ひきこもり支援の考察
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ひきこもり支援の考察

2020年09月08日(火)5:22 PM

 

 

 

学校時代からの、うまく周囲になかなか溶け込めないということは、多くのひきこもりの人が悩んできた課題です。その根底には、自分の尊厳を認められる、自己肯定感というものが非常に弱まっていると感じざるを得ません。

 

 

就職活動での失敗や無職のブランクなどを積み重ねていくたびに、自己肯定感は削ぎ取られてしまいます。エネルギーが底切れになるなかで、就職活動の指南本や親から手厳しい働きかけを浴びるとますます自信を失っていき、身動きが取れなくなってしまうのではないでしょうか。

 

 

そして、そうしたできない自己は、自分の経験のなさ、消極性など自己そのものにまるで全ての原因があるかのように包まれてしまうのです。ある調査で、日本の高校生に「あなたは価値ある人間だと思うか」という質問をしたところ、日本の高校生は、他国と比較しても非常に低い評価を示しました。

 

 

この結果は、他の自己肯定感にかかわる調査でも同じような示し方をしているとすると、やはり大きな課題といえます。何故ここまで自分自身を過小評価してしまうのでしょうか。

 

 

そこには、1990年代半ばに始まる構造改革時代を生きる子ども・若者の現状の理解なくしては語ることのできない大きな変化があったと言わざるをえません。

 

 

教育社会学者の久冨善之氏が「競争の教育」(労働旬報社1993年)のなかで開かれた競争から閉ざされた競争へと移り変わることを指摘したように、多くの子供や若者たちが競争構造の場面に立たされてきたという認識は半世紀以上前から言われ続けてきたことです。

 

 

また中西新太郎氏「構造改革時代を生きるー子ども・若者の現在」(2009年・桐書房)で述べたように、構造改革時代の教育競争・子育て競争に対する理解は、こうしたこれまでの連続の位相からだけでは決して捉えきれない課題を含むものとなっていると指摘しています。

 

 

つまりそこには久冨善之氏が指摘してきた出来・不出来の差としての受験や能力主義競争だけのレベルでは測られることのできない人間の存在や価値にまで公然と差をつける競争構造を示すものです。

 

 

中西新太郎氏「1995年未了の問題圏域」(2008年・大月書店)によれば、1990年代からはじまり2000年代に入って顕著になったものは「人間の定義の変化」だといいます。

 

 

「お前は救済するに値するだけの努力をしているのか。救うのに値する人間なのかを常に証明し続けなければならない」そうでなければ、生きる権利もない存在とされてしまうのだといいます。

 

 

こうした構造改革時代の競争の自立観に基づくなら、ひきこもりのような自立できていない人間は、社会に迷惑をかける存在であり、ただ生きているだけでは社会にコストをかけさせる「お荷物」とみなされるのです。

 

 

ひきこもりの人が、就職活動のできない無業者という事だけで、何か呆れ果てた社会の「お荷物」として公然として「無能者」としてのスティグマ(烙印)を押されるというのが現代の競争社会の有り様なのです。

 

 

ですから、こうした競争場面に立たされないために自宅にひきこもるという努力や他者からの批判や接触を自ら回避するのはいわば当然の行為と言えるのではないでしょうか。

 

 

ひきこもるという行為そのものは、自分を守る最大の手段であり、危険を帯びた環境から身を引くことを意味します。ひきこもることで自分を守る重要な行動として理解する必要があります。

 

 

その意味で、ひきこもりの人が安心できる環境を用意することは必要不可欠です。それは、家庭や家族から怯えて暮らす環境であってはならないということです。

 

 

また、家族以外の他者との有意義な出会いと安心できる居場所を用意することも大事です。ここで語られるひきこもりの人を支援することに欠かせない「安心」というキーワードは、支援する側は特に意識しておく必要があります。

 

 

ひきこもりという存在が世間に知られるようになってくると、ひきこもり支援産業なるものが社会に忍び寄り、独自の理念に基づく教条主義的な方法論をもってパターナリズムな支援を行っている現場が見られます。

 

 

そのキャッチフレーズの大半は、「ひきこもりをこのまま放置すれば大変なことになる」という、いわばひきこもりの人や家族の不安感情の弱みに付け込み、さらに不安を助長させ、早期対応の必要性を半ば強引に誘導説得し、大変なことになるキャッチフレーズを前面に出して、ひきこもり支援産業による商売の罠に嵌めこもうとするものです。

 

 

それを行い続けることが悲劇を生むことは芹沢俊介氏「ひきこもり狩りーアイメンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判」(2007年・雲母書房)に見られるこれまでの諸事例からも明らかなことなのです。

 

 

ひきこもり支援に求められているものは、この先々の不明瞭な不安を増幅させることではありません。ひきこもりの人とその家族に心が癒えるように「安心感を膨らませる」ことです。

 

 

それが、ひきこもりの人たちのこれまで失ってきた自己肯定感や自信そのものを徐々に取り戻していくことにつながる第一歩なのです。ひきこもりの人が語る「支援者とどう関わっていいのかわからない」「自分でもどうしたらいいのかわからない」という状況にあるものに対して、支援する側が一方的に「あなたはどうしたいの」「どうすればいいの」と迫っても、それはそれ以降の対話が成立しないことを意味します。

 

 

これは就労支援について「何をしたいの」「どういう職業に就きたいの」という問いかけについても相通じるものです。社会には「働く気持ちになれない」「お金をもらっても喜びを感じない」「アルバイトをしても楽しいという感覚が芽生えない」という禁欲なことにすごく悩んでいる若者たちと出会うことが少なくありません。

 

 

若者たちがまず口々に訴えるのは対人不安と並んで、この「何をしたらよいのかわからない」という方向感覚のなさです。フリーター生活を続けながら「やりたいこと探し」をしている若者とは異なり、ひきこもりの人はひきこもってきた年月の空白をどう埋めたらいいのか悩み、やりたいこと探しなどはもう到底叶わぬものと諦めてしまうか、意外と職種へのこだわりが弱いようです。

 

 

このことは、「あまりにもひきこもっている期間が長いと、将来のことはあまり考えられない。今のこと、明日どうするかという感じで、常に不安にさらされている」と言う、ひきこもりの人の話からも読み取れるところです。

 

 

佐藤洋作氏「コミュニケーション欲求の疎外と若者自立支援ーニート状態にある若者の実態と支援に関する調査報告書を読む」(2008年・東京経済大学経営学会)は、やりたい自己が不確かである不安を解消するためのコミュニケーションの欲求充足であるとするならば、ひきこもり支援の基本的構造は、やりたいこと探し支援へと直接的に進むのではなく、やりたいことづくりに向けて若者と支援者が協同して模索し、取り組む関係性の場を作り出すことであると述べています。

 

 

自分でも「はっきりわからない」「どうしていいのかわからない」ひきこもりの人に「これからどうするのか」と迫りゆくのではなく、支援する者と一緒にやっていこう、とする協同的関係性のスタンスをもってこれから進むそれぞれの道を模索検討しつつ取り組む姿勢がとても大切であるということです。

 

 

ひきこもり支援とは、こうした「フツウ」の人達にはなれない自己との間で苦しむ彼らを「あれか」「これか」という二者択一的な結論へと導くものではなく、当面は「自分のできることをやっていく」ことであり、そのなかでさまざまな人や社会とつながり、経験をしていくなかでそれが「いずれ何かにつながっていければいい」ことなのです。

 

 

こうした「曖昧性のプロセスのなかに一つの希望を見出す」協同作業の関係と場づくりこそが今、求められているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 



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