親子関係と愛情確認行為
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親子関係と愛情確認行為

2020年02月12日(水)11:02 AM





いわゆる「いい子」ほど報われないことがあります。それは手がかからないだけに、たとえば親から手をかけてもらえなかったことで寂しさを抱えてしまうということです。そして何歳になっても成長するなかで不安なとき、心細いとき、ふっとそのような満たされない思いを”甘え”という表現で親に触れてみたくなります。





少しすねたり、困らせたりして気を引こうとします。いざとなれば親は手をかけてくれるという安心感を得たいがための、愛情確認行為です。平たく言えば、かまってほしい、ただそれだけが願いなのです。ところがそれが意に反して受けとめられると、親に肯定されない悔しさから執拗なまでの愛情欲求となります。





「かまってほしい」もあまりに意識化されると、こだわりになりただ事ではなくなってしまいます。”甘えたい”という思いが伝わらないもどかしさを深めすぎていくと、人に甘えられない(頼れない)、甘え方がわからない、素直になれない、またプライドの高さばかりが気になり、一筋縄ではいかない身のこなし(立ち振る舞い)を含めた心の不器用さに襲われてしまうのです。





この瞬間、その人のそれまでの歴史が他人の目からみたらいかに輝かしいものであっても、本人にとっては親に操られた否定の日々となります。そしてわが子のこの慟哭がうとましく、「今さらいい年して親に何を言いたいんだ」と相手になることを放棄したとき、親は子からこのような思いもよらない一言を言われます。





「いつまでもいい子の俺にあぐらをかくな」





”生きている”とは、多かれ少なかれ誰かを捨て石にしているということなのです。我慢している一方で、必ず誰かを我慢させています。子どものひと言が「わがまま」にしか聞こえない親に対しては、”捨て石”の悲しみは恨みにもなっていきます。大学病院の医局に勤める医師のAさん(三十五歳)は、土曜日の夜になると自宅から自家用車を走らせて両親二人だけで住むマンションに一人で”乗り込む”週末を繰り返しています。





そして高齢の父親、母親に悪口雑言、ときには暴力を振るうと、「あんたたちもたいへんな子どもを息子にもったものだな」と神妙に言い、妻子の元に戻っていきます。「聞いてんのかよ、聞いているなら返事ぐらいしろ、悪くなれば『悪かった』のひと言も言えない。そうして家族だけでなく、そんなお前の腐った根性を見抜けないまま信頼してきた人たちまで裏切ってきたんだよ。わかってんのかよ」





張り裂けんばかりのAさんの声を電話機から収録し、わたしの前でレコーダーの再生ボタンを押す父親(七十歳)です。そして「こんな子にしてしまって」と涙ぐむ母親(六十七歳)です。





生き地獄を彷徨う疲れきった二人の姿が痛ましいです。しかしその一方でこれでもか、これでもかと早送りしては再生ボタンを押し「ここです。こんな言い方もするんです。”正常”な状態とはとてもわたしには思えません」とわたしに食い下がる父親が、なんともやるせません。





大手銀行の頭取一歩手前まで出世した父親と世間知らずの社長の娘の母親にとって、Aさんは「困るようなことがまったくなかっただけに、親子の思い出がほとんどない息子」だったようです。





三人兄弟の次男として誕生したAさんは、「兄ほど優秀ではないが、弟ほど病弱でもない」普通の子でした。家族で全国の各支店に転勤するときでも、父親は「Aは転校しても大丈夫だよな」と言うと、あらためて返事を求めようとはしませんでした。Aさんは、高校を卒業するまでに六回も転校を重ねました。中学生になると、友だちを家に連れてきて、「親しくなる努力」もしなくなっていました。






そのことに時間を費やすよりも「少しでも兄の成績に近づける努力」をしたほうが意味があると思っていたようです。家のなかでまったく友だちの名前も出てこなくなった中二の頃「結局、お父さんはどんなに反抗しても勉強のできる兄貴を選んでいる」というAさんの独り言を、母親は今でも鮮明に覚えているようです。





そして弟は、「母親の献身的な努力と父親の励まし」によって空手の中学生代表に抜擢されるまでに成長していました。高一のとき、Aさんは初めて母親に、「この家は、三人で動いている」と愚痴りました。しかし母親はその三人を、両親と大学進学を目指して落ち着かない日々の兄と思い違いをしてしまいました。「動く」という言葉が、「輝いている」という意味であるとは母親には思えませんでした。





「わたしは大切なときにこんな感じでズレてしまうような母親だったんです」と、今、相談室でふり返ります。ひたすらエリートサラリーマンの道を歩む父親と、最高学府の法学部を目指す兄、そして”取り柄”をつかんだ弟がAさんにはまぶしい存在だったのです。





多額の学費をかけて私大の医学部に入学できたAさんは、「金に見合った医者になれるのか」との父親の”励まし”にさげすみを感じながらも、強張る表情を見せる態度でしか抵抗できませんでした。父親が中座をするとAさんは母親に言いました。「俺はいい子になりすぎていたのかもしれない」と。





周りの人にストレートな言い方をする医学生となったAさんは、プライドの高い嫌味な先生と噂されるようになっていきました。自身の望む科の教授から声がかからないAさんは孤独感を深めていきました。医局の同僚たちのように立ち振る舞えないAさんは、医局に引き取り手がいないだけでなく、他の病院に就職することすら意地もあってできませんでした。





納得できない科で診療生活をするAさんにとって、「わがままを言っても笑って対応してくれる」看護士のBさんは安心して甘えられる人でした。「周りの意見を聞かないで、最初に結論を出したこと」がBさんとの結婚でした。ところが、誕生した子どもの成長と共に妻は、「すねた気持ちまで優しく受けとめてくれる相手」ではなくなっていきました。





苛立ちから振り上げた手に妻から浴びせられた「離婚」のひと言が、怒りの矛先を転じさせました。診療中のコミュニケーション不足によるトラブルも重なり、寂しさは極度に高まりました。そして四面楚歌の心を救うには「いい子の報われなさ」に遡るしかAさんにはゆとりがありませんでした。やり場のない息詰まる土曜の夜、Aさんはやんちゃなわが子を見ていると自分の危うさを突かれているようで、手をあげてしまいそうな感情に襲われました。





気がついたら両親の前で、三十歳を過ぎた大の男が泣きながら子ども時代の悔しさを蒸し返していました。「二人に手をかけて(触れて)もらった覚えがない。





俺は二人にとって本当に望まれて生まれてきた子どもだったのか。ついでにできた子どもではないのか。親なら、甘えたくても甘えたいと表せない子どもの気持ちがわからなかったのか。褒められもしないし、叱ってももらえない。俺のことをバカにするな」Aさんの慟哭は両親にとって”寝耳に水”であり、「子どもまでいる大の息子」に「うかつだった」とは言えませんでした。





「何を今さら、いい年して・・・・・」父親にはそれしか返事が見つかりませんでした。「ただ聞いてあげるだけでよかった」と気がついたのは、老いたる身も考えず母親をいたぶるAさんに耐えきれず手をあげ、怪我をして一週間の入院をしたベッドの中でした。ですが、繰り返される土曜日の夜の悲しみは、再び父親のその気づきを霞に消えさせてしまうのでした。





「お父さん、もうテープを止めて。あの子の気持ちを思うと『よく帰ってきたな』と玄関先で声をかけてやりたいと思います。でも体が恐がっているんです。それがすごく辛いんです」顔を両膝にうずめる母親に、唇をかみしめ寄り添う父親の姿が、またいじらしく感じました。



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