不登校・ひきこもり問題の解決には、家族や社会の理解と協力が必要です
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不登校・ひきこもり問題の解決には、家族や社会の理解と協力が必要です

2020年01月11日(土)5:11 PM






「ひきこもりは病気なのでしょうか」と聞かれることがよくあります。今、問題になっている「社会的ひきこもり」とは、あきらかな精神障害をともなわない人たちのことを指します。そういう点では、医学的な病気によって起こるものではないとされているわけです。




しかし、ひきこもりの状態が長引くことによって、そこから二次的に、強迫症状や対人恐怖などの症状が出てくることがよくあります。




わたし自身も、ひきこもりの人たち一人ひとりは病気ではないと思います。しかし、個人のかかえる病気、病院に行って病名がつく病気ではなくとも、その人が置かれている状況の問題があり、いわば「状況の病気」だと考えています。




そこで、「たとえば、経営していた会社が倒産して、莫大な借金をかかえこんだ社長さんみたいなものではないでしょうか」と、説明することがあります。




その人自身はまじめで、なんとか働いて借金を返したいとがんばっているのですが、それではとても追いつけないような借金をかかえてしまった人のことを考えてみてください。




まじめにやってもやっても、どんどん借金はふくらんでいきます。この人は病気ではありませんが、そういう状態にあってふつうでいられるわけはありません。




絶望し、苦しんで、やがて、うつになって自殺を考えたりします。あまり適切なたとえではありませんが、ひきこもりの人たちの苦しさを少しでも想像することができるのではないでしょうか。ひきこもりの人たちは、なんとかそこから脱出しようと必死にがんばっています。




しかし、もがけばもがくほど、どんどんその状況は悪化していきます。元当事者の人たちがひきこもり体験を振り返ったとき、共通して語るのは、その最中の息もできないような苦しさについてです。




では、ひきこもりの人たちにとって、この苦しみの原因である借金にあたるものとはいったいなんでしょうか。おそらくそれは「まわりの人に合わせなければ」というプレッシャーなのではないかと思っています。




ひきこもりの人たちは、元来どちらかというと世間の価値観をそのまま素直に受け入れてしまっている人たちではないかと感じています。
自分の特質よりも、まわりの価値観に合わせようと、意識せずにずっと努力している人たちなのです。




会ったときの印象では、そういう意味で考え方やものごしも、なにか規範を重んじるような「古風な」といった感じの人が多いような気がします。




「人として社会に出て、しっかりやらねば」という意識が人一倍強くあります。それが、ますます彼らをしばりつけ、身動きできなくさせます。そのようにできないでひきこもっている自分をとても許すことはできないのです。




周囲と同じようにできない、生きられない自分を、だめな奴ととことん追い詰めてしまいます。そう思いつめる力にはすごいものがあります。かつて1960年代後半の若者たちの間で「自己否定」という言葉がはやったことがありました。




なにも考えずに資本主義社会の中でぬくぬくと育ってきたプチブルな自分を否定して、世界のさまざまな問題や矛盾に目覚めなければいけない、というような文脈で使われていました。




この言葉は80年代に入るとまったくの死語になってしまいましたが、地下にもぐったネクラ派である、ひきこもりの人たちには、この言葉が今も生き続けているようです。




ひきこもりの人たちの、この自己否定する力はすさまじいものがあります。しかし、そこで否定する自己、自分とは、世間的な価値観にぎりぎりに縛られている古い自分でもあります。




ひきこもりとは、そういう古い自分を乗り越えて、他人の価値観ではなく、自分の足で歩いていこうとする新しい自分を見つける作業でもあるわけです。しかし、その自己否定の作業は、ほんとうにたいへんな、死をも考えてしまうほどつらいものであるわけです。




わたしは、ひきこもりの状態をもうひとつのたとえで説明することもあります。それは、戦場の塹壕に立てこもっている兵士です。言うまでもなく、弾が飛び交い砲弾が降りそそぐ戦場では、塹壕を掘ってそこに立てこもります。それは生き延びるため、犬死にしないためです。そうやって自分を守っているわけです。




いじめで自殺する子どもたちが、あとを絶ちません。彼らは精神的に弱かったのでしょうか。いや、逆だと思います。むしろ上官の突撃命令に従って、勇敢に突撃していった果ての名誉の戦死なのだと思います。彼らは不登校という、塹壕にこもって自分の身を守ることを不名誉と感じていたのでしょう。




ある人たちにとっては、いまや学校や職場は戦場です。そういう状況において、そこから逃げること、塹壕の中にひきこもって自分の身を守ること、それは、生物学的には正しい選択であると思います。




命を落とすより、ましです。そういう人たちに向かって、「学校に行け」「仕事に行け」ということは、戦場で「突撃」を命じることと同じです。




しばしば、その役を家族がやってしまっています。子どもが親を殺す、親が子どもを殺す、このような悲劇は、この延長線上にあります。




そういう最悪の選択肢を、ともに暮らす者同士がとってしまうのです。自殺したり、殺しあったり、まずはその最悪の状況を避けること、それが不登校やひきこもりという生存のための選択肢なのではないかと思います。




それは頭で考えたというよりも、体の知恵としてあるものだと思います。不登校は、まず、この頭と体の戦争状態から始まります。学校へ行こうと思っているのに、朝になると頭が痛くなったり、お腹が痛くなったりしていけなくなってしまいます。




午後になると、けろっと治ってしまい、夜には明日こそ学校へ行こうと思って準備をします。でも、やはり翌朝になると体がいうことを聞いてくれない、この繰り返しです。




ここで起きていることはつまり、頭は「学校へ行け」と命じるのですが、しかし、体は断固として「いやだ」といっているわけです。これは、体が自分を守ろうとする本能です。頭のいうことを聞いて、がんばってしまっていいことはありません。




もっと重いからだの病気になったり、うつになったりしてしまうだけです。最悪の場合、生きる気力を使い果たして、自殺を選んでしまったりします。




これは子どもたちだけの問題ではなく、過労死する企業戦士や自殺者の半数以上をしめる中高年者の男性がおかれている状況にも共通しているものだと感じます。




不登校の子どもたちは、しばらく、この頭と体の戦争状態を繰り返していますが、いずれ開き直りができて、体の命令に従って休むようになります。




それは、とても健康な体の知恵です。そして、しばらくの間、長年たまっていた疲労と心の傷を癒すための「ひきこもり」を必要とします。




それが充分にできたら、はじめて次のステップに進めるようになるのです。その間の作業は頭で考えることではなくて、体で考えるものだと思います。



多くは何もしないで、好きなことだけやって昼夜逆転の生活を送るのですが、それは何もしていないように見えて、じつは体がちゃんと考えてくれているのです。わたしは、不登校の子どもたちを見てきた経験から、それを学びました。




20代後半、30代前半の世代を中心とするひきこもりの人たちに起きていることも、それと本質的には同じことだと思います。ただし、それが不登校の子どもたちと違って長引いてしまうことが問題となっています。




しかし、いつかは自力で脱出できるはずだと思っています。ただそのためには、家族や社会の理解と協力が必要になってきます。



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