子どもの暴力・暴言に怯える家族
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子どもの暴力・暴言に怯える家族

2016年09月30日(金)5:55 PM

残暑厳しいある日の慌ただしい夕暮れ時に、電話の呼び出しベルが耳をつんざくように鳴りました。

 

 

 

 

「もう限界です。息子が部屋に灯油をまいてしまい、家が汚れているから燃やして、すべてを灰にすると言うんです。

 

 

 

 

お願いです。助けてください。これ以上、妻や妹弟にも負担をかけられません。

 

 

 

 

息子自身も混乱し、とても不憫です」一人の父親が焦り、いらだつ気持ちを必死に抑えてわたしに懇願しました。

 

 

 

 

事態の深刻さに緊張が走りました。「そうですか。いきずまってしまったんですね。

 

 

 

 

火をつけることはないと思いますので、まかれた灯油を何も言わずご両親でふき取ってください。

 

 

 

 

落ち着いて、彼を責めないでくださいね」わたしは父親のとまどいをひととおり聞くと、こうアドバイスしました。

 

 

 

 

彼が瀬戸際の中で衝動的に起こしたその気持ちさえとりあえず受容すれば、火をつけることはないと確信していました。

 

 

 

 

興奮していたスタッフに状況を説明し、わたし自身の心を落ち着かせていると、まもなく冷静さを取り戻した父親から再度、電話が入りました。

 

 

 

 

二日後の父親の長期出張を前に、これまで「踏みとどめてきた入院」を両親説得のうえでさせたいというのです。

 

 

 

 

家族の疲れ果てた様子と混乱する彼の精神状態を危惧したわたしは即、連携先の病院へ連絡をとり、ベットの確保をお願いしました。

 

 

 

 

明日、拒絶するであろう入院への説得に両親とともにあたることになったわたしは、緊張のせいなのか、朝方まで眠ることができませんでした。

 

 

 

 

極度のこだわりはどこから?

 

 

 

 

わたしが「外気に触れると汚れる」と登校することもできず、将来への不安を抱え、自室でゲームに明け暮れていた当時中三のZ君(十九歳)と出会ったのは、秋も深まる肌寒いころでした。

 

 

 

 

季節感を失っていたのか、ひきこもる子どもたちの多くに共通する、一年を通じて同じジーンズとTシャツ、それに軽装のジャンパーをはおったZ君は、両親に「清潔」を求めるわりには身だしなみに無頓着でした。

 

 

 

 

わたしは進学せず就職して「アパートでひとり暮らしをしたい」というZ君の相談相手として家庭訪問を重ね、関係を少しずつ深めていきました。

 

 

 

 

彼が話せるのはカウンセラーとしてのわたしではなく、アパート先も探してくれる、兄貴的な存在のわたしだけでした。

 

 

 

 

そのころZ君は消毒液を用意すると、両親や妹弟たちが帰宅するたびに玄関先に立って、手と足を彼が納得するまで洗うことを強要していました。

 

 

 

 

さらに日中いっしょに生活している母親には、各部屋の四隅、欄間、壁を指しては、「ほら、そこがまだ汚れている。早くきれいに拭いて、磨け!」と、まるで奴隷のごとく命令していました。

 

 

 

 

母親には一切の手抜きが許されませんでした。「こんなに汚れていると、耐えられない」とZ君は母親が完璧に拭き終わるまで、その場から離れられませんでした。

 

 

 

 

そして来春、Z君の在籍する中学に入学予定の妹に対しても、「あの中学は汚れているから行ってはだめだ。

 

 

 

 

僕は自分の体を張ってでも妹を通わせない」とすごむほど真剣でした。

 

 

 

 

これほどまでの極度の「潔癖」とは何なのでしょうか。それはZ君の心の「こだわり」が「症状」に変わっていったのです。

 

 

 

 

いくら悩み続けても、「ぬぐいきれない親への不信感」から、わずかな「汚れ」すら見過ごすことができなくなっていました。

 

 

 

 

それは「こだわる」ほどに何かが深くZ君の心を傷つけていたのです。

 

 

 

 

「僕は、今でも小二のときの引っ越しの疑問が解けないんです。友達と遊んでいた日曜日の昼どきでした。

 

 

 

 

突然、家の前にトラックが止まって部屋から荷物を運び出し、積み込んでいくのです。

 

 

 

 

僕は父親にどうしたのと聞いてみましたが、いいからいいからと言うと、母親と僕と妹弟を自家用車に乗せて走り出していったんです。

 

 

 

 

しばらくすると、広い畑の真ん中に家があって、そこに着いたんです。すると父親は満足そうな顔をして、今日からここが我が家だと言うんです。

 

 

 

 

僕は何のことか理解できず、友達、学校、あの家のことなどを次々と父親に尋ねていったんです。

 

 

 

 

ところが少しずつ父親の顔がきつくなり、いつまで聞き分けのないことを言っているんだ。

 

 

 

 

それほどあっちの家がよければ、今からでもひとりで行きなさいと怒鳴るんです。

 

 

 

 

僕はどうして先に引っ越しのことを言ってくれなかったのか、ただそれだけ知りたかったんです」

 

 

 

 

転校後、Z君は声をかけあい、登校する友達も見つかりませんでした。小二までの楽しい思い出を吹っ切れず、新しいクラスにもなじめない不幸ばかりを積み重ねていったのです。

 

 

 

 

ところが、天性の無邪気さから親や担任の目には一見なんら深い悩みを背負うことなく、Z君らしい日常生活が繰り返されているようにうつっていったようでした。

 

 

 

 

