不登校・ひきこもり体験記~家庭内暴力の背景は体罰~
この話は、僕の個人的な見方なので、親の立場の人から見るとわがままに見えるかもしれません。また、腹が立つ話があるかもしれません。僕は、家庭内暴力をしていたと言われますが、僕の立場から言わせてもらえば、幼少の時から過度の体罰を親から受けていたので、それに対して復讐をしただけだと思っています。
僕が親に対して行なった暴力は、親が僕に行った暴力の六十パーセントぐらいだと僕は思っていますが、親は倍返しされたと感じているようです。その点については、今でも親と話すと喧嘩になってしまうので、親とは話をしていません。
僕の父母は両方とも大学を卒業しています。自分たちが「人生の成功者」だと思っている節があります。大学に行かなければ、一人前の人間ではないと思っているようです。
それを僕に押し付けたところに、悲劇の始まりがあったと思います。僕が生まれた時代は、高度経済成長の学歴偏重の時代でもありました。団塊の世代の二世ということで、他の世代と比べて厳しい面も多かったと思います。
両親ともに世間体を大いに気にしていました。幼少の頃、僕としては母親には育てられていなかったように感じます。僕が一歳半の時、妹が生まれました。家は土地が百坪、建ぺい四十坪で、親に言わせると家が広くて家事や育児が大変だそうで、そのためか家政婦を雇っていました。
僕は、お嬢様育ちの母には家事と育児がこなしきれなかったから、そうしていたのだと思っています。一歳半から三歳くらいまでの子供の時に、妹の育児のために母親を取られてしまったような形になったので、妹が嫌いになってしまいました。
今でも嫌いです。結果的に、僕は家政婦さんに半分育ててもらったような形になりました。もちろん、生まれたての子供に手がかかるのは仕方がないことですが、本人の立場になって考えると、やはり差別されているような感覚に陥っていたと思います。
うっすらとした記憶ですが、家庭用の小さなブランコに妹と乗せられた時に、妹を突き落とした記憶があります。その時は、かなり母親から怒られました。
母は一人っ子だったので、愛情の配分がうまくできなかったのかもしれません。父の記憶については、四歳から五歳くらいまでは、たまに家に来るおじさんくらいの認識でした。
僕の記憶が確かなら、三歳くらいから体罰地獄が始まりました。僕としては全く納得できないのですが、長男、長兄という古いしきたりによって、厳しく育てなければならないということらしく、その屈折した愛情によって、僕は妹と同じことをしても(同じような悪さをしても)、妹とは比べようもない厳しい体罰を受けました。
そのため、妹が憎くて自然にいじめるようになりましたが、それをまた妹が母に告げ口をして僕が母に怒られる、また妹をいじめる、という悪循環になっていました。
母に怒られて泣いているところに父が帰ってくると、「男のくせに泣くな!」と追い打ちをかけるように暴力を振るうのです。その当時、この家族の中に僕の味方はいないと思っていました。
五歳になると、ピアノの稽古をさせられました。僕の意思は全くありません。やる気はないのに殴られながらやりました。これも当然、後で根に持つことになります。
習い事も殴られながらやるのです。僕にとっては、拷問としか受け取れませんでした。
父の恋人は母ではなくて仕事だった
このころになると父の記憶が出てきます。なぜかというと、父が会社を辞めて独立するために事務所を探すまでの間、家で仕事をするようになったからです。
それまでの父は、会社が忙しくて家に帰ってくるのは遅くなることが多かったです。たまに帰ってきてもご飯を食べるだけで、日曜や祝日にたまに申し訳程度にドライブに連れて行ってくれる、さっきも言いましたがおじさん程度の関わりでした。
父としては家族サービスを大いにやっているつもりだったのですが、ハンドルを握っていただけでスキンシップはありませんでした。父に甘えた記憶は、正月に父の実家に帰った時、父のあぐらの上に座って食事をしたのが唯一です。
それも、甘えると殴られるという認識があったため、外で他人の目があれば甘えても殴られることはない、と計算してやったことです。なぜ母が無茶苦茶な愛情表現として、僕に体罰地獄を与えたかというと、今思えば、父の恋人が母ではなくて仕事だったからだと思います。
