迷走する家族~光を求めて~
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迷走する家族~光を求めて~

2020年05月12日(火)8:03 AM

Cさんは二人姉妹の姉の方です。両親との四人暮らしです。都市郊外の新興住宅地に住み、周囲の人達からは「平和で平均的な家庭」と思われていました。



でも、Cさんはそれがまやかしであり、幸せ家族を演じるために、姉妹二人がどれほど心を痛めているかを、身をもって知っていました。



両親は不仲でした。お互いに「結婚するんじゃなかった」「相手を間違えた」と言っていました。しかし、表面だって夫婦喧嘩はしないのです。それは周囲の人々に対して「理想的なカップル」を演じていたからです。



舞台裏を見聞きしている姉妹にとっては、なんともやるせない状況でした。母親は不満のはけ口として自然食や手作り服に熱中し、子どもたちにそれを強制しました。



父親は、気まぐれに行動を起こし、「家族揃って、遊園地に行こう。家族が揃えば楽しいはずだ」と、強引に誘うことがしばしばありました。嫌な顔をすると、「なぜなんだ」といぶかりました。



母親は「そんなに行きたければ、子どもたちと三人でいってきたら」と言い、家事の手を休めようとはしませんでした。父親も母親も人の事情など眼中にないのが、よくわかりました。



自分の理想を押し付け、それが善だと思いこんでいるようでした。だから、Cさんの目には、母親はわがまま、父親は強引な人に映っていたのです。



とはいうものの、姉妹にとっては大切な両親です。両親を失えば、生きてはいけません。姉妹は当時、まだ小学生でした。姉妹の願いは両親が仲良く、本当の夫婦になってもらいたいことだったのです。



17歳になったCさんは、午後の遅い時間に来談されました。母親からは事前に「荒れてしょうがない」と聞かされていました。でも目の前にいるCさんは、つっぱり風ではあるものの、芯の強さを漂わせる普通の少女でした。



相談室での長い沈黙の後、Cさんは今までの思いを語り始めました。気まぐれに自分の幸福感を子供に押し付けないでほしかった。




Cさんは、小学生時代は、いつも両親の気まぐれに付き合ってきたといいます。それが夫婦仲を取り持つ、子供としてのつとめだと感じていたからです。



でも、両親はそんなCさんの心情を理解することはなかったのです。Cさんはいつも、我慢しながら生きてきた、といいます。学校でも家庭でも。



周囲の大人たちはそんな彼女を口を揃えて「がまん強い子」と評しました。Cさんはそれが子供なりに「計算された心」であることを知っていました。



我慢することで、周りが落ち着いてくれるなら、それはCさんにとって<損>のないことでもあったからです。でも、そんなふうに平気で自分の気持ちを偽ることができる自分自身を、Cさんはとても不安に感じていました。



Cさんは、自分の気持ちに正直に生きようと思うようになりました。小学校6年生のとき、両親から初めて「素直じゃないね。そんな言い方をすると友達に嫌われるよ」といわれるくらい、自分に正直になることができました。



自分がなぜ、いままでの「がまん強い子」から「素直じゃない子」へ変身しようとしているのか、Cさんはそのことを知ってほしかったのです。



でも、両親はそのことにまったく気が付かず、かえって無理解を示すだけでした。そんな彼女がついに、親と全面対決する時が来ました。



中学1年生の3学期のことです。その日Cさんは、あえて門限時間を破って遅く帰宅しました。両親に、帰りが遅くなったことを問いただされて、こう言いました。



「一緒に遊びに行った友達がとても疲れていたので、友達の自宅まで送り届けた」すると、Cさんの予想通り両親は行動しました。父親は母親に、見舞いを装って、その友達の家に電話をかけさせたのです。



Cさんの言っていることは本当でした。両親はCさんへの謝罪もないまま、無言でその場をしのごうとしました。その瞬間、Cさんはキレてしまったのです。



「自分の娘も信じられないで、親、親って言わないでよ!」それは力いっぱいの叫びでした。いつの間にか、小学4年生の妹の姿は、消えていました。



そして、両親はCさんの叫びに対して、無抵抗でした。そのことが、Cさんをさらに絶望させてしまったのです。両親が言い返せば、チャンスとばかりにそれまでどれだけ我慢してきたかを吐き出せたと思います。でも、父も母もずるいのです。何も言わないで、ごまかそうとしているのです。


言えば、私が二人の仲の悪さを指摘すると思ったからです。もちろん、言い返せば私も言います。だって仲良く暮らしたいからです。こんな<正体不明>な家族にもう耐えられなかったんです。




Cさんは以後、母親の手作りを拒否し、父親へのご機嫌取りもやめました。そして、両親が自分を向かってくるのを待ったのです。いい子をやめれば、両親もきっと気づいてくれる、とCさんは思ったのです。



しかし、その期待も見事に裏切られてしまいます。両親は、Cさんの「捨て身の問題提起」をはぐらかし、あくまでも「平和な家庭」を演じ続けたのです。



行き場を失ったCさんは、外出するか、家にいるときは自分の部屋に閉じこもることが多くなりました。これまでは、姉が母を説得し、妹が父のご機嫌をとる、といった協力関係も薄れていきました。



やがて高校入試がやってきました。Cさんは当初の予定を変更し、両親にとっては「耐え難い高校」への進学を決めました。両親へのあてつけもありました。



さて、高校も決まり、中学の卒業を迎えたその夜のことでした。2階にいた姉妹は、居間で会話している両親の話を偶然、耳にしました。



「あの子(姉)はお前の責任だ。お前がなんとかすればいい」「でも、あなただって、あの子の親でしょう。どうやってあなたは<説明>する気なの。下の子(妹)はどうするの」



Cさんの中学卒業をきっかけに、離婚の相談だったのです。姉妹の体に、冷ややかな風邪が通り過ぎていきました。いままで、身を粉にして両親の不仲を何とかしたいと頑張ってきたのに、全てが水の泡です。



それでも、まだどこかで両親へのつながる期待を秘めていた姉は、その可能性が薄まったことを妹に打ち明けるしかありませんでした。



すると春には中学生になる妹が大人びた言い方でこんなふうにつぶやいたのです。「お姉ちゃん、どうするの?」妹も、どちらに付くのか、迷っていたのです。



Cさんは、そのとき、こんなふうにつぶやきました。「こいつらはやるだけやらなければだめなんだ」姉は、両親が向かい合う部屋に2階から駆け下りると、両親の懐めがけて拳を振り上げ、絶叫しました。そのとき何を叫んだのか、今は思い出せないといいます。



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