傷つけたくないから引きこもる
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傷つけたくないから引きこもる

2016年06月03日(金)12:16 PM

引きこもり事例「ひきこもりの告白」

 

 

 

 

 

 

 私は、「引きこもり」のベテラン。

 

 

 

 

 

 「引きこもり」のベテランなんていうのは嫌らしいと思うだろうけど、ホントなんだ。

 

 

 

 

 

 だって小学校の3年から「引きこもり」始めたんだから。

 

 

 

 

 

 だから、私は自信を持って「引きこもり」のベテランというようにしている。

 

 

 

 

 

 もっとも、ベテランという意味は「引きこもり」の期間が長いというだけではない。「引きこもり」の期間が長い人は、もっといるかもしれないから。

 

 

 

 

 

 私が「引きこもり」のベテランというのは、どんな脅しにも負けなかったし、どんな甘い言葉にも誘われなかった「引きこもり」だったということを言いたいからなの。

 

 

 

 

 

 こんなこと、何も威張ることじゃないってよく知っているつもりだけど、世間ではこういうのを「どうしようもない引きこもり」と言っているから、なぜ、どうしようもないのかわかってもらおうと思って「引きこもり」のベテランと言っているだけ。

 

 

 

 

 

と言いながら、Bさんはちょっと顔を上げて話してくれました。

 

 

 

 

 

 学校へ行かなくなるとね、みんなが寄ってたかってなんとかしようとする。私の時も同じ。

 

 

 

 

 

 お父さんは権威と権力と腕力を総動員して私を脅かしたし、お母さんは恥ずかしいだの、みっともないだのという嫌味を言い、挙げ句の果ては泣き落とし。

 

 

 

 

 

 お兄さんは「おまえが学校に行かないのなら、オレも行かない」と言い出して私を困らせた。

 

 

 

 

 

 妹は「お姉ちゃんが学校へ行かないのって羨ましい」と言うくせに、お父さんに叱られるのが怖いから、「私は学校へ行く」と言って「いい子」ぶってしまっていた。

 

 

 

 

 

 結局、誰も私を助けてくれなかったし、私がなぜ学校へ行かないかということも聞いてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 本当は、「なぜ学校へ行きたくないの」って聞いてくれるのを待っていたんだけど、誰も聞いてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 もちろん親は、「なぜ行かないのか」って言ったけど、その言い方はいつも「学校へ行くのが当たり前で、学校に行きたくないなんて言うのはクズだ」という匂いがぷんぷんとしていた。

 

 

 

 

 

 あのとき、ほんのちょっと優しい声をかけてくれて、「どうしたの」って言ってくれたら、私はそれだけで気が収まったと思うし、あれほど頑固な「登校拒否」をしなかったろうと思う。

 

 

 

 

 

 そうなっていれば、もちろん「引きこもり」のベテランにはなっていなかったと思う。

 

 

 

 

 

 わかったことを言うようだけど、人生ってほんのちょっとしたことで変わっちゃうんだなと思っている。

 

 

 

 

 

 偉い先生は、「引きこもり」についてあれこれ議論しているようだけど、子供にとっては、ほんのちょっとしたできごとがきっかけになって「登校拒否」も「引きこもり」も始まってしまうものなの。「いじめ」だってそうだと思う。

 

 

 

 

 

 それに「自殺」のことが騒がれるけど、その「自殺」だって同じことだと思うの。

 

 

 

 

 

 大きな原因があって結果として「いじめ」や「自殺」があるという考えがあるけど、「引きこもり」も「登校拒否」も同じで、そうしたはっきりとした原因があるわけではない。

 

 

 

 

 

 ただ、私の場合は、やっぱり親の育て方に問題があったと思うことがある。といっても親が悪いというのではないけど。

 

 

 

 

 

 私の両親は、とっても几帳面。曲がったことが大嫌い。

 

 

 

 

 

 お父さんもお母さんも同じような性格。ただ、お父さんは厳格な人だし、お母さんは愚痴っぽい人だけど。

 

 

 

 

 

 その愚痴っぽい母親を、私は好きでなかっただけ。

 

 

 

 

 

 私がどっちに似たのかわからないけど、小学校の先生に文句を言っていた覚えがある。

 

 

 

 

 

 先生から見れば、さぞかし嫌らしい生徒だったと思うの。

 

 

 

 

 

 文句を言うと言ったって、小学校3年生ぐらいならば大したことが言えるはずはないけど、でも先生には「グサリ」とくるような一言だったらしい。

 

 

 

 

 

 よくお母さんがPTAから戻ってくると、「お前も余分なことを言わなきゃいいのに」と愚痴っていた。

 

 

 

 

 

 先生からは、いつも「「お宅のお子さんは、相手の欠点をつくのがうまい」と言われていたみたい。

 

 

 

 

 

 先生は、ときには「私の欠点も平気で指摘する、嫌らしいこども」というような表現をしたらしい。

 

 

 

 

 

 だから私は、先生たちからシカトされたのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 多くの場合、正論を吐いていただけだと思うけれど、先生たちには皮肉と映ったり、非難と感じたりしたのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 大概の場合は、先生がさっき言ったことと、いま言っていることが違っている時に、そのことを指摘していたから。

 

 

 

 

 

 先生は、「みんなと一緒に考えることが大切だ。ひとりで何でもやろうとしてはいけない」といったその舌の根が乾かないうちに、「こんなことは自分で考えなさい。いちいち友達に相談するんじゃない」などと平気で言っていたから。

 

 

 

 

 

 それを聞くと私は、どうしても一言言いたくなっちゃう。もちろん物事には、そのときどきで臨機応変に考えたり、態度を転換させていかなければならないことはあるんでしょうが、でも、今言ったことをけろりと忘れて、その場限りのことを言うのはどうしても許せなかった。

 

 

 

 

 

 お父さんの頑固さを受け継いでいたのかもしれない。だからすぐに手を挙げて、先生に質問したり説明を求めたりもした。

 

 

 

 

 

 それが先生の気に食わなかったのでしょう。

 

 

 

 

 

Bさんは「私がそのことに気付かなければよかった」と言いながら、うっすらと涙ぐみました。

 

 

 

 

 

そして「先生が私を嫌っているのはよくわかっていたけど、なぜ先生が私を嫌うのかわからなかった」「だから私は図に乗って、先生を追い詰めていったの」と私に述懐しました。

 

 

 

 

 

Bさんは「先生が犯す過ちを次々見つけるのが、私の使命のような気がして」とすら言いました。

 

 

 

 

 

もちろん、そのときの彼女はまだ小学3年生なのですから、それほどはっきりした意識があってしたことだとは思えないのですが、いまの自分から見ると、”あの時の自分は、それほどまでに気負っていたのだ”という思いがあるのでしょう。

