フリーターについて
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フリーターについて

2016年05月19日(木)12:05 PM

フリーターと言う言葉の持つ概念、すくなくともその希望的側面としてのイデオロギーは、この言葉が創り出された当時の社会状況、ならびに当時の若者たちの心情と切り離しては、理解できません。

 

 

 

 

それはバブルの狂乱景気と不可分に結びついていました。一九八〇年代中期。一九六二年生まれの私は、ふつうなら大学を卒業して、就職する時期にさしかかっていました。

 

 

 

 

当時の日本はプラザ合意をうけて、国内需要の拡大に邁進しており、円高、株高、不動産高騰のバブル景気に突入していました。

 

 

 

 

それにつれて企業の含み資産は膨張し、高度経済成長以来の日本の右肩上がりの経済成長は、いよいよ拍車がかかると信じられていました。

 

 

 

 

物価も上昇したものの、国民所得も大きな伸びを示していました。労働需要もきわめて高く、空前の売り手市場だと、マスコミは伝えていました。

 

 

 

 

私の周囲でも景気のいい話が聞かれました。ひとりで上場企業の内定五社がふつうだとか、来春卒業予定の4年生のみならず、三年生にまで青田買いの勧誘があるといった噂が、頻りに聞こえてきました。

 

 

 

 

もっとも、あくまで噂であります。私は就職活動とは無縁の生活をしていたので、売り手市場の狂乱を自分で体験したわけではないです。

 

 

 

 

それでも当時の学生一般が享受していた「明るい現状」は、私も何となく体験していました。そういえば、「明るい・暗い」という二分法が流行したのも、あの頃のことでした。

 

 

 

 

いずれにせよ、その二分法の前提になっていたのは、「明るい」のを基本・正常・自然とし、「暗い」のは異常だとする価値観でありました。

 

 

 

 

当時、学生の知的生活基盤にも大きな変化が起きました。ニュー・アカデミズムと呼ばれる若手研究者の華やかな台頭です。戦後日本では、一貫して「古い」ものより「新しい」ものが評価されました。

 

 

 

 

人間もまた然りで、「若い」ことは何より価値あることのように見なされてきました。そんな風潮のなかで、唯一、例外的に年長者の権威が(形式としてではなく、本当に)生き残っていたのが職人ならびに知的活動の分野だったのだが、その知的活動の場にあっても、「若い」ことが、非常に価値のあることとして、評価を押し上げたのであります。

 

 

 

 

そのニュース・アカデミズムのホープのひとりだった浅田彰は『闘争論』(一九八四)の冒頭で、次のように書いていました。

 

 

 

 

男たちが逃げ出した。家庭から、あるいは女から。どっちにしたってステキじゃないか。女たちや子どもたちも、ヘタなひきとめ工作なんかしてる暇があったら、とり残されるより先に逃げたほうがいい。行先なんて知ったことか。とにかく、逃げろや逃げろ、どこまでも、です。

 

 

 

 

たしかにあの頃、新人類と呼ばれた若者たちは、寄生の社会通念を尊重する姿勢を持ていなかったし、そもそもそのようなものを持つべきだとも思っていなかったです。

 

 

 

 

といって、それらを革命的に破壊しようという明確な意図を持って活動した六〇年代や七〇年代の若者たちとも違っていました。

 

 

 

 

八〇年代の若者は、政治的党派性を嫌うというよりも、集団による行為自体を嫌っていました。だからたしかに、彼ら(われわれ)の行為は、「否定する」というよりも「逃げる」というのが正確でした。

 

 

 

 

男も女も、家庭から逃げようとしているばかりではなかったです。学生たちは、その前段階として会社に縛られることからも逃れようとしました。

 

 

 

 

ただし、お金は欲しかったのです。それでも「逃げる」ことに比重がいったのは、当時の若者にとって、就職口もプレイスポットも、知識さえもが、自分から探し求めるよりも前に、どこかから過剰に与えられるものとして、存在していたからです。

 

 

 

 

いつでも手にすることが出来るものに、何も今、しがみつく必要はなかったです。先に述べたように、当時は空前の売り手市場でした。

 

 

 

 

その結果、奇妙な現象が進行しました。教育学部や文学部の卒業生が商社に入り、理学部や工学部の出身者が銀行に勤めるという事態が起きたのであります。

 

 

 

 

大学で学んだことと、社会に出て就く仕事が、結びつかなくなったのです。以前から、日本の大学教育と企業社会の非連続性がいわれていたが、バブル期にそれは極限に達しました。

