人間関係を恐れる若者たち
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人間関係を恐れる若者たち

2016年09月14日(水)1:19 PM

いま、学校や職場で人間関係に悩みを抱きながら、ひきこもり、不登校、ニート、あるいは大学卒業を拒否する若者たちがたくさんいます。

 

 

 

 

大幅な子どもの減少にもかかわらず、その数は年々増え続け、大きな社会問題になっています。

 

 

 

 

そして、彼らの多くは、そのことをきっかけに他人との関わりを自ら拒絶し、なおかつその状態の長期化によって、学校や職場など仲間集団の場に戻れなくなっています。

 

 

 

 

中には家族とさえ、何ヶ月、何年と言葉を交わさないで自室に閉じこもる深刻なケースも珍しくありません。

 

 

 

 

事態を無視できなくなった厚生労働省も全国調査に乗り出し、その緊急性を報告しました。

 

 

 

 

その一つに「不登校その後」の成人した若者の社会的孤立も援助課題として取り上げられました。

 

 

 

 

それは、なんとか高校、大学は卒業しても、人間関係のやりとりを強制される職場を前に立ちすくんで、そのまま無職(フリーターという名の無職も含めて)の状態に閉じこもっている若者の悩みと共通しています。

 

 

 

 

 

家族にとっては、まさに「学校は出たけれど・・・」と不安を抱える日々です。

 

 

 

 

その共通した訴えは、人間関係が「つらい、わからない、信じられない」というものです。

 

 

 

 

彼らは、自らの心に鍵をかけ、人と触れ合いたい(友達がほしい)のに触れ合うことができないという葛藤した心理状態に身を置いているのです。

 

 

 

 

20年以上も前になりますが、わたしはこうした心の在り様を、「閉じこもり」ではなく、「ひきこもり」と呼んでみました。

 

 

 

 

それは心が「ひきこもる」というイメージであり、誰にでも一度や二度はそんな経験をした覚えがあるはずです。

 

 

 

 

これからの人間関係を豊かにするために、将来へのジャンプを願って「ひきこもる」ことは自然なことかもしれません。

 

 

 

 

だから、多くの人に理解できることだと思います。そして、かりにすねて、いじけたとしても、孤立の限界を感じたら、特別な場合を除いて、ほとんどの人は人の輪の中に戻っていったはずです。

 

 

 

 

ところが、わたしが関東自立就労支援センターの活動を通して出会ってきた若者たちは、そのきっかけが用意されても、それまでにコミュニケーションをとる術を獲得していなかったがゆえに、関係の修復ができないまま置き去り状態にされていたのです。

 

 

 

 

もちろん、そこには彼らが育ってきた時代背景もあります。関東自立就労支援センターの相談室には、こうした悩みを抱える子どもたち、若者やその家族が相談に来ます。

 

 

 

 

なかには、自らの肉体を傷つけてまで、その切なさ、孤独な身をわかってほしいと、ひたすら親に願いつつ成人した若者たちもいます。

 

 

 

 

この不安を誰かに受け止めてほしいと願う気持ちには、なみなみならぬものがあります。

 

 

 

 

「不登校であれだけ慌てふためいて、僕の苦しみはすべて理解したと言い切っていた両親なのに、大学を卒業し、入社一週間で会社を辞めてしまった僕の悩みが皆目わからないと言われた時には、正直、愕然としました。

 

 

 

 

僕の本質的な悩みは、不登校のときから現在まで変わっていないんです。僕は人嫌いではありませんが、人間関係に疲れてしまうタイプなんです。

 

 

 

 

人と付きあっていくことにひどく自信が持てないんです。だから、そんな関係が強制される場に置かれると、どうやって振る舞ったらいいのかぜんぜんわからず、身体がすくんで、頭の中が真っ白になるほどパニックに陥ってしまうんです。

 

 

 

 

自分を防衛するために、友達の輪の中にいたいという気持ちはありながらも、逃避し、勉強という知的生活に逃げ込みました」

 

 

 

 

今、23歳になる彼は中3、高3とわずかに不登校になりましたが、大学に入学すると、そのまま気軽な一人暮らしの生活ができたといいます。

 

 

 

 

下宿と大学の往復だけで、わずらわしい友人関係も極力避けていました。そして、自分なりに「しなやかな人間関係」を取り結ぶノウハウやTPO(間)を学ぼうと心理学の本を読みあさり、自ら「実験」してみたりしました。

 

 

 

 

ところが、彼の実験は挫折の積み重ねにしかなりませんでした。マニュアルどおりに「ふれあう関係」をつくることは、ついにできませんでした。

 

 

 

 

それでも、自分ひとりのペースで生活できた学生時代は、精神的にも安定していたといいます。

 

 

 

 

そして、就職はしたものの、「休憩時間よりも、仕事をしているときのほうが他人から声をかけられることも少なかったので、心が休まりました。

 

 

 

 

昼休みもトイレで過ごすことが多かったようです。しかし、「変なやつ」とう同僚の噂を耳にして、彼は会社を辞めてしまいました。

 

 

 

 

「人間関係に弱いという僕の悩みは、場が学校から職場に変わっただけで、何も解決されていなかったんです。

 

 

 

 

親や先生は学校に行かないということだけを問題にして、僕のほんとうの悩みを援助してくれなかったんです。

 

 

 

 

僕は友達をつくれないひとりぼっちの人間として、これからも生きていかなければならないんでしょうか」

 

 

 

 

彼を見ていると、偏差値教育のエリートが人間関係の落ちこぼれになったようにわたしには思えます。

 

 

 

 

「知」を生かす前に、「情」(人間関係)で挫折したのではないでしょうか。

 

 

 

 

人間関係づくりの基本は、「せめぎあって(感情の交流)、折り合って(合意の形成、歩み寄り)、お互いさま(相互信頼)」です。

 

