不登校・ひきこもりと自立
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不登校・ひきこもりと自立

2020年04月30日(木)6:44 PM

不登校からひきこもり、その後、進学したり就職したりすると、まわりは「自立できてよかったと安易に言ってしまうことがあります。ところがそれでは、今もってひきこもっていたとしたら、それが不幸なことと「勝手に」決めつけていることになります。




その人にとってひきこもることで、「豊かな人生」で出会えているなら、それはそれでもう十分に「自立」していることです。まわりがとやかく言って、自分の幸福観に他人を引きずりこむことになります。




極端なことを言えば、かつてシンナー依存、逸脱行為をしていたとしても、それはその人にとって、「今、ここで」豊かな人生をつかむために必要なことで、たどるべき道だったとも言えるのです。




なぜなら、生きているからです。その人にとって今を生き延びていくためには、それが良し悪し関係なく必要だったと思います。肯定してほしい、とはそのことです。過ちをごまかすために肯定を求めているわけではないのです。




その事柄が納得できるか否かは別問題で、その人がその人「らしさ」をつかむために行動したことを肯定してほしいのです。だから肯定することは、「自分の人生の主人公は自分だよね」と相手に求めていくものです。




今、あなたはどのような自分をつくろうとして、どのような行動をしているのか、それを問うことが肯定的かかわり方でもあるのです。ここでは、自立についての若者からの手紙での相談を紹介してみます。また、わたしからの返信も添えてみました。




18歳・女子高生




こんにちは。わたしは某付属高校3年の女子です。わたしは小学校の頃、不登校をしていました。小3のとき、「新しい担任の先生が気に入らない」と言い訳をしていましたが、本当はいろいろなことが積み重なってのことでした。




わたしも「良い子」の一人でした。小さい頃から「頭がいい」とほめられ、嫌なことはすべて自分の中に押し込めていたら、何でも完璧でなければならない子になっていました。




そして、人と違うことすべてがコンプレックスでした。わたしの学校は運動が盛んでした。でも昔から運動が苦手なわたしはみんなより劣っていて、ある日、耐えられなくなり爆発して、休んでしまいました。




だから、理由を聞かれても本当のことは言いたくないし、その頃は言葉にもできませんでした。親も先生も、無理やり学校へわたしを連れて行こうとしましたが、いつからか強制できなくなっていました。




そしたらいつのまにかわたしは、保健室か職員室にいるようになっていました。友達から「ずるい」と言われましたが、人と比べられることもなく、折り紙、手芸、読書、パソコンなど自分の好きなことができる時間は、わたしにとって大切で幸せな時間でした。




小5・6年はとても厳しい先生になりましたが、休みつつも自分の足で教室に行けるようになりました。そして6年生になると、児童会の議長に立候補し、大嫌いだったスポーツ少年団でソフトもやりました。




陸上記録会では、父と夜2人で練習したかいがあって、わたしの中ではとてもいい結果を出すことができました。それから今まで、悩んで何も見えなくなったら休むことにして、無理しない人間になりました。




嫌なことがあったりすれば暗くなり、まわりのことを考える余裕もありません。だから友達とうまくいきません。肯定感というのはどこまで許されるのですか。安心できる言葉ですが、すべてを肯定したら甘えにならないですか。




だから、友達を肯定したり肯定されても、だらけてしまったらどうしようと心配になるのです。(中略)あなたは肯定されることの厳しさに気づかれたのですね。怖くなったのではないですか。




肯定され続けたら、いわゆる「甘え」(逃避)を許す心を持つ自分が、相手の誠実さの前に何とも恥ずかしくなるものです。つまり、肯定されるということは、自分の人生の責任は、どこまでも自分がとることを自覚させられるからです。




「自分の人生の主人公」を誰かに人任せすることはできないのです。たとえば、口には出さなくても本心では相手を裏切っていたり言い訳しているのに、それでも一途に自分を信じて(肯定)くれる人がいたとしたら、いたたまれずに逃げ出したり、近づけないものです。




自分が信じる、信じないの前に、すでに相手が「このわたし」を、ひたすら信じていることの尊さに下心を持っていた自分が、あまりにもみじめすぎてしまうのでしょうね。




それはそのまま、そんな自分がそこまで相手を信じきれるか、という問い返しになるからです。わが身にある「甘え」と、正面きって、向き合わなければならないからです。だから人は、謙虚な姿や人生に近づきたくても、まぶしすぎて、あこがれで足を止めてしまうのでしょう。




わたしは人生の岐路に立っているあなたを、とても身近に思えます。いろいろありながらも、これまで周囲の人とのめぐり合わせの中で、なんとかやってこれたのです。




その深い思いやりに気づかれた一方で、今度はそのお返しをすることに不安で、自信なく思っているのではないでしょうか。将来、保健室の先生(養護教諭)をめざしているというところに、そんな思いを感じます。




そして、出会ってきた担任、父親などに肯定されてきたにもかかわらず、やっぱり進路を定めても、今度は人を肯定できないふがいなさを持ったのかもしれませんね。すると、これまでの自分は単に人が肯定してくれる気持ちに「甘えていた」だけではなかったのかとも思いはじめているのではないでしょうか。




「嫌なことがあったりしたら、暗くなっていた」、そのことも自分らしさと思っていたが、それは単純にわがままにすぎなかったのではないか、だから友達ともしっくりいかなかったのではないか、そういろいろ考え出したのでしょう。




すると、先生になることを目指すのも不遜なことのように思えるのでしょうね。人を丸ごと無条件に肯定できないのは、どこかで自分の「甘え」を許してほしいという逃避の心があるからではないでしょうか。




人は納得してほしいのではなく、「そうしないわけにはいかなかった」気持ちを肯定してほしいのです。もうそれで十分です。事柄の責任から逃れられないことは百も承知であり、またそれは、背負わなければ他人の誠実さにあぐらをかくことになります。




「肯定してだらけてしまったら」と心配することが、すでに、納得する、しないの世界になっています。だらけたとしたら、そのだらけてしまった気持ちをしっかりと聞いてください。相手が「そう、そこがわかってほしかった」と言ったときが、肯定されたときなのだと思います。



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