 

 

 

 

 

「先生をやっつけるつもりはなかったと自分では思うんだけど、どこか、先生より偉くなりたいという気持ちがあったのかもしれない」とも言いました。

 

 

 

 

 

でもある日、先生がBさんに向かって、「どれだけ私を傷つけたら気が済むの」「私はもう、あなたのおかげでズタズタ。いいかげんにしてちょうだい」と言ったというのです。

 

 

 

 

 

Bさんは、「私はそのとき、先生の言う言葉の意味を正確に掴んだわけではなかったけど、何か重大な過ちを犯したとは感じました」と言い、自分が「引きこもり」を始めるきっかけになった内的な体験について、語り始めました。

 

 

 

 

 

 そして気づいたの。「私は、先生を傷つけてきたんだ」ということに気づいたの。もちろん、それまでは自分では気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 せんせいが傷ついているということを知りながらやるというほど、自分はひどい人間ではないと思う。

 

 

 

 

 

 小さな頃から「人を傷つけてはいけません」という教えは、私の頭には入っていた。

 

 

 

 

 

 だから、お父さんが私を傷つけるのも、親だから私のためにと思ってやっているのだと自分に言い聞かせてきた。

 

 

 

 

 

 お母さんが愚痴を私にぶつけて私を傷つけるのも、慣れっこになっていた。

 

 

 

 

 

 でも、自分が人を傷つけているということには気づかなかった。ましてや、大人を傷つけていたなんて考えもしなかった。

 

 

 

 

 

 私の緊張の糸が切れたのは、先生が私にこの言葉を投げつけたその時のこと。

 

 

 

 

 

 それから私は学校に行かなくなった。というより、学校にいけなくなったわけ。

 

 

 

 

 

 「大人を傷つけるような事を言っていた嫌らしい私」というのが、私が私に貼り付けたラベルだった。

 

 

 

 

 

 このラベルについて、私はこれまで誰からも聞かれたことはない。だから、これまで誰にも話していない。

 

 

 

 

 

 もしも早いうちに「どうしたの」と聞かれていたら、私はもっと気軽に話せたかもわからないけど。

 

 

 

 

 

 そして「引きこもり」にならずにすんだのかもしれない。

 

 

 

 

 

このように、ここまで一気に話してくれたBさんでしたが、ここでまたちょっと涙ぐみました。

 

 

 

 

 

Bさんはもう20歳を超えています。

 

 

 

 

 

「引きこもり」のベテランというだけに、すでにかれこれ10年以上の「引きこもり」歴を持つ方ですが、それでいて結構ユーモアもあり、楽しい人でした。

 

 

 

 

 

普段の付き合いでやや幼さが目立ちはしますが、健康そのものの女性です。

 

 

 

 

 

でも現実には、いわゆる「引きこもり」の状態を続けています。

 

 

 

 

 

Bさんは、自分の買い物にはいけますし、家族との関係でも、いまはあまりぎくしゃくしたものもありません。

 

 

 

 

 

父親が焦らなくなったからでしょうし、母親ももう愚痴を言ってもしようがないと諦めたからだと思います。

 

 

 

 

 

しかし、こういう状態を続けていることにBさん自身が満足しているわけではないのです。

 

 

 

 

 

焦りのようなものは薄れているようですが、「でも、何とかしなければならないと思わないわけではない」とも言っていましたから。

 

 

 

 

 

Bさんのいまは、”傷ついた鳥が羽を休めている状態”と言ってもよいでしょう。

 

 

 

 

 

元気よく羽ばたいていた鳥が、元気すぎて木の枝に羽を引っ掛けてしまったために羽に傷を負ってしまい、飛べなくなったような状態です。

 

 

 

 

 

誰かが鉄砲でこの鳥を狙い、羽を傷つけたというほどのことではなく、元気に飛び回りいくらか自己過信に陥っていたこの鳥が、ちょっとしたはずみに思わぬ怪我をして自分の羽を傷つけたと言ってよいのではないかと思います。

 

 

 

 

 

彼女は自分でも行っていましたが、「学校の先生から見ればいやらしい生徒だった」と思います。

 

 

 

 

 

何かといえば「先生の間違いをあげつらう生徒」だという見方もできるからです。

 

 

 

 

 

だから学校を休むようになっても、先生方からは「どうしたのか」というような言葉をかけられることもあまりなかったようですし、またご両親に対してもこのような声掛けはなかったといいます。

 

 

 

 

 

つまり、彼女は学校からはまったくと言ってよいほどに見捨てられていたというわけです。

 

 

 

 

 

Bさんが更に傷ついたのは、この学校側からの声掛けのなさと言ってもよいと思います。

 

 

 

 

 

彼女は、知らず知らずのうちに自分が先生を傷つけていたということに気づき、気づかないでやったとはいえ、先生を傷つけてしまったという自責の念が強く働いて落ち込みました。

 

 

 

 

 

落ち込んでしまったBさんが学校へいけなくなり、家に引きこもったことは、それなりによくわかることです。

 

 

 

 

 

でも、Bさんが本当に傷ついたのは、こうして家に引きこもっている彼女に、学校側が何も声掛けをしてくれないということであったようです。

 

 

 

 

 

「自分は見捨てられている」という思いが急に強くなった彼女は、そのあと学校に行こうとします。

 

 

 

 

 

小学校の3年生であった彼女が、勇気を奮って学校にでかけたその姿を想像すると涙ぐましくなります。

 

 

 

 

 

こうして勇気を奮ったBさんを、学校側が受け入れてくれたというのであれば、それこそ一件落着、ハッピーエンドの大団円とかるのですが、事はそうは運びませんでした。

 

 

 

 

 

勇気を奮って登校してきた彼女を迎えたのは、冷たい「無視」であったといいます。

 

 

 

 

 

それは先生方からのものでもありましたし、友人からのものでもありました。

 

 

 

 

 

二重に無視された彼女は、結局、自分の家に閉じこもるしかなかったといいます。

 

 

 

 

 

自分の家に閉じこもって羽を休めるしかなかったというわけです。

 

 

 

 

 

“どうせ飛べない鳥なのだから、無理して飛ぼうとするよりも、飛ばないで羽を休めていよう”とそのときBさんは考えたようです。

 

 

 

 

 

同じようなことをCさんも体験しました。

 

 

 

 

 

Cさんが「引きこもり」を始めたのは高校一年生の時でした。きっかけは、友人からの冷たい一言です。

 

 

 

 

 

Cさんはもともと楽天家であり、何事もあまりこだわらないで過ごせる人でした。

 

