中学生男子(14歳)の不登校・ひきこもり事例
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中学生男子(14歳)の不登校・ひきこもり事例

2019年10月23日(水)3:31 PM








14歳のA君は、中学2年の3学期に、母親が関東自立就労支援センターの相談室にやってきました。





もうすでに1年半近くも部屋にこもって外に出ないままだということです。





A君は学年でもリーダー格のもともと活動的な子どもで、たとえ2、3日でも家から外へ出ないでこもったきりなんて、とても普通ならできそうもないことなのに、これほど長期間ひきこもり続けるのは異例中の異例だと、通っている中学校もまた地域の児童相談所も力になってくれてきたのだそうですが、どうにも手のほどこしようのない状態が、今なお続いたままだというのです。





何を試みても、家族にさえ顔を見せようとしません。部屋に誰も一歩たりとも入らせません。





食事は三度三度母親が部屋の前に置いておくと、人の見ぬ間に中へ取り込んで食べています。





とにかく姿を見られたり、顔を合わせるのを極端に嫌って、ちらっとでも見られたとなると、そのあとの荒れ方がひどく、こもったきりの部屋で大声を上げたり物を破壊するなどの騒ぎようを、家族はおさめる術もありません。





このような息のつまるような生活が続く中で、両親は極力ことを起こさないように気を使って、いつの間にか月日が過ぎてしまったようです。





このところずっと、児童相談所へは、一週間の様子を記した報告を提出しに、母親が出かけていきます。





相談所のケースワーカーは、その記録を受け取るだけで、様子を見ておきましょうという対応以外、なす術を知りません。





提出する日誌も、毎週毎週変わりばえしないものにならざるを得ません。





親はそのような相談所の対応に、もはや期待できないとわたしに訴えます。





時々は気づかって、所長室に親が招かれて様子を尋ねてくれるものの、今は児童相談所の誰にももはや話すことがありません。





中学はこのまま行かずじまいでも、親が希望すれば卒業というかたちが取れるので、その点は心配するには及ばないという相談所の対処のしかたには驚きあきれてしまいますと、涙をこぼす母親をなぐさめようもありません。





それでは、高校進学はどうなるのでしょうか。その先のこの子の人生はどうなるのでしょうか。





とにもかくにもこの現状では、とっくに本人が普通の状態ではないのですから、それに対して親が手を尽くし心を砕いてどうにもならずに助けを求めている以上、何らかの方法を講じてくれなければどうしようもありません。





児童相談所のケースワーカーからは、様子を見ておきましょう、今のところは策はないと聞かされ続けて、家族も意気消沈したままの状態からなんとか脱したいと心から願っている、そういう思いで関東自立就労支援センターの存在を知り、来所したというのです。





この両親の住む場所は、穏やかな地方都市で暴力沙汰や非行や大人の犯罪などが皆無の地域です。





この子のクラスで陰湿ないじめなどが横行しているなど考えられず、本人がもともと学年全体のリーダー格であったというのです。





何がひきこもりを長引かせてしまうのか





どうにかしてこの八方ふさがりから抜け出させてやらなければという親の努力やがんばりは、本人へのプレッシャーになることが多いのですから、あからさまには示さない、つまり過保護・過干渉の行為は本人の徹底抗戦に火をつけるだけです。





だからといって、「そのままでいいんだ、周りのものもちっとも苦にはしていないし、困ることでもないんだ」と言って腰を引いてしまって、本音で向き合わないことは、放置・放任です。





これでは子どもの気持ちを荒ませるばかりです。むしろ、ひきこもりをここまで長引かせてしまったのは、まわりの人たちのそういう気遣いのせいであったということが、残念ながら世間にはよくあることなのです。





気遣いすぎて腰を引いてしまうのではなく、本人が前向きに生きようと心がけるための支え棒やつかまり棒的な人間同士の関わりの、とっかかり役になってやらないといけないのです。





本人がプレッシャーを感じることなしに、前向きに生きようと心がけるほどの和らいだくつろぎの思いになって、知らず知らず、自分の手足でなにかを掴んでみる、それが、はからずも支え棒やつかまり棒であれば、気がつかないうちに腰やおなかに力が湧いてくる、といったしだいです。





