社会の閉塞感とひきこもり
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社会の閉塞感とひきこもり

2020年04月30日(木)6:35 PM

近年の青年たちにとってイニシエーションの「移行」の段階は、さまざまな人に出会ったり、ときには大人たちが眉をひそめるようなことをやったり、仲間や一人で旅をしたりという、いわば「彷徨(さすらい)型」の体験でした。それがいまは、なぜ「内閉(ひきこもり)型」の体験をとる人たちが増えているのでしょうか。


一人ひとりを個別に見ていけば、ひきこもりを生じさせる背景には、積み重なった傷つき体験や過剰な自責感、心から話せる人が周囲にいない孤立状況などの要素があります。


しかし、ひきこもりの人たちがこの日本の社会に増え続けているということを説明するには、個人の問題だけに還元できないもっとより大きな社会的な背景や、現代の日本に生まれて生きていくこととはどういうことなのか、ということも考えていく必要があると思います。


わたし自身、ひきこもりの問題にかかわるようになって感じることなのですが、わたしたちの社会は、この「ひきこもり」の問題に対し、なぜかすごく敏感になっていると思います。この問題へのごく一般的な反応として、「ひきこもっている奴らは甘えている。もっと厳しく接しなければだめだ」という論調があります。


そこには、ふつうの人たちの、怠けることや、何もしないでぶらぶらすることへの憎悪にも似た強い反発があるのではないでしょうか。「自分たちはこんなきつい思いをして働いているのに、奴らはいったい何様だ」というような、この社会を支えている人たちからの、爆発する一歩手前のような強い揮発性の怒りが渦巻いているのを感じるのです。


「ひきこもり」という言葉は残念なことに、「新潟少女監禁事件」「佐賀バスジャック事件」などのいくつかのセンセーショナルな犯罪事件と結び付けられて、マスコミ報道によって一気に広がったという経緯があります。


そのため、「なにをするかわからない反社会的な人たち」という過剰に否定的なイメージが一人歩きしていて、それに対するふつうの人たちの強い不安感や恐怖感を引き出しているようです。


ひきこもりの問題に対する、こうした社会の情緒的なレベルでの反発や、それこそ冷静さを失った「逆上」とか「キレる」という言葉がぴったりなこの反応はいったいなんなのだろうと、わたしはずっと思ってきました。


今のわたしには、こんなイメージが浮かんできます。ひきこもりの人たちとは、日本という巨人の体をあちこちと這い回り、チクチク刺しては巨人をいらだたせている、目には見えないような虫みたいなものではないか、巨人はその虫を指先でひねりつぶしたいと焦りますが、姿が見えないのでよけいイライラしています。


わたしは社会の過剰な反応の底には、長引く不況等、出口の見えない閉塞状況の中で、日本人の一人ひとりがかかえている「きつさ」が関係しているように思えます。


ひきこもりの問題は、子どもから老人までを巻き込んでいるこの「きつさ」という状況の中で、必死に生きているわたしたちの深い部分を刺激するのだと思います。


そういう意味では、ひきこもりの問題とは、当事者やその家族だけの問題ではなく、この社会を生きている日本人全体の問題をどこかで反映しているのだと思っています。「きつさ」をかかえた日本人の問題です。ひきこもりの体験を持つある人から、次のような話を聞いたことがあります。


「TVのニュース番組の特集で、こんな話を見ました。ある日突然、リストラにあった中年サラリーマンがそのことをどうしても家族に打ち明けることができずに、給料日になるとサラ金からお金を借りてあたかも給料が振り込まれているように見せかけ、近い将来には確実に破綻することがわかっていながらも、仕事を行くふりを続けているというのです。


僕は、ある時期から大学にいけなくなりましたが、そのサラリーマンと同じように自分の現実を認められずに、家族に向かって大学に行っているふりを続けていたのです。自分を「ひきこもり」だと認める前は、僕もそのサラリーマンそっくりに、そのときの状況を必死にごまかしながら生きていました。もし、ひきこもりにならずに、何も考えずに生きていったら、将来のどこかできっともっと苦しい状況を迎えていたと思います」


わたしは、「ひきこもりは甘えだ」と語る人たちのほうが、じつは生きることのきつさを抱え込んでいる人たちなのかもしれず、そのサラリーマンのように、ある日リストラされても家族にそのことを打ち明けることができないほど、孤独に歯を食いしばりながら必死に自分を追い立てて生きている人たちなのかもしれないと感じています。


今、日本の社会は、少子高齢化、年金問題、リストラ等、先の見えない不安感にあえいでいます。しかし、冷静に考えれば、まだまだ日本は豊かな国です。少なくとも1億2000万人の人間が、餓死せずに生きていけるだけの豊かさは失っていないはずです。


