ひきこもり・不登校の事例(23歳の女性とその他)
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ひきこもり・不登校の事例(23歳の女性とその他)

2020年02月12日(水)10:37 AM





高校・大学と親を拒絶し続けてひきこもり





23歳・女性





もともと住まいが九州なので、関西の大学に入ってワンルームマンションでの一人暮らしをするというのは親も反対していたようです。





しかしすでに親子関係が断絶状態にあり、それは中学2年からはじまって、高校在学中の3年間が最悪の事態でしたので、いっそ遠くに離して本人に自由な社会との接点を体験させたほうがよいかもしれないという母方の兄たちの意見もあって、本人の希望通りにさせたようです。





大学に入ってから、時に半年間も音沙汰のない状態には母親も我慢ができなくなって、電話をかけたりメールを送ったりするのですが、電話をかけても親と分かると徹底して無言を通したり、メールには返事一つよこしてきません。





そのうち、大学への問い合わせで、必修科目の単位がいくつも取れていないことが分かりました。このままだと、2年次終了の時点で留年という措置になるのだと知って、親はそのことについて何かと話し合いたいと焦ったそうですが、メールや電話ではらちがあかず、両親が関西のマンションにまである日やってきたのに、頑なにドアを開けようともせず、親たちもドア越しに話そうにもとても話せませんでした。





つてからつてを頼って、親たちは同郷出身の同大学の同じ学年の女性から、娘の状況をなんとか聞けることになり、その経路で知ったことはその後、なんとか3年には進級したものの、めったに学内で姿を見かけることはないということでした。





夜は、アルバイトに出かけているようだと聞いて、自分は徹底した堅物だと自認している父親は、「それみたことか」と母親を怒鳴りつけ、即刻連れて帰れと大騒ぎしました。





「遊び好きの子などとは極端に違ったタイプの娘だと信じていた」という母親は、とにかく心配で、一にも二にも娘の様子を知りたいの一心で、自分の心配を長いメールに書きました。





これには娘から返事が来て、「わが子のことをこれほどまで見当違いに思い込んでいる親だとよくよく分かった。今のわたしの生きかねている苦しみの根源は、すべて親なのだと再確認した。





わたしも人間なんですよ。人の子ですよ。女なのよ」と書いてあるのを見て、母親はへなへなとそこにはいつくばる思いがしたというのです。そのまま、今では、大学のことをどう考えているかもわからず、親を拒絶しきったままひきこもりの状態を続けています。





ひきこもり2年。母親への暴力が絶えない内気な大学生





20歳・大学生





大学は3年生の秋から行かなくなり、以後現在に至るまで2年余、まったくのひきこもり状態だと母親が初回の面接で語りました。その時点で彼は20歳でした。





幼いときから、内気な性格で神経症的にささいなことでこだわったりつっかかるところがあって、姉と兄との3人きょうだいですが、この子は先が心配だと思って気になってきたが、その通りの成り行きになってしまったと母親は嘆きます。





小さいころから友だちもできにくくて、高校時代は親の強引な勧めで不本意な高校になぜ進学させたのかと母親を責め抜き、大学についても不平不満がいっぱいで、ことごとに言い立てることが母親には耐え難いようです。





母子で言い争いがつのると、暴力沙汰にまでなってしまい、母親が蹴られたり殴られたりで肋骨を骨折したり、腰椎の打撲でたびたび治療に通う状態だったということです。





父親は、下請けの鉄工所を経営しています。体格も腕力も本人は父親にはかなわないので、向かっていくのはもっぱら父の不在中に母親にです。あの年でいつまでも同じことで責め立て、言っていることが訳がわからないと母親も仕事に疲れて帰ってきた父親に訴えます。





それがくどくて父親が一度精神科に診てもらえと、強引に病院に連れて行ったところ、わずかな問診で、こともなげに一般に不治の病と恐れられている病名を口にしてそれだと断定し、本人の暴力が恐怖なら入院させますかと提案され、その診察診断の様子に両親も不信を抱かずにはいられなかったようです。





