家族関係に悩む女性からの手紙
ホーム > 家族関係に悩む女性からの手紙

家族関係に悩む女性からの手紙

2020年04月30日(木)6:42 PM

関東自立就労支援センターに届いたある女性のお手紙を、ご本人の承諾を得て紹介したいと思います。


「家族関係に悩む女性からの手紙」


自己束縛と聞いてはじめにハッと頭に浮かんだことは、「なんにでも裏づけしてしまう理屈っぽい自分」ということです。わたしは小学校・中学校・高校と、先生たちによって「楽で優秀な生徒」をしていました。


遅刻も早退も欠席も、よほどのことがない限りしませんでした。わたしは中学生のとき、男友達にポツリと「一回でいいから授業をさぼってみたい」と言った事を覚えています。


その男の子は「お前には絶対にできない!」といいました。わたしは「絶対卒業までにしてやる!」と言いながらも、頭の中では彼の言ったとおりだと思っていました。わたしはよく母親に「あんたはお父さんにそっくり!」と言われます。父は仕事、仕事の仕事人間です。


父の両親は、とても立派な人です。祖父は家で歯科医を開業して、祖母は教師をしていました。父の兄弟は、ほとんどが大学の教授になったりして、立派な地位を持っています。


わたしの父は、金属などを研究する研究員です。A市では二番目にエリートの会社で、父は会社の中で二番目の地位についています。わたしや母が父の母親に電話をすると「〇〇はちゃんと勉強しているか?」と毎回必ず聞きます。母は、電話をすると、毎回同じことを言われるので、あまり祖母に電話をしたがりません。


祖母もそんな母の気持ちを知っているのか、あまり母とは仲がよくありません。祖母はとても頑張り屋で、気持ちの強い人です。祖父は、わたしが小学校低学年のときに亡くなりました。


それから祖母は、富山の家で一人暮らしをしていました。祖母の家は庭が広く、池や橋があり、鯉が何十匹もいました。祖母はわたしが遊びに行ったときも、庭いじり、雑草取りなどを怠ることはありませんでした。


九十歳近くになった今も、父の兄の家から毎日毎日富山の家に行き、庭いじりをしています。仕事で忙しいわたしの父は、なかなか祖母の元に行くことができません。祖母は足が弱り、手は庭いじりのせいで腐ってしまいました。


父は泣きながら「お父さんは本当に親不孝だ」と、わたしと兄にいいました。わたしが父の泣いている姿を見たのは、これで二度目でした。わたしは家ではほんとうにひどい娘です。家のことはほとんど手伝わなくなり、自分のことばかりを考えて生活しています。


今では、父が庭いじりをしていても手伝おうともしません。小・中学のころは、わたしも家の手伝いをたくさんしました。洗濯・掃除・お弁当作り・・・・。母はわたしのことをみんなに自慢していました。


わたしも、母が喜んでくれるのと、ほめられることで喜びを感じていました。兄はスポーツもでき、本当はとても頭のいい人です。「本当は」というのは、兄は高校で有名進学校に入ってしまい、成績だけを気にする先生たちと合わずに、少しずつ乱暴になっていったのです。


タバコ、酒、万引き、サボリ、けんかと、悪いといわれることはすべてしてきました。なぜ、そんなに荒れてしまったのか、理由があります。兄は学校になじめないぶん、ボクシングに全力を注ぎました。


体つきのがっちりした兄は、人一倍の頑張り屋で、生き生きとしていました。ところが猛練習のせいで、兄は腕を壊してしまいました。指先が肩につかなくなってしまったのです。兄はドクターストップを出されても「ボクシングを続けたい!腕が使えなくなってもいい!」と泣き叫んでいました。


兄の希望もむなしく、お医者さんは「手術をしても、今の医療ではどうすることもできない。逆に下手に手術をしてしまえば、腕の神経が通らなくなる恐れがある」と言いました。兄には、たったひとつのがんばれるもの(ボクシング)もなくなってしまいました。


母はそんな兄を心配し、口うるさくいろいろと問いかけ、父は他人のようにそっけない態度をし、口を出しませんでした。わたしは母と兄のけんかを隣の部屋で聞きながら「神様、どうかけんかをやめさせて!」と泣きながら祈っていました。


