女性の引きこもり経験者のインタビュー
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女性の引きこもり経験者のインタビュー

2020年01月28日(火)12:08 AM

まず最初に生まれたころのお話から聞かせてください。





生まれは東京です。二年前に東京のアパートで一人暮らしを始める前まで、ずっとそこで暮らしました。現在、年齢は三十九歳です。実家は今でも都内にあります。父は公務員で、母は専業主婦でした。兄と妹がいて、二人とも今は会社員です。





小さいころは、どのようなお子さんだったのでしょうか?





小学校の高学年までは少し優等生で学級委員になったりしました。ただわたしの場合、小さいころから皮膚病という悩みがありました。夏場には少し改善するんですけど、冬場には悪化するという繰り返しでした。両親はなんとか治そうと、病院を探してはわたしをあちこちに連れて行きましたが、そのうちもう治らないとあきらめたようでした。





病気のせいで学校での身体測定のとき、男の子から悪口を言われたりしたこともあります。中学生になってからは暑くても長袖を着て、肌をなるべく見せないようにしていたんですけど、親からは「隠さないで半袖を着なさい」と言われたこともありました。





それはどういう意味だったんでしょうか?





精神的に強くなれ、という意味です。実際に学校へ半袖を着ていったこともありましたけれど、恥ずかしくて一日中、机の引き出しの中に手を入れていました。





親は口では「たいしたことじゃない、強くなれ」と言っていました。でも家族でプールに行くと、わたしが水着姿で近づいていくと親が何となく不機嫌になるのが分かってしまうんです。「わたしの病気は見た目に汚いもの、恥ずかしいものだ」という思いが、自分自身の中にも友人の中にも親の中にもありました。ずっと否定され続けてきた気がします。物心ついたときから価値観の中に「健康イコール善、病気イコール悪」と刷り込まれているんです。





価値観が刷り込まれていた、と?





中学や高校のとき、わたしは将来やりたい仕事として福祉の仕事を考えていましたけど、どうせ雇ってもらえないだろうとあきらめてもいました。わたしには生き方のモデルになる大人がいなかったということだろうと思います。思春期の頃のわたしは、健康な大人しか就職も結婚もできないんだと本気で思い込んでいました。自分には生きていく資格がないんだ、と。





就職も結婚もできないと思い込んだ状態で、どう将来像を描いていたのですか?





高校時代にも「自分は仕事には就けない」という思い込みをひきずっていました。就職前には健康診断がありますよね。わたしは病気のせいで採用してもらえないと思っていたんです。当時もわたしは夏休みには外出をしないような状態でした。半袖を着られないからです。就職をしないで大学へ進むという身の振り方も高校三年の秋までは何となく考えていたんですが、最終的には進路の候補にはなりませんでした。





大学へ行ってもその先には何もないんだ、と思えたからです・・・・・・。就職も進学もしない、でも卒業は近づいてくる・・・・。追いつめられて高校三年の三学期にはほとんど学校にも行かなくなりました。・・・・・・逃げたんです。周りの人たちは就職や進学をしていきますから、自分はそういう人並みのことができないということで劣等感を強く感じました。それから後はずっと、心の中のどこかにいつも「死にたい」という思いがありました。





高校卒業後はどういう生活をされていたのでしょうか?





親から「何かしろ」と言われるので、アルバイトをしていました。でも通年で働くことはできなくて、長袖の服を着ていられる秋から春の間には外へ出て半年ほど働いて、夏は家にいるというパターンの繰り返しでした。思い込みかもしれませんけれど、当時は外に出て電車に乗ると周りの人にジロジロ見られているようにも感じていたんです。





その後、何か転機はありましたか?





二十二、三歳のとき、親から「職業訓練校に行け。行かなければ家から追い出す」と言われました。そのときは「自分は死ぬこともできないし、追い出されていくところもない」と考えて、仕方ないので半年間通いました。





心の中では「自分は人並みに何もできないのだから、さっさと死にたい」と感じていたと思います。職業訓練校のあとは近くの会社に就職したのですが、試用期間中にクビになりました。





そのあとはスーパーマーケットの事務の仕事にも就きました。職場に冷房があって、長袖を着ていられたのが好都合でしたし上司もよくしてくれたのですが、そこも結局は1年ちょっとで辞めました。それが二十五歳のころです。辞めようと思った理由は、続けていても「この先どうなるのか」という夢や未来像が見えなかったからだと思います。





たとえばわたしの意識には「女は結婚退職するものだ」という刷り込みがあったんですけど、職場に同世代の人はいなかったし病気のこともあったし「どうせ自分には結婚退社はできない」と思えてしまって・・・・・。それから完全な引きこもり状態に入りました。





引きこもる以外の選択肢があったかどうかについて、今どう思われますか?





