アイデンティティの揺らぎと引きこもり
ホーム > アイデンティティの揺らぎと引きこもり

アイデンティティの揺らぎと引きこもり

2020年10月15日(木)2:19 AM

 

 

 

変革の時代と言われて久しい現代、既存のパラダイム(枠組み)はどんどん崩されて、新しいパラダイムが次々と構築されています。これが、「パラダイム・シフト」と呼ばれているものです。現代社会のパラダイム・シフトによってもたらされるものは、ストレスのように直接的に外部からもたらされるものだけではありません。

 

 

社会の急激な変化によって、「自分はいったい何者なのか」「自分の人生の目的とは何か」「自分の存在意義とは何か」「自分が目指しているものは何か」など、私たち人間が自分の人生を自信を持って生きていく上で欠くことのできない自分自身の「アイデンティティ」を確立するという作業が、しにくくなっているのです。

 

 

情報化や専門化の進んだ今日では、身体面においていくら大人に成長したとしても、それだけでは十分な社会活動を営めるようにはなりません。そのため青年は、社会的にも心理的にも一人前になるまで、社会的な義務や責任を一時的に猶予された状態でいられます。さらに高学歴化や晩婚化によって、青年たちはゆっくりと自立して大人になればよいことになり、時間をかけてアイデンティティを確立していくことができるようになりました。

 

 

つまり、長くなったモラトリアム(猶予、猶予期間)を利用して、現実の社会から一歩距離を置き、大人としての責任や義務に縛られることなく、自由にさまざまなことを体験して、実験的に対象に同一化することができるようになったのです。そして、経済的に自立する上で必要な知識や能力、技術、また一人前の社会人として生きていく上で要求される、近くや意識を獲得していき、モラトリアムに自ら終止符を打てばいいのです。

 

 

しかし、社会が細分化して情報が飽和状態にある現代は、人生のモチーフを選ぶことが困難な時代であり、アイデンティティを確立することそれ自体に大変時間がかかる時代であるとも言えます。さらに、人生で多くの時間を費やすことになる、職業的なアイデンティティ(キャリア・アイデンティティ)の形成に至るには、なおのこと時間がかかるようになるでしょう。

 

 

だからといって、緩慢に無意味に引き伸ばされただけのモラトリアムは、青年に自立して大人になることを回避させ、アイデンティティの確立を遅滞させるだけです。エリクソンは、「アイデンティティ拡散」という概念によって、このような、迷宮に迷い込んでしまったかのような自己探求、あるいは自己喪失に陥った状態を表しました。エリクソンがアイデンティティ拡散の症状として挙げているのは次のようなものです。

 

 

一、  時間的拡散

 

 

モラトリアムが極端に延長されると、将来に対する漠然とした危機感や切迫感を感じるとともに、未来への展望や希望の喪失が起こる。

 

 

二、  自意識過剰

 

 

アイデンティティ拡散の状態に陥ると、自意識の過剰が起こる。

 

 

三、  否定的アイデンティティの選択

 

 

家族や社会が望んでいる肯定的な役割やアイデンティティに同一化することに困難を感じてしまい、やがてそれらに嫌悪感や憎悪を抱くようになり、社会的に望ましくない役割に同一化しようとする。

 

 

四、  勤勉さの拡散

 

 

課題への集中困難や自己破壊的没入が起こる。

 

 

五、両性的拡散

 

 

性アイデンティティの混乱が起こる。

 

 

六、 対人的距離の失調

 

 

対象とのいかなるかかわりも本物の対人的な融合になってしまうため、人とくっついたり、離れたり、親しくなったり、孤独になったりといった対人的な距離の取り方が失調をきたしてしまう。そのため、相手と親密になれば相手に飲み込まれる不安が起こり、自立しようとすれば孤独になり、引きこもりに陥ってしまう。

 

 

七、  選択の回避と麻痺

 

 

モラトリアムを有効に活用して、実験的なゲームとしての対象への同一化を行うことができずに、どんな対象への同一化も本人に葛藤を引き起こして選択や決断を躊躇させてしまう。そのため、人生の拠りどころとなる理想像、価値観の混乱を起こす。

 

 

これらの症状は程度の差こそあれ、モラトリアムにある青年が経験していく心理状態であるということです。戦後、父権主義的な価値観の押し付けや、差別や偏見を嫌う平等主義の風潮により、価値観やライフスタイルの多様化が促されました。

 

 

今日の私たちの文化におけるライフスタイルや価値観の多様化が意味するものは、自由に自分自身の生き方を選択し決定することができることであると同時に、それはすなわち自由に自分自身のアイデンティティを作り出すことができることと同じことです。では、私たちの社会において、アイデンティティの拡散が私たちにもたらすものとはいったい何でしょうか?

