不登校・ひきこもりの見捨てられ不安
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不登校・ひきこもりの見捨てられ不安

2020年10月11日(日)12:53 AM

 

 

再生された親のナルシシズムと「見捨てられ不安」

 

 

 

三歳から四歳ぐらいに起こる「反抗期」を「第一反抗期」といいます。ひきこもりの人はこの時期、非常におとなしく手がかからなかったという話をよく聞きます。一般に、不登校や非行などに走る少年少女たちは、第一反抗期を経験せず、そのため母親は、手間のかからないいい子と思い込んでいたというケースが目立ちます。

 

 

そんないい子が突然、不登校になったり、家庭内暴力や非行に走ったり、時には抑うつ状態になり自殺したりといった問題行動を始めるようになると、親たちは一様に驚き、「あんないい子がなぜ?」と困惑してしまいます。このように、出現しなかった第一反抗期は、十四、十五歳からの第二反抗期に持ち越されることになります。

 

 

要するに、第一反抗期と第二反抗期を同時に体験することになるのです。彼らはなぜ第一反抗期を経験しないのでしょうか。また、なぜそんなにおとなしい彼らが、突如として不登校になったり非行に走ったり問題行動を起こすようになるのでしょうか。ここではまず、第一反抗期というものがなぜ起こり、それが人の人格形成においてどのような働きをしているのかということを考えていきたいと思います。

 

 

子供は三歳頃までに、親との関わりを通して生活に必要な行動様式を模索していきますが、このころになると自主性や創造性が生まれてきます。そして、今まで親に従順であった子供が初めて自己主張するようになります。これが第一反抗期です。

 

 

第一反抗期は、子供の精神が発達していく上での節目の時期です。人は大人になるために社会性を身につけていかなければなりませんが、その過程で自分の行動をコントロールする能力を発達させていく必要があります。つまり、その社会における模範であるやってもよい事と悪い事という善悪の区別を知ることです。

 

 

これは、親や周囲の大人たちのしつけによって教えられるものです。子供はそれまで、親や周りの大人たちが自分の欲求を何でも叶えてくれるものと考えていましたが、だんだんと全ての欲求が叶えられるわけではないことを知っていきます。擬集的自己期における誇大自己を持った自我が、ようやくここで健全な現実検討能力を持つようになるのです。

 

 

これは健康なナルシシズムの発達につながっていくものです。もちろん、自分の行動に制限を加えられれば、子供の心の中には親や大人への葛藤が生まれるでしょう。しかし、この葛藤を経験することによって、子供は「自己主張」することと同時に「自己抑制」することを学んでいきます。

 

 

このごろは、他人の迷惑を顧みない自己中心的な人たちが増えたと言われます。彼らは自己主張することはできますが、自己抑制をすることを知りません。子供は、幼いときからあまりにも大事に育てられると、「自分の欲求はすべて満たされるものだ」と思い込み、わがままで自己中心的な大人になってしまいます。

 

 

彼らは、相手の感情を理解する能力を育てることができないまま成長してしまっています。反対に、感情を抑制されることを強く教え込まれて育った子供達は、大人になってからもうまく感情を表現することができません。彼らは、周りの人達の顔色ばかりをうかがって(ここでは他者中心的な人という呼び方をしましょう)、見かけ上のいい子を演じていますが、彼らもまた感情を育てることができないでいるのです。

 

 

あまりにも自分の感情を否定し続けてきたために、自己喪失とも言える状態にあります。つまり両者ともに、現実の自己を見失っているわけで、病的なナルシシストたちです。前者の「自己中心的な人」の場合は、自己主張ばかりが働いている状態ですが、後者の「他者中心的な人」の場合、自己抑制ばかりが働いている状態です。

 

 

このように、甘えを満たされずに育てられた子供も、甘やかされすぎて育てられた子供も、どちらも行き着く先は他人の心が理解できない、共感することができない、思いやりのない、病的なナルシシストに育ってしまうのです。

