ひきこもり~働ける自分との出会い~
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ひきこもり~働ける自分との出会い~

2020年02月21日(金)11:30 PM





人と共に「働ける自分」を発見することは働く基礎的経験の重要な課題です。若者たちの社会的自立のためには、やはり実際に働いて労働の対価を手にし、ゆくゆくは経済的にも自活していく職業的自立が必要になっていきます。





ひきこもり経験のある若者たちは、自分はほんとうに働けるのか、失敗したらどうしようなど、ほんとうに働くことに臆病になっています。事実、彼らの多くはアルバイトなどに就いても、自分は必要な労働の担い手として評価してもらえているのか、ここには不要な存在ではないか、などと考え込んでしまうことが多く、すぐに仕事に行けなくなってしまいます。





そしてその結果、やはり自分は働けない存在だと、ますます自己否定感を深めていくことになるのですが、そんな悪循環から彼らが脱していくためには、やはり、よい働き方を通して「働ける自分」に出会っていくことが必要になります。ファストフード店のような効率第一で競争主義的な仕事場は若者たちを萎縮させるだけで、働ける自分との出会いをもたらしません。





マニュアルどおりにことを運ぶことに窮屈さを感じ、何よりも失敗を恐れて心も体も萎縮してしまいます。そんな体験を持っている十七歳になる女性は、町のパン屋さんのアルバイトには、すんなりと入っていくことができました。早朝から定時制高校が始まるまでの時間帯で、ほとんど連日休むことなく、結局、学校を卒業するまで勤めあげることができました。





味と安全を追求するその店のパンづくりの姿勢も彼女を励ましましたが、働き始めた当初、「失敗してもいいよ、責任はわたしが取るから」という店主のひと言が彼女を救いました。失敗の恐れから解放され、自分のペースで仕事に向かうことができるようになったと言います。自分は子どものころから失敗を恐れて自分らしく働けないできたことを、そして「失敗してもいいよ」という言葉を自分はずっと待っていたのかもしれないと彼女は思い知りました。





それまでは他人から受ける指導を受け入れることができずかたくなに耳を閉ざしていた彼女でしたが、この仕事場ではたとえ厳しい叱責であっても根拠があるものである限り、以前のように心が傷つけられるようなことはなくなったと言います。そこで働く人たちが仕事の効率を上げ技能を高め、よりよい仕事を作り出すために必要な指導であると受けとめることができるようになったということでしょう。





この仕事体験を通して、彼女は「働ける自分」と出会えただけではなく、肩に力を入れずに自分らしくふるまえるようになり、そして何事にも積極的になっていきました。学校や社会への過剰適応に苦しめられていた若者たちの身体は、「できるか、できないか」の他者評価にさらされ萎縮し続けてきた身体です。





だから、単なる技術的な未熟さの結果に過ぎないのに、失敗への叱責を自己の人格全体への否定的評価と受けとめがちであり、そのために失敗することを過剰に恐れ、心と体を萎縮させ、動けなくなってしまいます。何度でも失敗しながらもやり直すことが保障されるなかで、若者たちの身体がモノと関わり他者と交流できる身体へと解放されていかなければ、生き生きと働くことのできる自分を発見することはできません。





よい働き方(失敗が許される働き方)を通して、「働ける自分」に出会う経験は、「普通の働き方」への不安を乗り越えていくための働く基礎的経験となります。若者が働き方を学ぶことのできるよい働き方であるかどうかは、仕事場の運営のあり方にも左右されます。仕事に従事するとは、アメリカの教育学者であるJ・レイブとE・ウェンガーが『状況に埋め込まれた学習ー正統的周辺参加』(産業図書、1993年)で名づけた「文化的実践共同体」に参加することです。





働き方を学ぶ学習は、ともに働く仲間との対話やコミュニケーションに媒介されるよい働き方をとおして、その実践共同体の成員としてのアイデンティティを確立していくプロセスとして成立します。