 

 

 

 

そのCさんが、ある日友達にこんなことを言われました。

 

 

 

 

 

「あなたのうちって、貧乏なのね。この間あなたが、どんなところに住んでいるのか見に行ったんだけど、ちっちゃな家だった。あんな家によくも住んでいられるわね。私だったら、親に”恥ずかしいから、もっと大きな家に住みたい”ってはっきし言っちゃうな。Cさん、あなたはなぜそう言わないの。言えないんでしょう。言ったって、親がどうこうできないんでしょうから。哀れっぽいわね。」

 

 

 

 

 

まさか、こういうことをいきなり言うわけはないのですから、何か前振りがあったに違いありません。

 

 

 

 

 

でも、Cさんにとってみれば、言われた内容があまりにひどいものだったので、もう何がなんだかわからなくなって逃げるように家に戻ってしまったといいます。

 

 

 

 

 

Cさん自身は、それほどひどい家だとは思ってもみなかったようです。

 

 

 

 

 

ただ、こんな囃し方をした友達の家から見れば、確かに小さかったし、手入れもきちんとしていなかったので、貧乏ったらしく見えたことは確かでしょう。

 

 

 

 

 

こんなことが言えるのも、私自身が彼女の家のそばに住んでいたということもあって、Cさんの家のことを、よく知っていたからです。

 

 

 

 

 

でも彼女の家は、外見はあまりぱっとしなくても、家の中はかなりきちんとしている方でした。

 

 

 

 

 

だから、彼女にしてみれば、「よくもあんなちっぽけな家に住んでいて平気なのね」というような言われ方をされて、びっくりしたはずです。

 

 

 

 

 

もちろんこんなとき、こうした謂われない蔑みに対して言い返せるだけの勇気や気迫が彼女に備わっていたならば、「引きこもり」は起きなかったでしょう。

 

 

 

 

 

Cさんは、このような謂われない蔑みに対して言い返せるだけの勇気や気迫は持ちあわせていませんでした。

 

 

 

 

 

だからCさんは、その言葉に傷つき、「引きこもり」を始めたのです。

 

 

 

 

 

けれども、Cさんのその後を考えると、この「引きこもり」は少し長いお休み、つまり傷ついた鳥が羽を休めるちょっと長いお休みであったようです。

 

 

 

 

 

彼女はこのお休みを利用してたくましく成長していったのです。

 

 

 

 

 

実は、Cさんは「引きこもり」を始めて半年で飛び立とうとしました。休学していたのですが、復学したのです。

 

 

 

 

 

Cさんによれば、その時の自分は「こんなことでへこたれたら駄目だ。なんとか這い上がらなければ」と思っていたそうです。

 

 

 

 

 

一学年下のクラスに入って学校生活を再開したのですが、悪口を言われた友人とも顔を合わせますし、ほかの友人からも何となくよそよそしい目で見られるので、それに耐えられず再び「引きこもり」を始めてしまいました。

 

 

 

 

 

Cさんの「引きこもり」はほぼ二年間続きました。

 

 

 

 

 

その間に高校は退学することになってしまいましたが、反面そのことが彼女には良かったようです。

 

 

 

 

 

もちろん、冷たいことを言った友人からは離れましたし、自分の時間を持つことができたということもあるようです。

 

 

 

 

 

もともとCさんは手先がとても器用でした。

 

 

 

 

 

そんな彼女は家に閉じこもっていながら「自分は何をしたらいいのか。自分の特徴を活かすにはどんな仕事を選んだらいいのか」考えていたといいます。

 

 

 

 

 

彼女の親も、またゆったりとした人たちでした。

 

 

 

 

 

Cさんは友だちに言われたことを親に話すこともなく、自分の胸にしまっていましたが、親は「何かあるな」と感じてはいたようです。

 

 

 

 

 

でも、そこで彼女に問い詰めるようなことはしませんでした。無理に「学校に行くように」ということもなかったようです。

 

 

 

 

 

このためCさんは「”のびのび”と『引きこもり』をしていられた」と言っています。

 

 

 

 

 

だからこそ、「引きこもり」をしている間に「自分のこれから」を考えることができたのでしょう。

 

 

 

 

 

「引きこもり」を始めてから2年過ぎて、Cさんは美容学校に通うようになりました。通うにあたっては家族の応援もありました。

 

 

 

 

 

手先が器用だったCさんには美容師がとても合っていたようで、美容学校でも生き生きとしていたといいます。

 

 

 

 

 

美容学校の友達からは手先の器用さを羨ましがられ、先生方からはセンスの良さを褒められたといいます。

 

 

 

 

 

もともと楽天家であった彼女ですから、水を得た魚のように元気になったといいます。

 

 

 

 

 

思わぬことを謂われて「引きこもり」を始めてしまいましたが、結果から見ればこの「引きこもり」が彼女の人生を飛躍させたことは間違いがないようです。

 

 

 

 

 

その意味では、彼女にとっての「引きこもり」は、傷ついた鳥が羽を休めるというだけではなく、そこで力をためて一回りも二回りも大きくなって、また羽ばたいていくきっかけになったといっても良いでしょう。

 

 

 

 

 

「引きこもり」には、このようなものもあるのです。

 

 

 

 

 

Cさんのように、いったんは社会から「引きこもり」をした人でも、時期が来れば、またそこから外に飛び出していくことがあります。

 

 

 

 

 

羽に傷を受けた鳥が巣の中でじっと傷が癒えるのを待っていたように、そして羽を休めている鳥は傷が癒えたらば、また飛び出していくように、「引きこもり」をしている人も、また時期が来れば飛び出していくのです。

 

 

 

 

 

ただ、傷が癒えたかどうかもわからないまま慌てて飛び出せば、また落ちて羽を痛めるかもしれないのですから、そこは慎重に状況を把握しなければならないとはいえますが。

 

 

 

 

 

「引きこもり」状態を鳥が羽を休めていることに例えましたが、羽を休ませていた鳥が羽ばたいて飛び出すためには、自分の身体、つまり羽の傷がどの程度癒えたかを見立てる必要があるでしょう。

 

 

 

 

 

その傷の癒え方を見立てることもせずに、傷は「治った」とか「癒えた」と思い込んで巣から飛び出すとすれば、それは浅はかです。

 

 

 

 

 

十分に癒えていなければ、せっかく治りかけていた傷口は更に広がり、墜落してしまうかもわかりません。

 

 

 

 

 

このようなことにならないためにも、傷に癒え方の見立てを十分にしなければなりません。

 

 

 

 

 

もちろん、傷がどの程度癒えたのかを見立てることができれば良いというだけではありません。

 

 

 

 

 