 

 

個人個人のアイデンティティの拡散や、ライフスタイル、価値観が多様化していくことによって、私たちはそれらを他者と共有していくことが困難になり、集団(国家、地域、社会、学校など)に対する帰属意識が低下し、「集団」から「個人」の時代になっていきました。個人主義が普遍的なものとなるにつれて、私達のナルシシズム(自己愛)が病的なものへと変貌していったものとも言えます。

 

 

ある有名な精神分析医は、このような現代人を指して「自己愛人間」と呼んでいます。自己愛人間にとって、人生の目的とは極めて直接的に自らのナルシシズム的欲求を満たすことだというのです。例えば、良い大学に入学して皆から賞賛されることであったり、有名なアイドルやスター、スポーツ選手になってマスメディアの注目を浴びることであったり、美しい容姿を手に入れて異性にもてはやされることであったりと、個人的かつ直接的な欲望が私たちを支配するようになってしまったのです。

 

 

引きこもりの人々が自宅にこもっている間に、マンガや小説、インターネットや、特にテレビなどを見ることに多くの時間を費やしているということは、何も彼らには他にやることがないからだけではありません。彼らは引き伸ばされたモラトリアムの段階にとどまりながら、テレビ画面に映る華やかでエキサイティングな世界に住む人々、彼らは有名なスポーツ選手であったり、注目を浴びているアイドルスターであったりしますが、それらに自分自身を同一化させ誇大感に耽っているのです。

 

 

現代は自己愛人間の時代であって、青年の身近に同一化できるって適切な対象がいなければ、彼らはテレビの中の人物に同一化してしまうようになってしまいます。青年期におけるこのような自己愛人間には、二つの両極端なタイプが見られます。一つは、「禁欲的な自己愛の引きこもり」であり、もう一つは、「直接的な自己愛の満足をめぐっての身体化や行動化」です。

 

 

禁欲的な自己愛の引きこもりの人たちは、有名になったり大きな成功を収めるために、ひたすら禁欲的に勉学や習得に励みます。目標を達成するためには、思春期の青年らしいいかなる欲望をも抑圧し、何の犠牲をも顧みません。彼らの中で運良く才能や幸運に恵まれれば、目標通りに有名になったり成功を収めたりすることができるでしょうが、実質的には禁欲的な自己愛に引きこもったままの状態で、人生を送っていくことになります。

 

 

一方で、運にも才能にも恵まれずに、受験に失敗したり夢に破れてしまった場合には、人生の目標を喪失し、生きていく活力さえも失ってしまいます。そして、この時になってはじめて、今までに犠牲にしてきたものの大きさに気づくのです。彼らは燃え尽きたかのように無気力になり、抑うつ状態に陥ってしまいます。

 

 

犠牲にしてきたものの中には、集団に適用する技術やコミュニケーションスキルといったものも含まれています。そのため、彼らは実際にも引きこもりになってしまうのです。もうひとつの直接的な自己愛の満足をめぐっての身体化や行動化を起こすタイプの人達は、摂食障害や境界性パーソナリティ障害のようなかたちをとります。

 

 

そして、彼らも最終的には無気力や引きこもりの症状を呈するようになるのです。

 

 

 

性役割の変化、病的なナルシシズム文化と引きこもり

 

 

 

アイデンティティの確立が困難になったことに加えて、「男である」または「女である」という「性」の自覚や性役割のアイデンティティ、つまり「ジェンダー・アイデンティティ」も拡散しており、形成していくことが容易ではなくなってきています。

 

 

ジェンダーとは、生物学的な意味での性ではなく、文化的・社会的な意味での男らしさ(男性性)や女らしさ(女性性)のことを言います。つまり、ジェンダー・アイデンティティとは必ずしも生まれつき備わったものではなく、性差と一致するものではありません。文化や社会によって、成長過程において形成されていくものなのです。

 

 

ですから、社会や文化が変化してしまえば、ジェンダー・アイデンティティも自然と変わってくるものなのです。これまで日本では、「男は仕事、女は家庭」という性別分業の考え方が支配的でした。しかし、男性の役割と女性の役割というものが明確に分かれ、男性女性共に各役割に専念していれば何ら問題なく物事はうまくいくのだ、という時代はもう終わりました。

