ひきこもり~人間関係を恐れる若者~
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ひきこもり~人間関係を恐れる若者~

2020年01月30日(木)12:07 PM







ある年の9月の中旬に、いわゆる有名大学に籍を置き、いよいよ来春卒業、就職を控えた若者が、父親と一緒に面接に来ました。父親の言うところでは、いよいよ会社訪問をはじめる時期になっても、動き出す気配がないというのです。




経済的不況から採用先も少ないのかなとも思うけれど、その子の言っている大学では就職率は高いのです。「なんでお前は就職しないんだ、会社訪問しないんだ」と父親が聞きました。すると彼は「なんとなく人が怖い、人間関係が怖い」と思い詰めたように言ったのです。




高度経済成長を生き抜いてきた団塊の世代のお父さんには、我が子が言っている意味が分かりませんでした。今まで小学校、中学校と、学校や友達関係に問題があったわけではなく、今頃になって人間が怖いなんて言われても唐突すぎてびっくりします。




このお父さんは、我が子を理解しようと心理学の本を読み始めました。そのうちに私の本と出会い、なぜ我が子が人間関係を怖がるのかが見えてきたのです。




それは、我が子が今まで受け身の人間関係しか持ってこなかったということでした。人は勉強ができたりスポーツができたりすると、受け身でいられるのです。周りの人がよいしょしてくれる、みんなが声をかけてくれるということです。自分から声をかけなくても人が集まってくれるのは楽です。




ちやほやされると言ってもいいかもしれません。みんなが自分に声をかけてくれるから、自分に人間関係の選択権があるわけです。この人とはつきあえる、この人は嫌いだというように、自分に選ぶ権利があるのです。別な言葉で言えば、生殺与奪の権利、生きるも殺すもみんなこっちの手で握っているわけです。




ところが、人間関係はめぐり合わせ、組み合わせです。ある時点では勉強や運動で目立っていても、思いがけず足元をすくわれてしますことも少なくないのです。




いつも光が当たってるとは限りません。20歳過ぎて子供から大人になると、親が子供から手を引くように、みんなが自分から手を引いてしまうときがあるのです。




人は、いつでも思うままにいられるわけではありません。でも、光の当たっている受け身の自分しか知らないと、自ら人を求めていかなければはぐれてしまう闇の自分もあることを、忘れてしまうのです。自分の弱さがあからさまになったとき、私たちは挫折感を味わうのです。人は、挫折すると必ず孤立を選んでしまいます。




闇を抱える自分が人を求めていくことは、プライドとのせめぎあいでもあるのです。そんな中でも「い~れて」と自ら声をかけていく力は、受け身の人間関係の中からは育たないということです。




小さいときから人との関わりをどれだけ重ねてきたか、人間関係を築く術をはぐくんできたかということなのです。これが自分が孤立したときに「い~れて」と相手の中に入っていく力であり、コミュニケーションスキルです。人の輪の中で漂う術です。




そして、これが幼いころから積み上げられてきたということが、思春期・青年期に問われるのです。この青年は、ずっと勉強という安全地帯があり、その中でいつも声をかけてくれる友達で満たされていました。




しかし職場では、勉強ができることよりも人間関係を紡ぐ力が問われてきます。100点を取って喜んでいられるのは、学校のあるうちだけです。




「部長や課長にどうやって挨拶したらいいのかな、歓迎会では、どうやって付き合ったらいいのかな」大人の社会では当たり前と思われるやりとりも全く分からないという不安を抱え、彼はお父さんに訴えるのです。




おとうさんは「お前は考えすぎだ。お前のことをいちいち気にしている人間はいない」と、彼に言い聞かせようとしました。父と子の気持ちはすれ違うばかりで、そのうちにお父さんは、彼にカウンセリングを進めるのです。




「お前の気持ちを必ず分かってくれる」と言い含められ、彼は私の相談室を訪れました。それが9月の中旬でした。その彼が私に非常に印象的な言葉をつぶやきました。




「僕、気が付かなければよかったんですよ。でも気が付いてしまった。僕は勉強しか取り柄のない人間なんです。僕はもっと「トータル」な高校生活をしていればよかったなって、今思うんです」




このトータルな高校生活とは、すなわちトータルな人間と言うことです。相談室を訪れる若者からよく聞くフレーズです。日常の中で様々な人とふれあい、喜怒哀楽を含めて様々な自分の姿に気づいていくことなのです。




でもそれには、勉強だけではなく、部活などの厄介な人間関係にも身を置いてみないと、自分はどんなタイプなのか、人間とはどういうものなのかということが、なかなか見えてこないのです。




彼は高校時代、文化祭でみんなが戯れている姿を見ると、眩しくてしょうがなかったと言います。みんなの中に群れられない自分を思うと苦しいから、いきなりみんなの中に入っていこうとします。




使い慣れない流行言葉を使ったりして友達に近づこうとしても、無理をしているから、やはり仲間から浮いてしまうのです。冗談を言っても間が取れず、みんなが引いてしまうのです。




相手の気持ちを推し量る余裕がないから、うっとうしいとか、自己中と思われてしまうこともあるわけです。その積み重ねに傷つき、人と関わる気力さえなくしてしますこともあるでしょう。




勉強だけができていればいいというわけではないのです。人間にとって最終的に問われているのは、学歴ではない、学力ではない、名誉でもない、財産でもありません。




そんなものは何の役にも立たないのです。最後にその人の命綱になるのは、その人が孤立しない人間関係を獲得しているかどうか、そのスキルであり、それを支える自己肯定感です。その人がどんな状況の中でも絶対に孤立しないように立ち振る舞うスキルが身についているかどうかが、最後には問われるのです。




戦後50年の民主主義社会で謳歌された個性尊重の落とし穴が、ここにあるのです。例えば仲間に入れなかった時、家にいるのもつらいから、ぷらーっとその辺を歩いているとします。こんな時「僕は孤独が好きなんだよ」と自分の寂しさを、つらさをすり替えてしまって、関わる努力を放棄していることはありませんか。




人は、そういつまでも孤独でいる自分を見つめられるほど強くはないのです。「これが僕の個性なんだ、自分らしさなんだ」と、どこかで孤立をすり替えるしかすべのない個性が孤立の個性となってしまうのです。




でも、どこかで人と群れたい、人の輪の中に入っていきたいと、見捨てられ感や置きざり感の切ない思いを抱える若者たちがいるのです。今はそんな若者たちがすそ野を広げ、実は私たち大人の中にも見え隠れしているのです。



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