不登校の少年の事例
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不登校の少年の事例

2019年11月13日(水)10:35 AM






ここで、関東自立就労支援センターの活動について少し書いてみたいと思います。ある不登校の少年の話です。





彼は中三まで登校せず、その夏に関東自立就労支援センターのスタッフが家庭訪問をしました。彼はゲームをしたり、一人遊びをすることが好きでした。





訪問には「レッテルを貼られる」不安があり、彼も「クライエント」と呼ばれることには抵抗が強かったようです。そこであまり立場をはっきりさせないまま出会いが始まりました。





音楽好きのようでバンドでもやろうかという話から、関東自立就労支援センターの共同生活寮にやってきました。自らリーダー的役割をつとめる一方で、抑うつ的また自傷的であり、医療を無視してよい状況ではありませんでした。





しかし、当時のわたしたちのコンセプトは「人間関係で傷ついた心は人間関係でしか癒せない」という言葉にあり、わたしたちもいわばこうしたムーブメントのなかですべての心の傷をコミュニケーションで癒そうとしていた感じがあります。





しかし、果たしてこれでよかったのかという話が最近ありました。彼は通信制高校を出ると、とある居酒屋に就職しました。そして7年働くうちに預金もたまったそうです。





しかし、何か生命力に欠けて燃え尽きてしまったようで、自ら初めて「精神科クリニック」に行ったそうです。薬も甘んじて受け取ったそうです。ここに「人間関係で傷ついた心は人間関係でしか癒せない」と言い切ってしまう危険性を突きつけられたのでした。





ひきこもりは単一の疾患でも障害をさしているものでもありません。しかし安易にコミュニケーションや人間関係を伝家の宝刀にしてしまうのは、支援者のエゴイズムかもしれません。





生理学的要因についてもふれておきたいと思います。ひきこもりは心理社会的要因が大きく影響していると考えられますが、生理学的要因が大きく影響している場合もあるのです。





それは統合失調症やうつ病などの一次障害に付随して現れるひきこもりです。関東自立就労支援センターの相談室を訪れる方の中にも、こうして二次的に現れたひきこもりに悩む方もいます。ここで冷静に整理を試みたいのです。つまりわたしたちが「ひきこもり」と語り合っている現象にはまず二種類あるということなのです。





一つは「恥ずかしい」、「格好悪い」、「みっともない」心を意識する時に起こる、心理社会的な「一次的ひきこもり」、もう一つは心身の不調から派生する「二次的ひきこもり」です。





こうした内容を添える事はかえって読者のみなさんの幻滅を呼び、不本意さも残りますが、よりよい手引きになるよう付け加えさせていただきました。





こうした問題に直面することは、親御さんにとっても本人にとっても不安や恐怖を引き起こしやすいものです。しかしそうした知識や情報を知ることは、ひきこもりからの旅立ちを必ずしも妨げるものではないのです。





厚生労働省でも、「社会的ひきこもり」をめぐるガイドラインをまとめて発表しました。この中では、次のような症状には薬物療法を試みてはと定義しています。独り言がはげしかったり、「盗聴器がしかけられている」とか「テレビで自分のことを言っている」など、周囲に敏感になっているような発言がある。





「ゆううつだ」、「やる気や自信がなくなってしまった」、「感情がなくなってしまった」というような訴えが強く、死にたいという気持ちや絶望感をはっきり口に出す。





過去に乗り物の中や人込みの中で、激しい動機や冷や汗などを伴うパニックの発作を起こしたことがある。一時間以上にわたるような過度の手洗いや、「大丈夫だよね」と数十回にわたって確認するような強迫行為がある。





また、暴力が妄想や幻覚によって引き起こされる場合もありますので、ただ「おまえのせいだ」、「ごめんなさい」という関係に収めてしまうのではなく、きちんと第三者に検討してもらうことが大切です。カウンセラーは、心理的な意味を暴力に見出すことは可能ですが、それだけで本人の暴力が必ずしもおさまるとは限りません。





たとえば「誰かに襲われる」と思い込んでいると、夜眠れなくなり包丁を持って布団に入るという場合があります。これは追跡念慮と呼ばれる妄想状態が呼び起こす不安反応です。