飛んでいる時に受けた傷なのですから、飛び出すにあたっては、巣の外の状況をよく観察し、危険がないかどうかを見てから飛び出すことが必要です。

 

 

 

 

 

さらにまた、回復しつつある自分の羽の傷の治り具合と、巣の外の状況とをよく勘案することも重要です。

 

 

 

 

 

こうした、再び飛ぶために条件を注意深く読みながら飛び出すのです。

 

 

 

 

 

自分の力量と、その力量にそって自分を発揮するための状況をよく読むことができなければ、また失敗してしまうからです。

 

 

 

 

 

傷ついて羽を休めた鳥が、再び飛び立つことに失敗したならば、再々飛翔は更に難しくなるでしょう。

 

 

 

 

 

Cさんは、高校に復学するという再飛翔には失敗しましたが、美容学校に入学して美容師になろうとした再々飛翔には成功しました。

 

 

 

 

 

高校に復学することを決めた時には、負けたくないという重いが強く、「こんなことでへこたれたら駄目だ。なんとか這い上がらなければ」と思いつめていたようです。

 

 

 

 

 

「自分が頑張らなければどうする」という思いだけが先に立ち、何か空回りをしていたようだったと彼女は言っていました。

 

 

 

 

 

美容学校に行った時には、そのような気持ちはなく「得意なことを活かせばいい」と気楽だったといいます。

 

 

 

 

 

ということは、再飛翔に失敗したあとはかなり慎重になり、自分の力量を勘案して再々飛翔を試みたといえるでしょう。

 

 

 

 

 

さらに、ご家族の支援も受けました。

 

 

 

 

 

「自分だけで」「なんとか頑張らなければ」という思いつめた気持ちではなく、自分の力だけで飛び立とうとしなかったことが、再々飛翔の成功につながったともいえます。

 

 

 

 

 

再飛翔の失敗は、自分の力量を十分に測ることができていなかったからでしたし、他人の力を拝借する気持ちがなかったからだともいえます。

 

 

 

 

 

簡単に言えば、「もっと自分には力がある」という気持ちがありすぎたと言ってもよいでしょう。

 

 

 

 

 

「自分には力がある」と信じることは重要な事なのですが、自分の力量を過信してしまっては危険です。

 

 

 

 

 

再飛翔に失敗したCさんは、力量の過信に陥っていたと言えますし、自分の力量を正しく測ることができなかったために再飛翔に失敗したのだと言えるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

その点、D君は長い「引きこもり」からうまく再飛翔しました。

 

 

 

 

 

彼の「引きこもり」は、もともと、病理性が薄く、これまでに述べてきたような”羽を休めるタイプ”であったことも幸いしました。

 

 

 

 

 

「病理性が薄い」というのは、「引きこもり」の中には精神分裂病のような精神障害を発病していて引きこもるようなものもあるので、このような病的なものに起因する「引きこもり」ではないという意味です。

 

 

 

 

 

ともあれ、まずはD君が述べてくれた「引きこもり」からの生還の言葉を聞いてみましょう。

 

 

 

 

 

「引きこもり」からの生還と言っても、別に大したことをしたわけではありません。

 

 

 

 

 

だから話をしろと言われても、特別何かがあるということではないので話しにくいのですが、でもぼくの話が「引きこもり」をしている人たちにとって少しは役に立つというのなら、話してみます。

 

 

 

 

 

と言いながら、D君はぽつぽつの話を始めてくれました。

 

 

 

 

 

既に述べたようにD君は、病理性が高い「引きこもり」ではありませんでした。

 

 

 

 

 

病理性が高い「引きこもり」の中には、精神分裂病などを発病して他人との関係を保つことが極めて下手になり、自閉状態に陥ったものもありますし、うつ病が高じて自分を卑下するあまり、他人との関係を持たなくなるものもあります。

 

 

 

 

 

このような、「引きこもり」は、精神分裂病やうつ病という病気があって「引きこもり」をしているわけであり、基礎疾患を持った高い病理性によって引き起こされたものと言えます。

 

 

 

 

 

この場合は、ごく日常的に言う「引きこもり」とはかなり違っており、基礎疾患を治療しなければ、「引きこもり」もなかなか治りません。

 

 

 

 

 

ただ、こうした高い病理性によって引き起こされた「引きこもり」ではなくても、子供が育つには極端に問題含みであったと思われる環境で育った子にも、「引きこもり」が見られることがあります。

 

 

 

 

 

両親の関係が極端に冷え込んでいたために、親が子供のこころをきちんと掴むことができなかったというようなときには、こうした両親に育てられた子は、人間関係の学習の始まりである親との関係がうまくいかなかったのですから、親以外の人との関係をうまく保つことがなかなかできません。

 

 

 

 

 

こういう子が、家庭社会から外に出て、いくつもの人間関係を持たなければならないようになると、人間関係の学習が欠けていたという病理性が表面化して、「引きこもり」を起こしやすいのです。

 

 

 

 

 

これも、高い病理性によるものとは言えないまでも、病理性の高い育児上の歪みが「引きこもり」を起こさせたという意味で、病理的な「引きこもり」と言ってよいと思います。

 

 

 

 

 

D君の「引きこもり」は、こうした病理性の高いものではありませんでした。

 

 

 

 

 

どこにでもあるような人間関係のなかで傷ついた彼は、その傷を癒すのにかなりの時間をかけたということであり、あまり慌ててその「引きこもり」状態から抜けだそうとしなかったということでもあります。

 

 

 

 

 

その結果が幸いな事に、再「引きこもり」を起こさずにきたということなのです。

 

 

 

 

 

D君がこの話をしてくれたのは20歳の時でした。

 

 

 

 

 

中学生の時から学校に行けなくなり、なんとか中学校は卒業させてもらったけれど、高校にはいけなくて、そのまま家に閉じこもってしまったのでした。

 

 

 

 

 

その頃のことを、彼はこう説明しています。

 

 

 

 

 

はじめは誰でもそうなると後で聞いたのですが、ぼくも学校にいけなくなった時には焦ってしまいました。

 

 

 

 

 

学校には行かなければいけないという思いが強かったし、だから学校に行けなくなったということは悪いことだと思い込んでしまったのです。

 

 

 

 

 

学校に行けない僕は悪いんだっていう思いが強くなったというわけです。

 

 

 

 

 

こうして、だんだん自分が悪者になっていくようで、家にいるのも辛くなって、かと言って外には出ていけないし、結局は自分の部屋に閉じこもるしかなくなりました。

 

 

 

 

 

ぼくは中学2年で、そろそろ高校入試のことが気になる頃で、学校を休んでいるというのが問題になるとも思いました。

 

 