 

 

 

この積み重ねが、人に対する信頼感をたしかなものにし、人間関係を豊かなものにします。

 

 

 

 

ひきこもる若者たちは、この経験が乏しいように思えてなりません。せめぎあうことはできても、折り合うことができず、人に臆病になっているのです。

 

 

 

 

「けんかして仲直りする方法やその体験を知っていれば、これほどまでに人間関係の場を恐れることはなかったのに」

 

 

 

 

人間関係を学びきれず、そのことに耐える力を身につけきれず、若者たちはひきこもらざるをえなかったのです。

 

 

 

 

「僕にだって就職して安定した生活を送りたいという気持ちはあります。でも、人から話しかけられたり、こちらから話しかけなければならないと思うと、頭の中で乱気流が起きてしまうんです。

 

 

 

 

だから、学校や職場は友達がいて大好きでも、人と付き合うことに不安があるんです。

 

 

 

 

それに僕は小さいときからおとなしくて人見知りがはげしい性格で、努力してみましたが、中1の3学期で疲れてしまい、学校に行くことができなくなりました。

 

 

 

 

何度か友達をつくろうと挑戦してみましたが、誤解され、不安ばかりが先に立ち、結局、ひとりぼっちでこの年齢(20歳)になってしまいました」

 

 

 

 

背を丸め、小さな声で口ごもりながら話す「髭のはえた不登校児」の彼がこういいました。

 

 

 

 

不登校は終わっても悩みは消えず、「不登校その後」を孤独の中でひきこもり続けてきました。

 

 

 

 

その能面のような表情からは、生きることへのおびえすら感じてしまいます。

 

 

 

 

人間関係の折り合いがつかずに行き詰まったときにひきこもりたいという心境になるのは、誰もが持っている自然な感情です。

 

 

 

 

その意味では、ひきこもりも一つのライフスタイルと言えるのかもしれません。

 

 

 

 

ただ、わたしが出会う若者たちは、ひきこもりから旅立ちたいと願いながらも、その方法がわからず、希望が抱けず、「石橋を叩いても渡れない」で立ち尽くしている若者たちなのです。

 

 

 

 

彼らに顕著な特徴としてあげられるのは、一人称(わたし中心)のライフスタイルの中で育てられてきたことです。

 

 

 

 

戦後民主主義的個性尊重核家族化がそのバックボーンにあり、人間関係の合理化、希薄化が「ひきこもり文化」を形成してきたといえます。

 

 

 

 

不登校、ニートはその目だった現象のひとつです。子どもたちは成長するにしたがって、学校や職場などの仲間集団が強要する「折り合う」関係づくりにとまどい、自己防衛から逃避に走り、やむなくひとりを選んでいきます。

 

 

 

 

そして、わずらわしい人間関係に距離を置き、一人称のライフスタイルを守ったことで、「個性」が「孤性」になってしまったのです。

 

 

 

 

この状況に対して、まわりからなんらかの誘い水(ふれあい刺激)がないかぎり、子どもたちはひきこもり続け、20代に入っても、彼のように社会人として自立することに悩み苦しむことになります。

 

 

 

 

不登校やニートそのものではなく、人間関係におびえ、ふれあいたいのにふれあえないで自閉してしまう状態にこそ、わたしは心が痛むのです。

 

 

 

 

そこで彼らが抱く心理が、同世代からの「置き去り感」と社会(先生、仲間)や親からの「見捨てられ感」です。

 

 

 

 

彼は20歳になる歳の正月、高ぶる感情を両親に投げつけました。「成人式にも出席できない、年賀状が一枚もこない俺の気持ちがわかるか。

 

 

 

 

ひとりで自分の部屋で元旦を迎える俺のつらさを考えたことがあるか。俺はもう20歳なんだ。

 

 

 

 

不登校なんて悠長なことを言っていられないんだ。勉強の遅れなんか教えてくれなくても、人付き合いの手本さえ見せてくれたらよかったんだ。

 

 

 

 

そんな俺の気持ちもわからず、成人の祝いの言葉が、いつまでもブラブラしているなとは、親父も傷つける人だよな。

 

 

 

 

どうせいつか粗大ごみのように、どこかに相談して預けてしまおうと思っているんだろう」

 

 

 

 

ひきこもる若者たちは、一日も早く同世代とのコミュニケーションを復活し、みんなと肩を並べて生きていきたいと、仕切り直しのチャンスを夢見ています。

 

 

 

 

そして、いつの日にか一人前の社会人になって、親や友達と「チャラ(対等)な関係」になりたいと願っています。

 

 

 

 

その日まで、コミュニケーションの最後の砦であるはずの親には、見捨てないで見守り続けてほしいと思っています。かまってほしいと欲しています。

 

 

 

 

子どものそうした弱音や愚痴をつき返さないで、不安な存在の訴えとして聞いてあげる瞬間が、子どもにとっては肯定感を獲得する何よりのチャンスです。

 

 

 

 

他者とコミュニケーションを取り結ぶことへの「はじめの一歩」なのです。わたしはこんな空間、場所、思い出を「還る家」と呼んでいます。

 

 

 

 

ひきこもる若者にとって、親こそが「還る家」にほかなりません。還る家があるからこそ、旅に出ても、そのつらさに耐えられます。

 

 

 

 

このことを、わたしは多くの若者たちから教えられてきました。人間関係で傷ついた心は、人間関係の中でしか癒せません。

 

 

 

 

その基本は家族であり、子どもたちが求めているのは、絆にふれたいということです。

 

 

 

 

「慌てず、あせらず、あきらめず」、弱音をはきあいながら、人間関係の「祈りあう」場面をつくってほしいとわたしは切望しています。

 

 

 



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