引きこもり体験記~神経症に苦しめられた青春時代~
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引きこもり体験記~神経症に苦しめられた青春時代~

2020年10月14日(水)6:17 AM

 

 

 

私がちょうど大学浪人をしていた1年間の間、家族以外の誰とも接触せずに自宅に引きこもっていたことがありました。友達が電話をくれたり家を訪ねてきても、居留守を使ったりなどして、親しい友人達との関係すら断ってしまっていたのです。今になって思い返せば、高校の3年くらいの頃でしょうか、その頃から引きこもりになる前触れのようなものがありました。

 

 

苦手な数学の授業の時間になると席にじっと座っていることができなくなり、先生に断って教室を出て、使われていない教室に入ったり校庭に出たりして一人で過ごしていたものです。これは神経症型の不安発作の前兆でした。

 

 

何事もなく授業に参加していると、突然周りにいるクラスの仲間たちはもちろん、自分の身体さえもが客観的に見えてしまうのです。それは、あたかも自分の精神だけが身体から分離して、教室中を見回しているような感覚でした。

 

 

「なぜ、こんな狭い部屋の中で、みんなが同じように座席に座らされているんだろう?」「なぜ、決まった時間、自由を拘束されて部屋から一歩も外へ出られないんだろう?」「もし、今気分が悪くなったらどうしよう?」「どうしてこんなに点数や偏差値に縛られて、自分の価値を他人に評価されなければならないんだろう?」

 

 

そんな今までは気にもとめなかったような事柄が、漠然と頭の中に浮かんできたのです。言いようもない不安感に襲われ、手足に大量の冷や汗をかき、気分が悪くなってきてしまうのです。そのうち、「また、あの感覚が襲ってくるんじゃないだろうか?」と想像するだけで、その通りに気分が悪くなり倒れそうになったりと、症状は悪化の一歩をたどっていきました。

 

 

なんとか高校を卒業した私は、大学受験のための勉強を本格的にするために予備校の「慶応・早稲田選抜クラス」というところに入りました。まだ、不安神経症の症状は初期のものだったので、比較的良い成績を取ることができたのです。

 

 

しかし、予備校というところは、高校以上に点数や偏差値、模擬試験などに追い回されるところで、狭い部屋の中で効きすぎる冷房に耐えながら、またしても私は高校の時と同じ症状と格闘しなければならなくなったのです。

 

 

「なぜ、こんな競争に自分が参加しなければならないんだろう・・・・・」という思いはますます強くなり、そのうち成績も下がり始めてしまいました。

 

 

すると、今度は成績が落ちることに焦りを感じ、さらに不安が強まってしまいました。当然不安発作も強くなっていきました。こうして私は予備校に通うことが耐えられなくなり、自宅で独学で勉強することを選びました。

 

 

しかし、自分の部屋で好きな時間に勉強していても、またしても「競争」というものへの嫌悪感が湧いてきてしまい、ついには、自分の部屋で勉強することすら耐えられなくなってしまったのです。

 

 

「もう、自分はどこにも逃げられないんだ・・・・・・」私は自分で勝手に恐怖を作り上げていたのです。ところが、当時はそんなことに気づく精神的な余裕などありませんでした。ついに、私は勉強という行為自体が出来なくなってしまいました。

 

 

「どうして自分だけがこんなに辛い思いをしなければならないのだろう・・・・・・」私はやるせない気持ちと自分の不甲斐なさに、勉強机の上で何時間も泣いていました。

 

 

受験という目標を失い途方に暮れていた私は、もともと好きだった文学の本を読み漁るようになりました。しかし、一定の時間閉じ込められることが怖くなったので、床屋や喫茶店なども恐怖の対象になり、自宅から一歩も外へ出ないようになりました。

 

 

そんな状況でしたから、高校時代から付き合いなった昔の友達とも関係が疎遠になっていき、親以外とは誰とも話さなくなってしまいました。「早く死にたい」その頃は親にもそんなことを話していた記憶があります。

 

 

そんな時、父親が精神科を受診するように勧めてくれました。高校教師をしていた父親は厳格な昔かたぎの性格だったために、私を追い詰める恐怖の一因でもあったのですが、「高校の嘱託医で、いい精神科医がいるから診てもらおう」と声をかけてくれたのです。

 

 

こうして私はついに精神科の門をくぐることになりました。当時はまだ、精神科の専門医にかかることについては偏見があったために、「これで自分の人生も終わった」と思ったものでしたが、その一方で、「もしかしたらこの人が僕を苦しみから救ってくれるかもしれない」「何らかの解決策を教えてくれるだろう」という淡い期待もないわけではありませんでした。

 

 

しかし、そんな私の希望は、見事に裏切られました。精神科医はたったの数分間だけ話を聞くと、たいしたアドバイスもせずにこう言ったのです。「じゃあ、薬を出しておきます」私の記憶にはこの言葉しか残りませんでした。

 

 

「なんだ。結局こんなものなのか・・・・・・」と、私は失望し、ろくに薬も飲まずにいました。その時は、薬でこんな不安や恐怖が治るとはどうしても思えなかったのです。今にして思えば、あの時出された薬をきちんと飲むべきだったのですが・・・・・・。

 

 

すべてに絶望した私の生活は、だんだんメランコリックになり、自虐的になっていきました。ある時はウイスキーのボトルを一気飲みして死にそうになったり、読む本もどんどん暗い作品になっていきました。ロックが好きだった私がフォーレの「レクイエム」を聴くようになりました。抑うつ状態も悪化していきました。

 

 

「もうどうせ死んでもいい。だけど、それならせめて人のためになることをしてから死んでもいいんじゃないか?」「一度死んだと思って何か新しいことをやってみよう」なぜか、そんなふうに考えた私は、当時の自分の学力と目的に見合った大学を見つけました。

 

 

今の私があるのは、大学で精神科のケースワークを専攻したからです。大学に入学した私はある女性と交際し、その女性に癒されました。彼女は何時間でも、私のために一緒に空を眺めてくれました。

 

 

「私のことを好いてくれる人がいる」このことが遠い日の受験戦争の悪夢を忘れさせてくれたのです。神経症の症状は、その後1年くらいで完全に消えました。その1年は私にとって癒しの1年だったのです。

 

 

こうして元気を取り戻した私は、バイクの旅をしたり彼女と過ごしたりして、引きこもりの世界を後にするようになったのです。



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