ひきこもりと個室
高度経済成長のただ中、1970年代の半ば頃から、われわれ日本人には身体性の変化というものが出てきたのではないかと思います。
プライバシーなどという言葉に無縁だったころの群居生活の大家族で育ち、中学を卒業し、集団生活をして、住み込みで先輩たちと雑魚寝する生活をしてきた世代と、生まれたときから個室が用意されているような環境で育ってきた世代とは、同じ身体でも、もうぜんぜん違うものになっているのではないかと思います。
不登校、ひきこもりの家族相談を受けていると、同居している祖父母らに意外に理解がないことがあります。なぜ学校生活や集団生活がストレスになるのか、どうしても理解できないところがあります。
祖父母の世代にとっては、人といっしょにいるという空間があたりまえのものでしたから、新しい身体性を持った子どもたちのストレス、同世代の人間と同じ空間に何年も閉じ込められることのストレスが、身体的に理解できないのではないでしょうか。
わたし自身は、高校時代になってはじめて個室が与えられましたが、思春期のねじれの作業は、やはりその個室という舞台があったからこそできたような気がします。
思春期のころのわたしにとって、個室とは自己の内面の世界を外側に投影したものであったように思います。6畳ほどの狭い空間でしたが、いろいろとインテリアにこって、映画のポスターをはったり、照明をわざと床近くまで下げたりして、まるで穴蔵のような部屋に住んでいました。
友達が遊びに来ると、部屋の照明を落とし、ろうそくをつけて幻想的な音楽を流し、タバコをふかし、酒を飲みながら夜通し議論にふけったものです。
今思うとその個室は、思春期のやるせない甘酸っぱいような夢想を保護し、育てあげてくれる子宮のような空間でもありました。居心地よくもありましたが、いつかそこからそこから出て行かなければならないことの漠然とした不安をともなう予感もどこかで感じていました。
当時、わたしはけっしてひきこもった生活をしていたわけではありませんが、たまに学校をさぼって部屋にぽつんといると、まるで無人島にでもたった一人で漂着したかのようなものさみしさに襲われ、座礁した難破船のように、世の中から見捨てられた場所に永遠に閉じ込められてしまったような弧絶した感覚に陥りました。
それはたしかに未来の見えてこないわたし自身の心理的な全体状況を象徴するものだったのですが、いつか誰かがこのドアを開けてそういう自分を救助しにきてくれることをどこか甘美に夢想したりもしていました。
その人が住んでいる部屋というものは、その人自身の内面を表してくれているかもしれません。そうだとすれば、いまひきこもりの中にいる人たちがいったいどんな部屋に暮らしているのか見てみたいような気がします。
その人自身の手触りのない、明るくて壁の白いピカピカの部屋だったりすると、ちょっと怖いような気がします。ご家族から間接的に聞く話では、かなりの人たちが、部屋のカーテンを閉め切っていたり、雨戸を閉めっぱなしにしたりしているようです。
つまり、昼間でも暗くして生活しているのです。それは近所の目を気にしてのことと考えられていますが、暗闇で過ごすことのもっと深い意味があるのかもしれません。
生物が変化をするときというのは、サナギにしろ、子宮にしろ、みんな暗闇の中で起こるもののようです。
近代人は、一人ひとりが自我を確立するように社会から見えない圧力をかけられているわけですが、その自我の確立と個室というのは、きってもきれない関係があるように思います。
それがよいことか悪いことかはわかりませんが、思春期に「個室体験」をすると、それはけっこう根強く身体にしみついてそう簡単には元へはもどれないような気がします。
作家の椎名誠さんの自伝的な小説に、「哀愁の街に霧が降るのだ」という作品があります。そこでは、20歳前後の若者たちが、アパートの狭い一室で共同生活をする姿が描かれています。
この小説を読んで、そういう生活にあこがれるいっぽう、わたし自身はそのプライバシーのない空間ではとてもやっていけないな、とも感じてしまいます。
わたしは20代のころ、しょっちゅう仲間の家に遊びに行ってはいつも朝方まで話し込んだりしていました。しかし、友人のところに泊まることはなく、きまって始発の電車に乗って帰っていました。
寝るときは自分のベットで寝たかったからです。それだけは、譲れないようなところがありました。個室化した身体にとっては、集団で雑魚寝をするというのは、数日ならともかく、長期的にはちょっと耐えられないものがありました。
わたし自身もそうですが、ひきこもりの人たちには、とりわけ、この一人の空間というものがないとやっていけないところがあるのではないかと思います。
わたしも、ひとりになる時間がまったくないと、気が狂いそうになります。それは人への気遣いと関係しているのかもしれません。ひきこもりの人たちは、人へ気をつかいすぎる傾向があり、いつまでも人といっしょにいると、その気づかいでへとへとになってしまったりします。
自分を取り戻すには、一人になる空間が必要なようです。現代の日本は豊かになって、一人ひとりが個室を与えられた時代になっています。ある意味では、もともと、ひきこもり心性のある人や内向的な人間にとっては、楽な時代といえるかもしれません。
しかし、その楽さの罠で、ずるずると個室から出られなくなってしまうことが起きているのかもしれません。
個室がなければ、おそらくひきこもりは成立しないでしょう。その点では、豊かな社会のもたらした優雅で、贅沢な条件に依存するといってもいいかもしれません。