さて、ひきこもりの状況にいる本人あるいは親や家族や周りの人たちが、その状況から抜け出すためにそんな配慮や方策を試みてやるのか、さきほどのA君の事例に戻りましょう。





A君の件で、わたしが彼の親から相談を受けたのは、中学2年生の3学期でした。





状況においては不登校ですが、実質は部屋にこもったきり、共に暮らしている祖父母や親や兄弟にもまったく顔を見せないままだというのですから、ひきこもりの典型でもあります。





一年半近くも元気ざかりの中学生が、部屋にこもりっきりで先生や友達はもとより家族の誰にも顔を見せたことがないというのですから、わたしはもはや精神医療の対象ではないかと危ぶんだのですが、親が車で4時間という遠く離れた相談室に来るまでに、すでに1年半近くの経過があり、それまでにもうすでに、教育関係から保健所関係、神経科医、精神科医等のあらゆる機関をすべて訪ね回ってきたというのです。





精神科医や診療内科医は、実際に本人を診察しないことには様子がわからないといい、親の力では部屋からさえ連れ出すことができない以上、病院で診てもらうわけにはいきません。





連れ出すにしても父親が力づくで、引き出そうと躍起になれば部屋の戸さえ開けさすまいとA君は部屋の中で大荒れに荒れてしまいます。





気持ちのすさまじさのあまり、絶叫と物を壊す激しい音と、ついには「開けろ!開けたかったら開けろや!俺は死んでやるからな!首吊って死んでやるからな!」とわめきちらし、声も枯れ、気力も弱くなり、極端になえて、ひーひーとあえぐばかりです。




本等を放り投げて山積みしている物の上に倒れて動けない様子といった気配を親も部屋の外で感じて胸のつぶれる思いを抱くしかありませんでした。





このような状況ですから、子どもを外へ連れ出す試みはこれ以上は無理と判断して、どこかで診てもらうこともあきらめるしかなかったといいます。





そういう努力の限りを尽くして半年ばかりが続いた後、児童相談所のアドバイスもあって、このまま静観ということになりました。





そして、この1年たらずは、児童相談所へ母親が週間記録を届けるだけの、変わりばえのない具体策皆無の日々だったようです。





もともと、何がすべてのはじまりだったかと聞けば、学年一のリーダーシップを先生方もこの少年には期待していたということですが、先生や友達のそういう評価が知らず知らずのうちに、小学生時代から本人の耐え難いプレッシャーになっていたようです。





勉強も運動も、そう期待されるだけの抜きん出たものがあって、辺地の穏やかな環境の中で、校長もわが校の誇りとばかりに目を細めて認める存在だったというのです。





実は、きっかけになる大きな事件があったようです。地域の中学対抗の駅伝大会があり、2年の中に1年の彼ひとり選抜されて選手として加わることになりました。





その駅伝大会で、どうした間違いだったのか、他校の選手にタスキを渡してしまったのです。





それが混乱のきっかけで、伝統的に恒例のその駅伝大会で、年々競い合っていた中学校間のいざこざになってしまいました。




A君は先輩や体育の教師からの激しい叱責を受けることになり、それに対して当人は憤然として大会中にひとり帰宅してしまったというのでした。





この大会を見に行っていた母親は、追いかけて家に帰り部屋にこもってつっぷして泣きわめくわが子に、声をかけてやり慰めてやろうと必死の振る舞いを試みたそうです。





でも、本人が戸を閉ざしたままなので、部屋に入って抱きしめてやることができなかったようです。





「ねえ、ここ開けてよ。あんたの気持ち、わかるのよ。そんなに一人で苦しまないで!どうして部屋に入らせてくれないの?一人で悲しまないで!」





ただならぬ本人の激情ぶりに、母親はなんとか寄り添ってやろうと懸命に呼びかけたのですが、A君は、「来るな!うるさい!」と泣きわめきながら懇願する母親を部屋に入れなかったというのです。