僕が五歳の頃、父が一時的に家で仕事をした時も状況がそんなに変わらなかったのは、家にいても仕事ばかりしていたからです。当時としては仕事優先の風潮があったためかもしれません。
家の事は母に任せきりで、スキンシップはあまりなかったのですが、僅かながら父の家庭のぬくもりを感じ取った時期でもあったと思います。話は前後しますが、三歳の頃、幼稚園に入ったのですが、そこも躾が厳しいことで有名なところで、家に帰っても幼稚園でも心の休まることはありませんでした。
このような状況の中で、僕は自家中毒という心身症を起こしました。これは小学校四年生ぐらいまで続きました。ただ、自家中毒で吐いているときは、少なくとも親が心配してくれました。
それも小学校四年の頃になると、気持ち悪くて吐いていても、甘えている証拠だと言って看病してくれなくなりました。この時僕は、「この人たちは人間じゃない、鬼だ」と思って、いつか復讐してやると思っていました。
ただ、この怨念的なパワーで自家中毒は克服することができました。小学校になると、小さい頃からやらされていたピアノのレッスンに勉強が加わりました。
小学校一年生の時、国語の点数が確か百点満点中十点でした。その時に母は、なぜか大泣きしました。どうやら母は、テストの点数が悪いことが「悪」で、点数が良いことが「正義」だと捉えていたようです。
その後、テストで百点を取った時には歓喜していました。テストも八十点以上だと怒られなかったのですが、七十点台の点数を取ると、怒られたりひっぱたかれたりしました。
それ以来、僕はテストを捨てたり机の中に溜め込んだりしましたが、見つかってまた叩かれることがよくありました。テストの点が悪いと嫌な気分になって、家に帰りたくなかったけれど、小学校一年生の自分としては仕方なく家に帰っていました。
小学校二年生になると、ゲームセンターに行くことを覚えました。当然親は、ゲームセンターイコール不良のたまり場という認識でした。僕が家庭内暴力を起こしただけで済んだのは、ゲームセンターでストレスを発散していたからで、もしそれがなかったら場合によっては物騒な話ですが、親を殺していたかもしれません。
僕はゲームセンターに救われたと思っています。また、小学校二年生でボーイスカウトに入れられました。これも僕の意思は全くありませんでした。
親に無理やり、親の見栄のために勝手に入れられたのです。ボーイスカウトについて話せば、母は変な意味で過保護でした。ボーイスカウトには保護者は基本的に参加しないのですが、母は引率のようなことを引き受けて活動に参加していました。
班は違うのですが、同じ隊の中にいるので監視され、ことあるごとに干渉してきました。家に帰ってから言われるのならばまだよいのですが、活動中にお節介を焼いてくるのです。
それが嫌で仕方なかったし、そのことで友達からいじめられたりもしました。ゲームセンターに行くと親に殴られますが、自分にとっては唯一の安らぎの場であり、友達とのコミュニケーションの場でもあったので、どうしても止められませんでした。
そのうち小遣いでは足りなくなり、親のお金を抜いて行くこともありました。僕としてはなぜ殴られてもゲームセンターに行くのか、何度怒られてもゲームセンターに行くのかということを親に考えてほしかったです。
お小遣いの話ですが、最初は満足していました。それでも、親の気分を損ねるとお小遣いはカットされました。帰りが遅いと殴られてお小遣いカットというのがありました。
最悪だったのは、テストの点で金額が決まるというシステムでした。当然小遣いが欲しいので頑張って良い点を取ってくるのですが、そうすると今まで百点で百円、九十点台で五十円だったのが、百点で五十円、九十点台で十円と値段が下がりました。
なんてずるいのだと思いましたが、その当時は親が絶対だったので仕方なく我慢しました。そうするとやる気もなくし、テストの点数も下がりました。
小学校三年生になると、学級委員の制度が始まりました。僕は人徳がなかったので、学級委員には選ばれませんでした。その時は学級委員に選ばれなかったことで殴られました。
僕は疑問に思い、「お母さんはなぜPTA会長に立候補しないのか?」と尋ねると、面倒くさいからだと言われました。全く矛盾していると思いました。