 

 

 

 

従来、大学受験の偏差値秩序の延長には、「この大学の卒業生なら、このクラスの企業に就職する」という連動性が、漠然と、しかし厳然と存在していました。

 

 

 

 

だがバブル期には相当に「上位」と目されていた企業への「下位」大学からの就職が増えていました。それ自体は、決して悪いことだとは思わないです。

 

 

 

 

しかし問題だったのは、そうした大学秩序の形骸化は、別に企業側が、学生個人の個性や能力を正確に判定するようになった結果ではなくて、単に上位企業ほど景気が良く、例年を上回る新入社員を採用した結果でしかなかったです。

 

 

 

 

従来の採用方法では、必要人数を確保できなかったので、取りあえずは人数合わせの採用が行われたというだけの話だったのです。

 

 

 

 

職務内容と無縁の学科を専攻した学生を採用したのも、以前なら採用しなかった大学に求人票を出したのも、人員確保のためだったのです。初任給の上昇率も高かったです。

 

 

 

こうしてあの頃、若者たちは、従来の常識から考えると破格ともいえる好条件で、企業に就職していったのです。

 

 

 

 

もっとも、学生にとっての好条件は、企業側にしてみれば、悪条件であるのです。あの時代の企業の人事担当者は、さぞや頭を抱えていたことでしょう。

 

 

 

 

このような状況下、急激に業績を伸ばしたのが、リクルート社だったのです。もともと同社は、一九七〇年に東大教育学部教育心理学科を卒業した江副浩正が興した、小さな広告会社だったのです。

 

 

 

 

それが八〇年代中期には、求人情報誌などにより、売上高五千億円を超え大企業になっていたのです。「フリーター」という言葉は、そのリクルート社の社員(当然、正規雇用者)が発案したものだったのです。

 

 

 

 

一九八七年にリクルート社の雑誌「フロム・エー」の編集長が、多様な生き方を模索している若者を応援したいという気持ちと、そういう若者の存在を雇用する会社側にもアピールする目的で命名したのだといいます。

 

 

 

 

フリーとアルバイターというふたつの言葉をつなぎ合わせて創作した「フリーター」という造語は、当初のニュアンスとしては、企業に就職(正規雇用)しないで、自分の時間を自分で管理し、自由を楽しみながら、アルバイトで経済的には自立する若者像を提示したものだったのです。

 

 

 

 

当時、リアルタイムで「フリーター」のイメージを受け取った若者として、その印象を述べると、それはニュー・エリートの提唱であり、若者特有の選良意識をくすぐるものだったのです。

 

 

 

 

明治の憧れの職業が「高級官僚」であり、昭和戦前期の憧れが「海軍士官」、高度経済成長期の憧れが「エリートサラリーマン」だったとすれば、バブル期の若者にとって「フリーター」こそは憧れだったのです。

 

 

 

 

いや、それは現実に存在していたのではなく、憧れるべきスタイルとして演出されて提示された、というべきかもしれません。フリーターを「企画」したリクルート社には、そういう意図はなかったのかもしれないが、受けての若者たちは、そのようなメッセージを感じました。

 

 

 

 

しかしフリーターが勤務時間を自由に設定でき、短時間に高収入を得られたというようなことは、現実にはあまりなかったようです。

 

 

 

 

また、あったとしても、それはあくまでバブル経済を反映した一過性・特殊例外的なものでした。若者にとっての「わが世の春」である求人過熱時代は、長くは続かなかったです。

 

 

 

 

バブル崩壊後は、どの企業も一変して採用者を縮小。さらには、バブル期に大量に採用した新人類社員は、不良債権なら不良社員視されて、きびしいリストラに晒されることになってしまいました。

 

 

 

 

もちろん、それ以上に過酷な状況に置かれたのは、非正規雇用者であります。こうして、フリーターの持つ社会的意味合いも、企業側にとっては、すっかり様変わりしてしまいました。

 

 

 

 

バブル経済期に誕生したフリーターは、豊かな社会だからこそ成立する、優雅なライフスタイルのはずでした。だが現実には、日本経済の停滞が続くなかで、フリーターは減るどころか急速に増え続けています。

 

 

 

 

労働者(当時)の統計によれば、フリーターという存在が社会的問題として認識されはじめた一九八二年、その人数はおよそ五十万人だったのです。それが一九八七年には七十九万人、一九九二年には百一万人、一九九七年には百五十万人と増加の一途をたどり、二〇〇三年には四百十七万人を突破したとの調査結果も出ています。

