不登校とストレスに対応する力
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不登校とストレスに対応する力

2020年02月22日(土)9:42 PM




多かれ少なかれ、人生には失敗や挫折があります。これらの人生上の不具合や不幸は避けがたいものです。たとえば、それは病気であったりリストラだったり、大事な人との別離や死別だったりします。


そのような不具合や不幸を味わった後で、「その体験があったからこそ、今の自分がある」と思えることもあります。その当時は苦しくて仕方がなく、二度と繰り返したくないと思うような体験もあります。けれども、その体験を生きていく糧にする人もいます。そして、不登校という体験も人生の比較的早い時点で遭遇する不幸な体験の一つです。


不登校のただ中にいる事例と出会って、常々思うのは、「この不登校の体験が、先々で本人が生きていく糧になってほしい」ということです。特に、学校への復帰や社会に出て行くまでに時間が必要な場合には、わたしは「せっかく不登校になったんだから」と考えます。そして、「不登校の期間に、この子ができることは何だろう」と思います。


つまり、「せっかく学校に行っていないのだから、学校で学べないことを学んでほしい」と思います。あるいは、「せっかくずっと家にいるのだから、家でしか味わえないことを味わってもらおう」と考えます。このことで思い出されるのは、チョモランマの登頂に成功した冒険家の三浦雄一郎さんから聞いた話です。三浦さんの娘さんも同席していました。


お二人が語るには、小学校時代に登校をめぐってぶつかりあったのだといいます。娘さんが不登校というのではありません。事情は反対で、それは娘が父親に「頼むから学校に行かせて!」というものでした。三浦さんは、プロスキーヤーとしてスキー場と契約して仕事をしていました。そのため、年に何回も転居する生活をしていました。


それに伴って、娘さんも転校の連続でした。学校によって勉強の進度が違うので、学業も大変でした。せっかくできた友人ともすぐに別れることになりました。父親は長期の休みになると、山や川にキャンプを張って、家族で生活しました。そして、学校の行事と家族の予定が重なると、「学校なんか行くな」と登校を止めさせました。


娘は文句を言いました。「頼むから学校に行かせてよ!」と。三浦さんはこう答えました。「学校なんかいつでも行ける。勉強もいつでもできる。だけど、子どもと親の一緒の時間は今しかない!」。せっかく不登校になったのです。不登校の今しかできないことは何なのでしょうか。このような発想をもちたいところです。まだまだ人生の道のりは、始まったばかりの子どもたちなのです。


「失敗した。人生をやり直したい」と言っても、人生をやり直すことの可能な年齢です。人生をやり直しても、十分に取り返しのつく年齢なのです。以前にこのブログで、不登校の改善には生活空間を拡大し、対人不安を軽減していく重要性について触れました。確かにこれらは、不登校の問題の改善には大きな役割を果たします。


ですが、不登校の子どもの生活空間が狭いことや、人に対する不安が高いことを「問題」と捉えるのは、「不登校の今しかできないことをする」発想からすればいくぶん視野が狭いことになります。つまり、ただ「生活空間を広げればよい」、ただ「対人不安や緊張を下げればよい」というのではありません。

生活空間を広げるのなら、そのプロセスの中で子どもが何か意味のある体験を味わってほしいと思います。そして、生活空間が広がった結果、子どもが外界と交わるときに必要な何かの知恵や力を身につけてもらいたいのです。また、対人不安や緊張を下げるだけではなく、その不安を克服するプロセスで、「人との交流は楽しい」「人と一緒だと心地よい」という体験を重ねてほしいと思います。


そして、人への安心感を得るとともに、辛いこと、苦しいことがあってもその辛さを受けとめる力や、辛さを与えるものを取り除く力や、ストレスを発散する力を育んでほしいと思います。せっかくの不登校の期間なのです。自由に使ってよい時間がたくさんあります。その貴重な時間を問題解決の力やストレス発散の力を育てることに使いたいものです。


生活上のトラブルを抱えたときに、それを解決していく力や、ストレスがかかってきたときにわが身を守り、ストレスを上手に発散する力を育みたいところです。これらの力は、ストレスに対処する力です。これらの力を、心理学ではコーピング・スキルと呼びます。不登校の期間に何かに取り組む中で、生きていく力を身につけて、よりたくましくなってほしいと思います。