これがひきこもりの始まりだったというのですから、なぜそれが1年も2年も続くことになったのかは、ちょっと普通に考えられることではありません。





良かれと思っての懸命の努力が、とんでもない逆効果になってしまうことは往々にしてよくあります。





ほどなくしてクラス全員を引き連れて、担任の先生がこのA君を励ましに家まで来てくれたのも大変な逆効果を招いてしまいました。





「Aクーン」口々に明るい声でクラスの男女全員が来て、家の前で本人に呼びかけました。





実は、相談開始からほぼ2年後に、母親から当時の本人がいかに切なかったかを洩らしたと聞きましたが、その明るいみんなの声の中には、B君のいつもに比べてよく響く声が混じっていたのが特に決定的に(もう何もかもおしまいだ)と思ったほどの打撃だったというのです。





B君というのは、学習不振児というか、普段は先生に出来が悪くていつも怒られたり励まされたりされている子どものようです。





そのB君のいつもは聞いたことのない明るさで「Aクーン、元気を出せよ」という声が聞こえたというのです。





B君にまでああいう優越感の輝く元気な声で声をかけられてしまったということが、A君からしてみればもはや自分はおしまいだと痛烈に思うほどのものだった、ということは裏を返せば、それほどの優越意識をA君がB君に対して抱いていたということに他なりません。





「誰にも会えない」という絶望感は、今までの気張りすぎの裏返しというものです。





普段、抱いている優越感と、今のこの絶望感とが激しく当人の心の中で衝突したのでしょう。





時間をかけて衝突からしだいに中和していくひろがりや余裕をこそ与えてやらねばならないのに、親や学校が異常の事態とばかりにかまいたてて当人の恥辱の思いを高めるだけ高めてしまったのです。





過保護、過干渉はいけないとよく言われますが、はからずも、干渉の限りをつくして本人の自尊心をつぶすだけつぶすといった逆効果を、母親もそしてすぐさまクラス全員で押し寄せた先生の親切ずくの励ましも、あおるだけあおってしまったというべきだとわたしは思いました。





本人がどういう反応を示すか、それに応じてやり方を変えなければならないときには、基本からさっと変えてやるべきであったと思います。





でも、1年半後に関東自立就労支援センターに訪ねてきた母親に、わたしは率直には何も言えませんでした。





当時の具体的状況をどう確かめるべきかも分かりませんでした。





とにかく、それまでの1年半近く、部屋にこもりきりという事態の異常さにわたし自身が驚くばかりで、前述したように神経や精神の医学の領域での専門的アプローチが必要なのではないか・・・・、自分の関われることではない、と危ぶんだことですから、わたし自身のとっさの判断などだすべきではないと思いました。





いや、それよりもそれから後、わたし自身の提案した試みで事態がどういう経過をたどったかをまだ何も経験していなかった当初の頃は、A君の状況の全容が今現在このブログを書いているわたしとは違って、まるでつかめていなかったというのが事実です。




とにもかくにも、子どもを導くとは、子どもの頑なな思いを打ち砕いて、親や学校のやり方になびかせることなのだ、という思い込み一辺倒で、まわりの大人たちが一丸となっていたという感じでした。





それがこの問題の基本であったということも、今になって、本人がよくなった様子を含めての全容をとらえてみてはじめて言えることです。





現実の、はじめの時点でのまわりのA君に対する人々の対応は、さらにもっと追い討ちのかけっぱなしとしか言いようのないありさまでした。





対抗駅伝の日、とんでもない当人のミスで学校間の騒ぎがあって、本人が先生の激しい叱責を受けて家へ帰ってしまい、少年の後を追って帰った母親の懸命の説得や懇願にもかかわらず、頑として部屋を閉ざしてこもったままのところへ、クラス全員の誘い出しがあって、いよいよ恥辱のかたまりになってしまいました。





そこへ、父親が帰宅しました。ただならぬ気配と母親の訴えに、父親自身が動転して、まさに屋上尾を重ねる形のあおりたてをやらかしてしまったのでした。





部屋の外から父親の一徹な、「おい、A、出てきなさい」の命じ方が、いつにもまして激しいのですが、息子からの反応はまったくありません。





「おい、聞こえてるんだろ!なぜ返事をしないんだ」・・・・・戸をゆすります。父親の声は激して震えます。





一切反応がありません。常々素直さを欠く子です。この意地っ張りはいつか父親の権威でこなごなにくだいてやらないといけないと、時に思い続けてきた父親は、この際、容赦のない険しさでした。