「文化的実践共同体」への参加のプロセスは周辺的な作業内容への従事から入り、徐々に熟練化プロセスをたどっていくとしても、新人であろうとアルバイトであろうと欠かすことのできない「正統的」なメンバーであるならば、その仕事場の活動目標は参加者全員に明確に示されなくてはなりません。





そして、その目標が参加者全員のコミュニケーションやミーティングを通してさまざまな葛藤をくぐり抜けながら達成されていく場合に、苦しいけれど楽しい協働体験を通して、若者たちは競争主義的な働き方への恐れを越え、自分らしく「働ける自分」に出会うことができます。そのような、働くことを通して働くことを学ぶ仕事場が若者に提供される必要があります。そのような仕事場を目指して、不登校やひきこもりの若者の居場所が、居場所から社会への中間施設としてのパン屋を立ち上げました。そのパン屋で働いたある若者はある教育雑誌の寄稿依頼に応じて、次のようにつづりました。





パン屋での労働体験(十八歳・男性)





僕は中学に入った頃から学校へ行けなくなり、二年間のひきこもり生活を経て、中学三年の春にフリースペースに出会いました。なかなかアルバイトもできず、働ける自信もないまま始めたパン屋のバイトですが、今では他でバイトすることもそんなに高いハードルではなくなってきています。





ちょうど自信がついたころに、並行して始めたアルバイト先がとても印象的でした。大手定食屋チェーンの厨房でバイトをしていたのですが、そこの人間関係にある”使える”、”使えない”で人を判断する価値基準がとても恐怖で、違和感を感じました。





仕事が速くて的確な人は職場の中心に立ち、仕事の飲み込みが遅かったりすると先輩や社員から疎まれます。「あの子は使えるしいい子、あの子は使えないからダメだね」そんなやり取りをバイトたちの中でもしている環境の中で、僕は”使えない”側になるまいと必死で仕事を覚えていきました。





自分が輪の中に入れないのではないかという恐怖からくる頑張りでしたが、そのおかげ(せい?)で、「仕事ができる、期待のルーキー」という扱いをされて、少しうれしい反面、過剰適応にも思える頑張りをし続けないといられないのではないかと思い、とても苦しかったです。





ひと月ちょっとと、わずかな間で辞めてしまいましたが、僕にとってそのアルバイト体験はとても大きいものでした。フリースペースのパン屋は、”オルタナティブ”な働き方を目指している・・・・・・らしいです。大人たちが言うには・・・・・。





正直よくわからないのですが、外でのアルバイト体験を通して、このパン屋の目指していく方向がなんとなく見えた気がしました。少なくともこのパン屋は、”使える”、”使えない”で人を見ることはありません。仕事が早かろうが遅かろうがそんなことは関係の中ではなんの基準にもなりません。





もちろん、やることはやるし、わかる人がわからない人に教えたりすることはありますが・・・・。たとえば、いろいろな原因から休みがちな人がいたとしても、「じゃあ、辞めてください」なんてことにはならなくて、「その人が参加しやすいのはどんな形だろう?」と皆で話し合って考えていきます。





そんな仕事場の姿勢に、僕はとても居心地のよさを感じています。僕のこれからの課題は、他の場所でも、このパン屋で感じたような居心地のよさを築いていくことだと思っています。ひょっとしたら、企業社会的なところでも、居心地が悪くないのかもしれません。このパン屋の経験で、絶望的に見えていた社会というものが、少し明るく見え始めたように感じている今日この頃です。





このパン屋の仕事場は、若者が実際に働きながら働くことを学ぶ学習環境を十分に作り出しているとは、いまだ言いがたいかもしれません。しかしながら今後、この仕事場体験を経た若者たちが次の仕事の世界に足を踏み入れ、それと引き替えに新人が参加してくるというサイクルが生まれるころになると、この仕事場は「学びの共同体」としての教育力をそなえていくはずです。