働くことについては、「いったいこんなことをしていて何になるんだ」というふうにしか考えられませんでした。アルバイトにしろ、定職にしろ、就いた初めは作業内容とかが目新しいので、自分自身の内面の問題から目をそらせていることができるんです。





でも慣れてくると「こんなことをしていてどうなるんだ」という自分の問題に戻ってしまって・・・・・・・。結局当時は、別の生き方の選択肢があるとは考えられませんでした。引きこもる前後のわたしの考え方は「自分には将来はないのだから、死ななくちゃいけない」というところから始まっていました。





でも、実際には死ねない状態が続いていました。自殺未遂という行動すらしていませんでした。死にたいけれど勇気がないために自殺未遂すらできない、現実の世界に生きていくことも、死んでしまうこともできないという感じで・・・・・・・・。今になって思うと、自殺のことを考えるという行為自体が、わたしにとっての現実逃避だったのかもしれませんね。最近ではもう「現実の世界に生きていくしかない」という開き直りをしていますけれど・・・・・。





引きこもってからの具体的な生活の様子はどうだったのでしょうか?





十年間、完全に家の中にいました。ご飯は親と一緒に食べていました。会話はほとんどありませんでしたけど・・・・・・。やがて、ご飯を部屋で一人で食べるようになりました。親はそのことについて何も言わなかったですけど、親だって嫌だったろうなと思います。食事といっても何の会話もなくて、少しも楽しくない、その状態は今でも変わっていないですけど・・・・・。





初めのうちは夜は外に出て自動販売機でジュースやタバコを買っていましたけど、それも結局しなくなりました。自分のしていることは、恥ずかしいことだという劣等感がありましたので、家の外で昔の同級生や親戚とかに会うのが嫌だったんです。あのとき、わたしの中にあったのは恥ずかしさと自責の念だったのだろうと思います。生活は夜明け前に寝て昼ごろに起きるという状態でした。





食べるものは自分で作って部屋で食べて、部屋ではラジオをボーッと聴いたりして時間をつぶしていました。夜になって両親が寝ると、リビングへ出て行ってテレビを見たりもしました。早く時間がたたないかなと願うことが多かったです。





自殺のことについてはどう考えていたのですか?





自殺したいと何度も考えました。振り返るとわたしは「自分は自殺をできるはずだ」と信じながら、引きこもりの十年間を過ごしたような気がします。逆に言うとその十年間は「自分は自殺することができない」という現実を受け入れる前の葛藤の期間でもありました。つまり当時は「どうせわたしは死ぬんだから」と考えることがわたしにとって唯一の精神的な逃げ場になっていたんだろうと思うんです。「自殺できない」と認めることは、その逃げ場がなくなってしまうこととイコールだったんでしょうね。





そうした心の葛藤について親御さんに話したことはありましたか?





親には、ひと言も言っていません。向こうから聞いてくることもありませんでしたし・・・・・・。





親や家族のことについては、どのように考えていたのでしょうか?





わたしが三十一歳になったころ、父親が定年になって家に毎日いるようになりました。親が年をとってきたという事実に、わたしは恐怖を感じました。「親がいつ死ぬかわからない」ということに対して恐怖を感じたのです。わたしは途中から「そうなったときには自分はホームレスになるしかないんだ」と考え始めました。





ホームレスになるくらいなら死んだほうがいいと考えるんですけど、やっぱり死ねない・・・・・・・。それから三十二、三歳のときに妹が一人暮らしを始めるために実家から出て行きまして、そのこともわたしにはショックでした。わたしの中のどこかに「家族とは変わらないものだ」という考えがあったからだろうと思います。





ご自身の悩みについて、どこかに相談をされたことはありますか?





それは考えもしませんでした。こんなことをしているのは自分一人だろうと思っていたからです。すべて自分が悪いせいだと思っていましたし、そのころは「引きこもり」という言葉もまだ知りませんでしたし。





引きこもりをやめたのはいつごろだったのですか?





わたしが三十五歳のときです。そのときまでに「自分は自殺できない」という事実を少しずつ認めて受け入れていきました。時間はかかりましたけれど・・・・・・。その時間は「生きるしかない」ということを自分に繰り返し言い聞かせていく時間でもありました。二つのことを受け入れることができたとき、外に出ようという気になったんだと思います。





生きるしかない、それなら出るのは今だ、と・・・・・・。でも、一度外に出てしまったら後戻りはできませんし、生きるしかありませんから実行するにはすごく勇気がいりました。しばらくは絶望のどん底にいたのを覚えています。外へ出る第一歩としては、まず歯医者に行ってみようと考えていました。以前から虫歯があってずっと我慢していたんですけど、出ると決めたからそれなら治療してしまおうと思いました。





でもそのためには親に治療費を出してもらわないといけませんし、保険証も借りなくてはいけないので、まず親にその話を切り出す必要がありました。「今日言おうか、明日言おうか」と悩む日が続いて、最終的には母親に伝えました。





外へ出てみて、どんな感じがしましたか?





