家庭内暴力~24歳男性のケース~
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家庭内暴力~24歳男性のケース~

2016年09月24日(土)11:32 PM

C789_rikkyoushita_TP_V1「大人げないと言われるかもしれませんが、僕は親の愛情を確認したくて、この年齢になっても、悪態をついているんです」

 

 

 

 

親元から車で40分ほど走ったところのワンルームマンションに一人住まいするA君(24歳)は、ビルの清掃のアルバイトを続けて2年になります。

 

 

 

 

そして両親と姉と祖母がそろい、くつろぐ土曜日の夜になると家族のもとへ車を乗り付けて「平和を壊す」のです。

 

 

 

 

家族がそろわないと執拗に探し求めるので、家族はいつの間にか緊張の中でA君の帰宅を迎えるようになっていました。

 

 

 

 

「何を言い聞かせても、興奮を抑えきれず、身を震わせて泣き叫び暴れる」A君に疲れ果てた母親は、A君がひとまず相談室に何らかの接点を持ち、同世代の友人も得られたらとの願いを抱いて訪ねてきました。

 

 

 

 

腕に残るアザを隠しつつ話す母親は、「何をどうしたらいいのか、家族だけでは空回りし、お互いを傷つけあうばかりなんです。

 

 

 

 

いま大切なことは、あの子の気持ちを誰か家族以外の人に聞いてもらえることだと思います」と消沈しながらも、身を乗りだして助けを求めてきました。

 

 

 

 

これまでA君は、母親の勧めるカウンセリングを「俺をそんなふうに見ているのか」と拒絶してきていました。

 

 

 

 

「どうして俺がカウンセリングを受ける必要があるんだ、俺は病気じゃない、問題なのはおまえたちなんだ。

 

 

 

 

話をすりかえるな」とA君は、カウンセリングを受けることで「普通に見てもらえず、特別な枠に入る人」としてレッテルを貼られてしまうことを非常に恐れていました。

 

 

 

 

それは、自分の「純粋な悩みや訴え」が「症状」として片づけられてしまうそうで不安でもあったようです。

 

 

 

 

精神科医の前で「問診」を受けることが「患者」として見られてしまうことになり、受診への抵抗感を生んでいることとも似ているのです。

 

 

 

 

わたしは「カウンセリング」というよりも「進路相談」ということでA君に誘いかけることを母親にお願いしました。

 

 

 

 

そして、就職や進学の話し相手としてわたしを紹介するよう重ねて頼みました。

 

 

 

 

わたしなりのこんな苦肉の心づかいを百も承知のうえでA君は受け止めてくれたようでした。

 

 

 

 

体格こそ大柄ですが、伏し目がちで、声をかけると照れながら微笑むその表情からは、母親が言う「神様も仏様もけっしてこの子を助けてはくださらない」

 

 

 

 

ほどの粗暴さは見えてきませんでした。それだけに他人に対する内気さが心理的抑圧を高め、距離感の麻痺した家族にはその反動が依存的な攻撃となってあらわれてくることもあります。

 

 

 

 

わたしはA君をソファのある部屋に迎えました。A君が背を丸め、ソファに身を沈めると、部屋は「面接室」に変わっていきました。

 

 

 

 

 

「あのう、母親から聞いているんでしょう、僕のことを」小声でA君が話し始めました。

 

 

 

 

「そう、少しね。でもそれはお母さんの感じたり、考えたことを聞いただけで・・・。

 

 

 

 

もしかしたら、それはお母さんのシナリオがあって、その中で出てきた気持ちかもしれないね。

 

 

 

 

お母さんが何を言ったか、いま、そのことがとても気になっているんだろうね。それにしてもよく来てくれたね。

 

 

 

 

勇気がいるよね。僕なら、いざとなると少し足踏みしてしまうほうなので、来られないかもしれないな」

 

 

 

 

わたしは全幅の信頼を寄せてA君に「歓迎の言葉」をかけました。

 

 

 

 

そして、目を静かに閉じるとA君の次のつぶやきを待ちました。

 

 

 

 

「僕みたいな人間いますか。24歳にもなって家族をおびえさせて・・・・。大人げないとは思うのですが、あふれるような親の愛情がほしくて・・・・」

 

 

 

 

A君は銀行マンの父親と小学校教員の母親との間に生まれました。3歳年上の姉に比べて、同居し子育てする母方の祖父母から見ると「おとなしくて、やさしく、思いやり」のある子でしたが、両親には「どんくさい」面ばかりが気になっていました。

 

 

 

 

小3の夏、地元の子ども会の親子バーベキュー大会が川原で開かれました。それはA君にとって「友達の輪の中で遊ぶことに自信をなくし、ひとりの世界に気楽さを感じる」きっかけにもなりました。

 

 

 

 

炉に群がる子どもたち。焼肉を探して炉の梯子をする幼なじみのすばしっこい同級生に対してA君は、箸と取り皿を手にしたまま鉄板に近づくことさえできずに立ちつくしていました。

 

 

 

 

まわりの上級生の女の子たちが気にして声をかけてくれますが、A君は微笑み返すだけでした。

 

 

 

 

そのときは「別に悔しさや惨めさはなくて、みんながひと通りすんだら手をだそう」と思っていたといいます。

 