わたしなどの第三者から見たら、子どもの意地っ張りぶりはまさにこの父親の生き写しでしかないのですから、強く父親が出ると負けず劣らず子がより強く抗するという様子が手に取るように想像できるといったしだいながら、いや、時代が時代なら子が反抗するならまさにそれに抗して、決定的に親が強く出るという形をとったものだと思います。





この場合など、戦後の親の一般共通の姿で、はじめは反射的に古いパターンの対応をし、思いに反して子に捨て身のより強い抵抗を示されるとなるや親のほうが逆にためらってしまいます。





時代が違うのだ、昔の親のやり方を今やってはだめなのだと中途半端に降りてしまいます。





すると逆に子が、自分は親に抗し抜けたのだという底深い自信を持つにいたるのです。





やりだしたら最後、親は子に振り回されっぱなしという慣れになじむしかなくなるわけです。





往々にして、子どものきかん気ぶりの激しいのは、その気性が親譲りのものという元からの要素もあるのでしょうが、それ以上に育っていく過程で親自体のきかん気のあらわれに色づけられ、学習して慣れになる部分も多いのです。





「返事くらいはしなさい。返事を!」激しい容赦のなさがより強くなり、それにもかかわらず子が無言、無視を通すと親は腹立ちを抑えかねる事態に至ります。





ついに父親が、「出てこない以上は、ご飯は食べるな!」と厳命するにいたります。





でも、母親はそのまま放っておくわけにはいかない思いです。それで何十回もの説得や言い聞かせが、泣き落としの懇願に変わります。





「ねえ、お願いだから出てきてみんなといっしょにご飯を食べて。お腹がすいてるでしょう。





ねえ、頼むから。お願い」あまり何度も繰り返すので何回かに一回は部屋から「うるさい!絶対に食べない!」と苛立ちと強がりの声が響きます。





父は母に、「何度も構うなといったら構うな!」と苛立ち、父方の同居の祖母もおろおろ声で、「そんなひどいことを、かわいそうに。持っていってやんなよ」と、出てこない子には仕方がないから、ご飯を部屋に持っていってやれとおろおろしながら嫁に勧めます。





それを聞きとめて、父親は、「みんながそうやって、わがままを許すからあいつはつけ上がるんだ。持っていくことは許さん!」とさらに声を荒げます。





結局は、夜更けに辛抱できなくなった母親が、部屋の戸の前まで食事を運び、どうしても戸を開けようとしないため、仕方なく部屋の前に置いておいたお盆の上の食器がしばらく後に来てみれば、すっかり空になっていました。





A君がさっと取り込んで食べたのです。「食べてくれたわ」と母親は胸をなでおろしましたが、これが後々の習いになってしまうのでした。





トイレが部屋の隣にあって、家人の誰にも気づかれずに用を済ますことはたやすくできます。





入浴がひとしきり大変だったと聞きました。「誰かが見ていたら、絶対に湯に入らない」と言い、それじゃあみんな廊下に出ないし、のぞきもしないと言明したらやっと出て、浴室に入ろうとした瞬間に家中をふるわすほど大声でわめいて、自分の部屋に逃げ帰りました。





おじいちゃんが何気なく廊下に出ようとしたのを、本人が察しての大騒動なのでした。





部屋の中で、何かを放り投げて「約束を破るな!もう絶対外へ出ない!」と一度わめきだせば、ひいひいと声もかすれるほどの絶叫が続くので、もうこりごりとばかり火木土の9時きっかりに家人は本人の入浴のため、それぞれの部屋に入って廊下をのぞかないという鉄則をこの1年半守ってきたというのです。





わたしのところにはじめて母親が来所した当初、1年半もの長きにわたって、異様なひきこもりが続き、どう策を立てても効果がなく、この何ヶ月間も外から声をかけることもないということでしたので、何回か母親が相談来所するたびに確かめ、わたし自身のある推測がこの事例においても当てはまることがわかったのです。





