ひきこもりは甘えか
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ひきこもりは甘えか

2020年01月13日(月)12:14 PM







ひきこもりの問題は「甘え」である、あるいは「わがまま」や「なまけ」である、という批判があります。親の庇護を受けながら、生きているわけですから、そういう面があることもたしかです。




しかし、ひきこもりの人たちの実態を知るにつれて、そういう「正論」では片づけられない根が深い問題であることが見えてきます。




なによりも彼ら自身がそういう自分を恥じています。親の世話になって、それでいいんだと考えている人は、ここで取り上げているひきこもりの人ではないと言っても過言ではないでしょう。




わたしは、ひきこもりの人たちは小さい頃から他人への細やかな配慮を持った人たちが多いように思うのですが(しばしば、大人じみた子どもとか、子どもらしくない子どもなどと周囲から言われたりします)、小学校高学年から思春期のころにかけて、社会に対する関心が広がっていったときに、その配慮が社会への強い倫理観として出てくるようです。




社会の不正や不正義にとても敏感に反応する子どもであったりするのです。そういう人たちが、学校生活の中で身近にいじめなどを目撃して、憤然として教師に対応を求めていったりして、まともに相手にされなかったという経験をします。




こうした自分では正しいと感じたことを発言して、誰からも相手にされなかったり、孤立してしまったりという経験を持っている人も多いようです。


 


自分では正しいと思ってしたこと、あたりまえと思ってしたことが報われないという挫折体験を繰り返すうちに、他人や社会への不信感をつのらせ、しだいに、絶望し、孤立していくという構図があるようです。




ひきこもりの人たちは、自分がほんとうに感じていることや疑問を話しても、相手や大人からきちんと自分の頭で考えた人間としての言葉が返ってこないという経験にとことん傷ついているといいます。血の通った肉声を発しても、それに対応する人間らしい肉声が返ってこないという体験を繰り返してきているのだというのです。




周囲の人間たちの紋切り型で手垢にまみれた言葉、「それはちょっと考えすぎだよ」とか「みんなそうなんだ」とか、そういううわべだけの、ただその場をなにごともなく過ぎさせようとする空虚な言葉しか返ってこない反応に、とことん絶望して自らコミュニケーションを閉ざしてしまうのです。




やがて、自分のこの人間としての言葉が、もはや誰にも通じないんじゃないかという恐怖と不信から、ただ拒絶の叫びしかあげることができなくなっているという心理的な状況に追い込まれています。




そういう状況にある者は、まるで手負いの野生動物のように追い詰められていて、やさしい言葉とかうわべだけの理解などの余裕に満ちた態度によって、さらに傷つけられます。




そういう態度で親が臨もうとすると、暴れたり、荒れたりするようになります。それはまるで世界を相手にして、たった一人で籠城戦を行っているようなものです。





場合によっては、家族すらも敵だと感じています。ひきこもりの支援活動の一つの方法として、家族に依頼されて当事者のところへ訪問するというのがありますが、いくらこちらが中立だといって白旗を掲げながら近づいていっても、近づいてきた者は見境なく撃ち殺そうとまで思いつめている人もいるのだということを、どこかで理解していなければいけないと思います。




こうした人は、もはや誰の声にも耳をかさない、いくら周囲からやさしい声をかけられても、「けっして信用しない」と決意しているのです。戦争が終わってから30年近くものあいだ、ジャングルに立てこもって闘い続けていた元日本兵の救出が話題になったことがありました。




彼らは現地の政府や日本からの救援者が、いくら戦争が終わったと呼びかけても、それは敵の謀略ではないかとの疑いを解かず、けっしてジャングルか出てこようとはしませんでした。




彼らにとってそこは戦場であり、命がかかっているのですから、それは当然のことなのかもしれません。ひきこもりの人たちの一部には、この元日本兵と同じように、疑心暗鬼の中で、孤独に部屋に立てこもり続けている人たちもいるのではないでしょうか。




彼らにとっては、それはまさに戦争なのです。そう理解していくと、こういう人たちのことを「甘え」や「わがまま」「なまけ」などの言葉を用いて、第三者が気軽に論じることのできない問題であるということが、おわかりいただけるかと思います。




ひきこもりとは、「距離の問題」といえるのかもしれません。ひきこもっている人たちには、なかなかわたしたちの声は届きません。




テレビやインターネットなどのような世界の様子をうかがえる道具があったとしても、その内容をどこまで信じるか、または「ひきこもり」というネガティブなイメージの言葉で自分のことをくくられることを恐れて、そういう情報をみずから遮断してしまう人たちも多いようです。




壁一枚向こうで生活していても、周囲との対話を拒否したままで、まるで深い井戸の底か、別の天体にたった一人で住んでいるといってもいい心理的な距離感がそこにはあります。

 

 

そして、ひきこもっている当事者も、自分の肉声が誰にも伝わらないのではないかと絶望しています。とてつもない距離に互いを隔てているという構図があると思います。




ひきこもり問題の本質とは、学校に行っていない、仕事をしていないという社会的な「自立」をめぐる問題なのではなく、誰ともつながれずに孤独にいるという社会的な「孤立」の問題なのだと思います。




もう一生誰とも会話できないのではないか、もう誰ともつながれないのではないかという深刻な孤立感の中で苦しんでいるのです。しかし彼らはそうやって孤立し、絶望しながらもどこかで自分を救い出してくれる援軍が、いつの日にか駆けつけてくれることを夢想しているのではないでしょうか。




その思いとどうつながっていくか、それがこれからの支援の課題です。ひきこもり状況から抜け出すためには、この絶望的な距離を少しずつ近づけていくという作業が必要です。




支援者の中には、それを力づくでもやってしまおうという動きもあるようですが、下手をすれば、それはさらなる傷つき体験となってしまう可能性もあるのではないかと思います。




彼らを変えようとすることばかりを考えるのではなく、とても回り道ではありますが、いまわたしたちの社会の側が変わっていくことが求められているのかもしれません。




この世界や人間への信頼が回復されないかぎり、彼らはその孤独な戦いをやめようとはしないのではないでしょうか。




そして、さらに次の世代の多くの若者たちも、わたしたちの社会に背を向けて、次々と個室の中にその姿を隠していってしまうことになるでしょう。

 

 

 



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