ある男性(32歳)のひきこもり体験記
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ある男性(32歳)のひきこもり体験記

2020年01月11日(土)5:18 PM






わたしの友人の息子さんで、ひきこもり体験をしたAさん(32歳)が自分の経験を語ってくれました。彼の経験をみなさんとここで共有してみたいと思います。Aさんは、つい4、5年前までひきこもり生活をしていました。




はじまりは、22歳のときだったそうです。きょうだいは3人で、彼が一番下、上に兄と姉がいます。家は中流家庭で、父親はある会社の管理職をしています。父親は存在感はあるものの、いつも仕事で忙しくて家にいないことが多く、彼の言葉を借りると、家庭ではまるで「架空の人間」のようだったといいます。




Aさんの中では天皇のイメージと結びついていたそうですから、かなり父親としての権威を感じさせるような方なのかもしれません。ひきこもりの人たちの父親には、社会的な地位が高い人や地域での名士といった方が少なくないようです。




わたしの印象では、競争社会の中で勝ち抜いてきた気迫のようなものを感じさせる人たちが多いのです。社会的には頼もしい存在なのですが、いっしょに暮らす子どもにとっては、近づきがたさや、心理的な圧迫感を感じてしまうようなところがあるのでしょうか。




彼は体格が小柄であることに、いつもコンプレックスを感じていました。そこで、高校生になってから「もっと強くなりたい」という動機でレスリング部に入りました。




そして、練習に打ち込んで地方大会で優勝するくらいになります。やがて高校を出て、本格的にレスリングを続けるために自衛隊に入隊し、付属の体育学校に進むことになりました。




しかし、レスリング部に入ってきた人は20人くらいいたのですが、体育学校に入学できる人は試験で4、5人にしぼられることになっていました。全国レベルの人もけっこういて入学することは難関だったようですが、彼には自信があったといいます。




しかし、1年目の試験では合格できず、もう1年間がんばって翌年の試験に望みをかけました。ところが翌年の試験にも落ちて、彼が自衛隊に入った意味はなくなりました。そのショックはありましたが、まだ自衛隊の任期が残っていたので、訓練に追われて、さほど落ち込んでいる余裕もなかったといいます。




とにかく2年間の任期を早く終えて、ふつうの若者のように遊びまわりたいと考えながら、残りの期間を過ごしていました。20歳で退官し、それまでストイックな生活を送っていた反動で、フリーターをしながら思いっきり遊びまわったということです。




このような生活は、はじめの1年くらいは楽しかったのですが、2年目になるころから、ペンションやスキー場などでアルバイトをしながら、仲間たちと毎日をおもしろおかしく遊んで過ごしていても、心のどこかで、「こんなことをしていてもだめだ、意味がない。楽しいけど、むなしい」と感じるようになりました。




やがて、やっていることがなにか「正しくない」という感覚が徐々に強くなっていきました。22歳の半ばごろからはじめたアルバイトが詐欺まがいのもので、それでよけいにいま自分がやっていることは「正しくない」という思いに襲われようになりました。




仕事をしていても「正しくない」、遊んでいても「正しくない」という気持ちが強まってきて、やっていることにしだいに行き詰まりを感じるようになりました。




それなら、なにが「正しい」のかとことん考えようと思い、それが見つかるまではとりあえず自分が「正しくない」と感じる行動はいっさいやめようと決意します。




そして、22歳の冬ごろから家でひきこもりがちの生活をはじめます。Aさんは部屋にこもって、ノートに向かって自分の考えをいろいろと書き込んでいきました。そうすればなにか自分にとって「正しいもの」が見えてくるのでないかと思ったわけです。




それは一種の自己カウンセリングのようなものとしてはじめたのですが、真剣に考えれば考えるほど、なにが「正しい」のかわからなくなって、だんだんと深みにはまっていってしまいます。




しだいに昼夜逆転の生活となり、外出も週に1回ほど、本屋に行くぐらいとなっていきます。そのころの彼は、とにかく自分でもわけのわからないものに対し、強い怒りを感じていました。




その怒りをぶつけるところがなくて、怒りをただひたすら内向させ、いつもイライラと不機嫌となり、ある時期からは親ともまったく口をきかなくなったといいます。




親からなにかを話しかけられても、いっさい無視して返事をしませんでした。そういう形でもっていきようのない怒りを身近なものにぶつけつつも、同時に親に自分の苦しさをわかってもらいたい気持ちもあったといいます。




このころから対人恐怖などの症状や、被害関係念慮などの症状が出てきます。近所の人が自分の悪口を言っているのではないかと疑心暗鬼になり、それでますます外へは出られなくなったそうです。




「自分はもう一生、人と、まともに話すことができないんじゃないか」という恐怖も大きくなっていたと語ります。そういう不安や苦しさに追い詰められて、家の中で大声を出したり、ティシュペーパーに火をつけて燃やすなどの異常とも思える行動を示しはじめます。




そういう彼の姿を見た母親が心配して、こっそりと精神科医に相談に行きますが、そのことを知って、たまっていた怒りが爆発します。母や祖母を相手に荒れるようになり、暴力こそは振るいませんでしたが、壁を殴ったり蹴ったりして穴だらけにしたそうです。




