学校不適応(不登校)とひきこもり
ホーム > 学校不適応(不登校)とひきこもり

学校不適応(不登校)とひきこもり

2020年11月08日(日)4:47 PM

 

 

 

 

 

今、子供達は変わり始めています。児童思春期の支援現場からは以下のような変化を強く感じています。不登校においては、誰にも繋がることなく、学校にも通わず、そのことも悩まず淡々としている子供たちが増加しています。また、なんとなく休み始めますが、また、なんとなく通い始める軽症型とも呼べる子供たちも増加しています。自分中心でないと人との関係が我慢できないとか、元気に振る舞うけれど学校にはいけないとか、自分の期待した関係や評価が得られないと傷つき、ひきこもるような子供たちの増加が目立ってきています。

 

 

 

教育現場においては、落ち着かない子供たちが増えています。子供たちの衝動や、不快な感情をコントロールする力が全般的に落ちてきているようにも感じられます。また、微妙な感情を感じ取れない、あるいは、感じ取らないようにしているような子供も多く、一見鈍そうでいながら傷つきやすい傾向を示します。一方で、子供たちに対する対応も多様化してきています。適応指導教室、フリースペース、フリースクール、サポート校などが増加するとともに、急速にスクールカウンセラーの設置が進み、教育現場においても新たな試みが始まっています。

 

 

 

子供達は、このような新たな状況の中で、自分の方向性を迷いながら模索しています。今、子供達は悩みの様相を変えつつあり、その対応も新たな局面を迎えつつあります。それゆえ、このような子供達の変化やその背後にある問題点を明確にするとともに、手探りで行われているさまざまな対応の問題点についても明確にする必要が生じています。

 

 

 

 

 

ひきこもりあるいは不登校         ~子供達の新たな動向~

 

 

 

 

ひきこもりあるいは不登校においては、テンポが早く一方的に子供のすることを決めてしまったり、不安が強いために子どもに任せておけず何かと干渉してしまったり、不安に巻き込んでしまったり、教育熱心なために強制的に勉強中心の生活を子供にしいてしまう親(主に母親)などとの関係の中で、受け身的な生き方になり、全般的な抑制傾向の中で自律性・主体性を育てられず学童期・思春期に至って「ひきこもり」はじめる子供達は相変わらず多いようです。

 

 

 

しかし一方で、このような従来型(分離不安型・優等生の息切れ型あるいは「いい子」の混乱と言われてきたもの)の不登校の子供達とは異なるタイプのひきこもりあるいは不登校の子供たちが増えてきています。以下に、特徴的なタイプについて述べてみようと思います。

 

 

 

(1)浮遊タイプの増加

 

 

 

 

最近増加しているのがこのタイプです。一言で言えば、親子の必要なコミュニケーションがほとんど成立していないことが要因となっていることが多いです。このようなケースの場合、親はそれなりに世話はしていますが、共稼ぎで仕事に追われて情緒的な関わりがほとんどないとか、母子家庭で二人きりなのに、その二人の間ですらほとんど会話がないとか、親が独特の価値基準や美意識を持っていて、そちらに関心が向いているため子供の気持ちを受け止める姿勢がないとか、あるいは母親自身が不安を強く否認しているために、情緒的な関係が不十分となり子供も自分の気持ちを感じにくくなっているなどの家族状況がしばしば見出されます。

 

 

 

子供は何となく登校していたのですが、どこか関係性に問題があるために浮いてしまったり、いじめられたりするのをきっかけに休むようになります。あるいは中学・高校のある時点でなんとなく休み出すこともあります。しかし、休むことを悩むことが少なく(感情が否認されているためとも考えられますが)、なんとなくぶらぶら過ごすようになります。

 

 

 

このタイプの場合、親も子供の不登校をあまり心配しなかったり、なんとか登校させなくてはという気持ちを抱くことは比較的少ない(ここでも不安が否認されている可能性があります)。相談のための面接には親もそれなりに通ってきたりそれなりに通ってきたり、子供を通わせたりもしますが、どこか手応えのなさを感じさせます。子供本人の支援においても、支援者との関係性がなかなか成立しないことが特徴的です。

