成績優秀で模範生だった少女の不登校
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成績優秀で模範生だった少女の不登校

2019年10月25日(金)11:40 AM






「学校に行くのがつらい、もう限界、行きたくない」A子さんがこう訴えだしたのは、中学2年生のときでした。しつけも行き届き、礼儀も正しい、絵に描いたような何の問題もないよい子でした。





A子さんは最初のうちは多少無理をしてでも登校するようにしていましたが、食欲不振の日々が続き、頭痛、腹痛など体のあちこちの痛みを訴えるようになり、とうとう学校に行けなくなりました。いわゆる初期の心気症的段階に入ったのです。顔つきがしだいに能面のように無表情になってきました。





話し方も舌足らずな幼児言葉を使うようになり、まるで中学2年から小学校低学年に逆戻りしてしまったかのようでした。A子さんの一家は地元ではよく知られた旧家で、両親と3人の娘、それに祖父母が同居していました。





A子さんは三女でした。旧家の常で、家の実権は祖父母の掌中にありました。A子さんの両親も祖父母に従うという家風の中で、A子さんは小学6年生まで祖父母と寝食を共にしていました。





父親は会社を手広く経営していて、毎日忙しく働いていました。A子さんはおじいちゃん、おばあちゃん子で、言葉遣いから礼儀作法まで厳しくしつけられていました。母親は祖父母に遠慮して、しつけにも育児にも口を出すことはありませんでした。





父親も、自分は仕事をしっかりやってそれなりに生活を維持しているのだから、家族には感謝されこそすれ、多忙で家族のために時間を割けなくても文句はないだろうと考える、よくある仕事人間でした。





だから、娘が学校に行けなくなって苦悩する心を汲みとることには思い至らず、「何が何でも学校に行きさえすればいいんだ」と怒鳴り、それでも登校を渋る娘に腹を立て、思わず手をあげることもありました。





その父親の頭ごなしの強要に対して、A子さんはすさまじい抵抗を見せました。あまりに激しい反抗に、父親は呆然と立ちつくしました。母親もおろおろするばかりでした。両親は泣きわめく娘を前に、目の前が真っ暗になるような苦渋を味わいました。





父親には一つ思い当たることがありました。地元の小学校の校舎の増築を請け負い、しばしば小学校に出入りしているうちに、教師や職員から深刻な不登校問題があることを小耳に挟んでいたのです。





わが子の深刻さにはじめて気づいて、父親は児童相談所へ出向きましたが、事情を聞いたカウンセラーに回復するのに5年はかかると言われて途方に暮れました。両親は、児童相談所のカウンセラーなどからさまざまなアドバイスを受けました。





祖父母が、両親を飛び越えて直接不登校に厳しく時には口うるさく注意することは、いわば祖父母が親のように振る舞うことなので、不登校を改善するためにならないという助言です。母親は常々つらい思いをしていました。祖母はしばしば厳しいしつけの名のもとに、無理難題とも思えるほどA子さんを頭ごなしに叱ることがあります。





そんなとき、A子さんは救いを求めるように母親の顔を見ます。しかし、旧家の家風は祖父母の権威が絶対です。母親も、これでは娘がかわいそうだと思いながらも、娘の願いに応えることができずに、祖母の意見にうつむいて同調しました。





家庭に波風が立つことを恐れて勇気がでなかったのです。そのようなときに見せるA子さんの悲しげで寂しそうな表情は、母親の心にぐさりと突き刺さりました。





両親が祖父母にとって良い息子、良い嫁を演じているのを見ながら、娘は娘で不登校の自分が原因で両親が離婚に追い込まれるのではないかと心を痛めていました。「あの子は学校にも行かないで、毎日何もせずに家でぼんやりしているじゃないか。





わたしらでもこんなに心配しているのに、親のあんたは何をしているんだ。あの子をなんとかしたらどうだ。母親ならもっとしっかりしろ!」祖父が母親を責めました。しかし、母親は逆らえず、下を向いて唇をかんで耐えるばかりでした。「俺は仕事で忙しいんだ。見ていればわかるだろ!子育ては母親の務めじゃないか。





何やってるんだ。早く学校に行かせるようにしろ!」夫も妻を激しく責めました。児童相談所のカウンセラーに、祖父母が親のように振る舞うのは、娘のためにならないとは聞かされてはいましたが、事態の深刻さから逃げてしまうのでした。





そうこうしているうちに、A子さんの高校進学の問題が迫っていました。中学3年になっても登校できませんでしたが、学校側が理解を示してくれて運動会、文化祭、学芸会などには行けるようになっていました。





