葉づかいをして、W君との緊張関係を崩そうとしました。

 

 

 

 

すると彼は大柄な体をゆっくりと起こし、わたしに近づいてきました。そして、何か彼の気にさわるようなことを言ってしまったのかととまどっていたわたしに向かってこう言いました。

 

 

 

 

「助けてください。お願いだから助けて」W君はしぼりだすような声でうなると、前髪を濡らしました。

 

 

 

 

わたしは何度も彼の背中をさすり、軽くたたきました。傍らにいた少年は突然の見慣れぬ光景に躊躇しましたが、事態の深刻さに気づいたらしく、寝返ると必死に眠り続けてくれました。

 

 

 

 

まもなくして冷静さを取り戻したW君は、涙で濡れたわたしの胸を手で拭くと、すっと何事もなかったかのように隅っこの定位置に戻りました。

 

 

 

 

 

少年は気まずそうに再び寝返ると、わたしの目を見て苦笑いしました。わたしは唇をかみしめると、わずかにうなずきました。

 

 

 

 

いつになったら一人前になれるのか

 

 

 

 

一人っ子のW君が、年金生活者の両親に両脇を抱えられ、相談室を訪ねてくれたのはその年の初春のころでした。

 

 

 

 

生気を完全に失い能面のような表情のW君は、何度両親から相づちを求められても、一言も返すことはありませんでした。

 

 

 

 

それは抵抗しているというよりも、意思も感情もないロボットのようでした。

 

 

 

 

「わたしどもは、もうこの子に働いてくれとかそんな欲は何もありません。ただもう一度笑顔を与えてあげたいだけなんです。

 

 

 

 

生まれてきてよかった、と思ってくれればそれでいいんです。あの世に持っていくお金はいりませんから、この子のためにいくらでも使ってください。

 

 

 

 

お願いします。助けてください」泣き崩れ、懇願する母親・・・・。無口な父親は、口を真一文字にすると深々と頭を下げました。

 

 

 

 

その様子から見ても、両親は無欲でした。

 

 

 

 

わたしは28歳という年齢を重ね、いまだ就職の場も得られず、人間関係を拒絶し自室にひきこもり続けているW君と親の無償の愛が痛ましかったです。

 

 

 

 

それは老いたる両親がW君の「自立」という、社会からの無言の圧力を体全体で防いでいるようにも思えました。

 

 

 

 

わたしは両親の差し出す手で相談室を出ようとするW君の両肩に手を置き、軽くつかむと、「肩こっているね。待っているよ」と耳元でささやきました。

 

 

 

 

全身が緊張の鎧となっていたW君は、両親がかけてくれたコートを着ると、母親にうながされて相談室を静かに後にしました。

 

 

 

 

振り返ることなくトボトボと前を歩くW君を気遣いながらも、両親はこちらを向くと何度も頭を下げて帰っていきました。

 

 

 

 

国家公務員の父親は転勤も多く、母親は趣味の生け花で心を満たし、家庭を守っていました。

 

 

 

 

晩婚のうえ、待望のW君に恵まれた両親は、彼を「お飾り」にして育てました。

 

 

 

 

内気なW君は、引っ込み思案な目立たない子どもで、自分の気持ちが出せないことで悩んでいたといいます。

 

 

 

 

父親の転勤から小・中学校とも友達との深まりが足りず、親しい友人はいませんでした。

 

 

 

 

さらに体格がいいわりには運動神経が鈍く、いじめの対象にもなっていました。

 

 

 

 

そのために校区外の中学に転校する不幸も背負いました。教室にいても、お客さん(ひとり)でいることが圧倒的に多く、先生との対面授業はなんとかできても、音楽、体育といった集団での授業は自身が吐き気がするほど緊張していました。

 

 

 

 

中学に入ってまもなくのころから、友達が恋しくて話しかけようとすると「誤解されない正確な話し方」を意識し、あがってしまうようになりました。

 

 

 

 

また明朗さを気にして、「いつ会っても春のような人」になろうと無理をしました。

 

 

 

 