 

 

 

ところが両親にはA君の様子は、ただののろまにしかうつりませんでした。さらに子どもたちを取り囲み噂する親たちの立ち話が、いらだつ母親の気持ちを刺激しました。

 

 

 

 

「さすが先生の子どもだ。品があって、奥ゆかしい」と世話役のある父親がビールを飲み干しながら言うと、その言葉を耳にした父親が、「A,何をぼさぼさしているんだ。

 

 

 

 

食べかすになってしまうぞ」と親しげに呼びかけました。いたたまれなくなった母親は、A君の傍らで耳打ちしました。

 

 

 

 

「何を遠慮しているの、早く手を出して。同じ会費を払っているのよ。お母さんもお父さんも恥ずかしいじゃないの。

 

 

 

 

さあ、自分で取ってごらん」母親なりに思いつく励ましでした。

 

 

 

 

「躊躇する時間さえもらえませんでした。母親は自分で取れと言っておいて、もたつく僕の皿を取り上げると、山のように肉を盛り、まったく自分で何もできないんだからと吐き捨て、皿を返してきました。

 

 

 

 

僕はひどく混乱し、その肉を食べていいのか悪いのか、わからなくなりボーッとしていると、どこまで親を困らせるのと怒鳴られてしまいました。

 

 

 

 

するとみんなが僕を見て笑ったんです。この不快感がいやで、それから友達から遠ざかっていったんです。

 

 

 

 

そのとき父は不機嫌になったのか、いつものとおり一人で車に乗ってどこかへ逃げていきました。

 

 

 

 

勝手な両親だと思いませんか。家に戻って、夕食のころになると父が帰ってきたんです。

 

 

 

 

そして何か一言いいたそうなので、僕も意地を張ってテレビのボリュームをあげてみたんです。

 

 

 

 

そのときの父の言葉が、僕はいまでも忘れられないんです。「内弁慶!臆病者だな。

 

 

 

 

誰に似たのかな」と祖父の顔を見たんです。弱い性格の子と思うなら、いたわって、勇気の持てる子に育てようとするのが親じゃないですか。

 

 

 

 

でも不思議なことに成長するにしたがって、僕は父親と似ていることに気がついたんです。

 

 

 

 

きっとあのときも父は、自分の分身を見ているようで嫌になり、情けなく、不憫で、もどかしさを吐き出したんでしょうね」

 

 

 

 

わたしとの面接が不自然な関係を作る方向へ動いていないことに安堵したのか、A君の声に張りが出てきていました。

 

 

 

 

「母は子どもより自分が大事という人でした。お腹がすくと一つのラーメンでも僕の前で全部平らげてしまうんです。

 

 

 

 

まず子どもに腹具合を聞くのが親じゃないですか。小5で祖父を亡くし、僕を助けてくれる家族がいなくなりました。

 

 

 

 

何かというと、だらしがないと僕は母に外に出され、夜でも玄関の鍵を閉められたんです。

 

 

 

 

でも必ず祖父が後から救いに来てくれて、夜空をいっしょに見ながら星の名前を教えてくれたんです。

 

 

 

 

最近、このことで責める僕に、母は「あげた手は止められなかった」と感情のもろさをやっとみとめてくれたんですが、祖父は母が長女として生まれたとき、なんだメンタ(女)かと祖母を悲しませたそうです。

 

 

 

 

母は小6でそのことを知り、そのときから祖父の愛情を感じられなくなり、僕をかばう姿にも欺瞞すら抱くときもあったようです。

 

 

 

 

でも、僕は祖父から一度も母への不満を聞いたことはなく、祖父の人柄のよさが必ず母にもあるとどこかで信じていました」

 

 

 

 

A君の中学時代は「がまんすることで大人をみせ」、友人関係の希薄さをカモフラージュしていました。

 

 

 

 

「NHKしか見ないエリート」になることは孤独からの地的な逃げ場でもありました。

 

 

 

 

心細く寂しいときは、祖父と徹夜した物置に隠れていれば落ち着けたといいます。

 

 

 

 

大学では「あの親の子だから」とA君の努力は報われず、周囲の人の評価はむしろ親に向いているように思えました。

 

 

 

 

そのことに「いい気になって、人と会うとブロックをつくってしまう僕の悩みがわかっていない」と大学4年で中退しました。

 

 

 

 

そして「3Kの仕事に就くことで親と決別を試みましたが、プライドは底なし沼に入ったように心と体を硬直させ、足場を奪っていった」といいます。

 

 

 

 

「どんくさい僕でも、親にかわいがられる権利があることを両親に気づいてほしいんです。

 

 

 

 

そのことでいつも僕が家族の中の問題児にされてきたくやしさに心を痛めてほしかったんです。

 

 

 

 

どこに好きで親を殴る子がいると思いますか。いつも考えて悪態をついているんです。

 

 

 

 

でも今日、お話して気づいたことがあります。面接を拒否する僕を工夫して連れてきてくれた両親のおかげで、僕は少し人の輪の中に戻れる希望が見えてきたことです」

 

 

 

 

面接室のドアを開けると、A君の両親が待っていました。親は子の悩みが深いほど親らしくなれます。

 

 

 

 

これは、わたしの日々の実感です。

 

 

 

 



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