 

 

精神科医のG・ギャバードは、自己愛性パーソナリティ障害にはサブタイプとして、「周囲を気にかけない自己愛的な人」と「周囲を過剰に気にする自己愛的な人」という両極があり、その両極の間を本人の自己評価は揺れ動くと言っています。「周囲を気にかけない自己愛的な人」とは、自己主張ばかり強く、傲慢で攻撃的なタイプのことで、「周囲を過剰に気にする自己愛的な人」とは、自己抑制ばかりが強く、内気で引っ込み思案なタイプのことです。

 

 

要するに、自己中心的な人が、「周囲を気にかけない自己愛的な人」であり、他者中心的な人が、「周囲を過剰に気にする自己愛的な人」であると言えるでしょう(ところで、ここで言う他者中心的な人というのは、回避性パーソナリティ障害と符合するところがかなり多いようです)。

 

 

これまで見てきたように、病的なナルシシズムの発達には、親のしつけと子供の甘えの問題が絡んでいます。甘えは親からの分離によってもたらされる不安からくるものです。子供は親離れをして、自立して大人になっていかなければなりませんが、同時にこの分離による不安をいつも抱えているのです。

 

 

しかし実際には、親の中にも子離れができず、いつまでも過保護に子供の世話を焼き、子供に過干渉な親たちが少なくありません。親が子供を自分の分身であるかのように扱うケースは非常に多いのです。

 

 

「私の子供は特別な子供。何でもできるし、何にだってなれる。なぜならこの子は私の子なんだから」子供たちが無限の可能性を秘めた存在であることは事実です。しかし、「私の子は特別」という親の意識は、「自分は特別な存在である」という親の病的なナルシシズムを自分の子供に投影したものにすぎません。

 

 

多くの親たちが、子供に自分の夢を託そうと努力しています。自分の子供が将来、野球選手やアイドル歌手になってくれることを夢見ている親たちも大勢いるのです。

 

 

これらはすべて親の「再生されたナルシシズム」です。子供は親の付属品ではありません。自分の身体の一部であるかのような感覚は、親が子離れしていない証拠です。以前に、アダルトチルドレン(AC)という言葉が流行しましたが、本来は親のアルコール依存症などが原因で、崩壊した家庭環境で育てられた子供のことを指した言葉です。

 

 

ACの子供達は、機能しなくなった家庭のなかで、精神的にも肉体的にも虐げられながらも、時として親としての役割を果たせなくなった親に対して、その親の保護者を演じなければならないこともあります。子どもと親の役割が逆転してしまっているのです。

 

 

このような場合でも、子供は親に反抗することはできません。家庭内暴力を振るったり、ひきこもりになったり、非行に走るような子供達でも、その根本において親に反抗することはできないのです。

 

 

「いったい誰が、お前のことを育ててきたと思ってるんだ?お前は親の恩を仇で返すのか!」「頼むからお母さんを悲しませるようなことはしないでちょうだい。あなたは本当は優しいいい子なはずよ」このような脅迫は、子供にとって抗しがたいものです。

 

 

なぜならそれは、親との親密な関係を失う恐れや、自分が親の期待を裏切ったという罪悪感を抱かせるものだからです。子供にとってこれ以上の脅迫の言葉はありません。子供はいつでも親からの愛を欲しがるものです。そんな子供の気持ちを逆手にとって、子供に自分の言うことを聞かせようというのは、親のナルシシズム以外の何ものでもありません。

 

 

親が人として健全に育っていないのであれば、子供がどうして健全に育つようなことがあるでしょうか。子供の自立のためには、子供の「親離れ」と親の「子離れ」の双方がなされなければならないのです。

 

 

 

感情の喪失がひきこもりの病理の原点

 

 

 

