不登校・ひきこもり体験記~母親の愛を獲得するために~
ホーム > 不登校・ひきこもり体験記~母親の愛を獲得するために~

不登校・ひきこもり体験記~母親の愛を獲得するために~

2020年09月30日(水)7:00 AM

 

 

 

それは友達との小さないさかいから始まった

 

 

私が学校を休み始めたのは中学2年の夏でした。自宅の近くに通学区の中学があったのですが、運動が苦手だった私は、その中学はマラソン大会があるということを聞いて、通学区を越えて入れる別の中学に行くことにしました。

 

 

ただそれだけの理由で、通学区外の中学に行くことになりました。中学2年の初夏に、友達と小さな諍いを起こしました。数年経った後に聞いてみると、その女の子は喧嘩だとは思っていなかったみたいですが、私はそれまで喧嘩らしい喧嘩は一度しかしたことがなかったので、経験不足の自分にとっては重大事になってしまいました。

 

 

喧嘩のことで考え込む日が多くなり、頭が痛くなって、宿題が思うようにできなくなってしまいました。その中学は厳しい学校で、宿題をやっていかないと肩身が狭かったのです(と思い込んでいました)。

 

 

私は、自分で言うのもなんですが、成績が良かった方で、知らず知らずに成績に価値観を置いていたものですから、宿題ができないというのはそれだけでダメだと自分を追い込んでしまいました。

 

 

担任の先生から、「こんな状態なら少し休んでいいよ」と言われました。というのは、同じクラスで1年生の時に不登校をした子がいましたが、その時私のクラスでは、なんとかその子を学校に来させようとして、私を迎えに行かせたり、手紙を書いたり、クラスで話し合いをしたり、という積極的な取り組みがありました。

 

 

しかし結局、その子はクラスには戻ってきませんでした。だから今度は違う方法を取ったのか、私には「少し休んでみろ」という対応でした。これも本当に最近になってわかったことですが、小学校・中学校の時からずっと上に立って走り続けてきたので、「休んで良い」と言われた瞬間ガタッと崩れたと言うか・・・・・・・・。

 

 

夏休み前だったので、夏休みが明ければ来られるだろうと思って担任は休ませてくれたのでしょうけど、私はそのままずっと休むようになってしまいました。

 

 

 

不登校をいつ卒業したのかわからない

 

 

 

結局、2年3年と全く学校に行きませんでした。今は、不登校をして良かったと言えるのですが、その時はそんなことは言えませんでした。それこそ、お昼に起きて深夜まで起きていました。

 

 

妹がいるのですが、朝、父親が会社に行き、妹が学校に行き、どこにも行かない自分を見るのが嫌で寝ていました。自分の現実を見つめるのが嫌で寝てばかりいました。

 

 

その後、県立高校に入学し、高校は3年間で卒業したのですが、不登校からの卒業となると、自分がいつ不登校から卒業したのかよく分かりません。

 

 

もうだいぶ遠ざかっていた言葉ではありますが、「いつ卒業か」と言われると本当にわからないのです。高校は3年で卒業できましたけど、2年も3年も出席はギリギリでした。

 

 

高校では中学のように休んではいけないと、頭ではわかっていたのですが、どうしても逃げたいというのがありました。これ以上休めないという状況になって、授業ごとに細かく時間数を計算しました。

 

 

国語があと3時間、体育があと何時間というようにです。ここまで細かく計算しているのはサボりかなというのもあったのですが、私にとってはサボりではありませんでした。

 

 

 

自分はなぜ、不登校したのだろう。その理由を求めて大学へ

 

 

 

そうやってやっと卒業し、そして私の場合は当然、「どうして不登校していたのだろう」ということに答えは出てなかったので、その答えを見つけたいと思って、その答えを出せる大学に入ろうと思って進学しました。

 

 

そこで四年間勉強して、遊びたい放題遊んで、もう年貢の納め時かなと思って、「自己分析というテーマ」で卒論に取り組むことにしました。テーマを決めたのは良いものの、なかなか向き合えませんでした。