 

 

 

もちろん授業が先に進んでいくので、そのことが一番心配でした。

 

 

 

 

 

でも、学校に行こうとすると体にブレーキが掛かるようで行けなくなるのです。ブレーキが掛かるっていう感じがわかりますか。

 

 

 

 

 

ほんとにブレーキが掛かるようで、体中がきしんで、熱くなって、バラバラになりそうになる。

 

 

 

 

 

玄関までは出られても外には出られない、そんな日が続きました。

 

 

 

 

 

こんな状況を見て、はじめは親は、ぼくに対して「学校に行きたくないから仮病を使っているんだ」と言っていました。

 

 

 

 

 

自分は仮病を使った覚えがなかったので、このように言う親にはとても反発を感じましたけれど、でも学校に行く時間が過ぎたりすると、痛みなんかがけろっと無くなったりするので、ほんとに体が病気になっているとも思えませんでした。

 

 

 

 

 

それだけに、”仮病じゃない”って叫ぶこともできなかったのです。

 

 

 

 

 

ただ、体中から脂汗まで出るようになって、さすがに親は気にしてくれるようになり、病院に連れて行ってくれました。

 

 

 

 

 

けれど、やっぱり病気じゃないと言われて、またぼくを仮病扱いにするようになってしまったりするので、とてもつらかった。

 

 

 

 

 

父親は、家から早く出てしまうので、ぼくが実際に苦しんでいるのは見ていません。

 

 

 

 

 

母親からぼくの状態を聞くだけなので、夜になると、ぼくは父親のところに引き出されて、明日は必ず学校へ行くようにって約束させられてしまいます。

 

 

 

 

 

それはそれでいいんです。というのは、父親の前でお説教をされても、その時の自分は、自分に対して”明日は必ず学校に行こう”っていう気持ちになっているからです。

 

 

 

 

 

父親は学校へ行かせたいと思って説教をしているんでしょうが、説教を受けているぼくは、明日は学校に行こうと決心しているんですから、父親にも「明日は学校へ行く」って約束できるんです。

 

 

 

 

 

でも、問題なのはその翌朝です。あれほどまでに”明日は必ず学校に行こう”と決めていたのに、実際にはなかなか学校へ出かけるきっかけがつかめなくなってしまうんです。

 

 

 

 

 

朝起きるでしょう。そうするとすぐにおしっこがしたくなってしまいます。これは誰でも当たり前だと思うんですが、僕の場合は違います。

 

 

 

 

 

おしっこしてから顔を洗うと、またおしっこになるし、「お食事ですよ」と母が言うと、またおしっこがしたくなって、トイレにいくんです。

 

 

 

 

 

食事の最中でも学校のこと、たとえば持ち物なんかが揃っているかなと考えると、とたんにおしっこをしたくなってしまうんです。

 

 

 

 

 

こうして何回も、おしっこをしにトイレに駆け込みます。

 

 

 

 

 

学校に行くために家を出ようとして靴を履いてからも同じです。だから学校にも遅れてしまいました。

 

 

 

 

 

そのうち、おしっこだけでなく、大便がしたい気持ちがこれに加わりました。

 

 

 

 

 

おしっこだってせいぜいちょっと出るだけだったんですが、大便なんかは毎回出るわけはありません。

 

 

 

 

 

だから便器に座っているだけなんですが、便器から離れると、まだし足りないような気がして、また座ることになります。

 

 

 

 

 

大便をしたくなるというだけの時は、「変な子だね。学校へ行きたくないから、おしっこや便がしたくなるんだよ」とっていた母親も、ぼくが、「お腹が痛い」と言い、実際に下痢便が出ているのを見るようになると慌てました。

 

 

 

 

 

さすがに”ただごとではない”と感じたのでしょう。ぼくを病院に連れて行ってくれるようになりました。

 

 

 

 

 

でも、病院に行ってありとあらゆる検査をしてもはっきりした結果は出ないので、やっぱり仮病扱いされてしまいます。

 

 

 

 

 

流石に仮病と口に出しては言わなかったけれど、それとなく”学校へ行きたくないからこうした病気になるんじゃないの”みたいな言い方で、ちょっとからかわれるのです。

 

 

 

 

 

ぼくとすれば真剣なのですが、周りはやはり半信半疑でいるようでした。

 

 

 

 

 

そうしているうちに、自分で学校に行きたい気持ちが少し薄れて、それに学校に行かなければいけないという気持ちも少しずつなくなっていって、毎朝がマンネリのようになったら、お腹が痛いのがなくなり、下痢もしなくなり、おしっこをしたくなるような感じも薄れてしまい、自分では楽になったけれど、なんだかだらしなくなったみたいで変でした。

 

 

 

 

 

気がついたら、朝になってもなかなか起きられなくなり、起きてもベッドの上に寝転んでいてぼんやりしていることが多くなって、それからはだんだんと部屋から出なくなってしまいました。

 

 

 

 

 

食事は母親が用意してくれたものを昼ごろになって食べたり、夕食は父親が遅いので、自分だけで部屋に持ってきて食べるようになり、母親とも言葉を交わすことがなくなりました。

 

 

 

 

 

きょうだいは妹がいるだけですが、その妹とも話をしなくなって、もっぱら部屋に閉じこもりっきりになりました。

 

 

 

 

 

だから、この時代の自分は間違いなく「引きこもり」をしていたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話をするD君は、なぜか淡々としており、過去の自分と今の自分とに少し距離を置いているような感じを受けました。

 

 

 

 

 

なんだか他人事のように自分のことを話しているので少し奇妙な感じはしましたけれど、話してくれる内容は「引きこもり」をしている彼の本音であったように思います。

 

 

 

 

 

彼は、「毎日毎日が退屈で、早くこの状況から抜けださなければならない」という思いを持っていたといいます。

 

 

 

 

 

でも、その思いはその思いとして、こうした「引きこもり」状態から抜け出せない自分が疎ましいし、そういう自分がとっても嫌だったと言いながらも、でもその自分に甘えていたこともまた認めていました。

 

 

 

 

 

話の極め付きは、「引きこもり」をしている時の自由さについての話でした。

 

 

 

 

 

この話をしてくれたとき、彼の顔はちょっと苦痛にゆがんでいたように思います。

 

 

 

 

 

彼は、「こんな話をするのはとっても嫌なんですが」と言いながら、「『引きこもり』をしている人の中には、ぼくのように『引きこもり』を楽しんでいるという人もあることを知ってもらいたいのです」と言い、次のような話をしてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「引きこもり」をしていると、とっても自由なんです。親も諦めてくれるようになると、自由です。親戚も何も言わなくなります。だから自由です。

 

 

