思春期の人間関係
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思春期の人間関係

2019年10月13日(日)10:59 AM







思春期は人間関係に特に変化が生じる時期です。友情で結ばれた生涯の友ができる時期でもあり、同時に、嫉妬や憎しみなどそれまでになかったつらい経験をする時期でもあります。





小学校の友だち・・・・・遊べれば誰でもいい





思春期以前の子どもたちにも友達はいます。中には、幼稚園の頃から仲がよく、大人になっても変わらぬ友情を維持する人たちもいます。





でも、これは例外です。よっぽど息の合う友達でも、子ども時代からの付き合いがそのまま青年期まで続くことはまれです。性格的にお互いに穏やかで好き嫌いが激しくないこと、さらに、家が近所で小学校でもクラスが一緒だったなど、接触する機会が多いといった条件がないとこうした長い付き合いはなかなかできません。





むしろ、子ども時代の友達づきあいは一般に短期的で、何かのきっかけですぐに相手が変わります。席が隣どうしとか、帰る道が一緒といったこと、つまり接触する機会があることが友達づきあいを促します。





専門家は、物理的近接と呼んでいますが、この時期の友達づきあいには、子ども自身の性質とか相性よりも、接触する機会が多いことが重要です。





物理的要因が重要であることは、友達づきあいが消滅するときも同じです。別々のクラスになって、会う機会が少なくなってしまうと、自然に友達づきあいがなくなってしまいます。





友達が転校すると聞くと、まる身も世もないかのように嘆く子どもも、2、3日もするとケロッとして新しい友達と遊んでいます。子どもですから些細なことでよくケンカはします。ぷんぷん怒って帰ってきて、「もうあの子とは遊ばない!」と言ったりすることもありますが、次の日に見ると昨日のことはもう忘れたかのように仲良く遊んでいます。





小学校時代の友達づきあいは、一緒に遊ぶということが目的のすべてで、楽しく遊べるなら相手は誰でもいいのです。何か嫌なことがあってもそれが繰り返されない限り、短期間で忘れてまた一緒に遊ぶことに何の抵抗もありません。





前日、嫌な思いをしても今日、遊んで楽しくなればそれで昨日のことは忘れてしまいます。友達となるには、同じ遊びに興味のあること、一緒に遊べるだけの知識や能力を持っていることだけが条件です。





ひどくわがままだったり、乱暴だったりということがなければ子どもたちは好き嫌いなく誰とでも友達になります。小学校までは、子どもたちは時間やスケジュールをやりくりし、努力して友達づきあいを調整するということはしません。





クラスが同じで、すぐ一緒に遊べるとか、近所に住んでいて遊びたいと思ったときにすぐ行けるとか、あるいは、児童館に行けばいつもいるといったふうに、時間的あるいは心理的なコストをかけないで接触できるものたちが友達になります。





このように、子ども時代の友達づきあいは手軽で、深入りすることはなく、またその分、うつろいやすいものです。子どもたちは、コンピュータ・ゲームのように一人遊びもしますが、スポーツでもゲームでも何人かで一緒にやるほうが、スリルがあってはるかに刺激的です。





だから、多くの子どもたちは友達と遊ぶほうが楽しいと感じます。だから、この年代の子どもたちにとって、一緒に遊ぶという目的にふさわしい振る舞いをしてくれる人なら、誰でも友達として歓迎します。





思春期の友だち・・・・・・排他的で閉じた仲間意識





子どもによって早い遅いはありますが、小学校の後半から中学生にかけて、子どもたちの友達づきあいが変わってきます。楽しく遊べれば誰でもいいという付き合い方から、何をするにも特定の人と一緒というふうに、付き合いの範囲が狭くなり、相手が限定されるようになります。





思春期には、排他的で閉じられた交友関係が形成されます。こうした交友形態の変化の背景には、子どもたちが友達に求めるものの変化があります。思春期になると、子どもたちは自分が友達からどのように思われているかを気にするようになります。





彼らは、自分が友達として受け入れられているかどうか、仲間と見なされているかどうかを気にするようになります。人から好かれたい、受け入れられたい、あるいは仲間の一員として認められたいという気持ちを社会的受容欲求といいます。