小学校六年生でようやく学級委員になれたのですが、それ以外はなれませんでした。なれなかった数だけ、親の不当な暴力を受け続けました。小学校の時に、僕自身に奇行が出てきました。
ストーブに小便をかけたり、唾を吐いたりしました。母はこれを聞いて、理由も聞かずに体罰をしました。事の本質を見ようとせずに、全く自分を省みることはしませんでした。
習い事をやめたいならば、最もレベルの高い中学を受験しろ
父は僕が中学三年になるまで仕事一筋でした。はっきり言って母子家庭と同じでした。母は父をたてるために食事をとらずに待つ人でした。私たちも一緒に待たされました。
待っていても、八時、九時になって電話がかかってきて、「帰れそうにない」と言われ、それから食事をすることもよくありました。小学校では、ピアノのレッスンに加えて習字、絵画と習い事が増えました。一週間に三日間は習い事でした。
僕が止めたいと言い出した時、母はその地区で最もレベルの高い有名私立中学を受けるならば、習い事は止めてもよいと言いました。僕は習い事を止めたかったので、すぐに承諾しました。
その結果、小学校五年生から進学塾に通うことになりました。これも週に三日通うことになり、結果としては習い事をしているのと何も変わらない状況でした。
また、その頃の小学校の担任がひどい人で、体罰肯定論者でした。この先生は今でも許せません。この先生はギャグも面白かったのですが、僕に対して嫌なあだ名で呼んだりするので嫌な思いをたくさんしました。
母も先生に同調して厳しくしてくれと言ったようで、学校でもよく殴られました。家に帰っても殴られ、学校でも殴られ、僕はその頃からだいぶすさんでいたような気がします。
ある時家で見てはいけないものを見てしまいました。親の本棚の中から出てきたのですが、石原慎太郎が書いた「スパルタ教育」という本です。これを読んでみたら、今までの親の対応がそのまま書いてありました。
それを見た時、本当に親はオリジナリティのない馬鹿だと思いました。小学校六年生になってからも体罰地獄が続きました。卒業の頃、僕は卒業文集に尊敬する人として「鉄道模型のおっさん」と書いたと思います。
それを親が見つけて僕を怒りました。なんでこんなバカなことを書くのだと言われました。親としては両親と書いてほしかったのかもしれません。
小学校時代のものに対するこだわりと性格
僕の「モノ」に対するこだわりは凄かったと思います。今で言うとゲームとかです。これって子供にとっては大切なコミュニケーションの道具なのです。
僕の時代で言うと、それがスポーツシューズであったりグローブであったりゲームウォッチだったりするのですが、母は決してそういったものは買ってくれませんでした。
当然、友達からは馬鹿にされました。それが教育方針であれば仕方がないのですが、親がPTAのソフトボールを始めた時にとんでもなく高いグローブを買ったのです。
それは本当に許せませんでした。矛盾していると思いました。自分の性格については、本当に最悪でした。周りの人間は全て敵と考えていました。友達との関係も、従うか従わせるかのどちらかという極端なもので、弱い友達は力でねじ伏せるけど、強い奴にはいじめられるというものでした。
親の教育方針では喧嘩を奨励していたわけではないのですが、喧嘩して顔にあざを作って帰っても何も言われませんでした。親からの数々の体罰を受けてきましたが、そのことについて少し話したいと思います。
体罰と言えば聞こえがいいのですが、僕にとってはいわれのないことばかりだったので家庭内暴力を受けたと考えています。一番多いのは頬へのビンタ、その他には木製の座椅子で殴る、草履で殴る、はたきで殴るというものでした。
このはたきはプラスチック製で、よくしなりました。それを使って殴るのではたきが折れたりしました。掃除機で殴る、雪の降った日に外に裸で出され、いつ帰ってくるかしれない父が帰ってくるまで外で待っていることもありました。
髪の毛にバリカンを入れられて、無茶苦茶な頭にされたこともありました。インスタントラーメンの入った鍋で殴られたこともありました。母親は、「だいぶ手加減してやった」と言っていますが、猛獣をしつけるようにやられたらかないません。
最難関中学に合格したけれど