 

 

 

働きかけを拒否することもありませんが、楽しんでいることもなくなんとなく付き合ってるという雰囲気です。子供のプレイセラピーにおいても、一緒に遊んでいるという実感が持てません。子供はほとんど一人遊びをしているか、一緒にゲームをしても対決しているとか共に楽しんでいるという様子はなく、終われば何の考えもなく別な遊びに移ります。行為が断片化していて本当に遊びになっていません。

 

 

 

そして、存在そのものがどこかふわふわしていてとらえどころがありません(それゆえ、浮遊タイプとしました。しばしば軽い肥満などをともない、ふわふわしている印象と相まってトトロのような可愛らしい雰囲気の子であることが多いです)。しかし、どこかで敏感に他者との距離を保っている様子でもあります。時に彼らはテレビゲームやアニメやロックミュージックに極めて造詣が深いことがあり、面接やプレイセラピーの場面で、支援者の前でこの種の話題を話す子どもも多いですし、一人歌い続けたりもしますが、そのことで関係が深まったり、次の回のセラピーにつながることはあまりありません。

 

 

 

つまり、内的な発展性がありません。ただ、自分一人の心の世界の中に知識や感情があふれているという印象を受けます。人間臭さや深みはありませんが、それでいて妙に豊かな世界の中に漂っているような状態です。言い換えれば、彼らには人間的な関係の希薄さの外側に豊富なバーチャル的な世界が覆いかぶさっているという印象を抱かされるのです。最近、教育相談所などに頼まれて勉強会に参加すると、「困ったケース」として提出されるのも、このようなタイプが多いです。

 

 

 

 

(2)一見すると元気なタイプ

 

 

 

 

従来型の不登校の子供達と比べると、面接においても遊び場面においても元気でテキパキしているという印象を与えます。表情も豊かで、好きな世界もあり、エネルギーの高さも感じられます。特にアニメや音楽関係やコンピュータ関係などには素晴らしい造詣の深さを見せることも多々あります。ただ、自分中心に周囲が動いてくれないことがひどくストレスに感じるようであったり、「ここで頑張れば」という場面で引いてしまったり投げやりになる傾向があったり、思い通りにならないとすぐにしらけたり、その場を避けたりします。しかし、気に入れば熱心に参加します。

 

 

 

それゆえ、学校などで先生や対人関係や成績などで気に入らない状況が生じるとズルズルと休み始めますが、気に入った友人とは遊んだりして完全にひきこもることは少ないです。そして、何らかの変化で学校が少しでも気に入った状況になると、なんとなく登校するようになることもあります。従来型のような全般的な抑制傾向が少ないという意味では軽症ですが、相互的な関係性や気に入らない体験への耐性の弱さ(気まぐれさとも言えようか)という点では問題の根は深いとも言えます。

 

 

 

また、親に隅々まできめ細やかな配慮をされてきて、人間関係とはそういうものという思い込みがあって、他者にも配慮し配慮される関係が同年輩者間の葛藤で崩れて混乱した結果、ひきこもるタイプも表面的には元気です。しかし、元気そうですが他者との距離を敏感にはかっている様子がしばしば見受けられます。

 

 

 

 

(3)自分からは対人関係を積極的には求められない、あるいは作れないタイプ

 

 

 

 

一対一の面接ではかなり元気に話もし、それなりに学校にも登校したりしていますが、自分のほうから話しかけたり、関係性を作る力あるいは意欲が弱いために、誰とも関係性のない宙ぶらりんの状態のまま、苦しみながらなんとか過ごしている子供たちが増えています。特に高校生や大学生に多い傾向があります。完全に不登校状態にあるというよりも半不登校状態であることが多いです。

 

 

 

他者といると緊張するため対人恐怖的な色彩をともないますが、いわゆる狭義の対人恐怖症のような緊迫感や強迫性はなく、他人任せというか「受け身性」が高いです。言い換えれば、働きかけられれば元気でいられるのが特徴とも言えます。本人もそのあたりは自覚していて、自分からは働きかけられないからどうにもならないなどと訴えることが多いです。