 

 

生育歴から書きたいと思ったので、日記を読み返しました。小学校1年生から5年生まで、毎日日記をつけていて、中学でもやはり日記を書くという課題があったものですから、当時の記録はかなり残っていました。

 

 

学校に行かなくなってからのことは、辛くて向き合えずに何日も書いていなかったので、その時の記録はないのですが、こんなに肩肘張って頑張っていたのだと思うと、小学校1年生の私を思ってかわいそうになってきて、読んでいるだけで泣いてしまいました。

 

 

今から読み返せば、こんなところに前兆が出ているじゃないかというのがあるのですが、その時には本人にも親にもわかりませんでした。中学では課題として日記を書いていたので、週末には親が一通り目を通してコメントを書きます。

 

 

先生のコメントも入ります。結構メッセージの言葉は届いているはずなのですが、私の心には響いていませんでした。今から思うと、それが私の寂しさのメッセージだったようです。

 

 

ただ本人も当然そう思っていないですし、両親も読んでくれていたものの、そういうことだとは思っていないですから、わからなくて当然なのですが・・・・・。

 

 

不登校をいつ卒業したかという話からずれてしまうのですが、市の施設(相談所?)に不登校の子供達が集まって勉強するという施設があります。多分私の住んでいたところにもあったと思うのです。

 

 

後で母親に聞いたら、私は覚えていないのですが、「あったけど、あなたは行きたがらなかったじゃない」と言われました。そういうのが大学の周辺にあって、大学の2年か3年の時に、実習で3ヶ月ぐらい行きました。

 

 

そこには子供は10人くらい来ていたと思います。そこで子供達に勉強を教えたり、一緒に運動したりしたのですが、当時もう大学生ですから中学の時からは7,8年たっているわけですが、巻き込まれてしまうというか、まだ自分自身が不登校をしている子供のつもりでいた、子供でいたかったので、教えるというよりは、もう一緒になって悩んでしまいました。

 

 

勉強が終わってからとか、子供達がいろいろ話してくれるのですが、それを聞いているうちに、昔の忘れようとしていた感情をかき起こされるようでした。

 

 

子供達は私に懐いてくれて、「実習が終わってもまた遊びに来てね」と言われていたのですが、結局その後、一度も顔を出すことはできませんでした。

 

 

その子達と向き合うことは、私にとって自分の解決されない感情と向き合うことであって、とても怖くて行けませんでした。今でも心に残っていますが、その実習が終わって1年くらい経ってから偶然一人の子に会いました。

 

 

私は気づかなかったのですが、その子の方から声をかけてくれて、電車のホームで「私、今、高校に行っているの!テニス部に入ったの!」と話してくれました。

 

 

私は、実習が終わってから一回も行っていないことを気にしていたのですが、その子が覚えてくれていたことがとても嬉しかったです。

 

 

 

本当の理由は?「あなたが小さい頃、もっとかまってやればよかった」

 

 

 

今、勤め始めてようやく一年になろうとしています。ただちょっと、学校に行っていた時よりもガチガチで行っている感じがします。それが自分でわかるのです。

 

 

会社だから、そう自由に笑ったり、上司に向かってジョークを飛ばしたりというわけにはいきませんから、気を使って当然なのですが、やはりまだ、もう一歩のところで卒業していないなという気がしています。

 

 

ただ、ここに出てこられるようになったということと、毎日会社に行くことができているということは、卒業しかけているのかなとも思います。もう10年経ってもこんな状態です。

 

 

こんな状態で、親はよく待っていると思います。私だったら、見ていられないというか焦ってしまうと思うのですが・・・・・・。最近母親が、年をとったせいか昔の話をよくします。

 

 

母親が言うのです。「あなたが小さい頃、もっとかまってやればよかった」と。母親は専業主婦だったので、ずっと家に一緒にいたはずなのでなんでそんなことを言うのかよくわかりませんが。

 

 

