夫婦と娘の微妙な関係
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夫婦と娘の微妙な関係

2020年01月05日(日)1:20 AM






「あの面接を境に、すっかり気力がなくなりましてね。仕事も、今までのわたしでは考えられないようなミスを起こしてしまうありさまです。





娘も今度中学三年ですし、どうしたらいいかと思って来ました。妻も娘もあの日以来、お互いに干渉しないで生活しています。だからトラブルも起きませんから静かですが、あきらめている感じもあります。





わたしは親子三人で食事をするということがこんなにも大変なことだったのかと、妻娘の支えを失った今、あらためて実感しています。





いくら妻と娘、二人だけとはいえ、家庭が落ち着いていたから仕事にも全身で取り組めたんですね。わたしは、ときどき二人のわがままを見ながらも『何を勝手なことばかり言っているんだ』と言いたい気持ちを抑えてきました。





それは理解のある夫・父親であろうと努めていたからです。だから、本当は怒鳴りたい気持ちを我慢していたんです。でも、こうしてバラバラになってみると、よくわかるんです。





わたしが努めていたのは『めんどくさい女、子どもの話』から逃げることだったんです。我慢していたのは、ずっと妻娘だったんですね。





優しい妻と娘でした。妻と娘は、まるでわたしを支えるかのように生きていたんですね。先生が講演のときにおっしゃっていたように、わたしのためにこの世に妻と娘は誕生してきてくれたんだと今は思えるんです。





それだけに、今がすごくつらいんです」わたしと同世代のAさんは、秋を迎えるようなスポーティーな格好のわりには疲れた表情を漂わせ、ひとしきり話し終えると大きなため息をつきました。





小さな面接室が切なさに包まれました。Aさん親子がそろって相談室を訪ねてくれたのは、前年の十月頃でした。背広姿の小柄なAさんと、どこかに派手さを感じる母親、そして二人に連れられるように顔を出してくれたB子さん(中二)は、コギャルっぽい雰囲気の少女でした。





