(非行での)不登校経験のある娘と父親
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(非行での)不登校経験のある娘と父親

2020年04月23日(木)3:21 PM



中学2年の夏休みが終わって、いよいよ2学期がはじまるころになって、娘に不登校の兆候が見えてきました。先生からの呼び出し、そして、髪を茶色にする、ピアスをする、爪にはマニキュア・・・・。




長女と次女はなにごともなく高校を出て、大学と専門学校に進んでいきましたので、三女にいったい何がおきつつあるのかという心境でした。当初は、わたしに娘を叩きなおしてやるという気持ちが強く、手のほうが先に出るような状況でしたが、やがて精神的に緊張し、悲痛とも苦痛ともなっていきました。




心にゆとりがなかったと今では反省しています。娘はよくなるどころか、ことあるごとに反抗するようになり、わたしには心を割って話すということはなくなりました。わたしは親の立場で決めつけ、外見にばかりとらわれたために、信頼関係を築き上げることはできなかったのです。




多くの先生方に教えられたのは、何があっても受け入れ、人格を認めて、最小限度の干渉にとどめるべきだということでした。そこでわたしはできるだけ沈黙の姿勢をとって、見て見ぬふりを決め込みました。




その結果、家内が全面的に矢面に立たされることになったと思います。わたしは若い頃から事業をやってきました。それだけに、子どもたちには何とか一人前になってもらいたいという気持ちが強く、教育家族だったと思います。




そのことが自分では気づかぬうちに、娘たちに内面的な抑圧を強いてきたわけです。何度か関東自立就労支援センターにうかがううち、わたしと同じような問題に直面しているほかの父親を第三者として見る機会に遭遇しました。




その人の自分が正しいと主張する頑固さが鼻について、あれほどまでに己を主張する父親では、あの家庭には子どもの居場所はないだろうと思いつつ、同時に、自分の立場にもふと気づいたものです。




癒しは己に気づくことからはじまるといいます。また、癒しは無条件の愛を伝え続けるともいいます。それ以降、わたしは変わったと思います。不登校の娘を中学2年の3学期から、北海道の親戚のところに一時的に預けることにしました。




北国の一室はさびしく、身辺道具だけの部屋でした。そのときは、娘を親元から引き離すのが愛情か、単なる親のエゴではないかと悩みました。




こうして娘の新たな学校生活が始まり、夏休みには一時、帰宅しました。ところが帰宅するや、娘はたちまちもとの不良に戻ってしまい、学校に戻るべき夏休み最後の日に逃亡してしまいました。




なんと鹿児島の警察からの知らせで、家内と迎えに行きました。やっとのことで学校に戻ったものの、再度逃亡して警察に保護されるということがあったので、再び地元の中学への転校手続きをとりました。




しかし、意を決して登校した娘を、学校側は、髪が赤いということだけで、校門のところでシャットアウトしてしまいました。こうして、またも不登校へ追いやられてしまったのです。どんなに仲間のもとに行きたかったかと、今日でも残念に思っています。




その後、美容院の見習いや給仕などをして、社会で働き始めました。中学の卒業アルバムには娘の写真だけありませんでした。後日、ひとりだけで卒業させられました。画一的で個性を無視した窮屈な学校制度だと思います。




学校は、能力主義、競争主義が支配的な社会に向けて、生徒を管理し、製造する場でしかないことを痛切に思い知りました。中学校を卒業するとまもなく、娘は家を飛び出し、親としても心配な日々が続きました。




そうしたところ、ある日、2つ年上で高校を中退した男性と付き合うようになり、同棲しているうちに子どもができたので結婚したいと伝えてきました。




娘は食堂で働き、彼は新聞配達をし、アパートを借りて生活していました。相手方の両親がぜひ会いたいと言ってきました。2人を結婚させてあげたいというわけです。未成年同士で、相手は交通事故で保護観察下にあり、仲間に借金もあり、いまにも夜逃げしそうな様子です。




そこで、彼をわたしの会社の社員に迎え、借金も清算し、一家を構えることに協力し、両家だけの結婚式をやりました。あの日のうれしそうな2人の笑顔は、今でもわたしの心を離れません。まもなく、男の子が誕生しました。




しかし、幸せな生活も長くは続きませんでした。結婚して1年数ヶ月後、彼の酒乱と暴力が原因で離婚に至ってしまいました。若すぎる2人には、互いに相手を思いやるという夫婦愛がありませんでした。




結局、わたしは2人の不登校の子どもを救うことができず、自責の念と苦痛の日々を味わいました。頼むところが大きかった分、失望も大きかったのです。離婚後、娘は子どもを保育所に預け、母親の協力も得ながら、夜遅くまで美容師を目指して働き、勉強しています。




なお続く心配の日々ですが、自由に生きるのがいいと思っています。やがて20歳になり、自立しようとする娘を、家内とわたしは応援しています。



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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
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理事:
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理事:
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住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援