こうした欲求が友達に強く向けられるようになるのがこの時期の特徴です。受容欲求自体は子どもがもっと小さいときからあります。どんな子どもも、親切に扱われ、優しく対応されると喜びます。





愛され、可愛がられるとうれしいと感じます。逆に冷たくされ、拒絶されると悲しいのは大人も子どもと一緒です。小学校時代までは、子どもたちの受容欲求は主として親や家族に向けられています。





多くの子どもは親や家族から無条件に受け入れられ、愛され、家族の中で受容欲求を満たされて育ちます。ところが思春期になると、この欲求が家庭外の友達に向けられます。これは子どもの発達という観点から見ると非常に重要な段階です。





友達に対して強まる受容欲求に促されて、子どもたちは家庭の外の世界に少しずつ少しずつ身を乗り出していきます。それはちょうど、春の暖かさに誘われて、冬篭りしていた小動物がおずおずと巣から顔を出していくようなものです。





思春期の子どもたちは、以前のように単にいっしょに遊べるというだけでは満足しなくなります。友達に単なる遊び仲間以上の強い絆を求めるようになります。そうなると、付き合うメンバーは固定され、気軽に相手を変えるということがなくなります。






メンバーが固定され、いわゆるグループが出来上がります。他の子どもたちと自分たちの間に線を引き、「俺ら・わたしら」と呼び、他の子どもたちは「あいつら・あの子たち」と呼び分けるようになります。





これによって、グループの境界が際立つことになります。専門家は「カテゴリー化」と呼んでいますが、自グループと他グループの色分けをするわけです。これは大人でもそうですが、自グループと他グループの線引きをすると、不思議な集団心理が発生します。まず、自グループのメンバーに対する好感が増し、その分、他グループに対する好感が低下します。





自分の仲間に対しては「みんな優しくていい奴」と好意的な気持ちが強まりますが、反面、他のグループのメンバーに対しては、「あいつらはみんないじわるで、たちが悪い」といった非好意的な見方が強まります。





カテゴリー化には、たいてい、こうした身びいきの心理が伴います。個人差はありますが、身びいきは子どもに限らず、大人にもよく見られます。カテゴリー化によって身びいきが起こると、その結果、他のグループに対する対抗心が生じます。





「自分のグループは他のグループよりも優れている」、「自分のグループは他のグループと違って雰囲気がよく、仲もよい」と思うようになります。非行少年のグループは、街角で遭遇するだけでにらみ合い、一触即発の雰囲気になります。





女子のグループは面と向かって対立することは少ないのですが、仲間同士では、他のグループの悪口を言い合っています。受容欲求が強いせいで、思春期は友達からの影響をもっとも受けやすい時期です。





子どもにもよりますが、親よりも友達の言うことを熱心に聞き、友達を通して勉強や受験、地域や友達、テレビ、ゲームなど実にさまざまの事柄について情報を得ます。





その中にはゆがんでいたり誤った情報も多いのですが、ほとんどの子どもたちはその真偽をチェックすることができず、鵜呑みにしていることもあります。このため、子どもたちは、時には、とんでもないことを信じ込んだりしていることがあります。





子どもたち自身も気をつけなければならないし、大人は時々、子どもたちの間でどんなことが話題になっているのか聞いてみる必要があります。





万引きなどの非行が友達からの影響で行われることもあります。友達から話を聞いて、「それはおもしろそうだ」と興味をそそられることもあるし、誘われて「まずいんじゃないか」と内心では思っていても、断れないで協力してしまうこともあります。





前者の例は、友達づきあいの中で、子どもの中に新しい事柄に関心がわいたり、意欲が掻き立てられたりする例です。それが、スポーツ、芸術、勉学など建設的な方向に向かえば、友達づきあいのよい面となります。実際、この時期の友達づきあいはそうした建設的な影響の与え合いが多いものです。





誘われて断れない例のほうは、集団圧力と呼ばれるもので、「嫌われるかもしれない」「もう、付き合ってもらえないかもしれない」「友達をがっかりさせたくない」といった気持ちで、同調してしまうものです。





しかし、それ自体、いつも悪いというわけではありません。買い物とかおしゃべりとか、あるいはスポーツなど、悪い活動でなければ、「あまり乗り気じゃないけど、付き合ってあげようか」と思うことも重要な人づき合いのスキルです。