ここにはお父さんもお母さんも登場しないのに、「それは親子関係が原因です」と解釈してしまえば、不眠も恐怖も妄想も解決されないことでしょう。





ですから、妄想や幻覚に対する正確な判断と心理学的所見も併せ持った精神科医の目が必要なのです。この判断を専門家以外の人がすることは、大怪我の元になります。





次に、ある衝動コントロールのきかない方の話です。彼は以前クリニックにほとんど無理やり連れて行かれました。診断は人格障害でした。親御さんは困ってしまい、訪問が始まりました。とても怒りやすい彼は、関東自立就労支援センターのスタッフのみぞおちにもパンチをくらわせました。





それでも彼は当センターを訪れ、キャンプなどにも参加したのです。しかし電車の中でもひと悶着起こしてしまいます。やれ「目が合った」、「ムカつく」といっては衝動的な行動に出て、帰ってくるとわたしたちを責めます。





「なんで疲れるためにキャンプに行くんだ?」「おまえらカウンセラーとか気取ってるけど、冷たいんだよね」と、まるで親兄弟に放つような罵詈雑言でした。





しかし、ここにはわたしたちが提供してしまっている幻想があるのです。つまりカウンセラーは本来、ある構造(料金や時間)の中にしかいられないのに、キャンプでは互いが「一人の人間」として近づき、まるで友だちのようになります。





どちらが果たして相談者なのかわからなくなる雰囲気もできます。しかし、帰る頃にはすっかりカウンセラーの顔に戻り、彼の「衝動コントロール」がまたテーマになってしまいます。





そして「なんだ偉そうに」と激しく攻撃してくるのです。しまいには「詐欺だ」とはき捨てられ、彼にとってうまくいかない世界はキャンプを主催したカウンセラーや関東自立就労支援センターそのものになってしまうのです。





実はここにも、人間関係を人間関係だけで癒そうとした盲点があります。つまり、衝動性をコントロールしにくい彼を、電車に乗せたり集団の中に連れて行ったことなのです。





衝動コントロールをしなければならない場面を増やしてしまったということなのです。一見「キャンプにも行けたんだ」というのは周囲の評価を高めます。しかし彼は少しずつその衝動コントロールに向き合うべきなのです。これを「治療の構造化」と言います。





医療を勧めたり、病院に行くことを勧めることは、確かに伝える側に罪悪感を呼び起こします。「キャンプに行こう」というほうが言いやすいのです。





「また医者に会おう」と無理強いすれば、確かに「ふざけるな」という抵抗が起こります。しかし一歩引いて「医療」にまつわるイメージや感情を彼自身に語ってもらえる機会がつくり出せれば、おそらくそこから「衝動コントロール」が始まり、適切なスタートが切れたのかもしれません。





「無理やり医者に会う」という印象は確かにかわいそうなのです。しかし、ただこの部分にだけ盲目的になると、わたしたちはその代償として互いに消耗しやすい人間関係を求められることとなります。





「かわいそうだからお医者さんのことは忘れて、いっしょに遊ぼう」というのは思い上がりであり、「お医者さんごっこ」に過ぎないのです。ひきこもる姿は気の毒であり、あまりにかわいそうですが見ていられない気持ちは時にわたしたちに判断を誤らせます。





しかしわたしたち自身がこうした気の毒さや、罪悪感の処理がうまくできないからといって、精神医療はだめだというレッテルを貼り、人間関係が重要なんだと過信することは、心の病をかえって重くしてしまう可能性があるのです。





わたしたち自身が、わたしたち自身の中に偏見はないかと見つめなおすことが大切なのかもしれません。最後に医療との連携についてポイントを述べて終わりたいと思います。





○ 医療のサポートが必要と感じたら、まず身内だけではなく専門家と相談する。





○ 親自身が医療についてより深く知り、適切な情報を得る。





○ 本人とコミュニケーションが可能なら、きちんと説明し医療へのイメージなどを語る。





○ 先方(医療機関)に「来てください」と言われても行けない場合は、訪問などについて検討する。





○ 訪問が不可能な場合は、保健所・精神保健センターに連絡する。





ただ、いじめられて学校に行けなくなったのに「ひきこもり」となり、あげくの果てに病院通いでは怒りもわくでしょう。しかしこのやり切れぬ怒りを受けとめつつ、最良の癒しをわが子に提供したいと思うのなら、心あるお医者さんを一人見つけておくのも大切なことなのです。



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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援