 

 

 

学校の先生もはじめは「学校に来いよ」としきりに誘ってくれましたし、同級生も入れ替わり立ち替わり訪ねてきてくれて、「香の宿題はこれ」とか「はい、プリント」等と言って持ってきてくれましたし、「明日は、一緒に行こうぜ」と言ってくれましたが、そのうちプリントも持ってきてくれなくなり、学校に行こうと誘いもしなくなりました。

 

 

 

 

 

それを寂しいと感じる時もなかったわけではないのですが、それよりもやっとこれで「自由になれた」という思いが強かったことも確かです。

 

 

 

 

 

中学3年になって担任が替わりましたが、その担任の顔を見に一日だけ学校に行ってみました。

 

 

 

 

 

クラスも編成替えになっていましたから、ぼくが学校へ行かなくなった時のクラスとは雰囲気も変わっていました。

 

 

 

 

 

担任は、2年生の時は男の先生だったけど、3年のクラス担任は女の先生でした。

 

 

 

 

 

ぼくが長いこと休んでいることは、その先生も知っているらしく、名簿を読み上げる時に、ちょっと他の人を呼んだ時よりも長くぼくの顔を見ていたような気がします。

 

 

 

 

 

「あ、この子か」という感じで、顔をじろじろ見ていました。

 

 

 

 

 

とたんに感じが悪くなり、ぼくはやっぱり学校に行くのをやめようと思ったのです。

 

 

 

 

 

中学3年のときは、だからその初日に行ったきりで、あとは全然学校に行かず「引きこもり」をしていました。

 

 

 

 

 

もちろん「引きこもり」をしていたからといって、楽しいことがあるわけでもありません。

 

 

 

 

 

でも、こうして「引きこもり」の期間が長くなると、自由さを感じるようにもなります。

 

 

 

 

 

ぼくには、この自由さがとても心地よかったように思います。

 

 

 

 

 

誰からも当てにされないで、誰からも束縛されないで自由に過ごせるというのは、とっても楽しいものです。

 

 

 

 

 

ときには「何もしなくて退屈じゃないの」と言ってくれる人もいますが、それは何もしないでいる自由さを感じたことがないから、そう言うのだと思います。

 

 

 

 

 

「何もしないということが楽しめるようになると、『引きこもり』は本物になります」と言いながら、D君はまさに”究極の「引きこもり」”について話をしてくれました。

 

 

 

 

 

話し方はやはり訥々としていましたし、ぽつぽつ言葉少なに話すので迫力があるというわけではなかったのですが、彼の話は説得力のあるものでした。

 

 

 

 

 

D君は前にも述べたように、精神分裂病のような病理性が高い「引きこもり」ではありませんでしたが、それだからといって軽い「引きこもり」というのでもなかったようです。

 

 

 

 

 

D君は、誰もが経験するような、ちょっとした人間関係のズレから始まったこころの傷を背負ってしまい、その傷を癒すためにかなりの時間をかけなければならなかったということでした。

 

 

 

 

 

でも、あまり無理をしてその「引きこもり」から抜け出ようとはせず、また周囲も慌ててその「引きこもり」から抜け出させようとしなかったところに、「引きこもり」から抜け出られたいわば成功の鍵があったと言えましたし、また再び「引きこもり」を起こさずに済ませることができたのだと思うのです。

 

 

 

 

 

そのD君が”究極の「引きこもり」”について話してくれたわけですが、これは「引きこもり」の極意を語ってくれたと言ってもよいでしょう。

 

 

 

 

 

中学生の時から学校に行けなくなり、なんとか中学校は卒業させてもらったけれど、とうとう高校には行けなかった彼は、そのまま家に閉じこもってしまったのですが、「『引きこもり』をしていたからといって楽しいことがあるわけじゃない」けれど、「誰にも当てにされないでいるということに自由さを感じられるようになればいい」と言うのです。

 

 

 

 

 

また、「誰にも当てにされないでいるということは、誰からも束縛されないということだ」と言うのでした。

 

 

 

 

 

「誰からも束縛されない日々があるということは、自由に過ごせる日々があるということ」だし「それは、とても楽しいもの」なのだと彼は言いました。

 

 

 

 

 

これが”究極の「引きこもり」”だと言うのです。

 

 

 

 

 

太平洋戦争後の50年をただひたすら働き詰めに働いてきた世代や、このD君の親たちの世代にとっては、人から期待されなくなるのは見捨てられたことと考えてしまいますし、人から期待されなくなったということを「誰からも束縛されない自由な身になった」とはなかなか考えられないでしょう。

 

 

 

 

 

こんな彼に「何もしなくて退屈じゃないの」と言ってくれた人もいたといいますが、「それは、何もしないでいる自由さを感じたことがないからそういうのだと思う」と彼は喝破していました。

 

 

 

 

 

そして「この自由さがとても心地よかった」と言うのです。

 

 

 

 

 

これぞ”究極の「引きこもり」”の心性なのかもしれません。

 

 

 

 

 

確かに働き詰めだった世代にとっては、彼の言う”究極「引きこもり」の心性は理解し難いものかもしれません。

 

 

 

 

 

ですから、どうしても「引きこもり」は「悪い」ことだと考えてしまうのでしょう。

 

 

 

 

 

だれとも付き合わなくなって、人から見捨てられるようなことをしていていいわけがないというのです。

 

 

 

 

 

何もしようとせず、ひたすら日がな一日ぼんやりしているような生活がよいものであるわけがないというのでしょう。

 

 

 

 

 

人生には目的意識が必要だし、いつでも何かにチャレンジしていなければいけないという考えからすれば「引きこもり」をしている人たちはグータラで人生を投げてしまっているだらしない人に見えるのだと思います。

 

 

 

 

 

でも、ちょっと視点を変えてみれば、いろいろなものが見えてきます。

 

 

 

 

 

「引きこもり」をしている人は、「自分を傷つけたくない」だけではなく「他人を傷つけたくない」という優しさがあり、いまの自分に満足しているわけではなく、「自分をなんとかしたい」と考えているけれど、「何とかできないまま悶々として」いたり、飛び出してはみたものの、さらに大きな傷を負ってしまい、羽を休めている人もいたり、様々でした。

 

 

 

 

 

そして、”究極の「引きこもり」”を楽しんできたD君ですら、次のようなことを言ってくれたのです。

 

 

 

 

 

おもしろいことに、こうした自由さを楽しんでいたある日、自分が思いがけないことをしようとしていることに気づきました。

 

それは、この自由で安全な世界から出てみようとしているということでした。

 

 

 

 

 

自分でも、なぜそんなことを考えるのかよくわかりません。

 

 

 

 

 