家族にすすめられて精神科からもらってきた薬を飲むだけは飲むようにはなりましたが、親が選んだ医者に頼るつもりはなく、自分の力でどうにかしようと思っていました。しかしひきこもり生活が3年目に入るころから、あまいにも苦しくなってきて、しだいに死にたいと思うようになりました。




絶望や恐怖から生まれる出口の無いエネルギーをいくら母親などにぶつけてみても、ただ罪悪感が強まるだけで、結局は自分自身を追い込むことになってしまいます。




そのころはこんなふうに自分を追い込んだ社会が悪いと考えていたといいます。また、親は社会の代表であり、その社会の手先である親は敵だとも感じていました。




その親と戦うことで、社会と戦っていると思っていました。しかし、いくら荒れてもしょせん社会にはかなわないし、親を傷つけてしまうだけという結果になり、よけいに罪悪感と敗北感にさいなまれました。彼はこの社会に対するどうしようもない怒りを感じていましたが、社会に復讐してやろうとは考えていませんでした。




「そのころは、ただ自分の考えをどうにかして社会に訴えたかった。だから、自分が出演できるTV番組があったら、その番組をのっとって、自分の考えを社会にむけて訴えたい」と、そう夢想していたそうです。




ひきこもり中の彼は、ほとんど一日中自分の部屋から出ることなく、部屋のドアには「独立国家」という札をかけて、家族をぜったいに部屋の中には立ち入らせなかったといいます。「部屋を一歩でも出たら、そこは日本の領土だが、この部屋の中だけは日本の領土ではない」と、そう宣言していました。




わたしは、このAさんの「独立」という言葉に注目したいと思います。それは世間のやり方ではなく、自分自身のやり方で行きていくという宣言だったのでしょう。




自己のアイデンティティを確立しようとする必死の努力でもあったと思います。またその「独立」をやりぬくためのテリトリーとしての個室の重要さも感じます。




統合失調症の場合、自我による防衛が破綻して、他人に自我の中まで侵入されてしまうという症状に苦しむのが特徴的です。つまり一人でいても、いつも内面にまで侵入してくる幻聴などに悩まされ、プライベートな空間を持つことができないのです。




それに対し、ひきこもりの人たちがやっている、自我や自己の内面を守るための空間をしっかりと確保するという作業は、そういう点では健康的な防衛としてとても大切なことなのかもしれません。ひきこもることは統合失調症などの精神病の危機から自分を守るような役割も持っているかもしれません。




1995年、Aさんは25歳になっていました。そのころ、あのオウム事件が起こり、AさんはTVでの過熱した報道を見ながら、かなりのショックを受けていました。




オウム真理教の問題は、とても他人事のようには思えなかったそうです。「自分がオウムに入っていれば、同じことをしていたのではないか。どこかでオウムと出会っていたら、自分も人殺しまでやっていたかもしれない」と、感じたからです。




また、TVに出ていたオウム教団の代表者が、社会から袋叩きにあっている姿を見て、社会からたたきつぶされようとする社会的な少数派の自分をそこに重ねて見ていたといいます。




それで本屋に行き、オウム関連や宗教関連、カルトについてなどの本を買いあさって読みまくったそうです。オウムのやったことは間違っているとは感じていましたが、どこが間違っているのかわからなくて必死に理解しようとしました。




しかし、いくら本を読んだり考えても答えは見つからず、わからないのが苦しくて、さらに精神的にどんどん追い詰められていきました。
そのころのAさんは、はたから見ればまるで狂ったような行動をとっていました。




酒を一瓶丸飲みしたり、音楽をガンガンかけ、裸になって笑いながら踊ったり、かと思うと、急に泣きわめいたりしていました。すべてに絶望し、この状態からは一生抜け出せないだろうと感じていました。そうして追い詰められたあげくに、一つの転機が訪れます。




あるとき、自分に残された道は、もう自殺しかないと決意します。ある日、自殺を決行しようと、母親宛に、「おまえをうらんで死んでやる。ぜったいに許さない」という内容の遺書を書き、精神科でもらっていた薬を過料服薬してしまいます。




当時話題のベストセラーとなっていた鶴見済さんの著書「完全自殺マニュアル」(太田出版)を参考にして、そこに書いてあった致死量ギリギリの量の薬を飲みます。




Aさんは、なぜそこまで強い憎しみを母親にぶつけることができたのでしょうか。いまになって、そのときの気持ちを冷静にふりかえってみて気づくことがあるそうです。社会や父親を変えることはもはや不可能だと絶望しきっていて、すがれるのはただ母親しかいなかったということ。




そして、「死にたい」という気持ちの底の底には、「自分のほうにふりむいてほしい」という切実な願いがあったのではないかと、そう語ってくれました。薬を飲み終わったとたん、予想もしなかったことですが、とつぜん強い死の恐怖に襲われます。




そして、あんなに憎んでいたはずの母親に思わず助けを求めたといいます。「俺、死んじゃうかもしれないから、救急車を呼んでくれ」と。




そして病院に運ばれて、命は助かりました。でも、その出来事は彼を打ちのめします。死のうとしたことよりも、その後の自分のとった行動がほんとうに情けなかったといいます。