心のどこかで引っ越しへのこだわりが、Z君自身気づかぬうち、親への不信とともに「こびりつき離れなかった」といいます。

 

 

 

 

中一の梅雨時でした。Z君は偶然にも、真新しい白いズボンをはいて水溜りの校庭を傘をさして歩いていました。

 

 

 

 

「ピシャン」真っ白なズボンに水溜りの泥がはねました。「あっ、汚れてしまった」

 

 

 

 

どうしたことかこのとき、すべての悩みがズボンの汚れに集中していったといいます。

 

 

 

 

そして、それはどこか毎日すっきりせず、中学生活にも乗り切れなかったZ君が、その原因を探し、心の奥底でいまもくすぶり、こだわり続けていたものが不思議にも一瞬消え、軽くなることでもありました。

 

 

 

 

「すべては小二の引っ越しが僕の生活の方向を闇に向けた」、口にはしないそんなこだわりでした。

 

 

 

 

Z君は、登校している自分を忘れて母親の待つ自宅へ急ぎました。

 

 

 

 

「すぐ汚れを取って、早く。あの学校はほんとうにやな中学だ。学校も生徒も荒んで、汚い心が充満している」

 

 

 

 

Z君はそう言うとあらゆることに「汚い」を言い始めましたが、引っ越しについては心の奥底に隠れていました。

 

 

 

 

中二のある日、自宅前にバキュームカーが止まりました。どうしたことかZ君の外出はこれをもって絶たれました。

 

 

 

 

Z君は「不登校」として周囲から見られ、「自分でもどうしてこうなったのかわからないうちに」、その方向で上手に説明されました。

 

 

 

 

当事者であるZ君のとまどいは隅に置かれ、まわりだけが「不登校」ということだけで一致し、うなずき、「不登校の生活」を認めてくれたといいます。

 

 

 

 

ところが、「不登校」に慣れても不安はわき起こり、Z君を悩ませました。そして何度も手を洗い続けたり、確認するような「儀式」を行うと精神的に安定できたといいます。

 

 

 

 

親の身勝手、大人の都合

 

 

 

 

わたしの度重なる訪問から、Z君は相談室にも、アルバイトに行くようなつもりで「面接」に通えるようになりました。

 

 

 

 

そして約二十回目の「打ち合わせという面接」で、Z君はわたしに、先に述べた心のこだわりを明かしてくれました。

 

 

 

 

父親は非常に困惑しました。「息子がそれほどまでに引っ越しにこだわっていたとは驚きました。

 

 

 

 

申し訳ないと思います。わたしたちは、とても友達が多く、おしゃべりな息子に転居の話をすると、隣近所に知られて、持ち家がいくらで売れたか、今度はいくらで買ったか、と別れの挨拶のたびに聞かれるように思い、わずらわしかったんです。

 

 

 

 

静かに去って、落ち着いたら挨拶にこようと思っていたんです。親の身勝手でした」

 

 

 

 

混乱の毎日に、父親の表情は疲れ果てていました。昼夜逆転でZ君が起きる午後一時過ぎ、入院説得を胸に「平日でも父親のいる不思議な」Z君宅を予定どおりに予告せず、わたしは訪ねました。

 

 

 

 

玄関に入ると灯油の臭いが充満していました。壁には穴があき、食器棚のガラスも無残に割れていました。

 

 

 

 

後に壁やドアのくぼみは母親の混乱の跡と知ったとき、わたしは母子のつらさに絶句しました。

 

 

 

 

話しかけに冷静に答えていたZ君でしたが、突如としてわたしを睨みつけました。

 

 

 

 

「だましたな!今度は大丈夫な大人だと信じていたのに。また信用して裏切られるなんて」

 

 

 

 

わたしは苦りきるZ君の肩にふるえる手を添えました。「な、行こう、君のためなんだ・・・・このままだと、家族みんな、つぶれてしまう」

 

 

 

 

同行のスタッフもわたし以上に冷静に説得しました。「いつもこうして、俺ばかりを問題にするんだ。

 

 

 

 

俺が問題じゃないんだ」Z君は父親とわたしの手を振り放そうともがき、顔をゆがめ戸にしがみつきました。

 

 

 

 

もうわたしたち大人五人(両親、スタッフ二人、わたし)は、あとに引けませんでした。

 

 

 

 

抵抗するZ君は横付けの車のドアに手をかけると、必死に彼の背を押す母親を呼びました。

 

 

 

 

「お母さん、助けてくれ」その声は車体をも動かす渾身の叫びでした。繰り返すZ君の絶叫に、母親の押し出す力は抜けていきました。

 

 

 

 

「もういいです。もう一度やり直します」

 

 

 

 

「ダメだ。行こう、行くしかないんだ」

 

 

 

 

父親は揺れる母親の気持ちを励ましました。

 

 

 

 

「もういいんです。離してください」言い切る母親の顔は、声とは違ってすべてを包み込むような柔和さでした。

 

 

 

 

地獄に仏なのか、父親とわたしの力が母親のまなざしに吸い取られていくようでした。

 

 

 

 

母親はZ君を抱き寄せると、消毒液で手、足をさするように洗っていきました。

 

 

 

 

静寂が戻ると、弟がサッカーボールを蹴り始めました。それから三日間、Z君は昏睡しました。

 

 

 

 

そして父親と母親に伴われて、自ら病院を訪ねました。冬支度か過去を忘れたいのか、破れた障子が妹弟の手で張り替えられていました。

 

 

 

 

こだわるほどに深く傷ついたZ君の心は、見捨てない、という両親との原風景を描くことで還る家を見つけ、癒されていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 



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