つまり、こういう推測です。何か声をかけようとするとき、その声をかける言葉のかけ方というかスタイルです。





「もういい加減に戸を開けてよ。ねえ、どうしてこんなにこだわるの?」とか、「もう母さんを許して。もうほとほと困りはててるのに。





あなたがどんな気持ちかわからないけれど、先生方、どんなに心配してくれてると思うの?それが分からないのだから、困るわね?」とかです。





いつの場合も聞かせる言葉はすべて本人の意向を答えてと、語尾をはねあげて尋ねて答えを待つ言葉に限ってしまうのです。




「ちょっと位、返事しろ」とか「どうして黙っているのか」とかです。父親も言葉をかけたあと、反応をうかがいます。





いつ返事が返ってくるか、そればかりを窺って聞き耳をたてている様子であるために、「うるさい!」と暴言を吐かせることになってしまうのです。





わたしは、今までの相談事例から体験上、子どもに質問をして答えを待つ姿勢を親は示してはいけないと思うようになりました。





「言うだけは、言っておく。あなたが今後の参考にせずにはおかないと思うことを、しっかり聞こえるように話しておきます」と、伝えるだけ伝えておけばいいのです。





その直後に、「・・・・・・だということ、分かった?」となにげなく反応を窺うクセです。





それも同意を催促して自己満足を求めるだけのような身勝手な発言をめっぽう嫌うものだということを痛感しています。





つまり、親らしさを払拭して、人格対等にということです。





A君の親達の発言は、ことごとくそのいけないやり方一色になりきっていたようだと、わたしはやがて推測を深めていきました。





即応の返事を待たないこと、これが受け答えのない子どもと話すきっかけをつくるための鉄則だと思います。





子どもから返事が返ってこないか、それ以上に暴言暴力を返してくるがために、何も言えなくなってしまうケースが多いのです。





そのために、親のほうからも、もう何年も声をかけてやらない、またはやれない状況が続いているというひきこもりやそれに類する親子関係の現状を聞くたびにそれを痛感しています。





それらの相談にわたしは、例外なく、子どもが素直に反応を示さないからといって、親のほうも黙って年月を過ごしてはいけないと忠告します。





またしても強調しますが、過保護、過干渉はいけません、さりとて放置、放任もいけないということです。





大切なこととか伝えておくべき情報とかは、さらりと伝えておきましょう。





子どもの心にとどまるかとどまらないか、また、それをヒントに役立てるかどうかは、子どものやがて起きる内面の動き次第です。





それはこの動きにまかせて待つのです。植物は、水をやってもすぐ葉の色つやに変化を起こしません。





何日もたって、「ああ水をあげている!」と葉の元気さを発見するのです。





つまり、動物植物一般と同じだと心得ればいいとわたしは思います。





言葉をかけて、言葉が返るのです。即応の言葉の会話のみを人間関係ととらえてはいけません。





質問を投げて、なんらかの解答を待つという人間関係をつい期待しがちですが、話したくない返事やどう話せばよいかととまどいながらの返事などは、よい返事を期待されているとき、そういう返事をしたくないものです。





さりとて見えすいた言葉だけの期待通りの返事をする気にならないとき、質問されていい返事を期待されれば不機嫌になります。





反発が起こって、無視したりすさんでしまいます。尋ねるパターンではなくて、言うだけ言っておくパターンにすれば、もし参考にするなら参考にするでしょう。





その反応は、即応の言葉の返事ではなく、何日か後の態度にあらわれるのです。





即応がない以上、関係拒否なのだと思い込むこと自体が、思い違いなのです。





思い違いの連続として、子どもをひきこもりへと追いつめることになってしまうのです。





何回か母親が来所を重ね、とにもかくにもわたしは家庭訪問をすることに決めました。





玄関を入ると応接間と彼の部屋が、廊下を隔てて向き合っています。





家族の居間や台所などは、廊下の奥にあるようでした。「ここなんです」と、わざわざ案内していただくまでもなく、わたしは少年がここ1年半の間、一歩も外へ出ないでひきこもっている部屋の戸の前に立ちました。





「こんなふうなんですよ」と案内に立った父親が、引き戸のとってのあたりを触っていましたが、手にとったものを見ると小さくたたんだ紙切れです。





「少年ジャンプ、発売日過ぎた。遅い」少年からの催促でした。父親にこの紙切れを見せてもらったとたんに、わたしの胸にまだ見ぬ少年への親近感やいとしさがこみあげてきました。





