ひきこもり・不登校経験者の声~29歳男性(司法書士)~
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ひきこもり・不登校経験者の声~29歳男性(司法書士)~

2019年12月15日(日)12:50 PM





わたしは埼玉県のAといいます。今年の4月で29歳になりました。現在、埼玉県内で司法書士の事務所を開業しています。事務所を開いてから、早いもので3年が過ぎようとしています。また、「不登校を考える親の会」の世話人をしています。





世話人は5人前後の方がおられるのですが、わたしは他の方とは異なり、不登校とひきこもりをしていた当事者の立場で参加させていただいています。わたしの不登校が始まった時期は、たぶん幼稚園のころからでした。入園式のときから嫌でした。





わたしはどちらかというと、一人でのんびりと人形遊びでもしていれば、一日中でも機嫌よく遊んでいられるような性質だったものですから、集団でなかば強制的に何かさせられるというのは最初からなじまなかったのだと思います。





2年保育でしたし、4月生まれですから、もうすぐ5歳という4月の初めに入園しているはずです。入園の前後の記憶がぼんやりとですが残っています。





とにかく、なんでこんなにたくさんの子どもがいるところにいきなり放り込まれたのかわからず、ギャーギャーと騒々しい中で、ビクビク脅えていたことをはっきりと覚えています。





こんなふうに、幼稚園にいるときはずっと対人恐怖気味で、「何かされるのではないか」という強迫観念があり、相手の気配をうかがいながらオドオドとなるべく隅っこのほうで暮らしていました。





それで、いじめっ子のからかいの対象になったのでしょう。幼稚園から中学校の卒業まで、いじめられっ子で過ごすことになってしまいました。風邪をひいたりして学校を休まなくてはならないときは、苦しいながらも嬉しくて、「なるべく長引かないかな・・・・・」などと思っていました。





まあ、親から見たら不届き者だったのです。小学校1年生のとき、あまりにも無口でオドオドしているわたしを心配した担任の先生が、「このままでは自閉症になってしまいますよ」と母に忠告したそうで、母の心配も頂点に達したようです。





それ以来、わが家には母がお菓子やジュースで釣った子たちがやってきては、勝手気ままに遊んでいくようになりました。不本意ながら「遊んでもらっている」わたしは、それでかえって性格がいじけてしまったように思います。





こんな具合で、気持ちの沈みがちな日常が体にも出たのでしょう。小学校・中学校と虚弱な子どもで、当然欠席も多く、このころからずっと不登校だったようなものです。





本格的に不登校になってしまったのは、中3の3学期、前年の業者テストで志望高校の合格ラインを下回る成績をとってしまったことを機会にしてでした。





当時は、わたしの通っていた中学校は校内暴力全盛の時代で、わたしは格好のいじめの餌食になっていました。それで、対人恐怖・対人緊張の連続でしたし、勉強も手につかなくなっていた矢先の出来事でした。





いじめられ続けた反動と、学校を休みがちなわたしを「怠け」だとして相変わらず学校へ押しやろうとする父との葛藤から、精神的にも激しやすくなっていたらしく、ある日、徹底的な親子ゲンカをやり、勝ってしまったことで父との力関係が逆転し、おおっぴらに休み始めました。





こんな具合に荒れていきましたから、家の中は「無法地帯」になりました。高校は1ランク下げたところに入学はしたのですが、不本意だったこともあり、1週間ほどで行かなくなりました。





同じ時期、物が食べられなくなってしまい、内科の検査のために入院したりしてこの年は過ぎていきました。翌年3月、高校を中退し、別の高校を受けなおしてまた1年生になりました。





入りなおしたこの高校は、そんなに嫌いだったわけではないのですが、1学期通った時点で夏休みを境に行けなくなってしまいました。





いつの間にか人間の中で生活していくだけのエネルギーが枯渇していたのです。自分という人間が情けなく、己に失望した状態で19歳の後半までひきこもりの期間が続きました。





ひきこもりの間は、お風呂にも入らない、髪も切らない、下着も替えない、いつもパジャマでうろうろしている、ネットをしたり、漫画を読んだり描いたりで、「そんなことで将来どうするんだ」と恐る恐る意見する父母に対しては、「うるせえなあ、クソジジイ、クソババア」といった暴力的な言動で威圧するといった状態です(言われなくてもわかっていましたから)。