小学校の勉強の成果もあり、その地域で一番の中学校に入学することができました。入学後はほとんど勉強しませんでした。部活を一生懸命やったこともあり、成績は最悪でした。
五十人中四十五番の成績でした。母はそれを見て激怒し、僕にラジカセを投げつけてきました。ラジカセを投げる行為は、その場の感情をぶつけるだけだったように感じます。
中学二年生になって、犬を飼うようになり、犬をいじめまくりました。相変わらず成績は振るわずに過ごしていました。ある程度勉強をしても、もともと成績の良い人が集まっている学校だったので、頑張っても中程度の成績でした。
それを見て親は、今度は部活を止めさせるべきか否かについて、僕を交えずに話し合いをしていました。僕が、「どうしたの?」と聞いても答えてくれずに、僕はのけ者にされていました。
部活でそれなりの成果を出していたのですが、部活の最中に怪我で足の靭帯を切ってしまい、部活も怖くなり行かなくなり、結果的に止めてしまいました。
学校でも嫌なあだ名をつけられて、それを生徒手帳にいたずら書きされたりしました。そのことについては、僕自身も他の友達にやっていたことなので何も言えません。
ある日学校で、「異性に対してどう思いますか」とか「親をどう思いますか」という心理テストのようなものをやりました。それでかなり情緒不安定な結果が出たらしく、担任に呼ばれました。
「親が怖くてふざけて書いたのだ」とその時は突っぱねました。僕自身はかなりすさんでいて、「部活も止めたし、家にも帰りたくないしどうしよう」と考えて、最初はデパートのゲーム売り場でお試し用のゲームソフトを無料で閉店までやっていました。
そのうち親は、僕宛の郵便物までチェックするようになりました。当時はゲームが大好きだったので、パソコンのパンフレットを請求したりしました。それを見てパソコンのパンフレットは勉強の邪魔だからと捨てられました。
僕にはプライバシーが全くありませんでした。僕のものが勝手に捨てられたりすることは当たり前でした。ある時、友達とゲームセンターで遊ぶことになりました。
禁止されている場所でしたが、友達とのコミュニケーションが大事だと考えていたので、仕方なくゲームセンターで遊びました。それですっかりゲームセンターにはまってしまって、入り浸るようになりました。
そのうち親のお金を頻繁に盗むようになり、帰宅時間もどんどん遅くなりました。怒られますが、家に帰りたくないのでゲームセンター通いは続きました。
その結果、体罰は過激の一途をたどりました。ある時は締め出しを食らって外に出されました。「入れてくれ!」といくら言っても、全て鍵を閉めて入れてくれませんでした。
「僕がどうなってもいいんだな!」と何度も確認しましたが、「好きにしろ!」と言われました。仕方がないので、地方から来ている中学の友達の所に行きました。
翌日それが管理人に見つかってしまい、そのことで下宿の人と泊めてくれた友達の親に、僕の親が平謝りに謝っていました。親を少しは反省させることができたので、それ以後は締め出されなくなりました。
その時は体罰はありませんでした。僕も、友達に迷惑をかけてはいけないと思ったので、友達の家には泊まらなくなりましたが、夜の十二時から一時位に帰宅することが増えました。最高で、夜中の三時までゲームセンターにいたこともありました。
母親は物でたたき、父親は素手で叩いた。そしていつしか僕の家庭内暴力に変わった
その後も体罰は続きました。唯一父親に対して感心したのは、母親は体罰する時に物を持ちたがるのですが、父親は自分も痛みを味わうのが愛情だということで、必ず体罰する時にはこぶしであったり平手であったりしました。許せない気持ちは変わりませんが、そのことだけは少し理解出来ました。
ただ父親は、「お前のせいで俺の仕事がめちゃくちゃだ」と言いました。家庭を顧りみなかったくせに、仕事の不調を僕のせいにしていました。ある時、火事場の馬鹿力のように、感情的になって親を突き飛ばしたことがありました。
その時は、自分の身を守る感覚で突き飛ばしただけでしたが、この一件で、僕が力を出せば火事場の馬鹿力でなくても母親一人くらいには負けないな、という感覚が覚醒しました。
初めて僕が家庭内暴力を起こしたのは中学二年生の時でした。今まではお金を盗んでいたのを、この時は母が見ている前で財布から五千円強奪しました。