応接間でとりあえずお茶をいただきながら、「わたし一人で彼の部屋で話をします」と親達に宣言しました。





戸のすきまからチラリと見えたのは、中のベッドの毛布の端です。動く気配が伝わり、今、少年はベッドに入っているが起きているなと思いました。





「こんにちは。はじめまして。君の知らない他人で『関係ないだろ。帰れ!』と言いたいくらいだと思います。





言いたいと思うことだけを少し話して、君に何かを尋ねたり話し合ったりしようとしないで帰りますから、わずかの時間、聞こうと思えば聞いてください。





外からの声を聞いてください。1年半もの長い間、どんな気持ちに耐えてひとりこの部屋にこもりっきりになっていたのか、わたしは君の心のうちを想像するだけで胸がいっぱいで、声も震えます。よく・・・・がんばったね」





わたしはここで絶句してしまいました。部屋の中はシーンと静まり返り、毛布の動くのも止まり、より静まったように思えました。





「自分の気持ちは人に伝えようもない、とすさんですさんですさみぬいたA君の気持ち、どんなにたいへんだったか。





言葉では言えないよ。聞こうとも思わないよ。何を思うよりも、胸のつぶれる君が・・・・・。君のことを感じてしまうよ。





本当にたいへんだったなあ。そうしていても、けっして一人じゃないんだ。みんな、みんな、みーんなのこと、ずっとずっとずっと、君は感じてきたんだ。





ひとりだけで生きていこうなんて思ってもおらず、心はみんなと共にあるんだよね。





それが、君のお父さんとお母さんの話を聞いてわかりましたよ。分かりすぎるくらいわかりましたよ。





ひとりでいられるものは、それほど強いものはほかにいない。ということは、だよ、ひとりでいることほどつらいことはない、悲しいことはない、やりきれないことはない、君はまだ生きてきて、14年や15年だというのに、こんなすごい人生をやり抜いている・・・・。





なのに、こんなつまらない人生はほかにないと思う。自分はおろかの骨頂だと、つくづく自分が嫌になっていると思う。それがつらいよね。





人の誰も感じないことを感じる体験って、本当に生きた体験なんだよ。尊いんだよ。





またここにきて、まだ君がここにこもりきっている間に、感じたことを話させてもらいます。





きょうはこれで、さようなら」自分の身についた言葉でなければいけない、聞き手の自尊心と話し手の自尊心が、いささかも傷つく物の言いようはしたくない、と懸命にそれのみ願って話をしたつもりです。





A君からうんもすんも反応のないことは、もちろんです。





さて、この日、わたしが訪問した後の本人の様子の報告を親から受けました。





なにぶんにも人が訪ねてくるのを極端に拒否して、学校の先生や児童相談所の相談員が帰った後なども、帰ってからの荒れように、ほとほと困り抜いていたために、このほぼ1年は、徹底して誰にも来てもらわなかったのですから、正直言ってわたしが訪ねていくといったとき、親達は本人のその後のどんなにひどい暴言暴力の奇襲をも覚悟しようと腹に決めたと言うのです。





深夜、家中寝静まっている時に、両親の寝ている寝室へ忍び足で入ってきて、冬場の寒い時は、親の寝ている布団一面に冷たい水をぶっかけ、驚いて飛びかかろうとする親を尻目に、猛烈な物音と罵声と共に自室に逃げ帰る、そういう奇行がそれまでに何回かあったようです。





時には、布団の上から殴りかかってきて大慌てにとっちめようと起きてくる父親を尻目に、わめきながら脱兎のごとく逃げ帰り、いつも通りのとじこもり方で、頑として自分の部屋の戸を開けさせません。





夏の夜は、何回か火をつけた新聞紙を寝室に放り込んだこともあったようです。びっくり仰天した親が火を消し止めてわめきたてながら彼を追う前に、当人は自室に逃げ込んで中で悪口雑言を言い立てて、なかなかのことでは収まりません。





そういうことを、誰かがたずねてきた夜だとかに突如としてやらかし、また興奮がなかなか収まらず、そういうときこそ部屋に押し入ろうとでもする親達の気配を感じ取りでもしたときは、反発や荒れすさみはものすごいものがありました。