母親は、「親戚関係、近所付き合いの体裁を整えることばかり気にかけていて、あなたが寂しがるのに気づかなかった」と言います。今、私は、ここで話していますが、親と一対一でこんな話をするのはすごく嫌なのです。

 

 

なぜなら、どうしても言えないと思うのです。「その時に戻ってやり直したい」というのも無理な話ですし、「いいよ、いいよ」と言ったところで親は救われないだろうと思うのです。

 

 

じゃあ「あの時こうしてくれればよかったのに」と言った方が親にとっては良いのだろうかと、いつも話を聞きながら迷っていました。それで、4歳年下の妹のことに話題をすり替えて、自分のことはごまかしてしまいます。でもたぶんそういう思いはあります。

 

 

それを意識するのが嫌だから、私はその話を聞くのが嫌なのだと思います。また、卒論を書いてある程度結論がついたのですが、私は「親から愛してもらえなかった」という思いがあって、それに触れたくないから、目立ちたがりのところがあったり、人の気を引きたいとかがあったりします。

 

 

そういうことが、私の全てを支配しているのではないかと思います。母親から愛されていなかったという思いを意識してしまうと、ふとしたはずみに親にそれを突きつけてしまうかもしれません。

 

 

突きつけてしまうと、さらに親に嫌われてしまうかもしれません。もし嫌われたら頼りになるのは誰か?もっと自分がしっかり確立されていれば、自分だということになるのでしょうが、「何があってもあなたはあなただから大丈夫だよ!」と自分に言えるほどの自分はまだないので、親に嫌われたくありません。

 

 

だからそれは言えないし、でも思っていたら何かのはずみに言ってしまいそうで、だから思っちゃいけないって・・・・・・・。思わないようにします。また、見ないようにします。

 

 

だから現実をその通りに見ないようになるし、親が私のことを好きで愛してくれていると思うようにしてきたという結論に、とりあえず言葉ではたどり着けました。

 

 

でも、今でもそれを認めたかと言われると認められません。私は信州出身なのですが、就職は東京でしました。まだ、どうしても親とは向き合えないのです。

 

 

 

親に飲み込まれる

 

 

 

大学在学中に実家が引っ越したのですが、引っ越しは手伝ったものの全然家に帰っていません。だから自分の部屋がどこにあるのかもわかりません。

 

 

四つ下の妹は、不登校こそしませんでしたが、対人関係には悩んでいたみたいです。「みたいです」というのは、私は最近まで妹とほとんど話をしなかったからです。

 

 

周りから見ると、仲の良い姉妹に見えますし、事実、記憶にある限り喧嘩したこともありません。ただやはり、妹のほうが母親に可愛がられている、妹が憎いという思いも昔からあって、小さい頃はそういう思いを結構ぶつけたり、ひっぱたいたりとかしていたのは記憶にあります。

 

 

そのせいかあまり話さなかったのですが、最近妹も変わり、私も変わっていくなかで、小さい時の四つ違いというのは結構大きいのですけれど、今になるとだいぶ近くなってきた気がします。

 

 

話しやすくなったし、結構話すようにもなってきました。私も妹も「親に飲み込まれる」という感覚があるのですが、妹は私以上にそう感じているようで、私はそんなことを妹の前でとても言葉にできないのに、彼女は私に向かってそんなふうに言ったのです。

 

 

彼女は、私のように逃げることで解決をしないで、ぶつけることで解決をしていこうという方法をとっています。妹も県内の学校には進まず、別の県の大学に進んだのですが、しょっちゅう帰ってきて、帰省の度に喧嘩しているというか、言いたいことを言って、それを父親にも母親にもぶつけて、そうして関係を変えていこうとしているようです。

 

 

それはお互い辛いことかもしれません。私のように逃げてしまえば、トラブルは起こらないし、親も前通りの価値観でやっていけると思います。それをわざわざ突きつけて解決しようとしています。

 

 

すごいと思います。私のためにも、親のためにも、本当ならそうしていく必要があるとカウンセリングをしてくれた先生にも言われましたし、そういうことは関係ない親戚の叔母からも言われていました。

 

 