母は必死で抵抗して、僕は服をビリビリに破かれてしまいましたが、気にせずにゲームセンターに行ってご飯を食べに行ってしまいました。母は父に連絡を取り、僕の行動傾向を察して飯屋の前で仁王立ちで待っていました。
それまでは、母に手を出すことはあっても触る程度に叩いたくらいでした。それでも親の言うことが絶対だったので、殴られてしまいました。三年生になってからは、僕もかなりすさんでいて、誰彼構わず喧嘩を売っていたので誰からも相手にされなくなってしまいました。
親の教育方針に従っていたのがこの結果だと思うと、許せませんでした。ただ、学校では肉体的ないじめは受けていませんでした。むしろ僕の方がやっていました。
それが災いして、みんなから無視されてしまったのです。ついに僕は、学校にも家にも居場所がなくなってしまって、居場所はゲームセンターだけになってしまいました。
その上唯一の居場所であるゲームセンターすら親が取り上げようとするのですから、もうどうしようもありませんでした。もしこれでゲームセンターに行っていなかったとしたら、本当に親を殺すか、自殺をするか、学校で暴れるか、三つくらいの選択肢しか考えられなかったと思います。
こういう状態になると、自分で自衛するしかなくなります。親が体罰をしてきた時は、過剰防衛のような形でしたが反撃に出て母親を殴りました。その時母親は吹っ飛びました。
母は泣きながら、「こんなことになるために苦労して育ててきたわけではない。情けなくて泣ける」と言っていました。僕が子供の頃に体罰を受けて泣いた時、「泣いたって許さないからね!」と母が言っていたのを、そっくりそのまま言い返してやりました。ガンガン殴りました。
とりあえず最初の復讐は、小学校の時に板座椅子で殴られたので、形から入るということで、あまり痛くなかったと思いますけど、スポンジの座椅子で殴りました。
親がやったように、毎日のように殴りました。親には社会的な知恵がありますから、どこに相談すればよいかわかっていたようです。最初に親は、児童相談所に相談に行き、病院を紹介されました。そこは喘息などを扱っている病院でした。
喘息は精神的なものからくるという説を唱えていたところでした。そこへ行くと変な薬を出されました。僕は暴力を振るっている時も、周りから見ればどうかはわかりませんが、僕自身はすごく冷静でした。
だから薬を飲むのを拒否したりして、自衛しました。そこの病院では、「お前のいけないところは~」と言われるわけですが、当時他人から叱責されることを極端に嫌っていた状態だったので、そこの病院に行くのを止めることにしました。
その子は親も諦めたらしくて、僕も適度に暴力をふるっていましたが、だいたい親にやられたことをそのまま仕返ししていただけなのです。僕自身も素っ裸にされて外に出された事があったので、母も素っ裸にして外に出しました。
僕は二回そうされたのですが、僕は一回出しただけです。ある夏のことでした。親は僕にお金を盗まれるのを警戒して、財布をどこかに隠していたのですが、親がどこかへドライブに行くというのを僕は行きたくないと拒否しました。
「飯を食うからお金を置いていけ!」と言いました。もちろんゲームに使うつもりでいたのですが、親もそれをわかっているので置いていきませんでした。
「置いていかなかったらどうなっても知らないぞ!」と言いましたが、親はそれでも置いていきませんでした。その時親は、ドライブには行かずに飯を買ってきただけでしたが、僕は親が出かけた後、家じゅうの障子や唐紙をハサミで八つ裂きにしてしまったのです。
それを見た親は、ドライブどころではないと考えて、ついに僕を施設に入れる決断をしたようでした。そして二つの選択肢を僕に言ってきました。
一つは児童相談所の施設で、もう一つはAというところに入るという二つの選択肢でした。僕としては、少しでも親に負担をかけたいと思っていたので、比較的高額なAを選びました。
Aから帰ってくると、施設に入れられたという感覚でさらに復讐心が強くなりました。結果的に争いになり、家に帰ってたった二日でまたAに戻りました。
そこにいた人に、「そんなに負担になるのだったら、学校なんか行かなくてもいいじゃない?」と言われて、夏休みが明けてから学校には行かなくなってしまいました。