 

 

近年における女性の目覚ましい社会進出によって、女性の社会的・文化的な地位は向上し、それによって男性と女性の役割は不鮮明になってきているようです。自分の技術や能力を活用し、経済的に自立してキャリアアップすることを願う女性が増加していく一方、専業主婦を望む女性も多く存在しています。女性としての役割の変化によって、女性としてのアイデンティティ(つまり、ジェンダー・アイデンティティ)が拡散してきているのです。

 

 

女性におけるジェンダー・アイデンティティの拡散の問題は、当然のことながら男性にとってもジェンダー・アイデンティティの拡散、混乱の問題を招きうるものです。「男らしさ」や「女らしさ」というものが変化してくれば、男性女性それぞれの生き方も変わってくるでしょうし、「男性としての女性との接し方」「女性としての男性との接し方」といった、コミュニケーションの仕方も変化し多様化してくるでしょう。

 

 

そのような時代においては、コミュニケーションスキルのおぼつかない男性は、女性の変化に困惑し、苦痛を感じる恐れがあります。また、女性の中にも、男性との接し方に困難を感じる人が現れるでしょう。引きこもり経験者の多くは、異性との付き合い経験がないことを訴えていますが、これは以上の理由によるものでしょう。

 

 

スチューデント・アパシーを初めて書物に記載したウォルターズは、スチューデント・アパシーの心理を、男性の競争場面の回避によって、男性としてのアイデンティティが発達せず、その結果アパシー状態に陥ってしまうのだと言っています。文化や社会のレベルで共有されている「男らしさ」は、男性の行動に少なからぬ影響を及ぼしています。

 

 

「男なら競争に勝たなければならない」「男は強くなければならない」といった固定観念は、仕事場面や受験などにおいて過度の競争を助長し、「勝ち組・負け組」などといった物事の結果だけを重視する風潮を生み出しています。もし、このような競争社会でいわゆる「負け組」に入ってしまったら、おそらく人生においても「負け組=敗者」であると錯覚してしまうでしょう。その結果、男性としてのアイデンティティを確立することができず、抑うつ状態や無気力に襲われてしまうことになるのです。

 

 

今日では同様のことが、女性においても見られるようになってきているのではないでしょうか。今の世の中には、途中のプロセスよりも結果を重視し、短絡的に勝ち負けを決定してしまうような風潮があるからです。たかだか受験や学業における不出来や仕事における失敗などで、人間としての価値が決まるものではないはずです。

 

 

しかし、今まで男性に多いと言われていたスチューデント・アパシーは、女性が社会進出していくにしたがって、次第に女性にも多く見られるようになるかもしれません。ここでも社会の変化によって、ジェンダー・アイデンティティの問題が浮かび上がってきているようです。

 

 

ジェンダー・アイデンティティが拡散し、男性女性共に自己愛が過剰になって相手に共感することができなくなり、自己ばかりを主張するようになれば、コミュニケーションは表面的になります。相手を理解したいがために、肉体的に融合することで深いレベルでの共感を得ようとしますが、それは表面的なコミュニケーションであることに何ら変わりはありません。

 

 

また一方では、異性とコミュニケーションを取ろうとする以前に、コミュニケーションの場から引きこもってしまうこともあるでしょう。現代は、男女平等という理想の社会が実現化してきたにもかかわらず、私たちはまだその現状を十分に享受できずにいるわけです。

 

 

私たちはこの激動の時代において、職業的なキャリア・アイデンティティとジェンダー・アイデンティティを含んだ、人としてのアイデンティティを構築していかなければならないわけで、それだけ大変な時代を生きているということでしょう。また、社会規範や価値観、ライフスタイルといったものが拡散することによって、私たちの文化は集団主義から個人主義へ移行していくことになりました。

 

 

そして、この個人主義がナルシシズム文化を生み出すわけですが、私達が自己の欲求に関心を向ければ向けるほど、ナルシシズムは病的な様相を呈するようになるのです。病的なナルシシズムが、人との関わり方を表面的なものに変えてしまうことはこれまで見てきたとおりです。

 

 

社会心理的に人々は自分の世界にのみ専念するようになっていきますが、インターネットやテレビなどの普及により、物理的にも私たちはますます自分だけの世界に閉じこもるようになってきています。このように、引きこもりという現象は、両極端なかたちではありますが、現代における日本の社会をそのまま反映しているものなのです。



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援