 

 

 

 

(4)フリースクール症候群

 

 

 

 

この呼び名は適切ではないかもしれませんが、ある有名フリースクールに長期通っていた子供が自分で名付けていたので、あえてこのように呼ぶことにします。不登校からの脱出のために長期に何らかのフリースクールあるいはフリースペースあるいは適応指導教室に通っていたため、そのような守られた環境においては、あるいは自由が保証されている環境ならば、人と付き合えるし、それなりに元気に過ごすことができますが、なかなかそのような状況から卒業できずに高齢化してしまった子供達が増えています。

 

 

 

彼らはひきこもることはなく、それなりに元気に過ごしていますし、対人関係もこなしています。多くの子は、素直でとてもナイーブで傷つきやすく、ある範囲以上には出ようとはしません。なんとか自分の世界を守ることはできますが、外海に働きかけていく、あるいは多少ともストレスのともなう環境に入っていく力が備わっていないという印象を抱かせます。

 

 

 

このような傾向がもともとの性格傾向なのか、長期にフリースクールのような環境に過ごして、何らかの必要な対応がなされなかったために生じた傾向なのか定かではありませんが、ただ、通うだけで何ら対人関係的な働きかけもなく、自由なカリキュラムの中で黙々と勉強だけこなしで過ごすような質の悪いフリースクールや適応指導教室(内容の充実したフリースクールや教室もたくさん存在しますが)に長期に通うことは、マイナス面もあり得ることを臨床家や教育者や支援者は反省すべき時期が来たように思います。

 

 

 

どこかに通っていると親も教師もなんとなく安心してしまう傾向がありますが、何らかの中間的施設に通わせていることが本当に本人のプラスになっているか否かは慎重に検討すべきだと感じています。ただ、この問題は内容の充実したフリースクールなどにも生じているようなので、このような施設のスタッフが集まって問題点を検討すべき時期にきているように思います。

 

 

 

 

(5)スキゾイド化

 

 

 

 

ひきこもりという場合、実際に家に閉じこもることもありますが、外には出かけるし対人関係はそれなりにこなしていますが、心を閉ざしているという意味の病理を意味する場合もあります。精神分析、特にイギリス対象関係論におけるスキゾイド論は後者を意味します。いわゆる「非精神病性のひきこもり」と呼ばれる病態です。

 

 

 

浮遊タイプの一部や元気な不登校の子供の中には、このように心を閉ざしたまま何とか外出している、あるいは心を閉ざせるからなんとか出かけられている子供たちが増えつつあるようにも感じています。子供たちのスキゾイド化が進んでいるのかもしれません。彼らにとって外界は異様に恐い世界に見え、他者は馴染みのない不気味な存在として映っていることがあります。子供達はそのような恐怖感を否認し、心を閉ざしながら漂い始めています。

 

 

 

 

学校不適応の新たな動向

 

 

 

 

多彩な身体症状を訴える子供たち(頭痛が最も多いという報告もありますが、吐き気やむかつきが多くなっているように感じています)や強迫的な子供達は依然として多数存在しています。しかし、なんと言っても最近の学校で問題となるのは、いわゆる多動性障害(以下ADHD)と呼ばれる「落ち着かない子」と学習障害(以下LD)の子あるいはそれらの傾向のある子供達の問題でしょう。

 

 

 

実際には、ADHDなのかLDなのか対人関係障害なのか情緒的な問題なのかよくわからないような子供たちが増えているという印象も抱いています(元来、これらの境界は曖昧です。特にADHDとLDとは微細脳機能不全を二つのカテゴリーに分けたものですし、ADHDの子供の90%に学習面での障害があり、LDの子供の40%にADHDが合併するという報告もあります)。

 

 

 

不登校について述べた「浮遊タイプ」にも、しばしば落ち着かない傾向があったり、軽度の学習障害や知的障害をともなっていることも多く、これらの境界を明確にすることにはしばしば困難を感じます。そのため、診断的な問題はとりあえず置いておくことにして、私が直接あるいは間接的に出会った学習障害的な側面や落ち着かない傾向を持つ子供たちについて感じていることを述べてみたいと思います。