「引きこもり」を始めてからもう4年が過ぎていました。

 

 

 

 

 

“普通の人”っていうんでしょうか、毎朝きちんと起きて学校に行ったり、お勤めに出たりする普通の人とは違いますが、ぼくはぼ

くなりにリズミカルに一日を過ごしていました。

 

 

 

 

 

お昼ごろに起きて食事をし、明け方になって寝るという生活をまさに”リズミカル”に繰り返していましたから。

 

 

 

 

 

そのぼくが、朝早起きをしようとしているのです。

 

 

 

 

 

どこかでは「こんなこといつまでもしているわけにはいかないな」と思っていたのでしょう。

 

 

 

 

 

自分ではそのことに気づきませんでした。

 

 

 

 

 

朝起きて、新聞を読んで、求人欄を見ている自分を発見した時には驚きでした。

 

 

 

 

 

「どうせ働けるわけないのに」とか「ようやく行ったとしても、すぐに辞めちゃうだろうし」などという言葉が頭のなかを駆け巡っては行きますが、でもまた新聞の求人欄に目がいっているのです。

 

 

 

 

 

そして、もっと驚くことが起こりました。職安に出かけたんです。

 

 

 

 

 

もちろんこれまでに職安に行ったことはありません。どんなところかもわからないままに、職安にでかけました。

 

 

 

 

 

職安の人は、思いがけなく親切でした、

 

 

 

 

 

学校に行けなくなったぼくのことを叱りもせず、また甘やかすのでもなく、脅すわけでもありませんでした。

 

 

 

 

 

ぼくは中学校時代に職員室を何度も訪ねましたが、こんな扱いを受けたことがありません。

 

 

 

 

 

先生たちは、まず、生徒がなにか悪いことをしようとしていると考えているのです。

 

 

 

 

 

だから、まずお説教です。生徒の話を聞く前に、まずお説教なのです。

 

 

 

 

 

職安の人は、そうではありませんでした。

 

 

 

 

 

まず話を聞いてくれて、そして何がやりたいのか、何ができそうかを聞いてくれました。

 

 

 

 

 

ぼくが少し思い上がって話をしても、聞いてくれました。

 

 

 

 

 

「まだ、いますぐにはできないと思うけど、そのうち力がつくし」と言ってくれました。

 

 

 

 

 

こんなに真剣に話を聞いてもらったことはありません。

 

 

 

 

 

両親だって、ぼくのことを自由にしてくれていましたけど、当り障りのない状態にしておいてくれていただけとも言えるのです。

 

 

 

 

 

ぼくは”こんな人もいるんだ”と目を開かれた思いがしました。だから、職安の人とぼくも真剣に話をしました。

 

 

 

 

 

D君は、職安の人に紹介を受けて仕事に就くことになったようです。

 

 

 

 

 

「働くということが初めてというばかりでなく、中学以来、一日のうちでかなり長い時間を人中で過ごすということも初めてでした」と言いながら、さらに次のような話をしてくれました。

 

 

 

 

 

仕事は大したことではありません。

 

 

 

 

 

使う走りみたいなことでしたけど、自分がしなければならないということがあるというだけでも不思議な体験でした。

 

 

 

 

 

いつでも自分はおまけみたいなもので、いてもいなくってもどうでもよかったからです。

 

 

 

 

 

もちろんまだ、自分がいなくては駄目だというような仕事があるわけではないのですが、それでも自分がしなければならないことがあるということが不思議でした。

 

 

 

 

 

職安の雰囲気も、決して甘いモノではありませんでしたが、冷たいこともなかったように思います。

 

 

 

 

 

やるべきことをやれば感謝もしてくれましたし、誉めてもくれました。

 

 

 

 

 

ぼくは、これまで感謝されたこともほとんどありませんでしたし、誉められたこともほとんどありませんでした。

 

 

 

 

 

親はよく誉めてくれたように思いますが、親が誉めるのはおだてのようで、あまりうれしいものではありません。

 

 

 

 

 

だから職場で誉められた時などは、本当にびっくりしました。

 

 

 

 

 

褒められるような事を本当にやったのだろうかと心配したほどです。

 

 

 

 

 

こんなとき、ときどき職安に行きました。あの人がいたからです。

 

 

 

 

 

いま考えると、職安のあの人がいたから自分は人を頼る気になったし、人から頼られる自分になれたと思うのです。

 

 

 

 

 

誰だって、冷たい人間関係の中に出ていきたがる人はいません。

 

 

 

 

 

人間関係が冷ややかだとわかっていたら、そこへ出て行くよりは自分の殻の中に入り込んでいます。

 

 

 

 

 

ぼくだってそうでした。だから「引きこもり」をしていたのです。

 

 

 

 

 

こう言いながら、D君が君は私の顔を不思議そうに見上げました。

 

 

 

 

 

「何か付いてる?」と冗談を飛ばしそうになりましたが、彼があまりにも真剣な顔をしているので言うのをためらったほどです。

 

 

 

 

 

彼は私の顔をじっと見ながら「ここにもいた」と小さな声でつぶやきました。

 

 

 

 

 

私が「何?」と聞き返すと、ちょっとためらいを見せながら「いえ、”ここにもいた”って言ったんです。ここにも話をよく聞いてくれる人がいたった感じたんです」と言いました。

 

 

 

 

“究極の「引きこもり」”をしていたD君も、真剣に話を聞いてくれる人を求めていたのでしょう。

 

 

 

 

 

だからこそ職安の職員の真剣さに反応できたのです。

 

 

 

 

 

「ぼくは”こんな人もいるんだ”と目を開かれた思いがしました。だから、職安の人とぼくも真剣に話をしました」というような言葉を発することができたのです。

 

 

 

 

 

「引きこもり」をしているということは、他人との交通を自分から遮断していることでもあるのですが、川をせき止めてダムを作っても鮎が上がれるようにわずかに「鮎道」が開いているように、こころの高い壁をつくって「引きこもり」をしている人でも、わずかに「鮎道」を開けていあることもあるのです。

 

 

 

 

 

また、こころの遮断機を下ろしている人でも、ときには恐る恐るその遮断機をあげて外の様子を見ることもあるのです。

 

 

 

 

 

ですから大切なのは、その人が僅かに見せる「鮎道」をしっかりと見つけることや、「恐る恐る遮断機を上げる」タイミングを計ることができるか否かだと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

D君が”究極の「引きこもり」”から生還したのも、彼が見せた細い「鮎道」をしっかりと見極めて働きかけてくれた職安の人がいたからだったといえます。

 

 

 

 

 

