ひきこもりと通過儀礼
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ひきこもりと通過儀礼

2020年04月30日(木)6:47 PM

わたしは仕事上、ひきこもっている子どもを抱えている両親の相談に乗ることが多いのですが、両親の年齢は、中年から老年を迎えようとする年代にあたっています。それはちょうど、思春期のイニシエーションと同じくらい重要な、老年期という成熟に向けての第二のイニシエーションの時期にあたります。


第二のイニシエーションの困難さは、もしかすると、その年代の自殺者が多い(50代後半から60代前半がピーク)ということに現れているかもしれません。現代では、子どもから大人になるより、大人から老人になることのほうがはるかに心理的に困難な課題となっているといえます。


ひきこもりの子どもを持った家庭では、一つ屋根の下で、同時に2つのイニシエーションが進行していると見ることができるのではないでしょうか。


1つは子どもたちの、子どもから大人になるためのイニシエーションです。もう1つは親たちの、大人から老年期を迎えるためのイニシエーションです。


それらは互いにからみあいながら進んでいきます。そして、若さや老いや死など、人間の生に関するほとんどすべてのテーマがそこには出てくるのだと思います。もしかすると、その2つのイニシエーションをむかえる者たちは、どちらも互いを必要としているように思えます。


そのどちらか1つだけを切り取って、それだけを解決しようとするのは、あまり賢いやり方ではないのかもしれません。互いの問題の中に、どのようにこの豊かな社会で成熟していくかというテーマのヒントが隠されているかもしれないのです。これは、関東自立就労支援センターに相談に来られた方のお話です。


その女性は、不登校の子どもとギャンブル依存の夫にはさまれて毎日苦悩していました。子どもは小学生の時に不登校になったそうですが、現在は20代半ばになり、自分のやりたいことを見つけて自由に生き生きと生活しています。


この方は、子どもの不登校をきっかけに自身がカウンセリングを受けるようになったのですが、その過程で、ギャンブル依存と不登校の共通点に気がついたそうです。


ギャンブルにのめり込む人も、不登校やひきこもりになる人も、どちらも安定したレールの上を行くのではなく、先が見えなくて次がどうなるかわからない展開にかける、そういう生き方を選んだという共通点があると気づきます。そして、カウンセラーから「そういう夫を選んだあなたこそ、最大のギャンブラーだ」と、言われたそうです。


こんな洞察をもたらしてくれたすばらしいカウンセラーに出会えたことは幸運でした。「もしかすると、子どもや親やパートナーは、困難なイニシエーションをともにする仲間として、この世に生まれてきたのかもしれない」


そういう気づきは、すばらしいことだと思います。ひきこもりの人の家族相談をしたり、親の会に顔を出しているうちに気づいたことがあります。不登校問題とひきこもり問題との違いには、父親の存在の有無があるということです。


不登校の場合では、相談に来る人も親の会に来る人もほとんど母親のみで、父親が相談に来ることはめったにありません。来ても最初の1、2回くらいです。不登校の親の会は、現在全国各地にありますが、そこに集まっているのは母親ばかりです。


父親が不在なのです。それは、不登校の問題は母親さえ動いてくれれば、解決できるレベルの問題であるともいえるわけです。それに対し、ひきこもり問題では、親の会や集まりの出席者の半数近くが男性なので驚きます。


そこには父親が来ているのです。このことは、ひきこもり問題は父親が出てこないと解決しない問題であるとも、ひきこもりの人たちは父親をも動かす力を持っているのだともいえるのではないかと感じています。こうして父親も巻き込んだ親の会の活動が、現在、全国各地で行われています。


不登校問題では、子どもの問題を通して変わっていったのはほとんどが母親だけなのに、ひきこもり問題では、父親にも変わっていってもらえるチャンスが与えられているということだと思います。


もうひとつ、ひきこもりの人をめぐる家族関係について感じることがあります。それは、ひきこもりになる人たちは、どこかで親が変わることを辛抱強く待っている人たちなのではないか、ということです。