 

 

 

 

(1)学習障害的な子供

 

 

 

 

幼児期・学童期の子供たちについての相談においては、当初は登園できないとか、いじめられるなどのことで親御さんが相談にみえますが、本人に会ってみると、表情が乏しかったり、動きが鈍かったり、勉強のいくつかの領域あるいは一つに特に遅れがあったり(この場合、LDの診断が下されやすくなります)、単に緊張しているからというだけではなく応答にズレがあったり鈍かったり、理解がひどく遅かったり、部分的な理解はできても全体の文脈がつかめなかったり、どこかぼんやりしているなど単に学校や幼稚園などの状況の問題ではなく、本人や家族に問題の要因がありそうだという印象を抱かされる子供たちが急増しています。

 

 

 

この場合、養育環境を調べると、例えば、離婚していて母子二人だけの生活であり、しかも、母親は仕事で多忙のためにあちこちに預けられ、情緒的な交流がほとんどなかったとか、父親に暴力を振るわれないように、母親が子供を極力泣かせないようにしたため、本人は我慢ばかりをさせられてきたとか、母親自身がいろいろ問題を抱えていて子供にしっかりと関われないできたというような養育環境であったことが多いです(無論環境に問題がなさそうなケースもありました)。

 

 

 

もちろん中枢神経系の機能的な問題の可能性もありますが、一方でこのような環境にあれば、さまざまな機能が脱落しかねず、学校のような複雑な対人世界に入っていくことに困難を感じるのも致し方ないようにも思われます。現に、支援的な関わりの中で親や支援者との関係が安定してきて、自分のペースで生きられるようになると表情も一変し感情表現も豊かになり、さまざまな機能が改善してくるケースも多いです。

 

 

 

 

(2)落ち着かない子供たち

 

 

 

 

ADHDの子供たちには何らかの中枢神経系の障害が想定されていて、メチルフェニデートなどの薬物療法が効果を示すこともあります(70%に有効という報告もあります)。しかし一方で、上記のLD的な子供に見出されるような劣悪な養育環境もしばしば見出されます。特に、親からの暴力にさらされていたり、暴力はなくても精神的な攻撃を受けていたり、家族メンバー間に争いが絶えなかったり、あまりに忙しい両親のテンポに必死についていかざるをえなかったり、親自身が衝動的であったり全体を見つめる力が弱くて、問題が起きるとやたらと動き回るという傾向があったりなど、落ち着いた安らげる雰囲気や親子関係が家庭に欠けている場合も多いです。

 

 

 

そのため、ゆったりと全体を見回す力や、働きかけた結果を検討し状況に則して働きかけなおす力などは落ちている一方で、ある部分にはひどく刺激されすぎたり、感覚的に感じ取ったり、衝動的に反応する側面はコントロールの効かないほどに強化されているという印象を受けます。幼児期であればあるほど、親への働きかけなどで、家庭に落ち着いた雰囲気や安定した関係が支援者と形成されていくと、かなりの程度改善されて落ち着いていくことも多いです。

 

 

 

それゆえ、ADHDにおいて心理社会的な要因が原因として働いているという十分なデータはありませんが、支援的にはある程度の要因になっていると考えた方が良さそうです。このような子供たちに共通しているのは、全体を把握する力が弱く、さまざまな機能がバランスよく発達していないこと、相互的で多様性や柔軟性のある対人関係形成能力あるいは外界そのものとの関係形成能力が低下していること、衝動的に反応できても感情的には反応しにくく部分的・個別的なものに強く反応することなどでしょう。

 

 

 

 

子供たちにどう対応すべきか

 

 

 

 

(1)「向かい合う支援」の問題点

 

 

 

 