「あなたは親に反抗できないからまだダメよ」って。その叔母は母の妹で、母には言えないこともその人には言えるくらい私と仲の良い人です。別に心理学の勉強をした人ではありませんが、その人にそういうふうに、外からはそういう必要性があるように見えると言われました。

 

 

それを一度やることで、私は多分本当に卒業できると思うし、親のためにも、と言われたのですが・・・・・・なかなか出来ません。今、私がある程度回復して、ここで話ができ、あるいは毎日会社に行けているのも、心理の先生から言わせると非常に歪な形なのかもしれません。

 

 

それでも一応、形として出来上がっています。親と対決するなら、これを一回崩さなくてはいけません。親にしてみれば、私以上に年月をかけて積み重ねてきたものを、また崩さなくてはいけなくなります。

 

 

「親のことなんか気にしないで崩しちゃえ!」と言われるのですが、親が可哀想というのも変ですが、それは言い訳だと思いますが、できないのです。

 

 

親も可哀想、自分もこれ以上辛い思いをしたくないというのも・・・・・逃げてしまっているというのと同じ・・・・・・。ただ、このままの状態がいけなかったかというと、これはここまででいいのじゃないかとも思います。

 

 

親に言うことを諦めたわけではないのですが、今の状態を良いと思わないと今の土台が出来ないのです。だから、今やっていることは他の人にとって正しいことではないにしても、今の私は全て選んでここにいるのだから、これで良いのだと思うようになりました。

 

 

 

不登校してよかった

 

 

 

逃げかもしれませんが、不登校してよかったと思えるようになりました。そう思えるようになったのと、それも含めていつのまにかいろんなことがいろんな角度から見えるようになったことは、不登校して良かったと思うことです。

 

 

休む時間がなければ、そういう考え方を身につけることもなく、親の決めた目標だったのかわかりませんが、勉強ができるかどうかに全ての価値観を見ていたかと思います。

 

 

親に勉強しなさいと言われた記憶はあまりないので、自分で作り上げてきたことだとは思いますが、そんな生き方しかできなかったのです。でも、そうではなくて、本当にいろいろな人がいて、いろいろな生き方をして、いろんな所に行って、いろんなことをやる事って、すごく楽しいことだしそれで当たり前なんだって思えるようになったので良かったです。

 

 

私もその中の一人だし。今でも、一番になりたい!目立ちたい!とか・・・・・親にとって私が一番関心の対象物でありたい、という名残なのか、そういう思いはまだ残っていますが。

 

 

以前に予備校のポスターで、「ナンバーワンでなくてもいいからオンリーワンになりたい!」というセリフがありました。偶然そういうのが目に入りまして・・・・・。

 

 

私だけの生き方をしていくというのは最近獲得しつつあります。それを獲得しつつあるのは私自身が不登校をしたからでもあります。あと、不登校をしたことで、逆に私は友達のネットワークが広がりました。

 

 

高校に一年遅れで入りましたので、そこでのクラスメイトもそうです。遅れなければ大学には入らなかったし、この人たちとも巡り合わなかったと思います。すごく良かったと思います。

 

 

親から何かを強制されたわけではないと思っていますし、親も表面的には出していないのでしょうけれど、あっちからこっちから、上から下からというふうに期待をかけてきた感じはあったと思います。

 

 

そういうことはしたくなかったので、私は人に、「こういうふうにした方が良い」とか、何かを教えるということはしたくありません。他人が何を言っても、本人が実感を持てる時まで、気づくまで待っていればいいと思うので、他人へ教えるとかそういう仕事にはつきたくないと思っていました。それは今でもそうです。

 

 

ただ、新聞なんかで不登校問題が取り上げられたりしています。お父さん方やお母さん方が心配されていらっしゃるのを見ると、そんなに立派な例ではありませんが、「私も10年経って普通に生きているのだから、そんなに心配しなくても大丈夫よ!」と言ってあげたくなります。

 

 

問題を抱えていても生きてはいけますし、抱えていた方が生きがいもあると思います。



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援