ひきこもりの系譜
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ひきこもりの系譜

2020年03月23日(月)9:50 AM




ひきこもりはいつごろからあったのでしょうか。最近のことのような気もしますが、ひょっとして昔からあったことなのでしょうか。稲村博氏は、夏目漱石の小説の主人公をあげ、社会につながらない若者は「遊民」として明治時代から存在していたことを指摘しています。そこまでさかのぼると議論が厄介になりますので、ここでは 20世紀後半ということで見ていくことにします。





「スチューデント・アパシー」





1970年代ごろに主としてに大学生の無気力症状について問題とされた時期があり、笠原嘉氏をはじめとするいくつかの報告が行われています。





「スチューデント・アパシー」とも言われ、授業には出たくない、授業は嫌だ、でも友達と会いたい、クラブ活動にはいくといういわば選択的な無機力症状を特徴としていました。





その後研究が進むにつれ、必ずしも選択的ではない、現在のひきこもりに似た全般的な無気力症状を示す例も報告されるようになりましたが、それ以上大きな社会問題となることはありませんでした。





研究的には、意欲減退症、神経症的な無気力症から 最終的には笠原嘉氏により退却神経症という疾病群にまとめられることで、一応の区切りがつけられることになります。





「高校中退」





しかし、その後の日本社会の変動の大波の中で、思春期・青年期の問題は次々にそのテーマを移していくことになります。まず、「高校の中退者」がどんどん増えてきました。





高校中退者の入学者全体に占める割合は、1983年にいったんピークを迎えます。1980年以前の公式の数値がないので正確にはわかりませんが、実際にはおそらくその 10年くらい前からこうした傾向が続いてきたものと思われます。





その後、その割合はわずかながら減少に転じましたが、1996年から急増し、現在に至っています。最近の中退の理由をみると「進路変更」「学校不適応」の二つで 四分の三を占めています。





高校に進学しても、その先にはこれほどの困難が待ち受けているというのに、1996年の高校進学率は 96.8パーセントと過去最高を記録しています。





「校内暴力」





ほぼ同じ時期にピークを迎えたのが「校内暴力」でした。これはちょうど戦後少年非行の第3のピークとほぼ一致しており、当時はそうした背景の中での出来事と考えられていました。





しかし、この数字は 1980年代の半ばにかけて減少した後、再び増加に転じ、現在ではかつてのピーク時の水準を大きく超える新たなピークを形成しつつあります。





「家庭・学校の混乱」





河上亮一氏はその著「学校崩壊」の中で、最近の学校場面から見た子どもたちの印象を、「他人を受け入れない、固くて狭い自我を持つようになった。(中略)他人の言葉や動きに(中略)絶えず緊張して身構えている。(中略)自分の周りにバリアーを作って、そのなかにお互いに入らないようにしているようだ」と述べています。





また、家庭と学校の役割に触れ、「学校は(中略)難しいことに挑戦して自分の力を試さなければだめだとか、つらくても我慢しなくてはいけないという。





しかしそんなとき、生徒はいつも親から保護されているので、自分から勇気を出して一歩前に出ることが非常に難しくなった」、さらに「(家庭では)小さい時からきついことを要求されてきたわけではない。仮に要求されても、できなければ結局母親がやってくれた」とも述べています。





すなわち、子どもは学校に来てもな家庭(親)の庇護のもとにある、だから自分からやろうという意欲が持てないというわけです。しかしその一方で、「家庭で親から認められていず、家庭が(子どもの)居場所になっていないがために、家庭の役割も学校が抱え込まざるを得ない」とも述べています。





でも、自分から意欲を持てないほどに親に庇護されているはずの子どもが、どうして家庭で親から認めてもらっていないということになるのでしょうか?





川上氏のそもそもの論旨は、こうした教師と生徒という関係が崩れて、学校が街なかと同じになってしまったことを憂慮しているというものです。すなわち子どもが「生徒という学校向けの存在」に切り替わることなしに学校にやってくるのは、もうやめにしてほしいというわけです。





とすると、親から認められたり、家庭が居場所になっているのかどうかは、学校での振る舞いとはまた別のことではないのでしょうか?このことは、それ自体がとても大きな内容であり、これについては改めて別な議論の機会が必要でしょう。しかし、家庭での子どもの居場所と、学校の役割が同列に議論されるあたりに、家庭と学校を取り巻く今日の混乱の一端をのぞくことができます。





「いじめ」





次に、「いじめ」が社会問題化しました。中野富士見中学校の生徒が「いじめ自殺」に追い込まれる痛ましい事件があったのが、1986年でした。文部科学省の調査によると 1985年は一校当たり 3.9件でしたが、1987年には一挙に一校当たり 0.9件に激減しました。しかし、その後横ばいで、むしろ 1990年代の後半の方が高い水準となっています。