子どものコーピング・スキル(ストレスに対処する力)を育むといっても、子どもの個性に応じて目指すスキルはさまざまです。このような事例がありました。


「事例」


最初にA子さんの話を聞いたのは、A子さんの母親からでした。四年生の後半から保健室登校が始まりました。それまで、A子さんはほとんど口を開くことなく、友人関係も持てず、ただ静かに影のように教室にいる子でした。


A子さんは家庭の事情で、家族からほとんど面倒を見てもらえていませんでした。会話をする相手は、幼いころに祖父からもらったインコのつがいで、そのインコが産んだインコの子ども、孫たちでした。インコたちを話し相手としてインコといっしょに育ったような子だといいます。A子さんは、学級の仲間の元気さについていけなかったようです。


しだいに保健室で日中を過ごすようになりました。保健室では、インコの絵を描き、それを切り抜いて割り箸の先にそれをくくりつけました。そして、そのインコの絵を主人公に物語をつくるようになりました。養護教諭はそれを面白がり、空き箱を用意し、それをインコの家に見立てました。


A子さんといっしょにその空き箱に間仕切りをし、小さな家具も作りました。A子さんは飽きもせず、割り箸インコで家族ごっこ、ままごととインコのお話づくりを繰り返しました。五年生も後半になると、A子さんが学級の体育等に目をやり、興味深そうに眺めることも増えだしました。担任が何気なく誘うと、体育に参加するようになり、秋になると教室の授業にも参加しだしました。


「立てば歩めの親心」だったのでしょう。その年の暮れには、担任と養護教諭は、通常の授業に入れることに成功しました。しかし、喜んだのは一ヶ月ほどで、三学期になるとA子さんは教室に行くのを止めてしまいました。養護教諭は反省しきりでした。「まだ早すぎた」と言うのです。


A子さんは別室登校のまま卒業し、中学に入学すると不登校になりました。わたしは、教師が通常の登校に結びつけようと思うのは、むしろ当然であると母親に伝えました。そして、A子さんにとって、養護教諭と過ごしたインコのお話づくりが彼女にとっては確実な財産になるはずなので、自分の実践に自信を持ってほしいと話しました。


わたしには、インコごっこ遊びは、幼児返りの単なるお遊びには感じられませんでした。A子さんには家族らしい家族がありませんでした。A子さんの考える架空の理想の家族や親子での会話を、この遊びを通して学んでいるように思えました。そして、彼女が作り上げたインコの世界の会話に、養護教諭が参加し、遊んだことにも大きな意味があると思いました。この話には続きがありますが、これは最後に述べたいと思います。


ストレスに対処する力を育むものとしての遊び


通常、ストレスに対処する力、コーピング・スキルは、大きく分けて対人関係を円滑に結ぶ力と、課題に取り組んでいく力に分けることができます。A子さんの場合では、対人関係を円滑に結んでいく力のうちでも、基本的なものが不足しているようでした。


それは、家族のような親密な関係で得られるもので、人と親密な会話を重ねる力です。そして、その親密な会話の中で安定し、安心した人間関係を維持する力を持つことが、A子さんの課題でした。A子さんは、自分の幼児期のあたたかい関係を与えてくれたものの象徴として、インコを材料として取り上げました。そして、インコの家族ごっこ遊びを通して、あたたかい会話を重ねました。


この遊びがA子さんにとって、安定し、安心した人間関係を体験させることになりました。この安心した関係の中で、親密な者同士の会話を養護教諭と積み重ねました。確かに、教室に戻るのには時期尚早ではあったかもしれません。しかし、わずかの期間ではありましたが、教室に戻る元気さが保健室の遊びの中で培われたのは間違いないと思います。


そもそも遊びは、一定程度の枠を持ちながらも、日常生活の利害や束縛から解放された自由な空間が保障されます。そのために、遊びの最中は、緊張や不安が自然に緩和されやすいのです。今回の養護教諭のように、その遊びの場に他の人が介在するなら、対人関係上の不安や緊張を和らげることにもつながっていきます。


そして、遊びそのものは、子ども自身が環境をリードできる場です。子どもが遊びを組み立てる主体者です。このことが、環境を自ら動かすことへの自信も培います。また、今回のA子さんがそうであったように、遊びの主体者となる中で自分に不足し、自分に必要とされている遊びを子どもは選び取ります。


