ひきこもりのきっかけと不登校との違い
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ひきこもりのきっかけと不登校との違い

2020年06月30日(火)3:03 午後

 

ひきこもりが単なる「なまけ」という意見は、まったくナンセンスなものといわざるをえません。ただ単に「なまけている」だけで何年間も自宅にひきこもっていられるでしょうか。健康な人間が何もせず、自分が社会からとり残されていると感じながら、ひきこもっていられるはずがありません。

 

相当な焦りを感じるはずですし、苦痛以外のなにものでもないと考えられます。ひきこもるようになったきっかけは、ひきこもりの数だけあると思います。きっかけはさまざまですが、何か必ず存在します。ただそのきっかけが、その後に生じるひきこもりという重大な事態に比較してあまりにも些細な出来事であるような気がするだけです。

 

その出来事として多いのは、やはり不登校からひきこもりへと至ったものです。不登校児童のうち、ひきこもりへと至るのは約三割だといわれています。ひきこもり側から見ても、きっかけとなる出来事のうち、不登校は約三割程度と考えられています。不登校生徒の中学卒業五年後には、八割程度の人が、就学、就労というかたちで社会とつながっていくことが最近厚労省から発表されましたが、社会参加できないままでいるケースがひきこもりになっていくと思われます。

 

不登校以外のきっかけとしては、失恋、就職、転職、受験の失敗、仕事上のつまずきなどがありますが、いずれもその後の長期にわたる引きこもりが予想されるような重大な出来事とは、家族も本人も自覚していることはほとんどありません。また、多くは人間関係のつまずきがきっかけとなりますが、自らの思いえがいていた理想の人生の達成が困難になったと感じられる場面がきっかけになることもよくあります。不登校にしてもひきこもりにしても、自宅にひきこもっているという状態は同じなわけです。

 

そして、ひきこもっている状態に関しても、この状態が自分自身にとってけっして自ら望んだものではないのであり、ひきこもりから抜け出したい、引きこもっていることは苦痛以外のなにものでもないということも変わりはありません。さらに、不登校の約三割がひきこもりに移行するという点からも、不登校とひきこもりの類似性は示唆されます。しかし、その背景にあるものは異なっていると私は考えています。

 

理由はわたし自身の経験によります。わたし自身不登校だったわけですが、不登校時代の苦しかった自分と社会人となった自分とを比較すれば、まったく迷うことなく、現在の自分のほうが楽だと言いきれます。不登校時代のいつもなにかに制約を受けているという感じや、自分が誰にも受け入れてもらえないという苦しさを、今はほとんど感じることはありません。

 

したがって、社会から隔絶していて社会へ出る恐怖を訴えるひきこもりの人と話をしていて、彼らの苦しさ、つらさを私は理解し、共感することはできますが、不登校とは違っていると考えています。私は、不登校時代には、「自分はどうして生まれてきたのか」「生き続ける意味はあるのか」という思春期の課題に悩んでいました。

 

それは自分自身が学校制度という束縛に耐えきれず、そのことに対する無意識的な代償として自己価値観ゆらぎが生じていたと思われます。そして、いずれはこの無価値な自分から抜け出して、社会の中で自分を生かしたいと考えていました。実際、社会に出てからはそれなりに自分を生かしていると感じています。

 

一方、ひきこもりの人は社会で「自分が生かされていない」と感じています。不登校児が学校制度の束縛を嫌悪しているのに対して、ひきこもりの人は社会生活で生じるすべての人間関係を忌避しているように思えます。不登校は、学校の持つ規範力の低下によって増加したと思われます。火事のときには、なにはともあれ教科書を持って逃げる真正な学生という昔のような概念は、今では笑い話にしかならないという事実などが、学校の規範力の低下を説明しています。

 

もともと学校が苦手な子供というのはいつの時代にも一定数はいるはずであり、この規範力の低下が不登校の裾野を広げ、不登校を増加させたと考えています。ひきこもりは、社会の成熟による生存本能のゆらぎによって増加したと思われます。すなわち、社会が成熟することによって自分自身の存在意義が希薄化し、自分がいるべき場所がわからなくなり、本来そんなことは誰もわからないにもかかわらず、ひきこもりの人にとってはよるべなさを感じ、ひきこもってしまうと考えられます。

 

ただ、不登校が誰にでも起こりうる可能性があると厚生労働省が認めているように、「ひきこもり」も等しく誰にでも起こる可能性があると思います。


 

 

ひきこもりは雌伏の時期


 

 

私自身、学校が苦手で中学時代は保健室登校、高校時代は不登校であったのですが、今振り返ってみても、どうしてそんなに学校が苦手だったのかはわかりません。おそらく学校制度におけるさまざまな束縛感に嫌気がさしていたとは考えられるのですが、それも確信的なものではありません。

 

つまり、私自身、困惑していたと思われるのです。そして、しだいに意欲は低下し、成績も下降し、何もしないような日々が続いていました。幸いにも私はなんとかこの状態から抜け出して、現在は、いちおう普通の社会人として働いています。社会人としてはこの経験は貴重なものですが、できれば、学校時代は何事もなく過ぎていったほうがいいとは今でも思います。しかし、いったんそうなってしまったからには、この貴重な体験を生かさない手はないと思います。私のような不登校児と引きこもりの人とは、異なっている点は多いとは思います。

 

それでも、「自宅から出られずに、生産的なことは何もしていない」という点は同じです。現在、ひきこもりの人は、たしかに何もしていません。しかし、一般的にふつうの人はこのような体験をすることはないのです。社会から何年間もとり残されるというデメリットはあるでしょう。人生の短い期間と考えるには、あまりにその期間が長いひきこもりの人が多いのもたしかです。しかし、それでも過ぎたことを思い悩んでも仕方のないことです。

 

現在、ひきこもり状態にある人には、ひきこもりという貴重な体験を少しでも生かして、できるかぎり早く社会に参加してほしいと私は願っています。私の不登校時代が私にとって「雌伏の時期」あるいは「充電期間」だと考えているのと同じで、ひきこもりの人もひきこもり期間を「雌伏の時期」と考えて、それを悔いるより、それを生かしながら一歩前へ進み出てください。きっとふつうの人にはない考え方ができるはずです。



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