ではいったいなぜ、こんな「きつさ」を一人ひとりがかかえながらみんなでおびえているのでしょうか。この「きつさ」は、日本人の「勤勉さ」と関係がありそうです。この勤勉さというのは、よくも悪くも日本人の特質だと思います。


すでに、16世紀に日本にやってきたイエズス会の宣教師たちが、日本人のまじめさ、勤勉さについて驚くべきこととして報告しています。また、明治になって日本に滞在した多くの外国人たちの日本人評も、この勤勉さということでは一致しているようです。


明治維新後わずか40年たらずで、日露戦争を戦い抜くまでになった富国強兵政策を支えてきたのも、太平洋戦争後の一面の焦土から奇跡的な復興をとげることができたのも、なによりもこの勤勉さという特質のおかげだと思います。


日本人はそこに目標があって、その過程を登っていくときには、国民一体となってものすごい力を発揮します。しかし、現在のようにその目標が見えにくくなったとき、その勤勉さは本来の生き生きとしたものを失って、なにがなんでもがんばり続けなければならないという「きつさ」に転落してしまいます。


先ほどのリストラされたサラリーマンのように、体面を保つために借金をしてでもがんばり続けてしまいます。今の日本も、国債という形で莫大な借金をしながら、バブル時代の生活水準を維持しようとしています。


その点では、このサラリーマンのことを笑うことはできないでしょう。「きつさ」の反義語は、「ゆとり」ということになるのでしょうか。わたしは昭和30年代の生まれですが、そのころの日本は欧米諸国と比べたら、ほとんど発展途上にある第三世界の国でした。


貧困の問題は深刻で、人々の生活や労働環境はいまよりはるかにきつかったと思いますが、精神的にはもっとゆとりがあったように思います。なにより昼間から働かないでブラブラしている大人たちがけっこういたように覚えています。


いまわたしたちはかつてのどの時代よりも豊かになっていますが、なぜか、ゆとりの点ではとても貧しくなってしまっているようです。ひきこもりの問題も、この「きつさ」の問題なのだと感じます。ひきこもりになる人達の大部分は、自分の内部に「きつさ」をかかえこんだ人たちなのではないでしょうか。


彼らは一歩間違えると、ワーカホリック(仕事中毒)の予備軍になる人たちなのではないかとわたしはひそかに思っていますが、それは、彼らこそ誰よりも強く「人間は仕事をしなければいけない」「社会に出て金を稼がなければいけない」と、自分自身に言い聞かせている人たちだからです。


そういう点では、「ひきこもりは甘えだ」という人たちと同じ価値観でしばられているのです。さらに「ひきこもり」などになってしまった自分を、「おまえは、人間失格だ」と、厳しく糾弾し続けます。ですから、「ひきこもりは甘えだ」という批判者は、じつは外の世界だけでなく、ひきこもりの人たち自身の中にもいるのです。


そういう心の内部にいる自分自身に対する批判者を心理療法の世界では「内的な批判者」と呼びます。ひきこもりの人たちはこの内的な批判者が、じつに強い人たちが多いのではないかと思います。その内的な批判者は、いつも目を光らせていて、ちょっとした失敗を見つけては容赦なく批判してきます。


「そんな性格じゃあ、一生友達はできないよ」とか「また、失敗した。ほんとうにお前はダメな奴だな」などと、ほんとうにきついことを言ってくるのです。ひきこもりのはじまりには、こういう内的な批判者によってどんどん追い詰められていく過程があります。


そして、内部の敵を外の世界に投影して、親や世間が自分を追い詰めているのだと思い込んでしまう側面も強いようです。ひきこもりの問題を考えていくときには、この外部からも内部からもやってくる「きつさ」や圧力の問題を考えていく必要があると思います。


ここで、見落としてはならないのは、日本人全体を包んでいる外部的な「きつさ」と、内的な批判者の「きつさ」を分けて扱うことはできないということです。


それはどちらがその原因であるというものではなく、外部と内部が互いに絡まりあいながら生じているものだからです。外部と内部の融合したなかなか言語化できない「きつさ」の体験として、ひきこもりの問題を理解していく必要があるのではないでしょうか。


そしてそれは、いまを生きるわたしたち全体の問題として考えていく必要があります。現代のイニシエーションが「内閉型」の体験になってきている一つの理由には、この時代的な気分としての「きつさ」や「閉塞感」が大きくかかわっているように思います。


外の世界も、内部の世界も、ますますハンドルの遊びのような部分が失われ、息苦しさのようなものがこの社会を覆っています。ゆとりを取り戻し、もっと楽になる、いささか過激ですが、「いいかげんさ」という解毒剤が必要かもしれません。



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