親亡き後のひきこもりの生き方を考える
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親亡き後のひきこもりの生き方を考える

2020年09月27日(日)6:30 AM

 

 

 

親の死を伏せて年金を不正受給する。将来を悲観して自死を選択してしまう。そこまでいかなくとも失踪して行方不明になってしまった。さまざまなひきこもりに関連する課題として取り沙汰され、将来への不安が錯綜しているのが中高年ひきこもりの実情です。

 

 

そのなかで、現実として親亡き後を生きているひきこもりのAさんは、今どのような思いで生きているのでしょうか。Aさんは、日々一人の生活空間に身を置いていると、考えたくなくても「自分はこのまま生きていてよいのか」「身体が不自由になり、動けなくなったらどうなるだろう」そのような不安感に襲われることがたびたびあるといいます。

 

 

そのような状況のなかで、生きていくための哲学を模索していたときに、「夜と霧」という著作で有名な精神科医のV・Eフランクル(2002年)の思想と出会いました。

 

 

フランクルは、「人生には無条件で生きている意味がある」と述べています。どんなに大きな苦しみのなかにあっても、その苦しみには「意味」がある。「苦しみ」に「意味」が与えられたとたん、その「苦しみ」は「絶望」ではなくなる。人間は最後の一息まで生きる意味を失わない。Aさんは、このフランクルの思想に関心を寄せるようになりました。

 

 

ここでいう「意味」とは、自分のなかから湧き上がるものではなく、その時に行なっている仕事や関係をもっている人間関係といった自分以外の何かからえられる。その何かから自分が期待されているものがあり、その期待に対して誠を尽くして応えていくしかないのだとフランクルは言っています。

 

 

つまり「自分が何を望むかではなく、自分が何を求められているのか」このような「観点の転換」を行うことが、僅かながらAさんを前向きに生きていく方向に目覚めさせ、一人で生活していくための精神的な支えになっています。

 

 

ひきこもりの現象を考えるとき、社会的な要因や親の子育てをことさら問題視する傾向もありますが、Aさんは、そのような社会や家族をつくっている主体は自分自身でもあり、自分にも責任があるといいます。

 

 

それは自己責任ではなく、社会的な責任です。「誠実や真実」というものを社会や他に求めるのではなく、まずは自分が何をするべきか、それを誠実に実行できる人間でありたいと言っています。

 

 

Aさんの語ることは、競争社会や新自由主義といった今の時代に対抗できる思考の軸ではないでしょうか。言い換えれば、「ひきこもり的思考軸」とも言えるのかもしれません。

 

 

ひきこもっている人たちは、見た目は何もせずに楽な生き方をしているように見えるかもしれませんが、一般社会で仕事をしている人たちが、仕事に追われて見えなくなっている「なぜ、生きているのだろう」とか「よりよく生きていく」ことを一人部屋の中で考えることがしやすい環境にあります。

 

 

そのような意味で、ひきこもりは哲学者になりやすいかもしれません。逆に言うと、哲学者にはなれるかもしれませんが、実社会では適応することが難しいとも言えるのかもしれません。

 

 

それでは、親の死後を生活保護などのセーフティネットを得ないで生活しているAさんは、フランクルの思想から学んだ哲学から、今後どのような方向で生きていくのでしょうか。

 

 

Aさんは言います。「現在、ひきこもりを支援するNPO法人に籍を置き、部屋の中だけでは実感できない、達成感や充実感は間違いなくあります。おそらく、他の分野では、自分の資質や性格を活かすことはできなかったと思います。その点、自分が所属するNPO法人では、自身ができることを中心に仕事ができます。

 

 

例えば、約3年続けているひきこもりで悩んでいる人たちの家庭に訪問する活動では、受け入れてくれる家庭の親はもちろんのこと、ひきこもっている当事者の人からも、私に来てもらって良かったと素直に言ってくれたことがありました。

 

 

その時に感じたことは、訪問当初、責任も大きいし自分にできるのだろうかという迷いもありましたが、こんな自分でも認めてくれる人がこの世の中にいてくれたことが嬉しかったです。その嬉しさが素直に自分の気持ちに響きました」

 

 

