不登校の面談
ホーム > 不登校の面談

不登校の面談

2016年03月25日(金)1:35 PM

息子の不登校に悩んで、関東自立就労支援センターに相談に通っていた母親がいました。

 

 

 

 

父親の転勤に伴い転校したあたりから、勉強はできなかったけれども闊達だった彼の歯車が狂いだしたということでした。

 

 

 

 

「友だちができない」「クソおもしろくない」「親のせいでこうなった」などのせりふをはき捨てるように言って、自室に閉じこもってしまいます。

 

 

 

 

彼の部屋から突然、大きな叫び声やうめき声が聞こえることもありました。くずかごにビリビリと破いたノートが捨ててあることもありました。

 

 

 

 

母親が彼の部屋に入ろうとすると、「入るな」と怒鳴り、壁を蹴る音が聞こえるようにもなりました。

 

 

 

 

「ごはんよ」と声をかけても「うるせー」の一声だけがむなしく聞こえるだけです。

 

 

 

 

暴言や暴力が次第に激しくなり、びくびくした日々を送るようになっていました。

 

 

 

 

そして、いつしか中学を卒業していました。母親との心理面接を続けていくうちに、緊迫した母子の関係がやわらいできました。

 

 

 

 

具体的にはどのように彼と接するかを母親と相談しながら、メモ書きからはじまる関係性の調整をしていきました。

 

 

 

 

それは綿々とした親非難のストーリーでした。嫌いな勉強を無理やりつめこまされていやだったこと、出来が悪いといわれて傷ついたこと、新しい学校はみんなが受験勉強に必死で、勉強の不出来をクラスメートに馬鹿にされ、傷ついたこと、転校さえしなければ楽しいよい環境にいられたのに・・・・等々です。

 

 

 

 

母親は次第に、彼に良かれと思ってやってきたことが、結局は親の先走りにすぎなかったということを思うようになってきました。

 

 

 

 

そんなある日の面接で、母親から彼が「僕は、これまでえものすごく傷ついた。だから、これからは楽しいことだけをして生きていくんだ」といい、自分も「そうね。そうしようね」と同意したというエピソードが語られました。

 

 

 

 

これを聞いてわたしは、「確かにお母さんが今、そういう気持ちになるのは、わかる気がします。

 

 

 

 

お母さんは、これまでのことを心から悔いておられるものです。でも、お母さんはこれまで生きてきて楽しいことばかりでしたか?(母親は首を横に振ります)

 

 

 

 

苦しいことのほうがずっと多かったのではないでしょうか?」(お母さんは首を縦に振ります)

 

 

 

 

お母さんは彼に対して、親としてうまく対応できなかった分について、できる限りつぐないたいと考えています。

 

 

 

 

話を聞いて少しでも彼の気持ちをわかろうとしているのは、そういうことです。だから、今の彼は以前の彼と比べて、精神的に安定してきているように思えます。

 

 

 

 

お母さんとの関係もよくなってきています。でも、どれだけがんばっても、最終的には親は子どもの人生をかわってあげることはできません。

 

 

 

 

親は完全にはつぐなえないのです。また、つぐなえばよいというものでもないでしょう。

 

 

 

 

親にできることは、彼に今後ずっと楽しいことをさせてあげることでななく、本人が選択した道を歩んでいく過程で起こってくることを一緒に考えながら、困ったことが起こったらそれを解決していくことを見守ることではないでしょうか。

 

 

 

 

彼が高校を卒業したら卒業した道、中退したら中退した道が待っています。そのどちらがよいかは、結局はわからないのです。

 

 

 

 

結局は自分で自分の人生引き受けていくしかないんだ、ということをいつか彼に伝えなくてはならないようにわたしには思えます。

 

 

 

 

でもその現実を受け止めるのは、彼にはつらいことでしょう。これまでのように、苦しくてもうらみごとをいっているほうが、まだましですもの」と、ここでもまた、にべもないことをいったものでした。

 

 

 

 

母親はわたしのはなしを聞いて、確かにその通りだと思ったそうです。でもそれは苦しいことです。

 

 

 

 

それをいつ、どのようなかたちで息子に伝えようかと迷っていたあるとき、その「とき」がきました。

 

 

 

 

「自然に口をついて出てきてしまったのです」とは母親の弁です。彼は黙って聞き、そして次にその部屋にあるガラス窓や食器をすべて叩き割り、自分の部屋にこもってしまいました。

 

 

 

 

彼女はそのばらばらになった食器類の破片を見ながら、まるで自分がそれまでの彼をばらばらにしてしまったように感じ、涙を浮かべながらひとりで黙ってそれを片付けたそうです。

 

 

 

 