そして、そのあわてぶりを友達から奇異と指摘されるうち、しだいに口数は減り、心を閉ざしていきました。

 

 

 

 

W君のつらさは両親にもわかりにくく、わずかな弱音さえ愚痴とされ、たび重ねての訴えに「また気の弱い話か」と一蹴されることもたびたびありました。

 

 

 

 

W君は両親にただ黙って聞いてもらえていれば、寂しさを紛らわすことができたといいます。

 

 

 

 

両親にとっては、その「小心」さが子どもから大人になるにつれて、かわいらしさから、不甲斐なさに「親の勝手」で変わっていったのです。

 

 

 

 

高校に入学したW君はロックと出会い、夢を持ちました。自分の気持ちを音楽で表現したい、ミュージシャンになりたい、と誰に語ることもなく、大切な宝として心の中に夢をしまっておきました。

 

 

 

 

高校を卒業すると、楽器店に就職しましたが、「おはようございます」の挨拶でつまずきました。

 

 

 

 

頭で挨拶を考えているうちに時が過ぎ、焦りが口を乾かし、スッと言葉が出てきませんでした。

 

 

 

 

ボソボソした小さな声は「お客様を逃がす」と店長に怒鳴られました。店の隅で苦笑する女性店員と目が合って赤面しました。

 

 

 

 

「心も動作もロボットのようにぎこちなくなる」と退職するしか術はありませんでした。

 

 

 

 

疲れきった体はベットに釘づけになりました。「いつまでも家でゴロゴロしていないで働け」

 

 

 

 

両親の気持ちは痛いほどわかっていました。怠ける心もありませんでした。そして転職は失望感を積み重ね、夢も淡く消えていきました。

 

 

 

 

この時24歳、W君は人間関係に完全に疲れ果て、もちこたえきれない将来への不安から、人を求めながらも人を恐れて遠ざかり、心に鍵をかけ、ひきこもっていきました。

 

 

 

 

ひきこもり続けている間、W君はやるせない思いを作詞・作曲していました。

 

 

 

 

「いつになったら自分は一人前の人間になれるんだ」と焦りいらだって入退院を繰り返しました。

 

 

 

 

そしてただむなしく毎年、誕生日だけが過ぎ去っていきました。

 

 

 

 

W君は両親に諭されるまま、夢遊病者のように相談室に通いました。そこで音楽を愛する若者たちと出会い、眠り続けていた素直な感情を語り始めました。

 

 

 

 

「僕は人を信じ、愛することを忘れていました」

 

 

 

 

W君に「夢」が舞い戻ってくると恋もしました。日ごと、彼に生気がよみがえってくると両親の心は揺れだし、現実を突きつけることで励まそうとしました。

 

 

 

 

「28歳にもなっていまさら音楽学校へ行ってスターになるなんて、一体何を考えているんだ。

 

 

 

 

近所の噂を知らないのか、たのむから働いておくれ」W君は、母親の言いたいことは十分すぎるほど承知していましたが、またも裏切られたという思いも同時に沸き起こっていました。

 

 

 

 

「夢」と「現実(就職)」の葛藤に費やされたキャンプでした。この辛さを乗り越えるには「夢」で希望をつなげるしかありませんでした。

 

 

 

 

そして近所の人に、通い続ける相談室を職場とは言えない両親の苦悩を思うと、心は焦り、W君は眠れぬ日々を重ねていきました。

 

 

 

 

年の暮れ、W君の精神的不安定感はわたしとの面接をも拒み、年明けの1月半ば自ら永遠の眠りにつきました。

 

 

 

 

苦悩から開放されたような、どこまでも安らかな顔でした。

 

 

 

 

「つい欲が出て・・・・」母親の一言に、わたしは癒す言葉さえ見つからぬほど、両親の悲しみに伏しました。

 

 

 

 

今年も吊り橋に立ち、宿舎の講堂を見ます。最終日の夜、参加者を前にキーボードを弾きながら「夢を捨てないでください」と思いを込めて歌っていたW君が浮かんできました。

 

 

 

 

それは彼の短い生涯に一度だけ、W君がミュージシャンになりきれた日でした。

 

 

 

 



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