飲んですぐに、「このままでは、ほんとうに死んでしまう。やばい」と不安になり、あわてて救急車を呼んでもらった、そういう死ぬことすらできない自分がなによりみじめに思えました。




そして、その屈辱感がAさんを変えました。それまではなんとか自分の力でどうにかしようと考えてきたのですが、その屈辱の体験の後からは、もう自分ひとりの力ではどうしようもないと感じ、誰かに助けてもらうことを受け入れようと決意したのです。




ただし、親の選んできた治療者のところに行くことだけはぜったいに嫌だったといいます。やがて、自分で信頼できそうなカウンセラーを探し出し、Aさんはそこに通い始めます。




そこでなら、自分のことをなんでも話せるという気持ちになったとも語ります。そのカウンセラーとしたことは、自分自身の内部に住み着いている親なる者との対話でした。




その一連の作業の中でAさんは、自分の中に親や世間の価値観が住みついていて、それがことごとく彼自身の主張を抑えつけていたという事に気づいたのです。そうして自分の中の親のイメージと対話する作業を通して、現実の親との関係も徐々に変わっていきました。




それまでは、母親だけにしか話しかけず、父親はいっさい無視していたのに、このころから、はじめて父親に向かって怒りをぶつけるようになります。




父親を引っ張り出してきて、なんやかんやと議論を吹きかけるようになります。ときには、激昂し泣きながら父親の胸ぐらをつかんだり、なんくせをつけて父親に土下座させたりもしました。




そういうことをしてもなにかが解決するわけでもなく、結局は自分が苦しいだけなのですが、母親だけを相手に荒れているときよりも、なにかやるべきことをやっているという手ごたえがあったそうです。




しかし、父親を相手に荒れた日は、その夜の夢の中でかならず父親に殺されるリアルな夢を見ることになります。




また、事故などで死ぬ夢を何度も繰り返し見たそうです。ちょうどそのころ、両親とAさんとで高速道路を車で走っていて、スリップした車と正面衝突するという大事故に遭遇しています。




奇跡的に誰も怪我はしなかったのですが、衝突する瞬間、「まだ死にたくない」と強く思ったそうです。毎晩繰り返し見る、自分が死ぬ夢もほんとうにリアルで、すごい恐怖感をともなうものだったそうです。




そのころAさんは、現実的にも象徴的にも「死」あるいは「過去の自分を殺す」ということの練習をしていたように思えます。




そんなある日、死の恐怖と戦う状況から抜け出すきっかけになる夢を見ます。ある晩、いつものように自分が死ぬ夢を見ますが、いつもなら死んだと思った瞬間に夢からさめるはずなのに、そこで目覚めることなく夢は続き、死んだ後の状態へと夢は移行していきました。死んだと感じた後、ふと気がつくと、天から光が降り注いでいるものすごく明るい世界にいます。




Aさんは、眠りながらも、夢の中ですごく心安らかな気持ちになります。そしてそのとき、「すべてがわかった。対立しているのも、本来すべてはひとつなんだ」という明晰な洞察が訪れます。




夢の中で、もうすぐ目覚めそうな感覚があったので、Aさんはなんとかこの洞察をしっかりとつかまえたままでいようと努力しつつ目覚めました。




しかし、目覚めてみると、あれほどはっきりと感じた「すべてがわかった」という感覚はあえなく消えてしまったそうです。それがすごくさびしかったと語ります。それでも、「この世界だけではない、この世を越えた世界があり、自分はそれとつながっているんだ」という思いはしっかりと残っていて、それがすごく救いになったそうです。




その夢を見てからというものの、父親の胸ぐらをつかむことはなくなって、それから1年ほどして、ひきこもりから抜け出すことができました。




現在の彼は仕事こそしていませんが、自由に自分の好きなことをやって、毎日を楽しんで生きています。禅や瞑想に興味をもち、山篭りをしたり、心理学のワークショップに顔を出したりしています。




Aさんに見られた個人的な体験を、ひきこもりの人たち全般にあてはめることはできないと思いますが、ひきこもりの体験を経て、Aさんにも臨死体験からの回復者たちと同じような心理的な変化が起きているように思えます。




また、Aさんは彼自身のイニシエーションに、家族をも巻き込んで、いわば結果的に家族全体のイニシエーションになっていることも重要だと思います。




彼がひきこもりを通過していくときのあがきのような働きかけによって、家族全体がゆさぶられ、家族のシステムにも大きな変化をもたらす結果になっています。




これも不登校やひきこもりのケースにつきあっていくとしばしば経験することですが、子どもの不登校やひきこもりを契機に、家族全体のあり方が変わっていく、つまり、当事者だけの変化ではなく、家族全体のイニシエーションとなって、ときには家族全体の再生もしくは解体をもたらすことを、わたし自身もしばしば見てきました。




それがいいことなのか、悪いことなのか、その価値判断はおくとして、結果的にそういう家族全体の変化が起きることはたしかなようです。




Aさんは、いまは自分を産んで育ててくれた両親にとても感謝していると語っています。



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