それがないと、「愛想がない」とか「人づき合いが悪い」とか思われますし、極端な場合は、「わがままだ」とみなされます。自分の都合は我慢して、時には相手の願いを聞いてあげるというのも友達づきあいには大切です。





ただし、それが悪い活動の場合には、友達を止めたり、「自分は嫌だ」とはっきり言う勇気が必要です。こうした集団心理によって、仲間どうしの結びつきは強まっていきますが、それをさらに強めるように、思春期の友達づきあいは次のような特徴を持ちます。





ひとつは秘密の共有です。この時期の友達は、親も他の子どもたちも知らない自分たちだけの秘密を持とうとします。男の子たちは、仲間でつるんで歩き回り、付近を探索します。何か変わったものを発見し、自分達しか知らない遊び場所を作り、それを仲間の秘密とします。





「例のところで」など、仲間内だけで通じる符丁をを使い、他の人には理解できない会話をして仲間意識を強めます。





女の子も同様に友達と秘密を持とうとしますが、男の子たちが外部世界の冒険に熱中するのとは違って、彼女たちの関心はもっぱらお互いの内面に向けられます。彼女たちは、クラスメイト、教師、タレントなど、さまざまな人に対する好悪の感情を伝え合い、それを互いに受容します。





自分の好きなこと、嫌いなこと、大切に思っていることが何かを教えあって、互いの秘密を共有しようとします。心理学では「自己開示」といいますが、女の子は個人的な事柄、内面的な感情を伝え合うことで、互いの絆を強めようとします。





思春期の女の子はほとんど例外なく、友達どうしでメールを交換しています。メール交換の目的は自己開示だけではありません。自分が家にいても、いつも相手のことを考えているということを伝えるメッセージなのです。





内容はたわいのないことばかりです。重要なのは、自分がいつも相手のことを思っているということを伝えることなのです。相手が熱心に答えてくれなければ、がっかりします。内容よりも、応答の頻度から女の子は相手の好意度を推し量ります。





相手も自分の応答行動を同じように解釈するだろうと思うから、何をおいても友達からのメールに答えようとするし、一生懸命にメール交換をしようとするのです。思春期の女の子の友情は、もう少し後に見られる異性に対する恋愛感情に似ています。恋愛ほど強い感情ではないのですが、深い自己開示、互いに対する好意や関心の確認、そして独占欲など、共通した心理が数多く見られます。





それは、思春期の女の子が友達から自分がどう思われているかに強い関心を持っているからです。自分が友達から好かれているのか、友達として受け入れられているのか、これをいつも気にかけ、言動から友達の気持ちを推測しようとします。





友達が別のクラスメイトと楽しそうにおしゃべりしているのを見て、嫉妬を感じるのは、友達が自分よりもそのクラスメイトを大切に思っているように感じるからです。友達からどう思われているかが気になるという点は、男の子も同様ですが、女の子ほどではありません。





男の子の場合は、いっしょに活動するということも十分な魅力です。女の子の友達づきあいの本質が自己開示と相互理解であるのに対して、男の子の友達づきあいは活動中心で、その意味では、小学校の友達づきあいと似ています。





しかし、小学校の時期とは違いもあって、それはグループの結束力が強いことです。思春期の男の子たちの間には、強い仲間意識やグループの感覚があります。また、秘密の共有が彼らの仲間意識を支えます。





思春期の男子グループにおいて、結束力を強めるもう一つ別の心理的条件は、「男らしさ」です。思春期の男の子たちは、自分が男であることを強く意識するようになり、男らしく振る舞わなければならないという気持ちを持つようになります。





小学校のときでも、「男らしくない」と言われることを嫌いますが、その気持ちは思春期に至って顕著に強くなります。しかし、彼らも「男らしい」ということがどういうことなのか明瞭にはわかっていません。





そこで、とりあえず彼らは女性から距離を置くことで男らしさを守ろうとします。彼らは、女の子、姉、母親など女性と関わると男らしさが失われるとでも思い込んでいるように、彼女たちから距離を置き始めます。





彼らは、女性と親しくすることは男らしくないと感じるらしく、この頃から女のきょうだいや母親と一緒に外出することを嫌がるようになります。女性と一緒にいるところを友達に見られると、恥ずかしいという気持ちになります。



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