 

 

 

 

そもそも、こうした統計上で指し示されるフリーターとは、どのような人々を指しているのでしょうか。

 

 

 

 

厚生労働省による現在の定義によれば、フリーターとは「十五歳から三十四歳の、アルバイトかパートをしている者」とされています。

 

 

 

 

しかし、この定義は、窮余の策であって、その証拠にいくつもの但し書きがついています。たとえば、女性の場合は未婚者に限られ、男性では職歴一年以上五年未満に限定。さらに失業者の中で正社員ではなくパート、アルバイトを希望する者も含むとなっているのです。

 

 

 

 

そしてこの定義では、彼らの収入源については触れられていません。こうしてみるとフリーターは、単なる臨時労働者ではないことが分かります。

 

 

 

 

同じ現場で同じ仕事を、共にパート雇用でやっているにしても、フリーターは出稼ぎに来た季節労働者とは区別されるし、中年の日雇い労働者や主婦のパート従業員とも別の存在です。

 

 

 

 

その一方、現実には労働に従事していないパート求職者(フリーターと地続きの存在としてのプータロー、プー子)をもその内部に取り込んでいます。

 

 

 

 

厚生労働省による法律的な言葉で、フリーターの実態を説明するのは、実に難しいです。なぜなら、それは雇用統計ないしは経済統計のためのものであって、若者の「生き甲斐」を反映したものではないからです。

 

 

 

 

だがフリーターという言葉が誕生したとき、その言葉が指し示した生き方は、感覚的にはきわめて分かりやすく思われました。そしてあるイージーなイメージが、社会の側にも、またフリーター本人(さらには、その予備軍である若者)のあいだにも流布しています。

 

 

 

 

それは「自由を選択して、会社に縛られない若者」というイメージです。当初の生活エリート的なイメージは後退したものの、依然としてフリーターには、「可能性に賭ける」「かっこいい」イメージが残っています。

 

 

 

 

そのことが、フリーターに対する「対策」の遅れと現実的な「拡大」の、そもそもの原因であるように思われます。正社員の雇用が細ってゆく一方、フリーター需要は増大してきました。

 

 

 

 

厚生労働省の調査によれば、二〇〇二年九月末における来春卒業予定の就職希望高校生の就職内定率は、過去最低だった二〇〇一年をさらに下回り、三三・四%と、過去最低を更新しました。

 

 

 

 

このため、厚労省は、正規雇用の仕事に就くように指導してきた従来の方針を転換。求人倍率が極端に低い地域では、雇用拡大のために、契約社員やアルバイトなどの求人を開拓し、非正規雇用の職業紹介を実施する方針を決めました。

 

 

 

 

つまりフリーターの斡旋を、高校で行うことになったのであります。学校において卒業進路としてのフリーターの良し悪しを論ずる以前に、現実の厳しさから、否応なしにフリーターをも就職実績に加えることになりつつあるのです。

 

 

 

 

それでも、フリーターというコースがあればこそ、多くの若者がプータローにならずに済み、限定的ながらも「仕事」に就けるなら結構ではないか、との見方もあります。

 

 

 

 

しかし、それをもって、一概にフリーターのための社会環境が整ってきたとみることは出来ないです。デフレ環境のなかで、パートやアルバイトの時給は下がってきています。

 

 

 

 

さらにいうと、規制緩和で需要が伸びてきた「派遣社員」もまた、個々のフリータにとって、その生活の向上をもたらすとはいえません。

 

 

 

アメリカのワンコール・ワーカー同様、派遣社員の採否の主導権は、まず依頼企業(クライアント)が握っており、派遣会社と派遣社員の雇用関係も不安定です。

 

 

 

 

いわば、最初からリストラを前提とした雇用。その結果、フリータの存在は社会にとっても、フリーター本人にとっても、来るべき大きな悲劇の準備段階として、意識されています。

 

 

 

 

フリーターの最大の問題点は、彼らの抱えている問題が何であるのかが、彼ら自身にも社会の側にも、よく分からないという点にあります。

 

 

 

 

というのも、フリーターという括りのなかには、実にさまざまな異なる思想の持ち主、ときには極度に対立する価値観を持った人々が内包されているからです。

 

 

 

 

彼らのおかれている現状も、将来の目標も目標達成の可能性も千差万別なのです。そもそもフリーターというのは職業なのか、ライフスタイルなのか、イデオロギーなのか、それさえはっきりしません。

