豊かな社会とひきこもり
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豊かな社会とひきこもり

2020年04月27日(月)7:00 AM


約15万年前に人類が歴史上に登場してから、「食うこと」というテーマはずっと重いものとしてありました。気候や生態系のちょっとした変化でも、人口は大きく変動しました。





狩猟採集文化であった縄文時代には、日本列島には最大で約25万人の人間しかいなかったと考えられています。その後、稲作がもたらされたことによって、人口は爆発的に増加しました。それでもつい半世紀前までは、生きることは食うことと直結していました。





高度成長期を経て、1980年代以降の日本の社会は、人類が始まって依頼、初めて上から開放された豊かな時代に突入しました。では、飢餓の心配のない、豊かさを極めた高度資本主義社会の日本という国に、なぜいま、ひきこもりの人たちが増えたのでしょうか。





香川大学で心理学の先生をしている小柳晴生さんの著書に、『ひきこもり小さな哲学者たちへ』(NHK出版、生活人新書)があります。小柳さんは、その本の中で、「今の若者や子どもたちを取り巻く問題は、豊かな社会の中でどう生きていくかという問題であって、それは過去のどの世代も経験したことのない、はじめてのものである。そこでは、いままでの親の世代までのやり方はお手本にはならない」と、語っています。





豊かな社会を求めて頑張り続けてきた戦後の日本は、80年代に入って繁栄の時代を迎えました。そして、それを達成してしまった後は、何を目標に生きていけばいいのかわからない方向喪失感の中にいます。





「豊かになる」というのは、大変わかりやすい目標でしたが、その後、それに変わる目標が見つからないのです。しかも、「物質的な豊かさは、ひとりひとりの幸福とは直接繋がるものではなかった」と、感じる人達も多かったのではないでしょうか。





バブルの頃、潤沢な資金を使って日本人がしたのは、海外の不動産や美術品を買い漁ることや、公共の建物などを華美に飾り立てることでした。みんなが土地や株に投資し、さらに儲けようと眼をギラギラさせていました。





満腹なはずなのに、もっとうまい食べ物はないかと漁りまわってもいたのです。物質的な豊かさが、幸福に繋がるんだと一心不乱にやってきたのに、それが手に入ったとき、「こんなはずではなかった」と誰もが心の片隅で感じていたのではないかと思います。





亡くなった歴史小説家の司馬遼太郎さんは、「日本は、土建屋の国になってしまった」と、嘆きました。海岸線や川や森を破壊しながら、コンクリートやアスファルトで埋めていく大規模な日本列島の改造制作は、それが人間の生活に必要なものであったとしても、どこかで、「これはおかしい」という感覚を私たちにもたらしたのではないでしょうか。





小説家の村上龍さんは、バブルの頃の援助交際に走る大人や子どもたちの姿を評して、「淋しい日本人」と評しました。みんな孤独でどうしようもない淋しさを抱えているのだと――。





ひきこもりとなっている世代は20代、30代の人たちが中心です。1980年代からバブル期にかけての豊かな時代に、多感な少年期や青年期を生きてきた世代を中心とする層が、いま、ひきこもりの中にいます。





彼らは、豊かさの頂点を極めてしまった日本、とりあえずは、パンの問題を解決した社会(無論世界全体で見ればまだパンの問題は深刻ですが)に生まれてきた第一世代なのです。パンの問題が解決されても、どう生きるかという問題は残っています。





自己臭恐怖、拒食症、リストカット症候群、多重人格(乖離性障害)、薬の効かないうつ状態の増加……。精神科としての臨床の場面でも、どういう診断名をつければいいのか判断に困るようなケースが増え続けています。





心理療法家の河合隼雄さんはそういう変化に触れて、「かつては問題にならなかったようなことでの多様な相談が増えてきていて、心理療法としては、より難しくなっている」というようなことをおっしゃっていました。





1990年代末から自殺者の数が3万人を突破していますが、その約2/3は50代以上の中高年層の方たちが占めています。日本を繁栄の頂点にまで持って行った世代です。そういう人たちが今、希望を失って自ら命を絶っているのです。





会社のため、仕事のため、父親としての家庭生活を犠牲にしてまで働き続けてきた世代が、会社の倒産やリストラにあって、価値観の喪失状態に追い込まれています。





そして生き甲斐や幸福とは何かを、もう一度問いなおす場面に立たされているのです。それは、職を失った人達に限ったことではありません。無事に定年を迎えても、長年空白であった家庭に、もはや父親が戻る居場所がないという、まるで「いま浦島」のような状況が起きています。