「不登校」





その間じゅう、ずっと「不登校」の増加は止まらず、毎年のように過去最高の 数字を更新し続けています。学校関係者はもとより多くの研究者がいろいろな対応策を講じてきましたが、総じて十分な成果を上げていま せん。そして、199 2(平成 4)年三月の文部科学省の報告書の中に、「不登校はだれにでも起こりうる」と記述されるまでになりました。





これまで不登校というと中学校が中心でした。しかしながら、1009 1年からの 10年間の数字を見ると中学校が 2.6倍(約 47000人増)であるのに対し、小学校は 3.6倍(約 13000人増)と、小学校の増加の割合の方が大きくなっています。もはや、不登校は中学校にとどまらず、小学校においても大きな問題となっています。





「思春期・青年期問題の低年齢化」





そして 1997年ごろから、問題の舞台は明らかに小学校に移っています。文部科学省では 2000年五月に「学級崩壊」に関する報告書をまとめ、①子どもの実態に即した学級経営、②高圧的ではなく、子どもたちを受け止め、子どもたち自身が自己肯定感を持てる指導、などの指針を示しています。





にもかかわらず、今なお小学校を中心に「学級崩壊」が起こっています。こういった流れ全体を見てみると、思春期から青年期にかけての問題のテーマが、大学生から始まって高校生、中学生、そして小学生へと低年齢化していることがみてとれます。





「どれも積み残し」





このように思春期・青年期のテーマは低年齢化の流れを突き進んできました。でも、ここでもう一度その流れの中身を見直してみなくてはなりません。





すなわち、それまでの問題は一体どうなったのか、どこに行ってしまったのかということです。これまでは広大な思春期・青年期の諸相のどこか 1カ所に拡大鏡を当ててみるように、その都度問題がセンセーショナルに取り上げられてきたのですが、その一つ一つはどうなっていったのでしょうか。





次の部分に拡大鏡を当てると、それまでの部分は見えにくくなって、関心が薄れ、忘れ去られていきます。しかし、今もう一度これらの流れを振り返ってみると、高校中退、校内暴力、いじめ、不登校、どれ一つとして解決されてきたわけではなく、順次積み残されて今日まで来ているのがわかります。





「思いがけない社会的認知」





低年齢化の流れが とうとう小学校まできて、一体これからどこに行くのかという閉そく感の中で、立て続けにいくつかの事件が起きました。新潟の女児誘拐監禁事件では 30歳の、名古屋の小学生刺殺事件では 20歳のひきこもりの青年が犯人とされ、マスコミ報道の中でセンセーショナルに取り上げられることになったのです。





そして、これらの事件が報道されることで、ひきこもりが思いがけない形で社会的に認知されることになりました。しかし、塩倉裕氏は、同じマスコミ関係者の立場からこれらの事件に関する一連のマスコミでの取り扱い方を、不安をかき立てそれを打ち消して終わる典型的な「マッチポンプ」報道であると指摘するとともに、こうした報道が「引きこもりは何をするかわからない危険なもの」といった誤ったニュアンスを伴うもので、ひきこもりの若者たちを生きにくくするのではないかと危惧していました。





ともあれ、これらはそれぞれが特有の病理を持っている、ある意味で異常な事件であり、別な場面での議論が必要になります。ですからここでのコメントは避けたいと思いますが、一つだけこうした状況について考えてみたいと思うことがあります。その前後にも若者によるいくつかの事件が起きていますが、必ずしも明らかな病理を示すものだけではありません。





1998年の黒磯中学校の生徒による教師刺殺事件では、ふだん目立たない「普通の子」が突然切れたということが指摘されました。いつもは特に問題のない、一見病理を感じさせない若者による事件が同じようにいくつも起きているのです。





そう考えると、思春期・青年期の若者のだれもがそうした行動をとる可能性があるということにもなります。そして、これらはこれまでの思春期・青年期の問題がどれも解決されずにそっとふたをされ、順次積み残されてきたなかで起きていることなのです。





「新たなキーワードとしてのひきこもり」





思春期・青年期を覆う影が小学校の 年齢までおりてきて、それが限界にまで達してひきこもりをめぐる一連の事件をきっかけに とうとう一気に年齢の幅がはじけてしまいました。





これまでずっとうしろに隠し続けてきたものが、全部一度に表ざたになってしまったのです。そして、その中で最も早くから存在し、潜在化し、一番見えにくかったひきこもりという問題が今になってはっきりと浮かび上がってきたと言えるでしょう。





ひきこもりという問題は急に単独で生まれてきたわけではありません。ひきこもりはずっと前からあった問題であり、いまそれがまるで思春期・青年期のすべてを覆いつくす新たなキーワードとして、改めて姿を現したという感があります。





よく思春期・青年期の問題はモグラたたきのように、次から次へと出たり引っ込んだりするといわれます。しかし、こうして見る限り、今日の日本の思春期・青年期の問題は出たり引っ込んだりはしていません。





むしろ、ずっと顔を出しっぱなしにしています。こんな現状の中に送り出される子どもにとっても、そこにわが子を送り出す親にとっても、思わず立ちすくんでしまう大変な時代の到来です。



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