母親、Aさん、B子さんという順に、奥のほうから椅子に腰をおろしていきました。対面するわたしは、いく分かB子さんのほうに身を寄せていました。





父親からは、あずけられるような期待感を受け、母親からは、強張る表情に苛立ちも合わさって依頼心を感じました。B子さんは足を組むと他人事を装っていました。






Aさんと母親は、大学を卒業してから入社した同期生でした。付き合い始めて数年後、二人は社内結婚し、さらに一年経って母親はB子さんを身ごもりました。





キャリアウーマンの母親にとって、子育てと仕事は夫の協力を当然にして両立させることで当たり前のことでした。ところが出産後、Aさんに転勤命令が下されました。





それは昇進への道であり、裏を返せば妻の退職をほのめかすものでもありました。疲れるほど議論し尽くした二人が選択した道は、妻の退職でした。





B子さんが小四のとき、Aさんは本社の管理職として戻ることになり、ある意味で家族としての目的は達成されました。そして、落ち着きがほしくてマイホームを購入しました。





一人っ子で育ったB子さんもしだいに親に甘えないようになり、子育てを離れ手持ちぶさたになった母親は、自分の人生のこれからを見つめ始めていました。





インターネットやテレビや雑誌で目にする”輝いている女性”が、元キャリアウーマンとしての自分を大いに刺激しました。





経済的にも安定していたAさんは、妻の「働きたい」気持ちが頭ではわかっていても、実感としてはなかなか抱けませんでした。





Aさんの「逃げ」の姿勢に妻は、相談することをあきらめて、自立を求めました。B子さんが小五になると、母親はパートとしてある営業職についていました。





蚊帳の外のAさんに、妻の暴走を止めるエネルギーはありませんでした。それは家庭不在のわが身を自ら追いつめることにもなりかねないからでした。





母親は営業成績を伸ばすと、気がついたら正社員への道が拓かれていました。遠慮していた土日の営業活動も夫の接待ゴルフ、娘の外食が重なると少しずつ始めました。





こうして少しずつ緩んだたがは、なかなか元には戻りきれませんでした。B子さんの外泊が頻繁になり、両親で注意しても止まらなくなったのは、中一の夏休み明けからでした。





それからは学力低下、遅刻、早退の増加とお決まりのコースでした。





B子さんは両親に口を挟まれることなく、面接室で立ち会うわたしの前で、これまでの悔しさや寂しさを悪態、嫌味に変えて吐き捨てていきました。





すると、心の中の澱みが消え去り清められるようになり、すごむ「鬼」の表情はいつの間にか柔らかな「仏」の顔の童心に戻っていました。





面接時間もあと十数分で区切りとなるときでした。B子さんはうなだれる両親をあらためて確認すると、やや引くような面持ちで母親にたずねました。





「お母さん、どうしても聞いてほしいことがあるの」少し怯えるようなB子さんに、少し強がるようにして母親が返しました。「何が言いたいの、早く言ってごらん」





「お母さん、誤解しないでよ。本当だよ。絶対誤解しないでよ。別にお母さんに仕事を辞めてほしいとか、仕事が嫌だと言ってるわけじゃないからね」





「わかったから、言ってごらん」B子さんは一息つくと、自分に言い聞かせるようにこう言いました。





「お母さん、思い出して。わたしが小さいころ学校から帰ってきたときのこと。『ただいま、ああお腹がすいた、お母さん、何かある、ない、お母さん』あのときのわたしの気持ち、思い出して。





最近、お母さん変だよ。かわったよ。おかしいよ」この瞬間、母親は再びうなだれてハンカチを取り出して目元にあてました。面接室が緊張感に覆われました。





するとわずか数秒後でした。まるで母親と反するように、Aさんが顔をあげて母親に目を向けました。そして余裕すら浮かべて言いました。





「そうか、寂しかったんだな。小さいころはお母さんもいて、お父さんも安心して・・・・・・」他人事ではありませんが、Aさんのその姿はまるで”犯人さがし”のようでした。





原因のすべては母親にある、とでも言わんばかりでした。ところがB子さんは、Aさんのその態度に反応するかのように言いました。





「お父さんも思い出して。まだわたしが幼稚園にあがる前、お母さんと二人でお父さんが会社に出かけるとき、いつもいつも手を振って見送ったよね。





あのときのわたしの気持ちを思い出して。『お父さん、いってらっしゃい、がんばってね。お父さん、がんばってね、いってらっしゃい』見えなくなるまで何度も何度も、お母さんと見送ったよね。





お父さんも最近変だよ。かわったよ、おかしいよ」意表を突かれたように、Aさんも肩を落とし、再びうなだれました。





「お母さん、思い出して。わたし、何度お母さんから叱られても、いつもお母さんのエプロンをつかまえて言ったよね。『お母さん、お母さん、ごめんなさい。お母さん、お母さん、ごめんなさい』って。あのときのわたしの気持ち、お母さん、思い出して」そのとき、逃げられない息詰まった緊迫感が面接室を襲いました。





そして、その重苦しい雰囲気を一気に変えようとしたのか、いや、何かをあきらめてしまったのか、まるで吹っ切るように、背筋を伸ばした母親がB子さんに目を見開いて言いました。





「じゃあ、やめるわよ!」その瞬間、面接室に冷え切った風が通り抜けていきました。





「ああ、だから言うんじゃなかった。だから何度も言ったでしょ。誤解しないでねって。やめてほしいって言ってるんじゃないって。信じてバカみたい。カウンセリングを受けるのはアンタたちでしょ!」





B子さんはそう言いきると、再び「鬼」の形相をあえてつくるかのように面接室を飛び出していきました。母親は号泣し、父親は目を閉じ両膝を握りこぶしでたたきました。





そして年が明け、この日、久しぶりに父親が面接室を訪ねてきました。「声をかけないより、かけたほうがいいですよね。そうですよね」





自問自答の面接でした。



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