家族を養うために会社人間であったつけが、そういう残酷な形で支払わされることになっているのです。ひきこもりの人たちとは、大人たちが定年を迎えて直面するそういう問題を、すでに若い時からつきつけられている人たちといえるのかもしれません。





仕事のために、会社のために、家族や自分を犠牲にしてきた親たちの世代の「滅私奉公」的な生き方に、疑問を持ってしまった人たちなのかもしれません。





しかし、ひきこもりになる人たちは前述のように、そういう親たちの世代までの「滅私奉公」的な価値観や、みんなと同じに自立しなければという価値観に強く縛られている人たちでもあるようです。





それだけに、彼らの体の深い部分でそうした生き方に拒否反応を起こしているのかもしれません。社会的な価値観の大きな変動期に、ちょうど生まれ合わせた世代の問題なのかもしれません。





一人前の大人になるとは、社会の中で与えられた役割を引き受けて生きていくことだと考えられています。たしかにそうだてしても、仕事のため、食っていくことのために自分や自分の家族を犠牲にすることがはたして正しいのだろうか。





まさにひきこもりの人たちが仕事に就くことや、社会に出ることの恐怖の根源にはその問いがあるように思います。「仕事のため、金のために自分の魂を売り渡したくない」と。





弱肉強食の社会でそんな甘いことを言って生きていけるのか、そういう疑問もあります。食うことが何よりも優先された社会では、そんな人々は生きていけなかったでしょう。





しかし、餓死することのない、豊かな現代日本の社会においてはじめて、「人はパンのみによって生きるにあらず」という言葉が、リアルなものとして私たちひとりひとりに問いかけられているのではないでしょうか。先ほど紹介した小柳晴生さんは、その本の中で、次のようなことも指摘されています。





「ひきこもりの人たちとは、親の世代が忘れてきたものを回復しようとする人たちなのではないか。親たちの現世利益的な生き方によって、取り残されてしまった心の問題や哲学のようなものを、再び家の中に持ち帰ろうとしている人たちなのではないか。親の世代に現世利益とは正反対の、ものや金ではない眼に見えないものを大切にするような『祈る人たち』なのではないか」





この豊かな時代を生き延びようとする第一世代以降の人たちは、私たち親の世代までにはいなかった、とてつもない野心に満ちた人たちとなっていくかもしれません。





親たちの世代までが生きるためにしぶしぶやってきた、自分自身や家庭を犠牲にしての「滅私奉公」の論理ではなく、自分自身のやりたいことと、生きる道を一致させようとする「立私奉公」の論理ともいうべき野望を持っている人たちがこれから増えてくるのではないかという気がします。





周囲の大きな流れに乗って、いい大学を出て、いい会社に勤め、会社のために家庭をかえりみずに働いたのに、40代、50代でリストラされ、家族からも粗大ゴミ扱いされる人生、あるいは無事に定年を迎えても、ひとりぼっていで公園でひなたぼっこをするような老後の生活であるならば、「ほんとうにそれでいいのか」と、立ち止まって真剣に考える必要があります。





それを歳をとってからするのか、いまするのか、それだけの違いなのかもしれません。はたしてどちらが得なのでしょうか。高度成長時代ではとりあえず、大きな流れに乗ってしまうほうが得だったのでしょう。しかし、答えが見えにくくなっている現代では、どうでしょうか。





現在のような予測ができない状況の中では、とりあえず何もしないという戦略があってもいいと思います。私たちの親の世代までは、生きること、食うこと野ために小学校を卒業すると同時に12、3歳で働かなくてはならないことも珍しくありませんでした。





食い扶持を稼ぐために自立せざるを得なかったのです。それはある意味で、「自立」のために、個人の「自律」や成熟が犠牲になっていた社会だったともいえます。





豊かな社会となってはじめて、多くの者達が強制的に働かなくても生きていけるようになり、じっくりと時間をかけて自律や成熟というテーマに取り組むことができるようになったのではないでしょうか。





では、ひきこもりの人たちがそういう自由な選択肢を謳歌しているかというと実態はむしろ逆なようです。何度も述べているように、彼らはまだまだ働くこと、自立することの呪縛に強くとらわれている人たちなのです。





しかし、ひきこもりという状況に投げ込まれることによって、嫌々ながらでもそういう価値観から引き離されます。そのあと、彼らがどう歩んでいくのか、どういう流れをこの社会に作っていくのか、私はひそかに楽しみにしています。



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