その日は小雨が降っていました。バスに乗って歯医者へ向かったんですけど、バスの窓から見える街の景色が十年前と大きく変わってしまっていたのが印象的でした。新しい家があちこちに建っていまして・・・・・・・。帰宅したら、家には誰もいませんでした。案外あっけなかったなというのが感想です。





その日以降は、歯医者に通いながらハローワークへ行ってパートの仕事を探しました。七つぐらい会社を回って断られたあと、やっと小さな印刷会社に拾ってもらうことができました。引きこもりをやめて何とか家の外へ出たとしても、「就職するまでの過程がまたたいへんだった」という人がたくさんいます。でも、意外とスムーズに仕事が決まりましたね。





わたしが精神的にわりとすんなり就職できたのは、きっと以前にバイトをしたり正社員になったりした経験があったからだろうと思います。そこが、他の人たちとの違いではないでしょうか。わたしは引きこもりをやめたときに、「いつか実家から出て、一人暮らしをしよう」と決心していたので、就職をしたのはとにかく生活のためでした。実家にいると監視されているみたいで精神的に窮屈でしたし・・・・・・。





思えばわたしは、みんなが二十代初めに感じることを十年後に感じたということなのかもしれませんね。拾ってもらった印刷会社には三年以上勤めましたが、今年の春に退職しました。今は職探し中です。





あなたが引きこもったことと、あなたが女性であるということとの間に何か関連があると感じることはありますか?





関わっていると思います。もし男性ならば仮にわたしと同じ病気になって「自分には結婚も恋愛もできない」と絶望することはあっても、「仕事があるさ」という方向へ持っていくことはできたかもしれないなと感じるからです。わたしはずっと、自分は恋愛には一生縁がないんだと思っていました。それはイコール、未来に希望が持てないということでした。





たまに助言をしてくれるのは健康な人ばかりで、それは本当にわたしのためを思って言ってくれているとは思えませんでした。たとえば引きこもっている最中、母親から「外へ出れば、いい人が見つかるんじゃないの」と言われたことがあります。でもそれは嘘だとしか思えませんでした。母に「もしお母さんが皮膚病の人だったら、お父さんは結婚したと思う?」と聞き返したい気持ちでいっぱいでしたから・・・・・。





振り返ると、わたしの意識の中には「人並みに結婚すること」を前提にした社会参加のイメージが強く刷り込まれていたと思います。そのこととわたしが引きこもったこととの間には、関係があるんだろうなと感じます。





かつてご自身が長く引きこもり状態にあったことを今、どう考えておられますか?





振り返るとわたしには、つらいことや悲しいことに正面から立ち向かう力がなかったんだと思います。だから逃げてしまったと・・・・・・。だって、わたしと同じような病気の人がみんな引きこもっているわけではないじゃないですか。だとしたら、その人たちとわたしとの違いは何なのか。





そう考えていくと、わたしはつまり現実逃避を選んだのだろうと思います。ただ最近では、自分は病気でなくても引きこもっていただろうと思うようになってきました。今までは病気のせいだと考えていたのですけれど、もしかすると、もっと根本的なところに問題があったのかもしれないと・・・・・。





わたしが引きこもったのは、わたしが弱かったからであり、耐える力を身につけてこなかったからだと思います。いつも逃げてばかりいました。それがわたしの自殺念慮(死にたいと思うこと)であり、病気を隠して普通の人のふりをすることであり・・・・・・。





ただ他方では、病気に立ち向かう方法を子どものわたしに教えてくれる人がいなかったのも事実だと思います。自分にはモデルになってくれる大人がいなかったなと最近よく考えます。





ご自身の弱さを問題にされるとき、重要なテーマとして病気のことが何度も出てきますね。最近は病気のことをどう感じておられるのでしょうか?





今でも皮膚病のことを話すのは恥ずかしいです。でも今は「皮膚病のことも事実、引きこもったことも事実」と認められます。だから言える、それが昔との違いです。昔は黙っていました。病気のことも引きこもりのことも・・・・・・・。「嫌われたくない、嫌われたらどうしよう」という思いが強かったからです。





でも黙っていたからわたしは理解も得られませんでした。そこではわたしの悩みは無いものと等しかったのです。だから今は、皮膚病のことも引きこもりのことも事実として話すことによって理解への第一歩が始まるんだと思っています。





嫌われたらどうしよう、という不安な思いはどこから来ていたのでしょうか?





普通の人であると見られたい、という見栄からだったと思います。病気の自分を認めたくなかったんです。今ではだいぶ変わりました。病気であることを言って、それを理由にわたしに寄って来ない相手なら付き合っても仕方がない、今はそう割りきりができます。





もしかしてそう割り切れるようになったのは、「病気だと知ってもわたしのことを受け入れてくれる人がいるんだ」という実感を持てたからだったのではないですか?





そうです。人が変わるためには、頭で知るだけではなく、体験して実感を得ることが大事なんだろうと思います。わたしの場合、その実感を得られた場所は関東自立就労支援センターでした。センターに通い始めていろいろな人と会ってみて初めて「わたしを受け入れてくれる人がいるんだ」と分かったのです。





・・・・・・最初は「もしかしたら嫌われるかもしれない」という心配が心の片隅にありました。けれど実際に会って話したら、受け入れてくれる人が現実にいたので・・・・・・・。もちろん他人のつらさや心情が本当に分かるのかといえば、それは分からないでしょう。でも、だからこそ話し合って言葉で距離を埋めていくしかないと思います。話し合わないと、何も始まらないんです。



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