それからの彼は、久しぶりに篭城に入り、数週間というもの、まったく姿を現しませんでした。

 

 

 

 

そしてある日、家族全員が居間にそろっているときに出てき一言、「母さん、僕やっぱり高校に行くよ」と言ったということでした。

 

 

 

 

そしてそれ以降、親の声賭けにも普通に反応し、それまでかかわりの途絶えていた父親とも、簡単な会話をするように変わったそうです。

 

 

 

 

母親の告げた現実を思い切り蹴飛ばし、暴れ、体当たりで拒否しながら仕方なく受け入れる覚悟をした彼の姿が、そこにはありました。

 

 

 

 

もちろんこのような助言をする前に、わたしとその相手との間に長い時間がたっており、その間に信頼関係が育っており、その関係を基盤に語っているという前提があります。

 

 

 

 

とはいえ、このケースでわたしがしたことは、結局のところ、「引導をわたす」ということだったように思います。

 

 

 

 

もちろん「引導」という言葉を自分でイメージするくらいなのですから、それをいうわたし自身にとっても間違いなく、この体験は苦しくつらいのです。

 

 

 

 

けっして喜んでやってはいません。できることなら逃げて、やさしいことだけを言っているほうがあたたかいカウンセラーでいられます。

 

 

 

 

さらには先のわたしのような語りは、一歩間違えば、相手を心理的に殺しかねません。

 

 

 

 

どれほど毒のある言葉であるか、ということを誰よりもわたし自身、わかっているつもりです。

 

 

 

 

いわれている相手と同様、言いながら私自身も深く傷ついています。でも、あえてそれを言うのは、親や大人が子どもに、はれものにさわるような関わりかたをしている限り、子どもは厳しい現実を受け止めることはできない、と考えるからです。

 

 

 

 

言い方を替えれば、子どもに腹をくくらせるために、支援者としてわたしのほうがまず、先に腹をくくったということになるのだろうと思います。

 

 

 

 

子どもが自分の生をありのまま引き受けて生きようとするということは、たいへんなことです。

 

 

 

 

ひきこもった子どもたちは、ただでさえ、通常のルートからそれていますし、時間も余分にかかっています。

 

 

 

 

しかしそれを誰かのせいにしている限り、たとえそうだったとしても、先の見通しは立ってきません。

 

 

 

 

どれだけ他の人と違う歩みになったとしても、どこかで自分の行き方としてそれを引き受けていかなければならないのです。

 

 

 

 

それは、しっかりとそれまでの自分に絶望しぬくことによって、等身大の自分を受け入れることができる、ということなのかもしれません。

 

 

 

 

ひきこもりの若者たちのインタビューのなかにも、十年間ひきこもりを続け、自殺しようとしたけれども自分は自殺できない、と思ったところからひきこもりをやめた、というケースが掲載されていました(私がひきこもった理由・田辺裕・ブックマン社)。

 

 

 

 

ある意味で悟りの境地だろう、と読んでいて感じました。しかし先にも書いたように、自分の基本的なところが育っていない場合には、それはいっそう困難だろう、とも思っています。

 

 

 

 

徹底的に自分を追い詰め、本当の崖っぷちにたったとき、人ははじめて自分の生を受け入れ、歩み始めることができます。

 

 

 

 

それは言ってみれば「あきらめる」ということです。どうしようもないと徹底的にあきらめ、引き受けるという人生の受容です。

 

 

 

 

絶望の受容と言ってもよいかもしれません。そしてその境地にたどりついたときはじめて、逆に与えられえた運命や人生を主体的・積極的に生きようとする軸に転換させることができるのです。

 

 

 

 

そしてそれは負けではないのです。このような「あきらめる」という心性は、わたしたち日本人には古来からなじみのある、自然な無意識の流れに沿う知恵であり工夫であると、わたしは考えています。

 

 

 

 

しかし、それはなかなか困難です。わたしたちは苦しいから中途半端にしか傷つくことができません。

 

 

 

 

だから中途半端にしかあきらめられない・・・・でもそれが人間の弱さというものです。

 

 

 

 

生きることは誰かを傷つけること、誰かに傷つけられることです。それを引き受けるのにはそれなりの覚悟がいります。

 

 

 

 

子どもを何とかしよう、とするのであれば、まずその前にわたしたちおとなが現実から逃げないこと、ごまかして生きようとしないことでしょうか。

 

 

 

 

それなくして、子どもが現実を受け入れることなど、できるものではありません。

 

 

 

 

しっかりと傷つかずに中途半端な状態にいる親と子に、現実をしっかりとつきつけ、しっかりと傷ついてもらう・・・・それによってよい方向に導いていく・・・・そんな役回りが、支援者としてのわたしのしようとしていることなのかもしれません。



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援