でも、D君自身も”究極の「引きこもり」”をしながら遮断機を上げるタイミングを見ていた節もありますから、阿吽の呼吸で「引きこもり」からの生還が計られたというべきかもしれません。

 

 

 

 

 

「安心できれば外を覗きたくなる」のは誰でも同じです。

 

 

 

 

 

“究極の「引きこもり」”をしていたD君も、やはり安心できる人と出会って、外を覗く気になったのでした。

 

 

 

 

 

そして、それだけでなく、とうとう「引きこもり」の世界から外の世界に飛び立っていったのです。

 

 

 

 

 

「安心できれば外を覗きたくなる」だけでなく、人は「安心が保証されれば外に出ていく」のです。

 

 

 

 

 

だから、「引きこもり」を始めたら、そのままずっと「引きこもり」を続けるのではないかと考えてはいけないのです。

 

 

 

 

 

確かにD君の「引きこもり」に病理性は見られませんでした。

 

 

 

 

 

でも彼の「引きこもり」は長く、またかなり重度でもあったのです。

 

 

 

 

 

その彼が「引きこもり」から生還したのは、彼が見せていた「鮎道」を発見した職安の人であったし、”職安に行ってみようかな”とふと思ったという「遮断機を恐る恐る上げた」D君自身であったように思います。

 

 

 

 

 

人は出会いによって変わります。誰とどのようなタイミングで出会うかによって人は変わっていくのです。

 

 

 

 

 

ところで、先ほどD君が「ここにもいた」という言葉をつぶやいたのを覚えていますか。

 

 

 

 

 

D君は私と話をしている時にこの言葉をつぶやいたのですが、D君のこのつぶやきを聞いた途端、私は以前にも、この「ここにもいた」という言葉を言われたことがあったなと思い出しました。

 

 

 

 

 

その言葉を吐いたのはEさんです。

 

 

 

 

 

Eさんとのおつきあいは、やはり「引きこもり」がきっかけですが、もうだいぶ前のことでした。

 

 

 

 

 

そのEさんの「引きこもり」についてお話しようと思います。

 

 

 

 

 

私が出会った時は、彼女は20歳で、もう5年ほど「引きこもり」をしていました。

 

 

 

 

 

Eさんが「引きこもり」を始めたのは、高校に入って間もなくでした。

 

 

 

 

 

中学の時にはクラスの人気者だったほど活発なお嬢さんだったEさんが、高校入試前にひょんなことから腕を負ってしまい、入試の時には右腕を吊って受験しました。

 

 

 

 

 

左手で精一杯解答を書いたといいますが、結果は不合格。

 

 

 

 

 

Eさんは、不合格になったことは自分が不注意だったから仕方がないのだと結論を出していました。

 

 

 

 

 

そうこうするうち、希望した高校ではないけれどはいることができ、自分もその気になって学校に通っていました。

 

 

 

 

 

クラブにも入って、自分では「結局落ち着く所へ落ち着いた」なと思っていたその時、担任の先生を囲むホームルームで、先生が「この学校に入ることを希望していなかった奴が、このクラスに居る」と言い出し、その生徒を当てさせるということをしました。

 

 

 

 

 

生徒はワイワイ言いながら、「誰だろう」と興味津々で話をしていましたが、同じ中学校からきていた人が話したのか、Eさんの顔をそれとなく盗み見るようにしてコソコソ話をし出しました。

 

 

 

 

 

このときのいきさつと、それを機会にEさんが学校に行くのをやめ、自宅に引きこもった話を聞いてみましょう。

 

 

 

 

 

みんなが「誰だろう」と興味津々でいたときはまだよかったんです。そのうち中学が同じだった同級生が何となくよそよそしい態度をとるようになって、どうも私のことを言っているらしいということがわかりました。

 

 

 

 

 

こうなると、同級生たちがみんなでよってたかって私の噂をしているように感じてしまいました。

 

 

 

 

 

噂して回っているその友達の態度を見ているうちに、「あ、もうこの学校と別れなければならなくなったかな」という思いが急に募ってきたのです。

 

 

 

 

 

確かに私は自分が希望した学校に入ったわけではありません。入りたかった高校は落ちてしまいましたから、仕方なくこの学校に来たのです。

 

 

 

 

 

でも、私は私なりにこの学校に馴染もうとしてきたつもりです。

 

 

 

 

 

入ったばかりだったし、まだ友人とも馴染みが薄かったので、他の人は同じ中学からきた物同士で遊んだり勉強を教え合ったりしていました。

 

 

 

 

 

でも私は、できるだけ他の中学から来た人ともつきあいましたし、クラブにも入ってみんなと仲良くしようとしてきたつもりです。

 

 

 

 

 

自分なりに工夫しながら学校生活を送り始めたと言ってもいいと思うのです。

 

 

 

 

 

そんなときに担任の先生が「このクラスに、この学校に入りたくなかったけど、来た奴がいる」というようなことを言ったのです。

 

 

 

 

 

この学校に来たくなかったというわけではないけれど、他の高校に行きたかったという思いはありましたから、担任の先生がこういう言い方をした時には、何となく私のことを名指しで言われたような気がしました。

 

 

 

 

 

でもよく考えると、私のクラスにも、私と同じような気持ちでこの学校に入った人もいたはずです。

 

 

 

 

 

いまから考えればそう言えるのですが、そのときは、自分だけが、入りたいとは思っていなかったこの学校に来たんだと思い込んでしまいました。

 

 

 

 

 

ようやく馴染み始めたと思っていたのに思いもかけないことを言われて動転し、すっかり気持ちが萎縮してしまい、間もなく学校へ行かなくなってしまったんです。

 

 

 

 

 

学校に行かなくなった私を見て、両親は教育相談所に駆け込んだようです。

 

 

 

 

 

教育相談所というのは、もともと小学校や中学校の生徒のことを相談するところらしくて、親はあまり話を聞いてもらえなかったようです。

 

 

 

 

 

でも、そこの人から「登校拒否なんだから、登校するように刺激してはいけない」と教えられてきたようで、私には学校へ行けというわけではないし、なぜ学校へ行きたくないのかということも聞いてはくれませんでした。

 

 

 

 

 

こうして私は、自分の部屋に閉じこもった生活を始めました。

 

 

 

 

 

本当は、両親から「なぜ学校へ行かないの」と聞いて欲しかったんです。聞いてくれれば、担任の先生のことも親に言えたと思います。

 

 

 

 

 

でも親たちはなんだかコソコソ話はしているようですが、面と向かってはさりげない様子で私に接するだけでした。

 

 

 

 

 

そのさりげない様子が何となくわざとらしく、とても嫌でした。

 

 

 

 

 

だからといって文句も言えないし、何となく悶々としていたのを覚えています。



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