不登校の経過ついて
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不登校の経過ついて

2020年04月30日(木)6:39 PM

関東自立就労支援センターで、わたしの関わってきた不登校の人たちの大部分は、たしかに、ある種のサポートは必要であったかもしれませんが、一人でいつか巣立ちの作業をやっていくことができました。不登校の人たちがたどっていく、内的な変化の道程(イニシエーションとしての内面の旅)を山登りにたとえて表現してみます。


これは、わたしが多くの不登校の子どもたちのケースを通して経験的に学んだものですし、大人の場合でも、うつ状態から回復するときに、同じようなプロセスをたどっていくことを見てきました。人が大きく変化するときには、こうした一定のプロセスをたどるのではないかと思います。


そういう意味では、ひきこもりの人たちも、本来は同じプロセスをたどっていくものではないかと思っています。ただし、多くの不登校のケースで、それがひとつの流れとして、このプロセスを自然に経過していくものであることを見てきましたが、(つまり、多くは放っておいても時間が解決してくれました)、ひきこもりのケースでは、なにかがこのプロセスを途中でさえぎってしまい、宙ぶらりんのまま時間だけが経っていってしまうという傾向があるように思います。


それが一体なんであるのかを見ていき、解決のヒントをさぐるためにも、まずはこの内的な変化のプロセスを「旅立つこと」という視点からのモデルとして提供してみたいと思います。


1.旅の始まり

それは、「みんなの笑顔に見送られて」などという、のどかなものではありません。出発というよりも、むしろ追放という言葉を用いたほうが適切でしょう。みんなとともにいた場所、家族とのぬくもり、そこにいたほうが安全で危険の少ない場所から、ある日突然、あるいは、知らぬ間にゆっくりと、追い出されてしまうのです。


はじめは、みんな焦ります。そんなつもりじゃなかったと、もといた安全な場所にもどろうとします。しかし、押し流そうとする力は一人の人間のがんばりをあざ笑うかのように、どんどん人を遠くに連れ去っていきます。誰もが、あせり苦しみます。なんとかしようと、気力をふりしぼってがんばります。


もんなと同じコースから離れることをひたすら恐れ、みんなと同じことができない自分を責めます。無理を続けるので、心や体にさまざまな不調が起きます。朝起きると体がだるい、頭が痛い、お腹が痛いなどです。


将来への不安、自分だけがとり残されるという孤独感、自分はもう人生の落伍者なんだという絶望感、それらがからまりあって、にっちもさっちもいかなくなります。


多くの者はその苦しさを、まずは身近にいる家族へとぶつけます。家族もこの時点では、まだまだ叱咤激励すれば、子どもがもとのコースに戻れるのではないかという期待から、あれこれと干渉してきます。そういう親子のすれ違い、対立が生じる時期です。親もなかばパニックになり、子どもにぶつかっていきます。


それで、さらに追い詰められた子どもは、まるで、手負いの野生動物のように目を怒らせ、ささいなことで爆発します。家族にあたる、物を壊す、短期間の家庭内暴力が見られる時期でもあります。


2.小春日和


いくら気力でがんばろうとしても、まったく体はいうことをきいてくれません。学校に行きたくても行けない、やりたくてもやれない、そんな状況に疲れ果てる時期です。親も子どもとの闘争に疲れて、まだまだ納得したわけではありませんが、とりあえずの休戦を望むようになります。


そうして、とりあえずしばらく学校を休むという妥協が成立します。学校へ行かなければいけないというプレッシャーから、ひとまず解放されて、ほっと一息つきます。たいがいは、このころから昼夜逆転の生活になります。夜中に部屋でごそごそやって、寝るのは明け方近く、起きてくるのは昼過ぎという生活です。


子どもも親も、まずはしばらく休戦することを望みますが、それは本心からのものではありません。このしばしの平安の時期が経つにつれて、再び、少しずつ焦りが顔を出していきます。そう、嵐の本番はこれからなのです。


3.嵐の峠越え


いよいよ休んでいることすらプレッシャーとなって、このままでは取り返しがつかなくなるという焦りの気持ちがむくむくとふくれあがってきます。学校に戻ろうと挑戦したり、新しい行動に出ようとしますが、多くはあっさりと挫折してしまいます。


そうして表面的には何もしないでぶらぶらする状態に戻ってしまいますが、心は一刻も早く遅れを取り戻そうとはやるばかりで、はた目には何もしないで休んでいるように見えても、心も体も休むことはできません。


突き上げてくるかのような不安・絶望・焦りにさいなまれて、その苦しみを「おぼれる者は、わらをもつかむ」で、まずは身近な家族に向けてぶつけてきます。特に母親がターゲットになりやすいのです。あれこれと無理な要求をつきつけてくる、それが通らないと物にあたる、あるいは暴力として爆発します。


親をつかまえて、「こうなったのは、おまえたちのせいだ。責任を取れ」などと、難癖をつけてきます。過去のささいとも思える出来事をいちいち持ち出しては、「あのとき、なぜ、あんなことをしたのだ」と、非難してきます。夜中に親の枕元にやってきて、無理やり起こして、朝まで責め続けるなどということを繰り返します。


はじめからほとんど親と顔も合わせないで、部屋にひっそりとこもりっきりでいるというケースも見られますが、それでもひきこもりから抜け出す時期がきたときには、この動きが出てくるように思います。