 

 

 

 

就職情報誌は、フリーターを職種のごとく扱って求人募集を出しているし、フリーターに直接尋ねると、その多くはこれを自分が選択したライフスタイルだと答えます。

 

 

 

 

そして就職情報誌を発行する会社の社員(正社員)や一部のコンサルタントはこれを現在の雇用システムに対する批判的イデオロギーの実践的表現だと、肯定的に評価したりします。

 

 

 

 

ただひとつはっきりしているのは、程度の違いこそあれ、当人も社会の側も、これを最終的な到達点とは考えていないということです。

 

 

 

 

フリーターを自分にあったライフスタイルと主張する人にしても、そのまま生涯、今の収入、今の職務内容で満足というわけではありません。

 

 

 

 

そのことは、多くのフリーターと話してみて、実感したところです。だが、それでもなかには「いい仕事がなければ、一生、フリーターでもいい」と語るフリーターもいました。

 

 

 

 

自立した個人ならば、自分の生き方は自分で決めればいい、と私は基本的に思っています。しかし、「自由」で「非・企業」的であるはずのフリーターは、そもそもはリクルート社という企業によって名付けられた存在だったのです。

 

 

 

 

その点を、フリーターを選択する者は、自覚しておいたほうがいいです。ここでフリーターを生んだリクルート社の事情を、想像してみたいです。

 

 

 

 

周知のとおりリクルート社は就職情報企業です。その企業にとって、雇用の流動化を促進する因子としてのフリーターは、ビジネス上有利な「物件」であります。

 

 

 

 

ひとりの人間が一生に一度しか就職しなければ、就職情報誌は一度しか必要ないです。だが、若者がフリーター化して年に数回職を変えるようになれば、生涯に週十冊の情報誌を手にすることになるからです。

 

 

 

 

就職情報誌にとって、その人が転職の度にキャリア・アップしてゆくか、それとも減収をよぎなくされるのかは分からないし、どちらでもいいです。

 

 

 

 

肝心なのは、回数が多ければそれだけ就職情報誌は売れるということです。証券会社が、顧客が儲かるか損をするか別にして、売り買いの回数が多ければ多いほど、手数料収入が上がるというのと同じ事情が、ここにあります。

 

 

 

 

別に私はリクルート社を非難しているわけではないです。非難する理由もないです。ここで述べているのは経済の原則であります。

 

 

 

 

証券会社が、自分の利益を確保した上で、顧客もまた利益を上げることを望んでいるように、リクルート社も、就職情報誌の売り上げ増大を追及する一方、その利用者である若者の幸福を願ってもいるに違いないです。

 

 

 

 

だが、優先順位はあくまで、自分の利益追求が上であることが「正しい」のである。就職情報産業は若者のためのボランティア団体ではないです。

 

 

 

 

あえてこのような当たり前のことを強調するのは、人間(ことに素直で純粋な若者)は、意識的に注意していないと、ついすべての状況を自分に都合よく解釈してしまいやすいからです。

 

 

 

 

だから私は、フリーターの問題を、なるべく意識的に考えたいし、フリーター自身にも意識的になってほしいと思います。

 

 

 

 

他人は、あなたのためには考えてくれないです。人は意識的にせよ無意識的にせよ、自分自身のために考え、行動します。

 

 

 

 

恋人だって、自分の愛のために行動するのであって、相手のために考え、行動するわけではありません。唯一の例外として、親子の情があるが、それとてもあなたが発揮するのは構わないし、そうあるべきだが、あなたが自分の親や子どもに対してそれを求めるのは間違っています。

 

 

 

 

愛情の発露は、与える側の自己決定によるものであり、受ける側の権利ではないです。これは人間不信の言葉ではなく、他者の許容のための言葉だと思っていただきたいです。

 

 

 

 

また、友人であれ家族であれ、あなたが困ってるときに、あなたが望むような援助の手を差し伸べてくれなかったとしても、「信じていたのに」という言葉だけは、発してはならないです。

 

 

 

 

もしその言葉が出かかったら、あなたは今の自分が、信じていた相手に、そんな信じられないことをせざるを得ないような負担をかけているのだと自覚するべきです。

 

 

 

 

自分が自分であるように、他人は他人でそれぞれの考えがあるのであります。自分の自由を尊重して欲しいと望むなら、同様に、他人の自由を尊重しなければならないです。

 

 

 

 

それが「自由」を選択する人間の、最低限の務めであり、立脚点であります。

 

 

 

 



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