彼らは、けっして親を見捨てません。他の兄弟が親をさっさと見放して自立していっても、彼らは家に残ります。そして、親とともに変わっていく作業をしていくように思えます。たとえ表面的には、家で暴れたり、あるいは親と一言も口をきかなかったりという形であったとしてもです。


彼らは、彼ら自身も気づいていないもっと深いところで、親に自分のことを理解してもらいたいと願っているように感じます。また、親といっしょに変わっていく心の作業を求めているようにも感じられます。


そういう意味では、彼らは親が変わってくれるまで、待ち続けている人たちなのです。そして、親が変わっていくのを見届けてから、ようやく彼らも安心して自立の道を歩み始めます。


不登校やひきこもりの人たちの親として、最終的にせまられる決断があります。それは、世間の価値観を選ぶのか、それともありのままの自分たちの子どもを選ぶのかという決断です。


わたしは子どもに成り代わってお願いしたいことがあります。どうか、わが子を見捨てないでください。世間と子どもとの戦争の中で、世間の側につくのではなく、子どもの味方になってあげてください。


それができるのは、この広い世界の中に、親であるあなた方しかいないのです。自分の子どもの味方になってできることとは、まずは子どもに起きている内的なプロセスを信頼することではないでしょうか。


そして、それにしばしつきあっていってあげること、それが子どもの最大の支援になるかと思います。言葉で言うと簡単ですが、それは親としては、とても苦しくて困難な作業です。いままで信じていた価値観を大きくかえていかなければなりません。


自分たちがそこで安心して暮らしていた世間の価値観からはみだしていくことになります。自分たちの足下が崩れ落ちていくような不安と、「やはり、おかしいのはわが子なのではないか」という疑惑との戦いです。


しかし、同じような作業をひきこもっている本人もやっているのです。「怠けだ」「甘えだ」「病気だ」という世間の価値観というトーチカにこもって、子どもを切り捨てるほうがずっと気が楽でしょう。


でも、そのとき子どもたちは、どんなに深い孤立に追い込まれることでしょう。そうしてしまったとき、親たちのイニシエーションも回避されてしまいます。老年期を迎えるということは、かつての部族社会ではもっとも価値のあることでした。


長生きできる人はほんのわずかでしたし、なにより成人期という生産にたずさわる時期から解放され、もう一度、子ども時代と同じように、自然の存在へと回帰し、労働という日常の時間から、聖なる時間を生きる存在へと変化するものであったのです。


「行動する人」から「考える人」へのライフスタイルの転換です。現代人にとって、この第二のイニシエーションが困難になっているのは、歳をとっても、「生産の論理」からなかなか自由になれないからだと思います。


歳をとって働けなくなることが、人間としては無価値であるという思想によって、わたしたちの世界がおおわれてしまっているからです。この生産至上主義の社会においては、極端な話、子どもや老人や障害者などはみんな、役立たずの邪魔者でしかありません。そういう貧しい世界観しか、わたしたちは持てなくなってしまったのです。


こういう「生産の論理」を超えて、いかなる人間観を持つことができるのか、それが、いまの豊かさをきわめたわたしたちの社会に求められていることなのです。


ひきこもった青年たちも。老年期を前にした親たちも、じつは同じテーマの前で苦しんでいます。人間を労働や生産という視点からのみ評価するのではなく、そこに存在していること、それだけで価値があるという視点への転換です。


そういう未来を一人ひとりが苦しみながら切り開いていくことを、たぶんひきこもりの問題を通して、この社会はつきつけられているのだと感じます。


ひきこもっているあなたも、親であるあなたも、その作業をともにやっていく仲間として、同じ屋根の下に生まれあわせてきたのではないでしょうか。そして、それはとてもすばらしいプレゼントとしてあるのではないでしょうか。



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活動内容
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 学習 支援、生活訓練
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