疲れ果てた末、明け方にやっとしんと静まるのが常なので、いつもそれを待つのが大変だというのです。





わたしが訪ねていった後、そういうことも起こって当然と構えていたのに、不思議なことに荒れ立ち一切がなかったと、数日後の報告を受けました。





「あのあと、なんだか少し穏やかになっているような気配が、気のせいか感じるように思います」との母親の報告です。





さて、それからなのです。親が、わたしの語る言葉の細部に気をつけて、言っていることを少しでもよく分かろうと気遣い始めたのは。





やっと親が変わり始めたのです。それまでは、「ええ」「はい」と言葉つきはごく神妙でも、わたしの言葉に本気で耳を貸そうという態度が感じられなかったのです。





「この頃、しきりに繰り返しておっしゃってくださる言葉が、なるほどこういうことなのか、なんて少し分かるような気がするんです」と実際母親がそう言ってくれたのです。





つまり親は、わが子がどれほどの異常な事態に陥っているか、その異様さを分かってもらえるかどうかにかけるあまり、自分が話を聞いてもらいたい一心で、わたしのそれをどうとらえるべきかを問う言葉など、ほんとのところ耳に入っていなかったようなのです。





子どもの異常さの限りを伝えたい、いやもっとはっきり言えば、その異常さに親がどんな動転をさせられ、いわば被害を受けているか、の思いしかなかったのだと気づき始めたというのです。





わたしも、率直に自分の思いを述べました。





「お母さん、あなたは、わたしに『それで、親はどう対処したのですか』と尋ねられても『親は要するに親ですよ。真情のあふれるまま、できることを精一杯にしてやりたいと思うばかりに決まっているではありませんか』と、憮然とするばかりでしたね。





どうにかしてやりたいと何をやっても、子どもは何も応えない。反発ばかり。わめき立ち、暴れ、こちらの息のつまるような異常さばかりの展開ですからね。





それを見るつらさが、それこそがどれほどの異常かをわたしは熱心に訴えているのに、『それをどうだこうだと言われるなんてこれは相談する者の弱みだ。親のわたし自身、普通のごくありがちの親のひとりに過ぎないのに疑われているのは相談に来ている側の弱みなのだから、あえて辛抱しなければならないことなのだ』といえば、わたしに対して気も心も張ってたんだと、今になって少し気づき始めたということではないですか」と語るわたしを目を見張って眺める母親にわたしは続けます。





「はっきり言って『苛立たせないように、受け答えの神妙さだけは気をつかわねば、とそれは懸命だったのですが、言われていることを、その内容には耳をかしてなかったのです』なんて、今はわたしにおっしゃりたい気持ちではないんですか」





わたしのこの言葉に、母親は開けられる限り目を丸くして黙っています。わたしは続けて、「『わたしのうちを訪ねてくれた時の様子の一切が、内にこもる子どもになにか影響を与えている』と、悟ってくださったからはじめて、わたしの言葉に耳を傾ける気がわいた、という風ですものね」と言うのに、わたしは言い終わらぬうちに母親は、「よくお見通しです。今まで言われてきたこと、聞き流していたと思います。なにもかも」と言ったのです。





そして、「先生がはじめてなんです。といってもここしばらくは、誰にも話はしませんでしたが。





児童相談所は、一週間にあった子どもの目にとまる言動を、わたしが報告するだけでもうそれも同じことの繰り返しで、子どもの異常さは少しも変わってませんね、とダメ押しするにすぎませんしね。





『この先を待ってみましょう。じゃあ、来週また』の繰り返しのたびに、これではだめだ、何か抜本的な手がないかと、思いながら他に考えられることといえば精神科での治療なのでしょうが、あの子を病院につれていくなんてことはできませんし。





親の顔さえ見ないで1年半なんですもの。とにかく先生のようにつっこんで尋ねられ、それに対して親がどうすべきだとか、こまかく問われたことなんかありませんもの。





わたし、今になって本当に気づいたんです。こちらの出方しだいで子どもが変わるのだということを」





「そうなんです。今やっと、聞いてくれているなとわたしもホッとしているんですよ」とわたしはいたって率直に応答できるように長年の仕事のなかで、わたし自身が少し変わったと思います。





以前はもっと遠慮だか配慮だか、ついでに皮肉だか婉曲な言い回しだかになっていたのだろうと思います。





相談の仕事がわたしを育ててくれたのです。そこで、しっかり語を強めて、「親もどうしようもないと手をこまねいていてはいけないと、今やっと気づき始めたのですから、わたしはこれからこそしっかり思ったことを思ったとおりに提案します」と。




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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援