ひきこもりの背景には病的なナルシシズムがあり、そして病的なナルシシズムの背景にはしつけと甘えの問題が隠れていることを今まで見てきました。もちろんすべてのひきこもりの人のひきこもっている原因が、病的なナルシシズム、ひいてはしつけと甘えであるとは言い切れません。

 

 

しかし、病的なナルシシズムが、多くのひきこもりを生み出していることは事実のようです。ここで私たちは、ひきこもりという現象の本来の意味に立ち返ってみたいと思います。ひきこもりとは、社会的な活動から撤退していることを意味していました。病的なナルシシストたちは、現実の世界における人との交流の中で、自分の自己イメージが傷つけられることを恐れるあまり、人間関係から撤退してしまうということでした。

 

 

それでは、「人間関係からの撤退」という言葉が意味していることは何でしょうか?ひきこもりの人たちが社会から逃避している過程には二つのケースが考えられます。一つは、本人が自主的にひきこもる場合と、もう一つは、いつのまにか気づいたらひきこもりになっていたという自然発生的な場合です。

 

 

どちらにせよ、彼らには人とコミュニケーションをとる能力が低下していることが指摘できます。つまり、ひきこもりとは、コミュニケーション不全の結果であるとも言えるのです。通常であれば、私たちは成長の過程において人と交わっていくことを学んでいくはずです。

 

 

しかし、今の子供達はどうでしょうか?現代社会は、人と交流を持つ場そのものが奪われているような状況だとは言えないでしょうか。子供達が昔のように、外で集団で遊ぶようなことは少なくなってしまいました。その代わり、単独、またはごく親しい友達とだけ、屋内でテレビやゲーム、パソコンなどそれ自体ではほとんどコミュニケーションを必要としないような遊びに興じるようになったのです。

 

 

このような状況では、人がコミュニケーションを自然に身につけていくことは非常に困難になります。つまり、現代においてはそれを補うために、コミュニケーションスキルを学習していく必要があるのです。コミュニケーションの基本は、「共感」です。

 

 

すでに幼少期の母子関係が、人間関係の原型になることを述べたことがありますが、私たちが大人になってからのコミュニケーションの基本も実はまったく同じなのです。コミュニケーションはけっして一歩通行では成立しません。また、その際に感情をまったく欠いていては、相手と表面的な付き合い方しかできないでしょう。

 

 

共感とは、お互いの感情と感情が触れ合うことを言うものです。病的なナルシシストたちが、感情を抑制していることに言及しましたが、コミュニケーションにおいて、適切に感情を表出していかない限り、人と心から親しくなることはできないのです。「すぐに感情を顔に出すなんて、子供っぽいことだ」そう考えている人はこの現代には少なくありません。

 

 

中には感情を抑圧し、コントロールすることこそ、大人であると勘違いしている人さえ見られます。また、満面に笑顔の仮面を張り付かせ、相手に嫌われまいと振る舞っている人を見かけます。自分の意思を通さずに、相手が自分の嫌なことをしても苦笑いしている人たちです。

 

 

「日本人の笑顔の意味がわからない」これは、欧米人が日本人に対して抱く印象だということは有名です。物事を曖昧にせず、自分の意見をはっきり言う欧米人は、それだけコミュニケーションのスキルが高いと言っていいでしょう。また、傷つきたくないばかりに感情を麻痺させてしまい、いつでも無表情でいる人たちがいます。そういえば、最近の若い人たちには、まるで感情がないかのように表情を顔に表さない人たちが増えている気がします。

 

 

もし、彼らが幼少期の頃から他人と対等に話せるコミュニケーションスキルを着実に身につけていたのなら、対人関係を疎ましく感じたりはしないでしょう。また、彼らが等身大の自分自身を受け入れることができるのであれば、対人場面において、仮に相手とうまくいかなかったり、自尊心を傷つけられたとしても、その後なんとか自信を取り戻し、人間関係の場から撤退することなく社会生活を送っていくことができるはずです。



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