フロイト以来、心理療法といえば、一対一の面接が中心であり、今もそれが主流となっています。しかし、親に必要以上に干渉されたり、密着しすぎたためにひきこもっている子供や、親とのコミュニケーションに強い不快感や恐怖感を抱いているためにひきこもった子供や、学校や塾で次々と課題を与えられたり、いじめられて対人関係に辟易しているためにひきこもっている子供にとっては、向かい合う支援者が、自分の気持ちをうかがったり何らかの介入をしてくるという支援関係そのものが辛くなる可能性が高いです。

 

 

 

現に支援者と支援を受ける側の関係のあいだに起きる現象を扱おうとする精神分析的なアプローチは、子供たちには負担になるでしょうし、こうした関係からは支援的発展は望めないように感じています。このことが、ひきこもりの支援において、イギリス対象関係論を中心に多くの議論はなされてきましたが、精神分析が効果的な方法を提示できなかった要因となっているように思います。

 

 

 

このような不快な密着関係からひきこもっている子供には、「横並び」の関係が合うように感じています。それは箱庭療法やプレイセラピーなどの関係に近いものです。向かい合って子供の心そのものを対象とするのではなく、何か両者の間に介在物があって、その介在物に両者が並行関係で関わります。そうすることで子どもは相手との密着関係に窒息することなく、しかも、自分の気持ちに沿って関係の向きをより直接的な向かい合いに変えることもできるような関係です。つまり、関係の質を子供の側が選択できるような関係といってもいいです。

 

 

 

実際の親子関係においても、乳飲み子ですら、子供の側は飲むという自分の目的に関わりながら自分の必要性に応じて母親をじっと見つめるという関係が自然なのではないでしょうか。その後の発展においても、向かい合うか横並びになるかは子供の側に選択権があって初めて関係を安心して求められるようにも思います。当然、支援においてもこのような関係の自由性が必要となります。

 

 

 

浮遊タイプのような関係の形成不全状態にある子供たちについても、急激に関係形成を迫る、あるいは転移であれ共感であれ、関係性そのものを支援の中心におくような関わりは、彼らを不安にさせるように感じています。おそらく彼らにとって、直接的な関係性を求められることは初めてであり、「向かい合う」こと自体が無気味な体験になるのではないかと想像します。彼らには、彼らなりに作ってきた安全な心の領域あるいは心的空間を保証する必要があるようです。

 

 

 

時に「横並びの関係」ですら嫌がります。そして、このような心的な空間にこちら側から入り込まないようにしていると、時折、少しずつ関係に繋がるような情緒的な何かがメッセージとして送られることがあり、支援者はその時にそれを見逃さず、共感的に受け取り、焦らず、可能な範囲で膨らませることが何よりも大切です。このようなきめ細やかな対応によって彼らは少しずつ、関係性を築いていけるようになります。

 

 

 

 

(2)今、望まれる支援

 

 

 

 

密着関係からひきこもっているのであれ、関係形成不全から浮遊しているのであれ、彼らの支援においてはまず何よりも家族メンバー間に存在する病理性への対応が必要となります。この点は教育相談所などの施設で積極的な支援がなされています。次に本人に対して必要なのは、当初は従来型の「向かい合う」支援関係ではなく、「横並び」の関係の中で、彼ら自身が関係性を選択できる支援関係であり、また、彼らの心的空間を保証しつつ、彼らの内発的な興味を刺激しながら、その活動のそばに安心できる他者がいて必要に応じて反応してくれるような支援環境です。

 

 

 

支援者としては、素人の大学生がメンタルフレンドとして子供と付き合うことで良い結果が得られるのは、このような関係性が形成された時だと考えています。そして、安心した関係性が形成された後は、さまざまな活動の中でさまざまな他者との関係、とりわけ同年輩者間の関係の中で自分を失わないで付き合え楽しめる力が養われることであり、最終的に社会への参入を援助できる支援環境です。

 

 

 

ひきこもり、不登校の支援においては以上のような条件を満たす支援環境が必要であり、そのひとつの答えがフリースクールあるいは適応指導教室のような施設でしょう(しかし、前述のような条件に近い施設もあれば、まだまだ内容のお粗末な施設も多いようです)。その場合には、基本的に自分を見守ってくれる支援者あるいは担当者がいて、「横並び」であったり、本人が必要とすれば、「向かい合う」関係の中で出会いながら、それぞれの子供の様子を丁寧に感じ取りながら、その時々の必要な働きかけがなされるような環境が必要です。