「自分を必要として待っていてくれる人は必ずいる」このことをAさんが感じた時、何が自分に求められているのかが、おぼろげながら見えてきたと言います。

 

 

Aさん自身もいまだ悩みの渦中にあります。だからこそ、その悩みを持ち続けながらも、自分なりのペースで緩やかに人と接し、訪問を受けている側の人と自分自身がお互いに幸せになれるような生き方も可能ではないかと考えるようになりました。

 

 

それは理想でしかないかもしれませんが、このような自分なりの生き方の枠組みが見えてきたことは、フランクルの思想にある「人生から何を期待されているのか」に誠を尽くして応えている姿にも見えます。

 

 

これからの10年は、親が生きていたこれまでの10年とは違い、Aさんにとっては生きにくい時代なのかもしれません。「結婚もできないだろうし、どちらかといえば一人でいることが好きですから」と語るAさんですが、若い時にそう感じていても、今後は身体の衰えや病気との闘いもあるのかもしれません。

 

 

老後も一人でやっていけるのか、何の保証もない生活者であることは間違いありません。Aさんは、お金をたくさん得たいとか、名誉を欲しがるとか、そのような欲望はありません。

 

 

一人前に仕事ができないなら、半人前でもいい、そのぶんお金ももらえなくてもいい、そのような半人前の人たちはたくさんいます。そのような人たちの多くは真面目で、他人に思いやりの心を持っている人達でもあります。

 

 

そのような人たちと苦労を分かち合いながら、緩やかな社会参加ができればいいとAさんは言います。具体的には、自分なりに出来る仕事をして賃金は多くを求めないワーク・シェアや、安く部屋を借りてプライバシーを守りながら生活空間をつくるシェア・ハウス、地域の人たちとゆるくつながりながら、孤立感を無くしていくコミュニティ・カフェ、それらを融合したような居場所と仕事場と生活の場がひとつになったライフ・ステーションのような場所が、中高年のひきこもりの人達にとって必要な社会資源だと述べています。

 

 

また、東京や大阪、福岡などで展開されている「ひきこもり大学」(ひきこもりがもつマイナスの考え方に学びの視点を取り入れて、前向きな発想に転換していく場所として、35歳のひきこもりの男性が発案した取り組み。毎回ひきこもり当事者が講師となり体験や思いを伝えている)の主体的な学びの理念を取り入れて、社会にひきこもりの人たちを融合させていくのではなく、ひきこもりの目線を取り入れた新しい社会を作ることができる当事者性を発揮できる人材育成を行うことも大切だと語ります。

 

 

Aさんは、ハローワークに行って何か自分にできる仕事を見つけることも不可能ではありませんが、正規職員で採用されるには、自分を奮い立たせて厳しい社会へ出陣する意志が必要でしょう。

 

 

そのために「ひきこもり的思考軸」を捨てて生きていくよりは、その思考軸を大切にして、苦しみや不安を同様に悩んでいる人たちと分かち合いながら生きていきたいと願っています。

 

 

その願いを実現していくためにもAさんは、現在続けているNPO法人で、自分が求められていることに誠実に応え、作業を続けていきたいと語ります。それによっておのずと道は開かれると信じています。

 

 

高年齢で親が亡くなっているひきこもりは今後増えるでしょう。前途多難であることは間違いありません。しかし、全く先が見えないわけでもありません。

 

 

誰もが持っている自分の中の誠実さが、先の見えない暗闇を照らす明かりになるはずです。「一隅を照らす」ということわざがあります。暗闇を全て明るくすることはありませんが、自分の持つ誠実さをもって一隅を照らすだけでいいのです。

 

 

オールラウンドに何でもこなせるような華々しさはありませんが、Aさんが行う訪問支援のように、地域の中で悩んでいる人と対話することで自分を活かしていることは、Aさんだからこそできる「一隅を照らす」ことに他なりません。

 

 

このように、ひきこもりの経験者たちが、それぞれの誠実さで自分を活かすことは不可能ではありません。自信を取り戻しながら緩やかに社会参加していく姿を見せていくことが、現在悩み苦しんでいる人にとっての安心感や楽しみを持ちながら、生きていくことへの指針になるとAさんは考えています。

 

 

 

 

 

 



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