人と触れ合いたいのに触れ合えないひきこもりの人たち
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人と触れ合いたいのに触れ合えないひきこもりの人たち

2016年09月05日(月)12:18 PM

0I9A8226ISUMI_TP_V1「友達がほしい」と思いながらも、人と「触れ合いたいのに触れ合えない」とひきこもる若者たちがたくさん存在しています。

 

 

 

 

コミュニケーション不全に悩み、心さまよう彼らの多くは、1965年(昭和40年)以降の出生者です。

 

 

 

 

それは地縁、血縁のわずらわしい人間関係を否とした団塊の世代前後を親とし、日本の高度経済成長期に子育てされてきた若者たちです。

 

 

 

 

彼らは個性尊重、核家族化、少子化、偏差値教育、そして人間関係の希薄化を加速させた「ひとり遊び文化」、サブカルチャーの生活を余儀なくされた世代です。

 

 

 

 

また、団塊の世代のジュニアは集団生活の閉塞性を忌避して、「もっと個性を大切に」を合言葉に不登校、高校中退の牽引者になりました。

 

 

 

 

そして、いま新たに就職(職場)拒否を訴えています。一方では、子育てというもっとも濃厚な人間関係を求められる親となっている人もいます。

 

 

 

 

20歳を過ぎて不登校から就職拒否に悩むある若者は、仲間集団における漂い方(コミュニケーション・スキル)に、ときに「頭が真っ白になる」と言います。

 

 

 

 

彼は人間関係のわずらわしさを抱えきれず、自分の言い分が通用しないとすぐにカッとして別人格のように豹変し、その感情を爆発させてしまいます。

 

 

 

 

あるいは、対立を恐れ、その場の人間関係から逃避して、寡黙になり、感情を抑圧します。

 

 

 

 

いずれにしても、感情の小出しができないため、まわりから見ていると、感情の起伏が激しく、まるで「劇画人間」のように思えてしまいます。

 

 

 

 

最近の青少年犯罪で目立ってきた「いきなり型」と似ています。

 

 

 

 

彼らはよく「疲れる、かったるい」とも言います。これは、相手の気持ちを推し量りつつコミュニケーションをとることへのうっとうしさです。

 

 

 

 

「せめぎあって、折り合って、お互いさま」の人間関係の一つ一つは理解できても、紡ぎあえないのです。

 

 

 

 

だから、そのよう対立的状況が、学校、職場、夫婦生活、隣り近所などで予想されると、足がすくんでしまうのです。

 

 

 

 

わたしたちは、けんかして仲直りするプロセスの積み重ねの中で人との距離感、親しさを学んでいきますが、人間関係の間がとれないと、お節介になったり、つれなくなったりします。

 

 

 

 

これは、生きていれば当たり前に身につくというものではなく、人間をテキストとして学び取るものです。

 

 

 

 

この学習とめぐり合うチャンスを得られず、間が取れないといわれてきた団塊の世代ジュニアのひとりは、面接の中でそのくやしさをこう吐露しました。

 

 

 

 

「学ぶとは、人と話すことではなく、学力(知識)をつけることだと思い込んできた」

 

 

 

 

戦後、「棚からぼたもち」式に享受した個性は、相手あってのものというより、反動的意味合いも含め、「わたしらしさ」に偏りすぎた「孤性」に拍車をかけたのではないでしょうか。

 

 

 

そして、うっとうしい、わずらわしい地縁、血縁から解放された核家族化の波は、複雑な家族制度の中で束縛されてきた反動から、急激に「気がねしない家族」を求めた結果でした。

 

 

 

 

子どもたちの生活空間も、他者との関わりより、もっと気楽に、「家族で満ち足りる」状況を作りました。

 

 

 

 

経済的豊かさは、隣に遠慮しつつもまた気軽に味噌や醤油を借りに行く習慣をなくしてしまいました。

 

 

 

 

さらに少子化の傾向が家庭からも群れを奪い、偏差値教育が子供たちの社会を結果優先の人間関係にしました。

 

 

 

 

いまや、人間関係は人工的につくらなければならない時代に突入したのでしょうか。

 

 

 

 

手間ひまかけるべき人間関係をサブカルチャーにまかせた結果、きちっと顔を合わせて対決すべき相手なのに、インターネットを悪用していやがらせをする姑息な人間関係を生み出してしまいました。

 

 

 

 

安易に生身の人間関係をそぎ落としていく日常を重ねていると、実情の輪郭がつかめなくなってしまいます。

 

 

 

 

たぶん神戸連続児童殺傷事件の少年Aが犯行声明で言った「透明な存在」とは、そのことではないでしょうか。

 

 

 

 

「喧嘩して仲直り」のコミュニケーション・ワークは、人間関係の修復能力と豊かな情緒を育てていきます。

 

 

 

 

本音を出し合い、歩み寄り、譲り合い、近づく努力をすることが、相補的コミュニケーションのあり方です。

 

 

 

 

人は誰でも弱点や欠点を持っています。だから、めぐり合わせ、組み合わせの中で、それらがあからさまになったり、さらしものになったり、浮き彫りになったりしたときは、お互いに補完しあっていかなければ生きてはいけません。

 

 

 

 

そこにコミュニケーションの役割を見い出していきたいものです。この営みが日常的に繰り返し体験されていないと、人はあいまいさ、不純さにもろくなり、よどみを何かですっきりと洗い流したくなります。

 

 

 

 

その回避行為の一つに、このところ急増している強迫性障害を見ることができます。

 

 

 

 

人間関係は、水戸黄門や遠山の金さんのように単純には裁けません。完璧さを求めるほどに息がつまってしまいます。

 

 

 

 

人と絡み合って、折り合いをつけていくには手間も時間もかかります。

 

 

 

 

もめるくらいなら無理にでも引き受けて「いい子」になろうとする傾向が強いのですが、喧嘩した後の仲直りが未熟だと、対立がさらに深くなり、人と触れ合いたいのに触れ合えなくなってしまいます。

 



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団体名
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042-424-7855
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活動内容
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・教育相談の実施
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