 

 

 

また、さまざまな年齢層の参加者やスタッフがいてさまざまな活動が並行して進んでいて、子供の側から参加するものが選べ、対人関係の質、レベルと共に少しずつステップアップしていけるような支援環境が用意されていることが望ましいでしょう。私自身、このようなフリースペースを主催していますが、やはり、一対一の支援法しか提供できなかったときと比較すると、格段に子供たちが立ち直っていくように感じています。

 

 

 

 

学校不適応とひきこもりの背後にあるもの     ~子供達の悲劇~

 

 

 

 

一昔前の悲劇は、「食べるものがない」「学校に行く金銭的余裕がない」「世の中のしきたりに縛られる」など、自分の生きようという方向性が何らかの不足状況や、閉塞状況によって押しつぶされるというものがほとんどでした。そのため、生きる意欲や願望が押しつぶされそうではあっても、生きる意欲そのものはいっそう強化され、食べ物はなくとも(あるいはないからこそ)その目は生命力に輝き、自分の望む生き方を達成しようという意欲にあふれていたとも言えます。

 

 

 

今の子供たちの悲劇はどのようなものでしょうか。一つは、「お前のためだよ」という親からの過剰なかかわり(愛情・感心・先取り的心配)のために、自分の内発的な欲求を感じられない悲劇であり、自分の内発的な欲求に沿って生きることを身につけられない悲劇です。言い換えれば、自分の求めるものとは別のものや、求める以上のものを与え続けられる悲劇とも言えます。この悲劇こそ「自分感覚を失う」というこれまでにはない悲劇です。

 

 

 

そして、安定してきた社会ゆえに社会システムが硬直化し、いっそう彼らの自発的・内発的な生き方が困難となり、彼らは豊かで自由であるような状況に置かれながら生きている、あるいはこのように生きたいという強い生命観を失っていくという悲劇に陥ります。今一つの悲劇は、対人関係において多様性が低下したことです。少子化と核家族化と村社会の崩壊とがこの現象を引き起こしています。

 

 

 

家の中に三世代が同居し同胞が数多くいれば、母親に嫌われても祖母に可愛がられたり、兄に喧嘩で負けても弟には勝てる、頑固な父親に一方的に叱られても優しい姉に慰められるという多様な対人関係を通じて(いわば「群れ」の関係を通じて)、自分のさまざまなイメージを体験的に確認できるとともに、全体を見回したり、全体の中の自分を意識できたり、さまざまな対人関係スキルを身に付けられる状況が存在しえました。

 

 

 

しかし、今の子供達は圧倒的に一人っ子、二人っ子が多いです。しかも、父親が不在がちであるうえに、外に子供の遊ぶ空間すら失われて群れることができません。そうなれば、母親と向かい合うただ一人の子供、あるいはせいぜい二人の子供という状況とならざるをえません。彼らが「群れ」のなかで手応えのある多様な対人関係を幼児期に体験することは難しいです。

 

 

 

このような状況下では、親と密着状態になるか、その親とも充分な関係が形成しえなかった場合、それを補う人はなく、誰とも関係が保てないまま子供は立ち尽くすことになります。しかも、多少とも母親にゆがんだ面があったり、子供とのコミュニケーション能力や感情を感じ取る力に弱い面があると、それを補う人は存在せず、直接、子供に伝達されたり、影響を及ぼすこととなります。

 

 

 

自分の強い生命力を感じることもできず、飢餓感も感じることもなく、内発的な生き方もできず、対人関係も形成できず、さまざまな機能もいびつになり、孤立し、目的もないまま、子供達は浮遊し始めているのです。そして、そのように手応えのない子供達の周りにバーチャルな体験や体験とは関係のない情報だけはあふれています。そのような問題を抱えながら子供達はひきこもったり、学校や臨床の場に現れてきます。

 

 

 



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援