子どもが選んだ遊びを通して、自分に必要なストレスに対処する力を自己治癒的に自学自習していくものであるようなのです。たとえば、大震災など大災害の後、被災地の子どもたちが、その災害を想像させる遊びを象徴的に繰り返すことが多いのです。たとえば、「地震ごっこ」「避難所ごっこ」「死体ごっこ」「葬式ごっこ」「レスキューごっこ」などで遊びます。


虐待を受けた子どもは、虐待を想像させる遊びをテーマに選ぶことが多いです。たとえば、「事故と救急車ごっこ」「ひき逃げばらばらごっこ」などです。このように、特に児童期には、子どもが自ら好んで行う遊びの世界に、その子どもの乗り越えたい課題が象徴的に示されることが多いのです。


したがって、その遊びが象徴するものを理解できたときは、その子どもが先々生きていく上で必要なストレスに対処する力をそこに見出しながら、腰を据えて子どもの遊びに積極的に向き合うことが重要になってきます。さて、A子さんの話には続きがあります。


A子さんは、中学生になり一年間不登校でした。そして、二年生から再び別室登校を行うようになりました。関東自立就労支援センターに来ている大学生が、このA子さんと週に一度会うことになりました。ほどなく、A子さんは大学生と交換日記を始めました。交換日記は、ファンタジーの物語を交互につくっていくものでした。A子さんは一大物語を展開していきました。


大学生が舌を巻くほどのしっかりしたストーリーでした。登場人物の語るセリフもこなれたもので、軽微な会話が随所に見られました。物語りもさまざまな伏線を張りながら、次々と山場が登場し、一年間かけた大作となっていきました。実は、中学一年の一年間の不登校の中で、A子さんはアニメ、漫画のファンタジーに精通するようになっていました。


わたしは、大学生の報告を毎週聞きながら、A子さんが文字を通して語るファンタジーの世界が、確実に豊かな広がりを示すのを感じていました。大学生には、この物語づくりに参加し、積極的にそれを推し進めるようにと促し続けました。三年生になると、A子さんは適応指導教室に通うようになりました。


適応指導教室では、アニメ、漫画に精通している子ということで、他の不登校児たちから一目置かれました。そして、適応指導教室の指導員の進路指導の中で、アニメーションの専門学校への進学を決めました。彼女の希望は、声優もしくはアニメ・ストーリー作家になることでした。そして、三月の適応指導教室のお別れ会では、教室で卒業生が劇をつくることになりました。


その台本は、すべて彼女が担当しました。作品は見事な出来でした。A子さんは劇全体の構成と監督を担当しました。コンピューターに詳しい仲間に音声を担当させ、それぞれの登場人物も仲間の地のキャラクターがにじみ出るようなセリフ回しにしました。そして本番では、前口上とカーテン・コールの口上を述べただけではなく、劇の中にも自分の出番をつくり、見事にこなしました。


小学校の時期、インコの語る世界の話を聞いてから五年間の時間が過ぎていました。劇の最中、この五年間でA子さんを育てた多くの人たちの関わりのことを思い出しました。そして、劇の構成の見事さに、わたしはただただ圧倒されていました。


身近な家族と会話がなかったことを、A子さんは物語づくりという遊びを通して、一貫して乗り越えていきました。大学生が関わっていたときには、中学校側から「現実的な世界、たとえば、進路のことなどを話題にしなくてもよいのだろうか」とか「勉強を教えてもよいのではないか」という懸念を耳にしたこともありました。


ときには、「ファンタジーの世界に入り浸ってしまったらどうするのか」という心配の声も聞こえてきました。大人は、ファンタジーやバーチャルや物語世界にオタクのように関わり、世界を閉じてしまうことを心配します。ですが、養護教諭にせよ、大学生にせよ、関わる人間たちは生身の人間です。材料が世界を閉じるようなものであっても、生身の人間が介在すれば、それは現実世界のチャンネルとして働くのです。


現実世界が心地よければ、必ず子どもは現実世界と繋がろうとします。反対に、現実世界に魅力がないことが、子どもを架空の世界に走らせ、世界を閉じさせてしまいます。子どもの世界を閉じさせるのは、漫画やアニメなどの世界に問題があるのではありません。それよりも魅力的な人間関係を築けなかった、現実世界側の人たちが問題なのです。


せっかく不登校になったのです。現実世界との関わりの中で、不登校の間でしかできない体験をしてもらいたいと思います。そして、その中で、大きく育ってほしいのです。



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