不登校の子どもの同世代復帰
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不登校の子どもの同世代復帰

2020年02月05日(水)12:57 PM





今年の年始、中一の年明けから不登校になり、現在二十歳の童顔のZ君が関東自立就労支援センターの初詣でに参加してくれました。





到着する電車に三々五々乗車し、語り合う仲間たちに遠慮しながらホームに立ちすくむZ君に声をかけました。「乗り遅れてしまうよ、先に乗って」。背を丸め、コートで身を包むZ君は扉の前に居場所を見つけると、傍らのわたしに言いました。





「年賀状ありがとうございました。信じられないと思いますが、年賀状をもらったのは三年ぶりでした。学校に行かなくなった年は、とにかくクラス中の友だちから『お元気ですか』とか『いま何をしていますか』とか『学校に来てください』という年賀状が届いて、あまり親しくなかった女子からも、『必ず学校に来てください。待っています。』と添え書きされたきれいなイラストの絵はがきが来ました。





僕はその時、”悲劇の主人公”にされていることに気がつきました。それまでの年賀状の数に比べるとあまりに極端でした。僕は返事を出すことに臆病になり、机の引き出しにしまいこんでしまいました。僕はジーッとクラスの皆に見られているように感じ、『元気です』とか『行きます』と約束できませんでした。返事を書きたくても書けないんです。悔しさと孤島に置き去りにされたような不安な気持ちが複雑に僕の頭を痛めつけていったんです」





Z君は、「信じていた親に裏切られた」と言います。小学生時代は、「とても素直で親の言うことをよく聞き、優しく人を気遣い、約束は守り、片づけはしっかりやり、正義感の強い子」と両親の自慢の子どもでした。





ところが中学に進むと、込み入った友人関係の渦に巻き込まれ”鈍くさい、まじめ人間”と言われだしました。僕はもしかして仲間はずれにされるのではと恐ろしくなり、”ノリ男”になることを懸命に演じてみました。





でもその無理がたたって表情は暗くなり、”ノイローゼ”といじめられる羽目にZ君はなりました。中一の冬、Z君は追いつめられ、疲れ果てた体を両手で支え、今何をどうすればいいのか、父親に聞きました。





「まったく気の弱い、神経質な男だな。ばかまじめに考えすぎるんだ。時には”長い物には巻かれろ”と言うだろう。まったく人間関係が不器用だな」父親のこのひと言にZ君はたじろぎ、前途を見失ってしまいました。それまで親から肯定されていた性格が、突然否定されたのでした。





「僕は学校生活をどうアレンジしたらいいのか分からなくなり、友達関係にも誤解が生まれそうで行けなくなったんです。でも内心、小学生のときのように皆の輪の中に入っていたい、と日増しに強く思うようになっていきました」と言います。





卒業後、Z君は高校生になることを躊躇しているうちに、「同世代から乗り遅れ」てしまいました。「年賀状の数」が友だちの数でした。高校卒業、大学入学、就職内定をにおわすはがきのひと言に「俺だって」と唇をかみしめてきました。一枚の年賀状が成人のお守りになっていました。わたしはZ君の同世代復帰を願いました。





ケンカして仲直り





人間関係の希薄化をいかに食い止めていくかということは、今の教育の最大の課題といっても過言ではありません。人は人なくしては生きていけません。人は人と共に生きていく宿命を背負っています。





互いの人格や思い、気持ちを推し量り認め合いながら、「ケンカして仲直り」していける力を、わたしは「生きる力」と理解しています。人間関係は自分の思い通りに事が運ぶとは限りません。すべてはそこで起こる関係性に粘り強く(たくましく)、人をあきらめない姿勢を維持できるかにかかっています。





これをわたしは、「曖昧さに耐える子育て」、「わずらわしさを引きずる力」と呼んでいます。人は人ともめて感情の行き違いを起こしたとき、幼い頃の下地づくりが積み重ねられているかどうかの真価が問われます。





言葉で表現できないまでも「どんぶり勘定で人間っていいな」という実感を獲得しているかです。どこかで人間関係を品良く合理的におさめて、「せめぎあって、折り合って、お互いさま」の営みを軽視してきた現代社会です。いまや意識して、身近な生活の中に子どもを巻き込んだ人間関係の揺さぶりが求められています。





数年前の九月一日。新学期の始まる朝、高校一年だった双子の娘がおのおのに通知表を手にし、カバンに入れようとしていました。そのとき、姉の表情がなんとなくさえないことがわたしには気になりました。ところで人生とはめぐり合わせ、人と人との組み合わせで光と闇が繰り返されるものだとわたしは思います。





ある進学校に入学した青年が、輝いていた中学時代を思い出し、こんなひと言を面接で言ったことがあります。「中学でダイヤモンドだった僕は、高校に入ったら石っころになっていた」姉はダイヤモンドとはほど遠いが、青年と同じ心情を抱えていました。妹は反対にやっと日の目を見たと祖母や妻、わたしに笑顔のプレゼントをしてくれています。





登校間際に姉が妻に言いました。「お母さん、わたし、今度地理で赤点取ったら留年だからね」「バカなこと言って、遊んでばかりいるからよ。中学のときは努力していたじゃないの」「高校に入ってから変わってしまって。おまえが孫だと老人会で言うのは恥ずかしいよ」





妻と祖母が叱ると、姉は洗面所に行っていきなり眉毛をかき、アイシャドーを塗りました。その瞬間、妻が手にしたタオルで激しく娘を叩きました。初めて見る”妻の家庭内暴力”でした。「休みの日は許したけど、登校日はダメだと言ったじゃない。情けない、そんな子に・・・・・」





泣き崩れる妻、茫然自失の娘、わたしはあまりにも突然の出来事にたじろぎました。娘はケースに化粧品を押し込むと玄関を飛び出していきました。わたしはとっさに娘の後を追いました。わたしは自分の小心さが情けなく感じました。





「お父さん、お姉ちゃんにお弁当と水筒を渡して」妻の声がわたしの耳元に届いたときには、自転車に乗る娘の姿は視界から消えていました。夕方、心もとなく玄関の戸を開くと娘が微笑み、声をかけてくれました。「お父さん、お弁当持ってきてくれてありがとう。メモ読んだよ」





殴った後の後味の悪さ、傍観するしかない父親の無力、今日は早めに帰ってきなと、とっさに弁当箱に入れたメモでした。人は深くわかりあうためには、ときにはケンカをすることもあります。最近、妹の髪の毛のほうが茶色くなってきました・・・・・。



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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援