不登校の子どもと家族の変化
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不登校の子どもと家族の変化

2019年12月02日(月)7:31 PM






子どもの不登校にともなう母親の変化はいうまでもないこととして、まず父親の変化をあげなくてはなりません。子どもの教育は母親任せといったスタイルが、日がたつにつれて少しずつ崩れてきます。





たとえば、登校刺激を慎むようになる、土日のレジャー外出が減って在宅が増える、逆に親の趣味に子どもがついていくようになる、子どもが(または子どもに)口をききたくなる、などです。





不登校やひきこもりの親の会には参加しにくくても、公開の講演会やセミナーには出やすいものです。そんな催しに父親を引っ張り出すのも手です。





父母の登校に対する態度が食い違っていると、どうしたらよいか子どもは迷ってしまいます。最低限、母親の努力に水を差さないことが父親としての目標でしょう(まれに父母が逆になっています。以下の文も同じです)。





祖父母をはじめとする身内は父親に準じます。たとえ同居しておられても父親以上の理解を期待するのは無理なようです。





口を慎んでもらうように頼むか、別居するしかないのが現状ですが、理解ある第三者に不登校の意義を話してもらって有効なことがあります。





なお再登校であれ自宅学習であれ、この最後の段階で周囲が有頂天になると、また逆戻りすることがあるので注意してください。





もっとも、「学校へどうにか行くようになったらなったで、いつまた再発するか不安でたまらない」という嘆きもよく耳にします。





不登校の終結へ向けて





不登校の回復期で「自宅学習をはじめる。または進路に関する情報を集める」というところまできても、もとの学校へは再登校しないことがあります(思春期に入ると、この傾向は強まります)。





そのときは進級・卒業・進学などの転機を待ちます。転機を待たず、いっそ転校したらとたいていの親御さんが一度は考えられるようです。





最近では便宜ははかるから(どうか、よそへ行ってくれ)と、転校を勧める校長などもいます。とにもかくにも長い不登校の回復期を乗りきって子どもが登校するようになれば、「不」登校ではなくなります。





これは誰の目にも「終結」と映るでしょう。とりわけ親はホッとします。しかし横湯園子さんは『アーべル指輪のおまじない』(岩波書店)のなかでカウンセラーの立場から、これに疑問を投げかけています。





「尚子は小学校一年生にしては大柄な気の強い少女で、彼女はこれまた前に少し触れたように将来演劇人になるかもしれないと予感させるほど表現力に富んだ子であり、全身でそれを示し、『先生、宝物がこんなにサラサラよ!』と叫ぶそのしぐさは、いまでも脳裏に焼きついて離れないほど、ドラマチックであった。(略)その彼女も登校できるようになってしばらくして私のもとを去っていく。





そして彼女が三年生になったある日ショッピング街で母娘と偶然会うのだが、尚子は驚くほど太り、なんというかどぼんとした表情をして立っていて、昔の面影は消えてしまっていた。





母親が『先生もお元気そうで。尚子もおかげさまで学校に行っています』と挨拶したときだったと思うが、彼女が一瞬憎しみを込めて母親を見たような気が私はした。





とにかくそれ以外は終始無表情で立っていた。それにしても瞬間に見せたあの憎しみは何を意味していたのだろうか、そして学校に適応するということは、個性を隠し表情を消してしまうことなのだろうかと私は立ち話をしながらずっと考えていた。





ある少女は生き生きと、ある少女はナイーブに、様々な個性を展開してくれ、神秘なまでに私を感動させた子どもたちの、その個性ゆえに、個性ある自分を隠すことでしか、学校生活は可能でないのだろうか」





「母親が『学校に行ってますので』と挨拶をしているように、登校できていることに安堵し、それ以外のことは気にならなくなってしまい、自分の娘がどんなに素敵な個性の持ち主かということも気づかずに終わってしまう親がなんと多いことかと、この時も私は何とも言えない寂しさにおそわれていた。





そして担任たちも子どもが再登校をすることによって『不登校は治った』と考えるだろうし、私に対する評価も『登校拒否を治してくれた人』ということになるであろう。





そして思う、この少女たちは『治す』対象だったのであろうか」「私は尚子の後ろ姿を見詰めながらそのようなもろもろのことを考えていると、どうだろう、母親から遅れて歩いていた尚子が立ちどまって振りかえったのだ。





無表情さは消えていた。もちろんかつての輝くような生き生きとした表情ではないが、意思を持った人間としての強い表情の顔であった。(略)それが彼女の精一杯の努力なのだと理解した私は嬉しくなって手を振った。





しかし私の手のしぐさは、母親に気づかれるのを恐れるかのようなしぐさであった。それは理屈ではない本能のような『ある何か』がそうさせたのであると思うが、私がそっと手を振ると彼女もそっと手を振ってきた」





これは疑問というより警告のように響きます。この警告のなかにわたしは、再登校の催促は偽善であるという主張さえ聞き取ります。





「学校の偽善に耐えられるほど強くなった」少女たちについて、カウンセリングの成功を認めたうえでのことです。





したがって、カウンセリングには終結がありますが、不登校については、終結という考えはそう簡単には成り立ちにくいのではないかと考えるのです。





もっとも、終結は必ず訪れるという言い方もできないわけではありません。義務教育期間は九年と限られており、このため留年はなくなりましたし、卒業まで我慢していれば自然に時間切れとなるからです。





しかしこのような外面上の不登校「終結」があって、それで不登校問題が終わったと言えるかどうか、ここである相談者の回想に問うてみたいと思います。





「その後ある私立高校に入学し、問題は解決したように見えましたが、三年生の五月ごろになって、その学校を辞めたいと言い出しました。





はじめはあと少し頑張れば卒業できるのにと、励ましていました。しかし学校が楽しくなくて、これ以上は続けられない息子の気持ちが、そのころのわたしにはわかるようになっていました。





今度は本人に任せることにしました。わたしの『好きに生きたら』の一言で、息子は見違えるように変わりました。七月に中退してからはアルバイトをしたり、車の免許を取りに通ったり、また通信制の高校に通ったりと非常に行動的になりました。





中学時代の閉じこもり生活の頃とは顔色がまったく違いました。生き生きとした様子を見ていると、選択を子どもに任せてよかったと思いました。





いま息子はごくありふれた普通の大学生です」。形式上の「終結」があっても「問題」は終わらないことがここから読み取れます。





また、ここまでくるのでなければ終結とは言えないのではないか、というのがわたしの意見ですが、では最終的に終結を決めるのは誰でしょうか。





この問いに対しては、わたしの懇意にしているAさんの言ったことが、そのまま答えになっているように思われます。





「いったんこの道に踏み込んだら、最低三年はつき合う覚悟が必要なようです。わが子の不登校問題が解消したかどうかは、最終的には親と本人が判断して将来計画を立てればよいことです。





わたしたち親子のケースも周囲からは、解決したとは見られていないように思います。人頼みでは真の解決は得られません」





最後にもう一度、相談者の回想から引用して終わりにしたいと思います。





「二十四歳の彼は何年か回り道しました。しかし、あまり心配もかけずに成長していった二人の兄たちに比べて一回り大きく見え、たくましささえ感じさせます。





親もとを離れた一人暮らしも板につきアルバイトにガールフレンドにと忙しい学生生活を送っています。今、息子の不登校を振り返ってみると、家族がそれぞれに自分の問題として考えて得るところがあったような気がします。





また、たくさんの方との出会いが、わたしの価値観を変えました。いちばん変わったのはわたし自身のようです」



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