ひきこもりと自立を強要する社会
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ひきこもりと自立を強要する社会

2016年08月01日(月)3:02 PM

IMA20160724560017_TP_V現在の日本の社会では、3人に1人が養い手であると聞いたことがあります。つまり、社会全体で見ると1人の人間が働いて、2人の人間を養っている形になるということのようです。

 

 

 

 

この割合は、世界各国と比較しても、かなり高い数字になるのではないかと思います。

 

 

 

たぶん発展途上国などでは、この数字はもっと低いものになるはずです。1人の人間が働いて、5人とか10人とかの家族を養っているというような数字になるのではないかと思います。

 

 

 

 

日本も戦前くらいまでは、そういう社会でした。都市部の勤労者層はともかく、農村では先祖代々受け継がれてきた田畑にしがみつくようにして、10人、20人の大家族が生活していました。

 

 

 

 

ひとたび凶作になれば、一家全体が餓死する危機と隣りあわせで、子どもを人買いに売るなどの悲劇もあったようです。

 

 

 

 

海外でも話題になったNHKドラマの「おしん」に描かれていたような世界が、わたしたちの祖父母の世代までには実際にあったわけです。

 

 

 

 

そういう貧しい社会から、日本はわずか半世紀ほどで世界でももっとも豊かな国になりました。

 

 

 

 

少なくとも餓死する危険や生活のために子どもを売るなどという悲劇からは解放されました。

 

 

 

 

その一方で、一人ひとりが仕事を持って自立するのがあたりまえのこととされるようになりました。

 

 

 

 

豊かになったからといって、遊んで暮らせる人間が増えたわけではありません。むしろ生きていくために、誰もが金を稼がなければならない、家を出て行かなければならないという「自立」を、一人ひとりが強要される社会となったのです。

 

 

 

 

戦前までの農村部に生まれていれば、飯を食うことで精一杯の生活でしたが、大家族の中にとけこんで「自立」などという言葉とは無縁に生活していたのです。

 

 

 

 

そのような生活形態はすくなくとも弥生時代から2000年近く、ずっと続いてきたものだったでしょう。

 

 

 

 

日本ではたった半世紀ほどのあいだに、これほど大きな社会システムの変化が起きたのです。

 

 

 

 

現代の日本に出現した「社会的ひきこもり」という現象も、こういう急激な社会システムの変化と関連しているのだと思います。

 

 

 

 

大家族に囲まれて家によりかかって、村からほとんど出ることもなく、先祖たちと同じような人生を歩んで生きていく、食べていくのに精一杯で、けっして楽ではなかったかもしれませんが、その反面、気楽だったかもしれません。

 

 

 

 

現代は、物質的には豊かで、職業の選択や結婚も個人の意思に任され、昔の人間からは誰もが王侯貴族のような生き方をしているように見えることでしょう。

 

 

 

 

しかし、それは子どものころから自立を目指して同世代の人々と競争し、仕事も結婚相手も自分で探さなければいけないという、気が抜けない生き方を要求されることでもあります。

 

 

 

 

どちらがよかったということではなく、現代の日本の社会に生まれてきた者は、いやおうもなくそういう生き方を要求されるのです。

 

 

 

 

明治以降、日本人も近代的な自我の確立を模索してきました。でもそれは、まだまだ借りてきた服のように、わたしたちの体にはしっくりとフィットしていないようです。

 

 

 

 

近代的な自我は、個と個の主張と対立に基づくものですが、「和をもって尊しとなす」の原理でやってきた日本人にとっては、それはとても居心地の悪いものでした。

 

 

 

 

それを補完してきたのが、年功序列制や終身雇用制度などの企業による個の対立を目立たなくさせる雇用システムだったように思います。

 

 

 

 

建て前では個の自立を謳いながらも、実際には家族でも、学校、会社などの組織でも、村社会的なもたれあい、支えあいが奨励されていたわけです。

 

 

 

 

しかし、深刻な不況の影響で、もはや企業も終身雇用制度を維持することが困難になり、なりふりかまわぬリストラが断行されるようになってきています。

 

 

 

 

この自立を要求される社会は日本だけではなく、先進諸国も同じです。むしろ、個人に対して自立しろというプレッシャーは欧米のほうがはるかに強いかもしれません。

 

 

 

 

なんやかんやといっても、日本の親たちは、子どもの自立については甘いところがあるようです。

 

 

 

 

子どもが仕事を持っても、まだまだ経済的に親に依存していたり、同居していたりします。

 

 

 

 

そういうところが、ひきこもり現象を生み出す社会的な背景の一因となっているのかもしれません。

 

 

 

 

欧米社会では、自立に失敗した者はひきこもることもできずに、ホームレスになったり、犯罪に走ったりと急激な転落を迎えてしまうような社会なのかもしれません。

 

 

 

 

いっぽう日本では、家族や組織のさまざまな支えあいが働いて、急激な転落が起きにくい社会といえるのかもしれません。

 

 

 

 

そういう意味では、ひきこもりという現象の増加の背景には、日本の社会独特の、急激に転落しないための社会的なクッションのような役割が働いているのかもしれません。

 

 

 

 

社会的なひきこもりの増加は、先進国の中では、日本だけで見られる現象であると言われています。

 

 

 

 

ということは、高度資本主義社会の中でも、日本という社会の特殊性がそこに反映されている可能性があります。

 

 

 

 

現代の日本の特徴をあげれば、大地主や貴族階級が解体され、中産階級が社会の主体となっている社会であること、また、高度成長期を経て、サービス業などの第三次産業への就労人口が増加し、サラリーマンなどの賃金労働者が社会の多数派になっているということがあります。

 

 

 

 

欧米の先進国と比べても、収入や社会的な階級などがより平均化した社会であるといえます。

 

 

 

 

具体的には、サラリーマンなどの賃金労働者の家庭に生まれた子どもたちが増えて、その子どもたちも将来親と同じように賃金労働者になることを期待されている社会です。

 

 

 

 

そういう社会に生まれて、そこで生きていくとはどういうことなのでしょうか。

 

 

 

 

平均的なとか、人並みのという価値観が支配して、「みんなと同じようにしなければ」という目に見えないプレッシャーが高い社会なのだと思います。

 

 

 

 

ひきこもった兄を取り巻く自らの家族を描いて話題になったドキュメンタリー映画「home」(2001年)の監督である小林貴裕さんがこんな話をしていました。

 

 

 

 

「わたしの兄は、ひきこもりという形で、生きづらさの問題が目に見えるものとして出ていたが、ふつうに電車に乗って仕事に行っている人たちの中にも、同じような問題を抱え込んでいる人たちがいっぱいいるのではないか」と。

 

 

 

 

もしかすると、日本の社会での「ふつう」の基準が、もはや誰もついていけないような、ものすごくハイレベルなものになってきているのではないでしょうか。

 

 

 

 

いいかげんや適当というハンドルの遊びの部分のようなものがどんどん排除されて、誰もが高い緊張感を維持していくことを要求されるような、のんびりと草野球を楽しむのではなくて、みんなにプロ野球選手並みの高度な能力を要求されているようなそんな状況です。

 

 

 

 

あるいは、いつのまにか、社会全体がどんどんスピードアップして、まるで疾走する電車やバスのようなものになってしまっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

社会へ参加するということが、そういう疾走する電車やバスに「飛び乗る」ことを要求される状況です。

 

 

 

 

障害者などには、とても無理なハードルの高さです。増え続ける不登校やひきこもりの現象は、そのことをわたしたちに教えてくれているのかもしれません。

 

 



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