けんかがやまない時には、関係のない話を持ちかけてけんかをやめさせようとしたり、寝て、朝になればけんかが終わっているんだ!と、必死になって寝ようとしたことを覚えています。


でも母は、兄とかんけしたあとも「お兄ちゃんは優しい子」と言います。わたしが少し嫉妬をして「ぜんぜん優しくないよ。超嫌な奴!」と言うと、「あなたよりもお兄ちゃんのほうがずっと優しいわ」と言います。


わたしはとても寂しかったです。それは、お兄ちゃんがやさしいと知っていてお母さんに言っているのに、頭ごなしに反論されたからです。お兄ちゃんが壁や冷蔵庫を殴っていても、お母さんのことは絶対にぶたないこと、お母さんのことを間違えてぶったとき「どうしよう、大丈夫かなあ?」と心配そうな顔をしていたことなど、わたしが一番見て、知っていたのに・・・・。


そのことをお母さんに言いたかったのだけれど、「お兄ちゃんはいい子」と言われると、わたしは「悪い子の役」をしなければならなかったように思います。


このことは、今までの学校生活を思い出しても言えます。たとえば、誰かが泣いている、声をかけてやさしくしてあげたいと思ってそばによるけれど、先に他の人が来て、泣いている子に声をかけて励ましているのを見ると、わたしは声がかけられなくなるのです。


それは、他の子が声をかけてあげたからという安心感ではなく、自分はもう必要ないという孤独感からくるものです。わたしは自分が意地っ張りで、ひねくれ者だと知っています。だから時々、自分が嫌になります。


逆のことも、よくあります。つらいことがあって、誰かに声をかけてほしいと願っているとき、わたしと同じような立場の人がもう一人いて、その子が先に誰かに声をかけられると、わたしは何もなかったような顔をして、ひどいときにはあとから声をかけてくれた人に悪態をついてしまいます。


なぜなんだろうと、自分でも疑問に思ってしまいます。わたしが見つけた答えは、いつもお母さんの中で一番になれなかった自分の寂しさを、他の人にぶつけているのではないか、ということです。


いざ、誰かがやさしくしてくれると、そっぽを向いてしまうのです。少しずつ自分が変わっていけたらと思います。わたしの家族のことをいろいろ書きましたが、だから何が言いたいというわけでもなく、親や兄弟のせいにしているわけでもありません。もしかしたらわたしが言いたいのは、家族一人ひとりの性格や個性を認めてあげたいのかもしれません。


わたしの家は、全員血液型が違います。性格も一人ひとりまったく違います。明るく陽気な母、まじめな父、寅さんのような兄、少しウジウジしたところのあるわたし・・・。


なんにでも裏づけしてしまうとか理屈っぽいというのは、いいことなのか悪いことなのか、決めつける気はありませんが、時には「理屈っぽいね」と誰かに指摘されたいと感じます。慎重にやろうと思うから、裏づけをしてしまい、自信がないから慎重になるんだと思いました。


「わたしからの返信」


今の若者は「自信がない」「理屈っぽい」「慎重すぎてチャレンジ精神が足りない」という声を聞きます。ところがそれも考えてみると、彼らは昭和40年以降の日本の価値観をまともに受けて、子育てをされてきたからではないかと思います。


「努力したら報われた」高度経済成長期は「努力しても報われなかったら、それを努力と認めない」感覚を身につけさせてきたように思います。そして偏差値教育は評価、結果を優先させてきました。これではどうしても失敗、うまくいかないことを恐れ「裏づけ」を「理屈っぽい」までにとらないと行動を起こせない育ちになってしまいます。


また、少子化、核家族化は「何かあったら誰か(たとえば親や上司)が責任をとってくれる」という依存、責任回避の身の振る舞い方を伝えてきたのではないでしょうか。だから人間関係で傷つくのが怖く、傷つくリスクを背負う立場に臆病になってしまうのです。


その結果、いつもさびしさを抱えているわけです。若者たちが必死で「いい子をやめたい」と、あえてすれた行動をとるのも、さびしさからの脱却であり、自立することへのあえぎにも思えます。学校を出たら親にはかじりがいのあるスネもなかったという状態が、自立的な道の第一歩になるのかもしれません。



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援