およそ周囲から見ると人間的な生活をしていたとはいえません。この時期は「放っておいてくれる」のがいちばんありがたかったのです。





当時、ほとんど世間との付き合いは絶えてしまっていましたが、それで寂しかったということはなかったように思います。かえってこの時期、「自分」というものにのめり込むことができたのが、後々、自分を振り返る時期が来たときの糧になっていったようです。





このような外界の刺激から遠ざかった生活を何年か続けたおかげで、少しずつまたエネルギーが戻ってきたようです。19歳の後半から独学で高卒認定試験の勉強を始め、21歳のときに合格しました。





翌年、上京して法律の学校に入り、この年、行政書士、24歳のときに司法書士の国家試験に合格して現在に至っています。それで万々歳ならば、おそらく現在、不登校を考える会の世話人などしていないはずです。





25歳のとき、それまでの数年間の「他人を見返すためだけの努力」にむなしさを感じ始めていたある日、ふと手にとった不登校関連の本を読みました。そこで、学校中でたった一人だったわたしのような子どもが、今ではけっして少なくないことを知りました。





これにより、社会に持ち続けていた疎外感が薄れました。むしろ自分を大切に生きていたのかもしれないひきこもりの時期を再評価し、もう一度自分自身を構築しなおすために、自分から進んで不登校・ひきこもりの親の会にも関わるようになったのです。





わたしのようなタイプのお子さんもたくさんおられます。ひきこもりとまではいかなくても、友だちと離れて一人でなにかコツコツやっているのが性にあっているタイプです。





他人の目さえ気にしなければ、それなりに楽しいんだと思うのです。でも、これは世間一般の価値観とは合わないということで、マイナスの目で見られ続けます。





これでは「そうしている」自分に対しての罪悪感が癒えません。このような罪悪感から、我慢に我慢を重ねてやっていくと、他人の側ではいっときも休まらないというような心境が形成されていくのです。





もちろん、かえって親御さん、特にお母さんといっしょじゃないとダメ、他の人はまったくダメというケースもあるのですけれど、どちらにしても休まるということがありません。





気を遣い続けている状態です。そんなふうに、相手の反応に即座に対応しようとスタンバイしているわけです。これは、自分自身が傷つきやすいぶん、なるべく相手の気持ちを穏やかにしておきたいからだと思います。相手の気持ちを読んで読みぬいて、相手の気に添って添いぬこうと緊張し続けている状態です。





それにもかかわらず、周囲の人に大変さを気づいてもらえないのは、幼稚園、保育園、小学校低学年なんかのごく小さい時から、こういうふうに気にし続けてやっているわけですから、よほど相手も敏感でないかぎり、そうと気づかないほどに自然な素振りができるようになったためでしょうか。





会話なども相手の話題に合わせたりして、そのあいだも気を悪くさせないか気が気ではありません。当然ものすごく疲れるわけです。クタクタになるのですね。わたしたちは、そういった状態のなかで、もうこれ以上どうしようもないくらい疲れ果ててしまって、動けなくなってしまうタイプです。





それでも、なお「動け!」という対応がなされれば、わたしがしたように残った生命力をかけてでも反撃することになってしまいます。ここが、たぶん分かれ目なんだろうと思うのです。深いところで、ありのままの自分をボロボロにされながらでもなお通い続けることを望むのか。それとも、学校に行かないなりの、その子の生き方を作り上げていくことに協力するのか。





「内向性→世間で損→矯正→少しでも外向的に」といった図式を捨てて、「内向性→それも個性のうち→認める→オタクな生き方でいいじゃない」といった図式を受け入れられるか、そういった生き方もあるのだと、親御さんが認めていけるかどうかが問われているのだと思います。





もう一歩進めて、世間の価値観の一つに定着させていけるかどうかが、内向性を基本的に持っているお子さんを罪悪感、敗北感の虜にしない生き方をつくっていくことになると思うのです。





わたし自身は、現在、自分の不登校体験を恥じてはいません。ただ、精神的にも肉体的にも葛藤がものすごかったものですから、両親との関係が少しギスギスするようになってしまいました。いまだに「わだかまり」は消えません。これはマイナスの面ですね。





それでも、後悔はしていません。わたし本来の生き方に合った静かな生活、ここに至る「最初の一歩」は、13年前、あの「阿修羅の時代のわたし」が踏み出したものです。あのときも、いま同様に精一杯生きていたのです。



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