案の定、その後本人は「なぜあんな医者に診せた」と親をとがめっぱなしで、親も重ねて医者を頼る気にもならず、本人は「もうだめだ」と嘆いてそれからどこへも出かけなくなったといいます。





友だちからの電話にも出ないで、ひきこもりっぱなしになり、二階の物置き同然に物を置き散らした乱雑極まる自分の部屋から日中まったく出てきません。





夜にはわがもの顔で台所をあさって、好き勝手な食生活が続いています。母親の料理したものは、カレーなどの好物の二、三のものを除いて、ほとんど口にしません。





買い置きのインスタント物や袋物など、ほしい物がなければ「買っとけ!」と怒鳴り散らして、グズグズ言い出すと手のつけようがなくなるといいます。





もう2年になるのに、医者への恨みが激しくなるばかりで、裁判に訴えるといきまき、それの応答のズレのいらだちで親が責任を取れとわめきたて、荒だて抜いて疲れ果てて寝てしまうという日々です。





その日々の言動はまったく始末におえず、ひきこもりっぱなしの状況ながら、医師の診断は親にもどう考えても腑に落ちないので再度医師に診てもらうことなど到底本人がその気にはならないので無理だという状態でした。





わたしは精神科の医師ではありません。本人を診断治療する資格もありませんし、その立場ではないものの、日々子に接する親の態度やありようについてはいろいろ検討の余地がありそうだから、親との面接を重ねましょうと提案してその後週1回から月2回、やがては月1回、時に週1回に戻るという断続的な面接を今まで2年重ねています。





わたしも現状の親の報告を聞くにつけ、医師がくだした診断や病名の断定が腑に落ちない思いでいます。





心を閉ざし続ける気弱な少女





中学の2年から、体の不調が続き、1日休み、2日休みしてとうとうまったく行けなくなってしまった少女の事例です。





私学の女子高に高校は進学できたものの、一学期もたたない間に、疲れがかなり出て登校できなくなり、同時に落ち込みがひどくて期待にそわないわが子のその様子に、母親が本人よりもひどい失望ぶりでずいぶん励ましたつもりがかえって本人を苛立たせて、3回ほど手首に傷をつけたりしました。





「お母さん、ごめんなさい」から始まる遺書めいたものを見つけるに及んで、母親はもう何も言うまい、すまいと心に決し、それからは本人はひきこもり状態で一年近くになっていました。





娘のA子さんは当時17歳でした。それが関東自立就労支援センターのカウンセリングルームへ母親が初めて来所した時で、それからもう3年になる事例です。





関東自立就労支援センターへ母親が来られてから、2週間に1回程度、母親は相談にやってきて、その都度わたしとの面接の様子は録音して持って帰ってもらっていましたので、そのテープを何度も何度も繰り返し聴いたそうです。





これがまたとなく自分の発見と確認になったと言ってくれました。来るたびに、はじめはただわたしの話を聞くだけで終始自分は黙っているという感じから、やがては積極的に自分を語るというふうに変わっていったことはわたしも強く印象に残っています。





母親は娘のA子さんの気弱さを、どうしようもないダメな様子としかとらえてなかったのが、実はそれは自分自身の生き写しだと告白して以来、この母親の様子が変わっていったのでした。面接を計十数回やってきて、それからぷつりと来なくなり、次に来たのは1年半の後でしたが、母親の様子は元気そうに見えました。





A子さんはその後、高校を中退して、本格的にひきこもりになっていったのだといいますが、母親がもはやそのことに不安ばかりを抱かないようになっていたのだと報告してくれました。





子どもが家にい続けてくれることがかえって自分を支えてくれているととらえることができたと、わたしが十数回の面接で力説したプラス思考のあり方へ、まさに実践そのもので努め励んだというのです。子どもが心を開いてくれた、いろんなことが話せる母子関係に変わったといいます。



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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
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理事:
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理事:
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住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援