そういう社会的な変化にともなった、深い身体性の変化が起きていて、それでまた世代間の無理解が広がっているように思えます。個室という一人になれる空間があるから、ひきこもりになるんだと批判的に論じられることも多いようです。
子どもに個室を与えてはいけない、という意見もあったりします。たしかに、そういう一面があるとは思います。
しかし、そのメリットもあるはずです。従来の精神病、とくにひきこもりの人たちが年齢的には、もっとも発症する危険率の高い統合失調症が、近年軽症化してきているといわれています。
入院しないでも外来だけで治療できるようなケースが、しだいに増えてきているのです。事実、精神病院に長期に入院しなければならない若い患者さんは、いまやほんとうにめずらしくなっています。
わたし自身は、この病理の変化の背景には、まずは社会全体の経済的な豊かさと、価値観の多様化が大きな要因としてあると思っていますが、具体的なところでは、家族との対人的なストレスを避けるシェルターとしての個室の機能も大きいのではないかと感じています。
いずれにしても、この個室をめぐる変化は身体だけではなく、心理的にも起きているのではないでしょうか。こんなわたし自身の体験があります。わたしが大学生になったのが、1981年のことでした。
このころちょうど「新人類」という言葉が出てきました。あるとき、わたしは何人かの新人類の同級生たちに誘われて喫茶店に行きました。
わたしはそれまでの自分と同世代の人間と喫茶店に行ったときのように、なにか共通の話をしようと話題を探ろうとしました。しかし、すぐに彼らはそれぞれにマンガを持ってくると、勝手に読み始めました。わたしは正直、愕然としました。
それはそのときばかりではなく、いつも彼らと喫茶店に行くとそうでした。わたしもやがて、彼らの流儀に合わせていっしょにマンガを読みようになりました。
「郷に入っては、郷にしたがえ」です。いまから思うと、彼らに向かって何か話しかけようとするわたしは、うっとうしいものであったようです。
彼らがほしかったのは対話ではなく、休息だったのです。みんなで同じテーブルを囲みながら、心理的にはそれぞれ自分たちの個室にひきこもっていたのです。
でもほんとうに一人になりたいわけでもなく、いっしょに誘い合っていくわけです。そういう関係の距離感のニュアンスが、はじめはよくわからないので、とまどいました。
そういう彼らとつきあっていくうちに、いくつかのことに気づきました。ひとつは、現代の若者たちはものすごく忙しくなっているということです。
やることがいっぱいあるのです。学校の勉強もしなければならない。クラブ活動もしなければならない。友人と付き合わなければならない。
デートもしなければならない。TVで話題のドラマも見なければならない。「せめて喫茶店に行ったときくらいは、のんびりマンガでも読んで息抜きしたい」ということなのです。
わたしたちまでの世代というのは、学生生活は退屈なものというイメージでした。マンガ家の東海林さだおさんが大学生活の体験記をエッセイに書いていますが、毎日あまり暇なので、爪を切ったり、銭湯に何時間も入っていたりして、毎日体中ぴかぴかになっていたなんてことを書いています。
わたしも、そこまでは暇ではなかったのですが、何人かで喫茶店に行って、何時間もねばっていたなんてこともよくありました。当時は今のように、インターネットやスマホなどという暇つぶしになるようなものは当然ありませんでした。
しまいには話すことがなくなって、にらめっこ状態になります。それでもほかにやることもないので、そうやってよく仲間同士でつるんでいました。
わたしたちの世代までは酒を飲むにしろ、マージャンをやるにしろ、人とつきあうのが最大の刺激というか娯楽だったのです。むろん人間関係というものが重要なことは、今も昔も変わっていないと思います。
しかし、その質がなにか変化してきているのではないかと感じます。ネアカが主流になりながらも、じつは若者全体が内向化してきているのではないかと思います。
人前では明るくふるまわなければいけないというムードの裏では、暗く疲れた顔を見せまいという、内面の個室化が進んでいるような気がするのです。
わたしたち日本人が、家族が一つの部屋で寝起きしていた生活から、わずか一世代でみんなが個室を持つ生活に変化したように、わたしたちの心も一つの空間で他人とつきあっていた状態から、いくつもの部屋を持つような状態に変化してきているのではないでしょうか。
これは若者達にかぎらず、日本人全体にいえることだと思いますが、誰もが居間のような明るい開放的な空間で他人とつきあっていて、そこでは、まるでカクテルパーティのような華やかな社交の世界がくり広げられていますが、その奥には、なかなか他人を立ち入らせない個室を持つようになってきているのかもしれません。
そして、疲れたときや落ち込んだときには、その心の個室にもどって、一人でぐったりしている、そんな状況があるように感じられます。
そういう意味では、いまの日本人は身体的にも精神的にも、個室を持つようなってきていて、ひきこもりの空間をみんなが内面に持ってきているのだとは考えられないでしょうか。
ふつうの若者とひきこもりになる若者との違いとは、それをTPOに合わせてやっているか、全面的にひきこもってしまうのかの違いであるかもしれません。
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