はじめに来るか、後から来るかの違いでしかないでしょう。そういう点では、子どもの不登校や青年期のひきこもりの現象では、この親を責めるというプロセスは、いつかどこかで、かならず出てくものであるように思えます。この時期が一回ですむ場合も、何度も波状攻撃みたいにやってくる場合もあります。親も子どももほんとうにへとへとになる時期です。


4.山頂で憩う


しかし、いずれやがては、疲れ果てて、なにもしないでボーっとしている無気力状態になっていきます。そうやって来る日も来る日もTVやネットをぼんやりながめていたり、ゲームをやっているだけの日々が続きます。


これは、いままでたまっていた長期間のがんばりからくる疲労や、さまざまな心の傷がゆっくりと癒えていく時間でもあって、外から見たら何もしていないように見えますが、じつは、心の中では大事な作業がひとりでに進んでいます。この時期にゆっくりとではありますが、学校には行けないことを受け入れられるようになっていきます。


自分がいますぐはみんなと同じようにはできないことを、どこかであきらめて受け入れます。そうしてはじめて、楽になっていきます。この時期は、学校や人間関係のアレルギーがゆっくりと鎮まっていく時期でもあるのです。


この時期が一番大切なのではないでしょうか。この時期をしっかりとることで、また先に進むための準備ができるように思われます。この時期は、いわば山頂にたどりついてボーっと放心している状態といえます。


不登校の子どもたちの感覚としては、そんな開放感があるわけではなく、むしろ穴の底にいる感じといったほうが近いのでしょうが、この何もしないでボーっとしている期間がとても大切なのです。そのためには、親子共々頭を切り替えて、しばらく世の中の動きから離れて山頂でしばし休むことを受け入れることが必要です。


そして、休むからには徹底的に休むことが大事です。未来について思いわずらっているうちは、心も体もいつになっても戦闘状態から解除されません。むろん、内的な批判者は、なかなか口を閉じようとはしないでしょう。当人を焦らせ、一刻も早く山から下りるようにそそのかし続けるでしょう。


しかし、「今は、みんなと同じようにはできないのだ」という事実を受け入れることで、この自分自身との不毛な戦いをやめることができます。そうして、自分自身との戦いに使い果たしていた心のエネルギーを徐々にためこむことができるようになります。心のエネルギーの回復には、なによりボケッとすることが一番のようです。


5.山を下りる


ボケッと過ごす期間の長さは人それぞれのようですが、多くは、ある日突然という感じで、子どものほうから動きが起きます。高卒認定試験を受けて上の学校へ行く、アルバイトを始めるなどです。そういう動きがいったん出てくると、あれよあれよという間に進行します。


それまでは昼夜逆転の生活だったのが、誰からも注意されないでも、朝に起きられるようになります。やりたいことを自分で見つけてきて勝手にやり始めます。


焦りから動き出したときとの大きな違いは、こうして充分に休んだ後の子どもたちの動きや表情に余裕のようなものがあり、なにかまるで獲れたての魚のようにぴちぴち、生き生きとしていることです。


そうして、一人で社会へ飛び出していきます。これはあくまでも何例もの不登校の人たちを見てきてわたしが学んだ内的なプロセスを、典型的に描いたモデルケースです。実際は一例一例、人それぞれ独自のプロセスをたどるものであることはいうまでもありません。


不登校の相談の場合は、母親だけが相談に来るという形(残念ながら、父親はほとんど動いてくれません)が多く、不登校の子どもにも会えることのほうが少なかったのですが、特に専門家としてなにか特別なことをしたわけではないのに、こういう内的なプロセスがひとりでに進んでいきました。


それに対して、学童期の年齢を超えた(ここではとりあえず20歳としておきます)ひきこもりの相談では、何年も動きがないままズルズルと長期化しているケースが多く、このプロセスがどこかで足踏みしているという印象があります。


むろん、不登校とひきこもりとを同じものとして論じることはできないのですが、比較することで、なにかサポートのヒントが見つかるかもしれません。ひきこもりには、2つのケースがあります。1つは、家族を巻き込みながら、引きこもり状態が長引いてしまっているものです。この場合は、慢性化した家庭内暴力も含めて、すくなくとも家から一歩も外には出られなくても、家の中では、ある程度自由に動き回れる状態にあります。


もう1つのケースは、家から出られないだけでなく、自分の部屋に閉じこもりっぱなしになっていて、ほとんど家族との接触も避けている状態です。いわば、社会からも家族からもひきこもっているという二重のひきこもり状態のケースです。


前者は「葛藤型」、後者は「無気力型」とも分類できるかもしれません。前者のケースは、2の小春日和と3の嵐の峠越えを何度も繰り返しているようです。


後者の二重のひきこもりのケースは、一見、4の山頂で憩うという時期が何年も続いてしまっていて、ある種の心理的な安定の中で時間が止まってしまっているかのように見えます。


しかし、(期間が長引くにしたがって、無気力状態が徐々に進行してしまっているような心配もありますが、このケースでも、外からは葛藤が乏しいように見えても)やはり内面的には、2の小春日和と3の嵐の峠越えを反復しつつ、自分自身との内戦状態が長期化しているのではないかと思われます。


いずれにしても、ひきこもりのケースでは、なぜ「山頂で憩う」のステップに進むことが困難なのか、なにがそれを邪魔しているのか、それはやはり当事者自身の「みんなと同じでなければいけない」という自分自身にかけた呪いのためではないでしょうか。自分自身の敵は自分なのです。そこから自由になるには、自分自身の手で自分との戦いをやめるしかないと思います。そしてその作業だけは、誰にも手助けすることはできないのだと思います。



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活動内容
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