担任教師もA子さんに会いに来てくれましたし、クラスメートとの交流も細々と続いていました。しかし、このままでは高校進学などは思いもよりません。母親は娘を受け入れてくれる高校を探しに飛び回りましたが、そんな高校はあるはずもありませんでした。





従順な嫁から反論する母親に





わたしが東京で不登校の子ども達について講演したときのことです。一人の女性から個人的に相談にのってほしいという申し出がありました。不登校の子供を抱える母親でした。講演を聞くために地方から出て来たのだといいます。





わたしはこの講演が終了した後、今度は静岡に行く予定だったので、帰りの新幹線の中で話を聞き、母親の原点について語りました。わが子が誕生したとき、母親はこの子の喜びを自分の喜びとし、この子の悲しみを自分の悲しみとして愛情の限りを尽くそうと思ったはずです。





しかし、いつしかその原点を忘れて、自分の立場にばかりこだわって、わが子の喜びや悲しみから離れてしまいます。子供のほうも、自分の本音を抑えて親に合わせ、親の喜びを自分の喜びにしなければならないと思うようになり、次第に母親から心が離れていくのです。





A子さんは母親を深く愛しています。しかし、それに応える母親の勇気が足りず、娘の心に寄り添うことができないのです。だからこの際、母親は勇気をふるい起こして彼女の心に寄り添うように行動すべきです、と助言しました。





A子さんの母親は、泣きながらわたしの話を聞いていました。そして、しみじみとつぶやきました。「そうなんですか。あの子は体を壊してまで、わたしのことを思ってくれていたんですね」





それからの母親は一変しました。もう見せかけの家庭の平和なんて言っていられない。世間体も外聞もない。この子のためなら見栄も捨てよう。この子を守るために、髪を振り乱して戦おうと決心しました。祖父は、相変わらず母親を咎めました。





「あの子のために、わしらがしっかりしつけてきたのにこんなことになって、本当に情けない思いをさせられている。あんたはいったい何をやっておったんだ!」しかし、母親はもう黙ってはいませんでした。





「何をおっしゃっているんですか。情けない思いとおっしゃるけど、一番つらくてかわいそうなのは、あの子自身じゃありませんか。そっとしてやってくださいよ」従順な嫁から強い母親に一変していました。嫁の態度の変化に、親戚筋でも同情の声が上がりました。





祖父母が孫娘の親をやっていて、実の父母に何もやらせない状況を憂えて、別居をすすめる声も出てきました。しかし、父親のほうはまだ自分の両親を気遣っていたし、世間体も気にしていました。





もし別居したら祖父母を追い出したと、世間から後ろ指をさされるかもしれないと気にしていて、事態を直視できないでいました。そんな夫に対しても、妻はたじろぐことなく立ち向かいました。妻はあくまでもわが子の立場に立つ覚悟を決めていました。





もし夫が子供の立場に立たなかったら、離婚しかないとまで思いつめていました。離婚をも辞さぬ母親の覚悟、これが不登校の子供たちを救う最初の試練です。





妻が必死に立ち向かってくるその迫力の凄まじさに、夫は家庭崩壊の一歩手前に立たされている現実を思い知らされました。顔から血の気が引き、蒼ざめていくのがわかりました。仕事が忙しいことを理由に家庭を顧みなかったツケが回ってきたことを実感しました。





いくら仕事が忙しくても、家庭あっての仕事です。その家庭が崩壊してしまっては、仕事に何の意味もありません。仕事をすべて投げうってでも、妻と子供たちと共に生きよう、娘さえ元気で生きていてくれさえすれば、仕事も何もいらない。





彼は、今までの人生と仕事を捨てる覚悟を固めました。祖父母との別居を決断したのです。夫はわたしの話を妻から聞きました。関東自立就労支援センターの話も聞きました。そして、早速わたしを訪ねてきました。わたしは彼と2人でいろんな話をしました。





外聞や見栄にとらわれず、両親の限りない愛情を注がれることになったA子さんは、関東自立就労支援センターに来るようになった後、目に見えて元気を取り戻していきました。今では通信制高校に関東自立就労支援センターの寮から通学しています。最後に、父親の心情を載せてこの記事を終了します。





A子さんの父親から




わたしは基本的には、仕事中心の古い考え方から完全に抜け出せたというわけではありません。しかし、すぐにカッとなる瞬間湯沸かし器のようではなくなりました。少しは冷静に堪える訓練も積ませてもらいました。





家族と心底理解しあうことの大切さ、子供に対し、真剣に父親が努力することの大切さを痛感しています。人間はお互いに優しくいたわりあって生きなければなりません。体を張って自分と闘った娘のおかげで、ようやくそのことに気づきました。



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