結果的には、Aに行ったことで不登校になってしまいました。その後、当時Aと協力関係にあったBという施設の人に相談するようになり、Bにお世話になることになりました。
その後、全寮制の高校に行ったのですが、物を盗まれたりいじめを受けたりして、一ヶ月くらいで休むようになってしまいました。
その間、家でゴロゴロしているときに、「今までいろんな施設でお世話になったから、家庭内暴力は止めなければ」と思って我慢していたわけですが、僕が直ったと思うと親がまた調子に乗るのです。
親が僕にいろいろ注意してきました。「なんで学校に行かないのだ!」などと言ってくるので、回し蹴りを一回して、肋骨にヒビを入れさせてしまいました。
その後もその高校へは戻れずに、神奈川県の公立高校に移って一人暮らしをしました。家に帰ると、二匹目の犬を飼っていたのですがいじめていました。
最近になって、ようやく動物をいじめようとは思わなくなりました。落ち着いたのかもしれません。今は親も随分変わってきました。
それでも、僕が大学受験をしないと宣言した時、「この子は生きていけない」と母親が嘆いたのを見てバカだなと思いました。父は、「お前の好きなようにしなさい」と言いました。
まだ少しはわかってきたのかなと思いました。この話をしたと親にわかればきっと喧嘩になります。このような状況になってしまうと、何度親から謝罪されても気が済むことはありません。
この話をするために下調べをしている時も、親からの体罰のことを一つ一つ思い出すと無性に腹が立ってきました。また、親に対して家庭内暴力をしていたことを思い出すと気分がすっきりします。
これは本当に、親とはまだわかり合えていないなというのが正直なところです。
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- ひきこもりは病気なのか、怠けなのか
- ひきこもり支援は長期戦
- フリーターとニート
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- 不登校・ひきこもりの将来
- 不登校と再登校
- 不登校の要因
- 主婦のひきこもり
- 人間の成長・発達とひきこもりという行為
- 他人の介入を受け入れられないひきこもり
- 共依存社会とひきこもり
- ひきこもり~孤立する母親と協力的でない父親~
- 実録・ひきこもりの家庭内暴力
- 家庭内暴力とどう向き合うか
- ひきこもりが長引く理由
- ひきこもり・ニートと大人のADHD
- ひきこもりと家庭環境
- ひきこもり家庭の父親
- 思春期のひきこもり・不登校の心的葛藤
- 親の命令や禁止が子どもを縛る
- ひきこもり・不登校~触れ合いたいのに触れ合えない~
- ひきこもり・ニート・スネップ等の若者の就労に関心を持つ企業・個人事業主の方へ
- 人間関係の希薄化と合理化とひきこもり
- ニートのさまざまな解決法
- ニート・ひきこもり・フリーター・スネップのための就労支援
- 個別相談と家庭訪問
- 共同生活寮と一人暮らし支援
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- 高校卒業資格取得のための学習支援
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- マーケティング会社を経営し、寮生を正社員として雇用しています
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- 増え続けるひきこもる人たち~「個性」が「孤性」になる人間関係
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- ひきこもり・ニート・スネップ・不登校の子どものやる気を引き出すために
- 社会復帰に向けて~ひきこもりの固執した観念~
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- 学校や職場に復帰させたいのなら、人間関係に自信を持たせること
- 厚生労働省によるニート状態にある若者に対するアンケート調査結果(概要)。
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