時間を経てこの仕事場特有の言語体系や価値観が生み出され、集積された仕事場の失敗や成功の物語が古参から新人へと語り継がれるようになると、ここで働く参加者たちはその物語を自らの中に内面化し、自らの体験にあてはめていくなかで生まれる共同体の一員としての自覚(アイデンティティ)を形成していくことができるようになります。





そして、このアイデンティティを媒介にして若者たちは「働ける自分」というアイデンティティを形成することができたとき、試行としての労働体験を卒業して、進学にしろ、就職にしろ、次の新しい世界へと踏み出していくことができるでしょう。





若者の社会的自立を支える力とは





居場所の若者たちが「不安」を乗り越えて、「働ける自分」に出会っていくプロセスを彼らが社会的自立に向けて苦闘する姿を追いながら考えてみました。不登校やひきこもりの居場所の学びの中心テーマは、不登校やひきこもり体験で傷つき低められた自己イメージをつくり直し自己肯定感を育てることにあります。





それと同時に、若者たちの社会的自立を阻んでいる漠然とした不安を克服していくためには、社会像の再構築と働く基礎的経験が、学びの具体的なテーマとならなければなりません。守られた安全な空間から外の公共的空間へと踏み出すためには、まず、外の世界に意識的に参加していく学びを作り出すことによって、競争主義的に一面化された社会イメージをもっと複合的で多様な側面を持つ現実像へと再構築していくことができなければなりません。





さらに、若者たちから働くことへの恐れを消失させるためには、たとえば、ものづくりなどの文化的実践共同体に参加することを通して働くことの心地よさや働く仲間との関係の取り方とか身構え方といったものを身につけていく基礎的な経験が必要です。居場所が追求してきたこのような社会参加と働く基礎経験は、若者たちから「働くことへの不安」を軽減させてくれるものであると同時に、「自己への不安」を消し去っていく過程でもあります。





というのは、この学びの過程は若者たちが自分の心と体の全体(身体)をフルに動員して人・もの・事柄と対話しながら自分たちの世界を立ち上げていく過程として遂行されるほかないからです。





若者たちは、実践共同体に参加しながら、あるがままの自分に出会い、「働ける自分」を発見しながら「自己への不安」をしだいに解消していくことができるのです。居場所の学びが追求しているテーマは、今日の一般的な若者たちにとっても必要なものであるのは言うまでもありません。





社会参加と働く基礎経験は若者たちが社会的自立を成し遂げていくとき、その基底から支える力となります。社会的自立とは、人々とともに自分たちの世界を立ち上げ、そこに自分の居場所を作り出しながら、自らをゆだね、すみついていく「依存的自立」プロセスとして遂行されていくものです。





ですから若者の社会的自立を支える力とは、彼らが関与していく人間世界への基本的な向かい方、あるいは世界への信頼そのものであるといってもいいでしょう。もちろん向かい方であるとか信頼であるとかといった意欲や態度を強調したからといって、知とかスキルを無視しているわけではありません。





意欲・態度と知・スキルの間に分断する壁があるわけではなく、ジェリー・H・ギルが『学びへの学習ー新しい教育哲学の試み』(青木書店、2003年)で展開したように、まさに「知は関係的である」ことを付け加えておかなければなりません。人は身体的活動を通じて社会に参加し学びを作り出しながら人・もの・事柄に関わるさまざまな知やスキルを身につけていきます。





獲得した知や身につけた発話やコミュニケーション力、道具の使い方やさまざまな身体技法などのスキルがはしごとなって、また新たに社会参加や仕事に向かう能動性を作り出していくことができます。とりわけ成長途上にある若者においては、経験と知は別々のものではなく、二つの世界は相互に関係し合っており、往復し統合されたものとしてはじめて彼らの社会的自立を支える力となります。仕事の世界に踏む出そうとする若者たちは、まさに、働くことを通して働くことを学んでいくのです。



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